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戒台寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年8月7日 (日)

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戒台寺北京郊外(北京市門頭溝区永定地区)の馬鞍山の麓にある仏教寺院。中国の三大戒壇の一つ。慧聚寺慧聚禅寺戒壇寺万寿禅寺万寿寺万寿戒台禅寺ともいう。

唐代の武徳5年(622)に慧聚寺として創建されたといわれる。 遼代の咸雍6年(1070)、法均が菩薩戒を授けるための戒壇を開く。道宗皇帝も菩薩戒を受けた。 1075年、法均が死去し皇帝の承認のもと裕窺が継承し、御製戒本を下賜された。

明代の正統5年(1440)、朝廷の全面的支援のもとで7年かけて伽藍を再興した。知幻道孚が招聘されて戒壇を再建。朝廷は「大万寿禅寺」寺額を下賜した。 正統13年(1448)、法均の墓塔を建立。 嘉靖5年(1526)5月9日、受戒にあたり僧俗男女が混雑することを禁じた。

組織

歴代

  • 1法均(1021-1075)<>:
  • 2裕窺(?-1116)<>:
  • 3悟敏(?-1141)<>:
  • 4悟銖(?-1154)<>:
  • 知幻道孚

(4代まで補続高僧伝)

  • 「馬鞍山故崇禄大夫守司空伝菩薩戒壇主大師遺行碑銘并序」:法均の伝記を刻む。1091年。
  • 「伝戒大師遺行碑」:悟敏の伝記を刻む。1152年。
  • 「大都鞍山慧聚禅寺月泉新公長老塔銘并序」:1291年。
  • 「勅賜万寿禅寺碑記」:1440年。
  • 「勅建馬鞍山万寿大戒壇第一代開山大壇主僧録司左講経孚公大師行実碑」:1473年。
  • 「重修万寿禅寺戒壇記」:1556年
  • 「特建葬舎利幢記」:1072年。河南省新城県の郷村に建っていた。馬鞍山慧類寺で戒壇を開いた法均の事績について讃える内容がある。
  • 古松崇志2006「法均と燕京馬鞍山の菩薩戒壇―契丹(遼)における大乘菩薩戒の流行」『東洋史研究』[1]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%88%92%E5%8F%B0%E5%AF%BA」より作成

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