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日向・自得寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年3月28日 (土)
自得寺(じとくじ)は宮崎県宮崎市佐土原町上田島(日向国宮崎郡)にあった島津家ゆかりの臨済宗寺院。佐土原島津家の菩提寺。廃絶。初名は知又軒(ちゆうけん)。山号は天寿山。
歴史
1718年(享保3年)日向・大光寺42世の古月禅材(1667-1751)が一堂を建てて知又軒と名付けたのが起源。1720年(享保5年)5月、大光寺を隠退し、知又軒に住し女人禁制とする。しかし各地に招聘される。のち帰郷して知又軒を寺に改め、自得寺と称す。1729年(享保14年)焼失。島津惟久が再建。骨清堂を設けて、梁渓禅興に譲る。しかし古月禅材はまた各地に招聘され、1750年(寛延3年)8月、帰還して最期の地としようとしたが1751年(宝暦1年)さらに招聘され、久留米福聚寺に住し、同寺で死去。自得寺に分骨を送るように遺言したという。
5代藩主島津惟久(1675-1738)(自得寺龍淵道水大居士)と6代島津忠雅やその側室らの墓地が設けられた。明治に自得寺が廃絶したため大光寺墓地に改葬された。 (宮崎県嘉績誌ほか)