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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

寛永寺護国院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年5月22日 (火)

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寛永寺護国院は東京都台東区にある天台宗寺院。寛永寺の子院。寛永寺関連旧跡も参照。1625年(寛永2年)創建の「東叡山最初の子院」という。1630年(寛永7年)釈迦堂建立。釈迦堂は根本中堂完成まで寛永寺の本堂だった。当初は東京国立博物館裏あたりにあったが、1651年(慶安4年)寛永寺大猷院廟を建立するにあたり、北寄りに移転。さらに1709年(宝永6年)徳川綱吉霊廟建立にあたり現在地に移転。1717年(享保2年)釈迦堂焼失。1722年(享保7年)釈迦堂再建。1927年(昭和2年)、市立第二中学校(現都立上野高校)設立のため境内地の大半を譲渡。この時、釈迦堂を護国院の本堂とした。徳川家光寄贈の大黒天画像がある。(天台宗東京教区ウェブサイト) (参考:同名寺院護国院

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