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徳安宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2013年8月24日 (土)
昌徳宮李王垠の生母厳妃(高宗側室)の霊廟。
1912年(大正1年)厳妃が薨去すると、その宮である慶善宮(明礼宮跡にあった)を霊廟となし、徳安宮と称した。 1913年(大正2年)12月、新地に造営、遷座。 1929年(昭和4年)7月11日、毓祥宮に合祀された。
(『京城府史』)
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昌徳宮李王垠の生母厳妃(高宗側室)の霊廟。
1912年(大正1年)厳妃が薨去すると、その宮である慶善宮(明礼宮跡にあった)を霊廟となし、徳安宮と称した。 1913年(大正2年)12月、新地に造営、遷座。 1929年(昭和4年)7月11日、毓祥宮に合祀された。
(『京城府史』)