ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

寛永寺大仏堂

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年3月27日 (月)

移動: 案内, 検索

寛永寺大仏堂は東京都台東区上野公園の寛永寺にあった大仏堂寛永寺関連旧跡

  • 1631年(寛永8年):越後村上藩主堀直寄が自邸内のこの地に丈六釈迦如来像を建立。粘土を漆喰で固めたものだった。
  • 1647年(正保4年):地震で倒壊。
  • 明暦万治頃(1655-1660):木食僧の浄雲が勧進して青銅像で再建。
  • 1698年(元禄11年):輪王寺宮公弁法親王、大仏殿を建立。
  • 1841年(天保12年):火災で被災。
  • 1843年(天保14年):堀直央が大仏を再鋳。幕府が大仏殿を再建。
  • 1855年(安政2年):地震で頭部損傷。堀家が修復。
  • 1873年(明治6年):上野公園の開設で仏殿を解体。1876年(明治9年)説、1877年(明治10年)説もある。
  • 1923年(大正12年):関東大震災で面部(頭部とも)が落下し寛永寺で保管。
  • 昭和前期:金属供出。面部だけ残された。
  • 1967年(昭和42年)7月:上野観光連盟が発願し、大成建設の寄進でパゴダを建立。旧上野東照宮本地堂の薬師三尊像を祀った。
  • 1972年(昭和47年)春:面部をレリーフ状に奉安。


http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%AF%9B%E6%B0%B8%E5%AF%BA%E5%A4%A7%E4%BB%8F%E5%A0%82」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール