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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

沖縄の大規模慰霊施設

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2016年6月1日 (水)

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沖縄の大規模慰霊施設
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名称 所在地 コメント
1 沖縄戦跡国定公園 沖縄県糸満市摩文仁 沖縄本島南端にある国定公園。施設ではない。糸満市および島尻郡八重瀬町に位置する。政府立公園法(1957年立法第56号)に基づき、琉球政府が1965年(昭和40年)10月1日に「沖縄戦跡政府立公園」を指定。1972年(昭和47年)5月15日、沖縄の本土復帰により、自然公園法に基づく国定公園とみなされる。
県営平和祈念公園・米須霊域・ひめゆりの塔などの慰霊碑がある。
2 沖縄県営平和祈念公園 沖縄県糸満市摩文仁577 沖縄県営平和祈念公園内 県営平和祈念公園は「沖縄戦終焉の地」である摩文仁の丘に設けられた県営公園である。いくつかの施設からなる慰霊施設コンプレックスとなっている。琉球政府時代に設置され、復帰後の1972年(昭和47年)より本格的に整備を開始した。
国立沖縄戦没者墓苑などがある霊域・沖縄平和祈念堂・平和の礎(平和の火)といった慰霊施設のほか、沖縄県平和祈念資料館や平和の丘・式典広場(2001年)がある。
毎年、6月23日の「慰霊の日」に沖縄県主催による「沖縄全戦没者追悼式」が平和の丘・式典広場(2001年(平成13年)より)にて行われている。
財団法人沖縄県平和祈念財団(旧・沖縄県慰霊奉賛会)が指定管理者となって管理している。(ウェブサイト)
3 国立沖縄戦没者墓苑 沖縄県糸満市摩文仁577 沖縄県営平和祈念公園内 ■概要
日本政府によって創建された沖縄戦に関する納骨・慰霊施設。1979年(昭和54年)2月25日に厚生省が創建した。被葬者は沖縄戦の戦没者のうち、遺族に引き渡すことが不可能であった約18万柱である。
■沿革
1957年(昭和32年)、日本政府は琉球政府に委託して、那覇市識名に「戦没者中央納骨所」を創建していたが、収骨数の増加により、新たな納骨施設の設置が求められた。そこで、日本政府は1979年(昭和54年)に「沖縄戦終焉の地」である県営平和祈念公園内に国立沖縄戦没者墓苑を創建した。
■施設
墓苑は県営平和祈念公園南側にある「霊域」の中心部に位置している。岬の先端に位置し、墓苑は北西の方角を向いている。
墓苑は、参拝所・石棺・納骨堂から構成されている。墓苑の中心となるのは石棺で、内部には沖縄各戦場ごとの象徴遺骨が分骨されて白木の箱に納められ、祀られている。象徴遺骨を用いる様式は欧米の「無名戦士の墓」の方法を受け継ぐものである。石棺は黒御影石(福島県産)である。その後方に納骨堂がある。納骨堂は琉球王家の墓を模倣したもので、コの字型をしている。琉球トラバーチン石(沖縄産)を使用したものである。一番前方にある参拝所は、宝形屋根を持ち、前後吹き抜け、土間でコンクリート造となっている。屋根は沖縄伝統を象徴する赤瓦を用いている。内部には献花台が設置されている。
■管理
厚生労働省によって管理されている。各種団体によって行事が行われているが、統一行事といったものはないようである。(財団法人沖縄県平和祈念財団ウェブサイト)
4 沖縄県営平和祈念公園 摩文仁の丘慰霊塔 沖縄県糸満市摩文仁577 沖縄県営平和祈念公園内 沖縄県営平和祈念公園内の慰霊碑が建ちならぶ区画。国立沖縄戦没者墓苑を始め、各県各団体が建立した約50基の慰霊碑がある。
5 沖縄平和祈念堂 沖縄県糸満市摩文仁577 沖縄県営平和祈念公園内 1978年(昭和53年)10月に創建。
■施設
平和祈念公園内北側に位置し、西南を向いて「平和の丘」と向かい合っている。
堂内中央には中心となる沖縄平和祈念像が祀られている。沖縄平和祈念像は、画家山田真山が制作した全高12mの彫像である。仏像をモチーフとした彫像で、「人間の祈りの姿を象徴した座像」とされる。胎内には「平和の礎刻銘者名簿」が納められている。台座地階の霊石室には世界各国から寄贈された「霊石」が納められている。
堂内の天井には宇宙空間を象徴する「郡星」があり、それを七つの海を象徴する七つの柱で支えている。壁面には画家西村計雄による連作「戦争と平和」が展示されている。
敷地内には祈念堂のほかに「少年の像」「平和の鐘」「瞑想の森」「平和祈念モニュメント」などのモニュメントのほか、奉納された絵画を展示する沖縄平和祈念堂美術館がある。
■管理
財団法人沖縄協会(旧・特殊法人南方同胞援護会)が管理している。毎年4月11日に「平和の礎刻銘者追悼清明祭」、6月22日に「沖縄全戦没者追悼式前夜祭」を行っている。
(沖縄平和祈念堂ウェブサイト)
6 平和の礎(平和の火) 沖縄県糸満市摩文仁577 沖縄県営平和祈念公園内 沖縄県が建立した沖縄戦犠牲者全てを対象とした慰霊碑。1995年(平成7年)6月23日、建立。国籍を問わず沖縄戦で死亡した全ての死者約24万人の名が刻まれている。中心には「平和の火」のモニュメントがある。平和の火から伸びる中央道路は、6月23日の日の出の方角に合わせており、「平和の丘」に繋がっている。
「平和の火」は「沖縄戦最初の上陸地である座間味村阿嘉島において採取した火と被爆地地広島市の「平和の灯」及び長崎市の「誓いの火」から分けていただいた火を合火し、1991年から灯しつづけた火を、1995年6月23日の「慰霊の日」にここに移し、灯したもの」だという(沖縄県平和祈念資料館HP)。
7 魂魄の塔・米須霊域 沖縄県糸満市山城 米須霊域は、糸満市山城にある沖縄戦慰霊碑群とその所在エリアの総称である。戦後最初の沖縄慰霊碑といわれる「魂魄の塔」を中心に12基ほどの慰霊碑が建立されている。隣接して「平和創造の森公園」がある。
1946年(昭和21年)真和志村村長金城和信は散乱する遺骨2万柱を敵味方なく収集し、納骨堂を建立した。同年2月27日、納骨堂に添えて「魂魄の塔」を建立した。3万5000柱の遺骨が納められていたが、1979年(昭和54年)の国立沖縄戦没者墓苑の創建に伴い、同墓苑に分骨改葬された。
8 ひめゆりの塔 沖縄県糸満市字伊原671?1 金城和信が建立した慰霊碑。ひめゆり平和祈念資料館が付属している。
9 戦没者中央納骨所 沖縄県那覇市識名(識名霊園??) 1957年(昭和32年)7月10日、日本政府は琉球政府に委託して、那覇市識名に「戦没者中央納骨所」を創建した(2002『読谷村史』「第七章 慰霊の塔は語る」インターネット版)。しかし、沖縄各地からの収骨が進むに連れて、収骨数が膨大な数となって、納骨所が狭隘となったため、本土復帰後の1979年(昭和54年)に「沖縄戦終焉の地」である糸満市摩文仁の県営平和記念公園内に国立沖縄戦没者墓苑が創建され、戦没者中央納骨所の遺骨が改葬された。


ギャラリー

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