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玉藻廟

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2026年5月29日 (金)

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現在の玉藻廟
玉藻廟は香川県高松市玉藻町の高松城跡にある高松松平家霊社祖霊社。祭神は松平頼重以下歴代と甲子大黒天金刀比羅宮。御神体の松平頼重像は理兵衛焼の陶像で、元は法然寺般若台の英公廟に祀られていた。

領主奉斎神社。国家神道時代に正式な神社として公認された形跡はなく、私的な家廟という位置付けだったと思われ、そのため神社ではなく廟と称したと考えられる。 天守台にあった旧社殿は解体されたが、現在も城跡内の東の丸にある。

目次

祭神

玉藻廟・松平公益会-01.jpg
  • 松平頼重:高松松平家初代。御神体は法然寺般若台英公廟に祀られていた理兵衛焼の陶像。初代理兵衛作ともいうが不詳。衣冠姿の彩色の坐像で、右手に笏、左手に弓を手にして背中に矢を負い、帯刀する。手前に龍が守り、犬とみられる動物が随従する。また龍の台座が法然寺に残されている。讃岐風土記[1]、初期京焼[2]、郷土の歴史[3]、新修高松市史1[4]
  • (松平頼聡):1909年(明治42年)11月19日に合祀されたが、松平頼重像と共に屋島神社に遷座したのかなどは不明。いずれにせよ、歴代に含まれている。
  • 「歴代藩主の御神霊」
  • 甲子大黒天:鎮守社祭神。来歴不詳。
  • 金刀比羅宮:鎮守社祭神。来歴不詳。大物主命[5]。明治28年の地図[6]や1921年地図[7]には高松城の近くに「コンピラ」「琴平神社」が示されている

歴代藩主の御神霊

1956年(昭和31年)10月時点[8]

代数 名前 生没年 神号 備考
1 松平頼重 1622-1695 贈正三位源英公神霊 主祭神と重複。
2 松平頼常 1652-1704 従四位下源節公神霊
3 松平頼豊 1680-1735 従四位上源恵公神霊
4 松平頼桓 1720-1739 従四位下源懐公神霊
5 松平頼恭 1711-1771 贈正三位源穆公神霊
6 松平頼真 1743-1780 従四位下源定公神霊
7 松平頼起 1747-1792 従四位上源欽公神霊
8 松平頼儀 1775-1829 従四位上源襄公神霊
9 松平頼恕 1798-1842 贈従三位源慤公神霊
10 松平頼胤 1811-1877 正四位下源靖公神霊
11 松平頼聡 1834-1903 従二位伯爵源懿公神霊
12 松平頼寿 1874-1944 正二位勲一等伯爵源恭公神霊

歴史

戦前の玉藻廟
旧玉藻廟が建っていた高松城天守台
旧玉藻廟(1985年4月撮影)
屋島神社に移設された旧玉藻廟の鳥居
  • 1588年(天正16年):生駒親正が高松城(玉藻城)築城に着手。
  • 1695年(元禄8年)4月12日:松平頼重死去。15日法然寺般若台に埋葬。
  • 不詳:理兵衛焼の頼重像、造立。法然寺般若台の御廟(英公廟)に祀られたという。
  • 1870年(明治3年):高松藩、廃城願を提出し許可
  • 1871年(明治4年):城跡は兵部省(のち陸軍省)の管理下となる
  • 1871年(明治4年)9月:松枝舎設立[9]。松平公益会の前身。高松松平家の財産管理だけでなく、殖産興業や公益事業を行う。
  • 1884年(明治17年):天守閣、老朽化のため解体
  • 1890年(明治23年):松平頼聡が5000円で城跡の払下を受けた[10]
  • 1900年(明治33年)11月:松平頼聡、天守台に屋島神社(1815年造営の旧社殿。現社殿は戦後の再建)に倣った社殿を建て法然寺般若台から松平頼重像を遷して祀るように辻盛令に指示。
  • 1901年(明治34年)2月5日:建設計画を決定。10日に計画発表。
  • 1901年(明治34年)4月8日:起工
  • 1901年(明治34年)6月19日:地鎮祭
  • 1901年(明治34年)11月19日:上棟式
  • 1902年(明治35年)3月:竣工
  • 1902年(明治35年)4月6日:遷座祭[11]。法然寺般若台から松平頼重像を奉遷。4/9とも[12]。例祭は5/28(旧暦4月20日とも[13])。
  • 1903年(明治36年)10月17日:松平頼聡死去
  • 1906年(明治39年)4月:松枝舎落成
  • 1909年(明治42年)11月19日:松平頼聡を合祀[14]
  • 1914年(大正3年)6月:城跡に披雲閣建設
  • 1919年(大正8年)11月15日:松平頼重贈位[15]
  • 1924年(大正13年)3月:松平頼恕贈位[16]
  • 1925年(大正14年)1月12日:松平公益会設立[17]
  • 1927年(昭和2年)11月10日:松平頼恭贈位[18]
  • 1941年(昭和16年)5月28日:松平頼重入部300年大祭
  • 1944年(昭和19年)夏:戦火を避けるため御神体を屋島神社に遷座。戦後も戻ることはなかった。
  • 1944年(昭和19年)9月13日:松平頼寿死去
  • 1954年(昭和29年)1月:松平公益会、高松城跡の大部分を1億円で高松市に譲渡[19]。ただし玉藻廟は松平公益会の所有管理となる[20]
  • 1955年(昭和30年)3月2日:高松城跡、史跡指定。
  • 1955年(昭和30年)5月5日:高松市、城跡に「玉藻公園」を開園[21]
  • 1955年(昭和30年)9月20日:松平公益会、旧社殿を高松市に寄付[22]。寄付は遷座後とも[23]
  • 1956年(昭和31年)2月20日:松平公益会、新社殿造営を決議。鎮守社敷地。
  • 1956年(昭和31年)4月27日:地鎮祭および起工式[24]
  • 1956年(昭和31年)10月8日:屋島神社から新社殿に御神体を遷座[25]
  • 1956年(昭和31年)10月10日:歴代藩主神霊の御霊入を松平公益会事務所で斎行し、鎮守社の甲子大黒天・金刀比羅宮とともに新社殿に奉遷[26]。歴代藩主神霊の御神体は上野昌平書の巻物。
  • 1956年(昭和31年)10月12日:遷座祭。斎主は屋島神社宮司の磯部朗。祭主は松平頼明。
  • 1957年(昭和32年)3月:高松市議会、玉藻廟跡に天守閣再建を決議[27]
  • 2006年(平成18年)11月1日:天守台の旧社殿を解体。石垣が崩壊の危機にあり、解体修理を行うことを決めたための措置。旧社殿は腐朽により移築困難と判断され解体された。鳥居・狛犬・手水舎・手水鉢は屋島神社へ、灯籠は現玉藻廟と屋島神社に移築された。

画像

資料

  • 『玉藻御廟御造営御遷座御祭典記事』
  • 『玉藻廟御宮設計書』
  • 井原縁2004「玉藻公園にみる文化遺産の公園化とその変容に関する史的研究」[28]
  • 2008『玉藻廟解体・記録保存調査報告書』[29]
  • 1966『新修高松市史2』「玉藻廟」[30]
  • 1964『松平頼寿伝』「玉藻廟」[31]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%8E%89%E8%97%BB%E5%BB%9F」より作成

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