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御所八幡宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年10月30日 (月)
御所八幡宮(ごしょ・はちまんぐう)は、京都府京都市中京区亀甲屋町にある足利家ゆかりの八幡宮。祭神は応神天皇・神功皇后・比売神。等持寺の鎮守だった。御池八幡宮、三条坊門八幡宮、高倉八幡宮、等持院八幡宮、等持寺八幡宮、御所八幡宮社とも呼ばれる。村社。
1279年(弘安2年)、後宇多天皇の勅で御所(二条高倉内裏か)内に創建し、1344年(興国5年/康永3年)、足利尊氏が卜部兼豊に命じて邸内(二条万里小路第か)に改めて勧請したという。そして尊氏館を寺にした等持寺の鎮守となった。あるいは足利直義(尊氏の弟)が以仁王御所の高倉殿の跡地に邸宅(三条御所)を構えて古くからあった八幡宮を鎮守としたともいう。足利尊氏の館に由来するものなのか、三条御所に由来するものなのかはっきりしないが、どちらも足利家にとって重要な地であり、場所も近接してしたため伝承に混乱が生じたのかもしれない。等持寺の鎮守というのは誤りとする見解もある。
応永年間、三宝院門跡の満済が別当となった。
応仁の乱で等持寺は廃絶したが、八幡宮は残った。
のち天台宗吉祥院が別当となった。
天正年間に再建。宝永、天明、元治に焼失。
1905年(明治38年)に再建。
1945年(昭和20年)、空襲対策として御池通南側一体の強制疎開が行われ、中京区御所八幡町から数十m南の現在地に遷座した。
(日本歴史地名大系、国史大辞典ほか)
資料
- 宮地直一「三条坊門八幡宮の由来」『歴史地理』38-1[1](国会限定)