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淳和天皇火葬塚
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年4月12日 (水)
淳和天皇火葬塚は、京都府向日市物集女町出口(山城国乙訓郡)にある淳和天皇の火葬塚。皇室治定。江戸時代の一時期にはここが淳和天皇陵とみなされていた。通称は御廟塚。
天皇は遺言として散骨を指示。 840年(承和7年)5月8日崩御した。 5月13日、乙訓郡物集村で火葬し、大原野の西山の嶺の上に散骨した(続日本後紀)。 江戸幕府による元禄の修陵で1699年(元禄12年)、物集の御廟塚と呼ばれる塚を陵墓に擬したが、 幕末の文久の修陵では散骨の場所を考証して大原野に陵墓(淳和天皇陵)を定めた。 そのため、物集の塚は改めて淳和天皇の火葬塚とされた。
南東300mに遺骸を運んだ霊車を埋納したと伝わる車塚(物集女車塚古墳)がある。