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祠廟信仰

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2026年1月7日 (水)

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祠廟は前近代の中国において人物神を祀る神殿・祭壇をいう。天神地祇諸神を祀る壇廟と区別される。日本の霊社も参照。


目次

種別

厳密には廟と祠で区別があるという(北京古代建築文化大系)

  • 廟:祭神が帝王であるか、帝王の称号を授与された人物の場合
  • 祠:祭神が帝王以外の人物

特殊なもの

一覧

儒学者旧跡諸子百家旧跡も参照

  • 伊尹():阿衡祠ともいう。
    • 伊尹墓_(商丘):河南省商丘市虞城県魏崮堆村。百度百科[1]
    • 伊尹祠_(商丘):河南省商丘市虞城県魏崮堆村。百度百科[2]
    • 伊尹廟_(開封):河南省開封市杞県葛崗鎮西空村。出身地。
    • 伊尹墓_(洛陽):河南省洛陽市偃師区。現存不詳。百度百科[3]
    • 伊尹墓_(菏沢):山東省菏沢市曹県大集鎮殷廟村。百度百科[4]
    • 伊尹祠_(菏沢):山東省菏沢市曹県大集鎮殷廟村。百度百科[5]
    • 伊尹廟_(聊城):山東省聊城市莘県莘亭街道大里王村。伊尹が耕作を行ったとされる地。漢代に建てられ、明末に破壊された。清康熙55年(1716年)に建てられた「莘亭伊尹耕処」の石碑が現存するという。百度百科[6][7]
    • 伊尹墓_(渭南):陝西省渭南市合陽県百良鎮莘村。百度百科[8]
  • 介子推(?-前636):春秋時代の晋の忠臣。後継者時代の晋の文公に仕えた。文公が即位した時に他の家臣が褒賞をもらう中、辞退して錦山に母親と隠棲。文公は呼び戻すために山に火を放ったが、介子推は焼死を選んだ。この故事から寒食節の風習が生まれたともされる。北宋皇帝が「潔恵侯」に追封。介之推。介王爺、英毅聖王とも。
    • 介林:山西省晋中市霊石県静升鎮張嵩村。百度百科[9]
    • 介公墓:山西省晋中市介休市綿山鎮南槐志村。錦山の介公祠のそばにある。
    • 介公祠:山西省晋中市介休市綿山鎮南槐志村。錦山の介公岭の断崖絶壁の巨大石窟にある。介子推の隠棲の地で、焚き山で殉難した旧跡。東漢の陽嘉3年(134年)以前の創建で、山西省現存最古の祠廟という。石窟は高さ22m、幅40m、奥行き25mに及ぶ。高さ11mの介子推、介母、解張の三尊を祀る。明代の楊偉の漢詩『介子推祠』などで詠まれた。介廟、介山祠、介子推祠、介子祠、介神廟。百度百科[10]
    • 介子推廟:山西省晋中市霊石県静升鎮張嵩村。介林に付属。北宋の天禧元年(1017年)、皇帝が「潔恵侯」に追封。英毅聖王廟。介廟、潔恵侯廟。「重修潔恵侯廟記」が残るらしい。百度百科[11]
  • 伍子胥(?-BC485):春秋時代の楚の人。
  • 孔子(BC551-BC479):儒教の開祖。
  • 孟子(BC372頃-BC289頃):戦国時代の思想家・儒学者。孔子の後継者を自認した。孟軻。
  • 蒙恬(?-BC210):秦の武将。始皇帝に仕えた。万里の長城を築いた。2世皇帝の命で死を賜った。蒙公祠。
  • 張良(BC251-BC186):秦末期から前漢初期の政治家・軍師。劉邦を助けた。張良廟。
  • 范増(?-BC204):秦末の将軍。項羽に仕えた。項羽から亜父と呼ばれ重んじられたが、のち不和となり辞した。
  • 項羽(BC232-BC202):秦末の武将。秦を滅ぼすが、劉邦と天下を争い敗れた。覇王祠。
  • 劉章(BC200-BC177):前漢の皇族。劉邦の孫。城陽景王祠。
  • 欒布(?-BC144):秦末~前漢の武将。欒公社。
  • 石慶(?-BC103):前漢の官僚。石相祠。
  • 司馬遷(前145?-前86?)
    • 司馬遷墓:陝西省渭南市韓城市芝川鎮芝川村。司馬遷祠墓と総称する。太史公墓。太史高墳。
    • 司馬遷祠:陝西省渭南市韓城市芝川鎮芝川村。司馬遷祠墓と総称する。太史公祠。太史祠
    • 徐村司馬遷祠:陝西省渭南市韓城市芝川鎮徐村。漢太史遺祠。祖墳もあるらしい。
  • 霍光(?-BC68):前漢中期の文官。武帝の信任を受けて長年仕えた。昭帝を補佐し権勢を振るい、宣帝を擁立し、娘を皇后とした。宣帝に疎まれ、死後、霍光の一族は滅ぼされた。
  • 于公(生没年不詳):前漢の官僚。公正な裁判を行ったという。于公祠
  • 華佗(?-208):後漢末期の伝説的な医者。華祖庵
  • 曹操(155-220):後漢末期・三国時代の武将。魏の太祖。武皇帝。魏武祠
  • 劉備(161-223):蜀漢の初代皇帝。後漢末期・三国時代の武将。小説『三国志演義』の主人公。
  • 関羽(162-219):後漢末期・三国時代の蜀漢の武将。張飛と共に劉備を支えた。のち中国を代表する武神として信仰されるようになる。
  • 張飛(?-221):後漢末期・三国時代の武将。劉備の挙兵に関羽と共に従う。張公祠
  • 諸葛亮(181-234):後漢末期・三国時代の蜀漢の政治家・軍師。劉備を助けた。諸葛孔明。武侯祠。
  • 徐庶(?-234?):後漢末期・三国時代の武将。最初、劉備に仕えるが、のち曹操に従う。徐公祠。徐庶廟。
  • 姜維(202-262):三国時代の武将。姜公祠
  • 王羲之(303-361):東晋の官僚・書家。書聖と称される。王右軍祠
  • 王献之(344-388):東晋の官僚・書家。王羲之の子。王羲之と共に二王と呼ばれる。王右軍祠に合祀。
  • 智永(生没年不詳):南朝の僧侶・書家。王羲之の七世孫。王右軍祠に合祀。
  • 陶淵明(365-427):六朝時代の東晋の文人。陶潜。陶公祠
  • 狄仁傑(630-700):唐代の則天武后時代の宰相。秋公祠
  • 李白(701-762):中唐の文人。玄宗皇帝時代に一時仕官したが、ほとんどは放浪生活を送った。詩聖杜甫に対して詩仙と呼ばれる。太白祠。李白墓。
  • 張巡(709-757):唐代の武将。安史の乱を武功を挙げ出世。許遠と共にスイ陽を守るが敗死。双忠廟
  • 許遠(709-757):唐代の文官。スイ陽の太守となる。張巡と共にスイ陽を守るが敗死。双忠廟
  • 顔真卿(709-785):中唐の官僚・書家。安史の乱の平定に活躍。蔡州龍興寺で暗殺された。顔平原。顔魯公。顔魯公。顔魯公祠
  • 杜甫(712-770):中唐の詩人。詩仙李白に対して詩聖と称される。杜公祠。杜甫草堂
  • 韓愈(768-824):中唐の官僚・文人。文体改革を提唱。唐宋八家の一人。儒教を重視し、道教仏教を論難した。韓文公祠
  • 白居易(772-846):中唐の官僚・文人。白楽天。白公祠
  • 柳宗元(773-819):中唐の官僚・文人。韓愈と古文運動を起こした。唐宋八家の一人。柳侯祠(羅池廟)。
  • 范仲淹(989-1052):宋代の政治家。文正公
    • 范仲淹墓:河南省洛陽市伊川縣彭婆鎮許営村。范文正公祠もある。范園と呼ばれる。
    • 岳陽楼・双公祠:湖南省岳陽市岳陽楼街道岳陽楼社区。岳陽楼付属。范仲淹と滕子京を祀る。范仲淹祠、范文正公祠。百度百科[12]
    • 花洲書院・范文正公祠:河南省南陽市鄧州市花洲街道。花洲書院内。范仲淹が鄧州知州に任じられた時に住民が建てた生祠が起源。
    • 梅城・范公祠:浙江省杭州市建徳市梅城鎮厳陵社区市民路12号
    • 瑞昌・范仲淹祠:江西省九江市瑞昌市范鎮。中学のあたり。
    • 范文正公祠:江蘇省無錫市梁渓区恵山街道。恵山鎮祠堂群の一つ。
    • 天平山・文正公祠:江蘇省蘇州市呉中区木瀆鎮天平村。天平山景区内。天平山には范仲淹の祖先や末裔の墓がある。范文正公忠烈廟、范公祠
  • 包拯(999-1062):北宋の文官。名裁きを行ったという。包公。
  • 欧陽脩(1007-1072):北宋の官僚・文人。唐宋八家の一人。四賢祠に祀られる。
  • 蘇洵(1009-1066):北宋の官僚・文人。蘇軾・蘇轍の父。唐宋八家の一人。父子で三蘇祠に祀られる。
  • 曽鞏(1019-1083):北宋の官僚・文人。唐宋八家の一人。南豊祠
  • 司馬光(1019-1086):北宋の政治家・歴史家。宰相。王安石の新法改革に反対。『資治通鑑』を編纂。司馬温公。司馬温公祠。司馬光墓
  • 王安石(1021-1086):北宋の官僚・文人。首席宰相。新法改革を行う。唐宋八家の一人。一時、孔子廟に合祀された。王安石墓荊公祠
  • 蘇軾(1037-1101):北宋の官僚・文人・書家。唐宋八家の一人。蘇東坡。蘇公祠。父子で三蘇祠に祀られる。
  • 蘇轍(1039-1112):北宋の官僚・文人。唐宋八家の一人。父子で三蘇祠に祀られる。
  • 岳飛(1103-1141):南宋の武将。
  • 鉄鉉(1366-1402):明の官僚。靖難の変で建文帝を支持し政府軍を指揮。反乱軍が勝利後、永楽帝に処刑された。鉄公祠
  • 曹頂(1514-1557):明朝の武将。倭寇の侵攻に対抗した。曹公祠
  • 楊継盛(1516-1555):明朝の文官。不屈の精神で何度も諫言した結果、投獄。拷問であらゆる苦しみを味わったが、それに耐えたという。隆慶帝の即位の後に名誉回復された。旧邸が祠となり楊椒山祠となった。
  • 戚継光(?-1587):明の武将。1550年代の倭寇の侵入を鎮圧した。戚公祠
  • 史可法(?-1645):明末の忠臣。弘光帝を擁立し、揚州で清軍を迎え撃つ。降伏勧告を敢然と拒否し、捕縛され処刑された。史公祠
  • 施琅(1621-1696):清の武将。かつての上司の鄭芝龍の子である鄭成功が反清を掲げると一時従ったこともあるが、清に戻った。台湾侵攻を指揮し、1668年、鄭政権を滅ぼした。施公祠
  • 袁崇煥(1584-1630):明の武将。後金軍の侵攻を何度も退けたが、謀反の疑いで処刑された。袁崇煥祠(墓所)、袁崇煥廟
  • 鄭成功(1624-1662):明末の武将・政治家。母は日本人で、平戸で生まれた。清朝の攻略に挙兵。明の滅亡後も台湾でオランダ支配を排除して政権を築き、反清復明を掲げて抵抗した。台湾開発の祖とされる。国姓爺。
  • センゲリンチン(僧格林沁)(1811-1865):北京市東城区寛街。清末のモンゴル族の武将。太平天国の乱の鎮圧に功績。親王に封じられる。アロー戦争で英仏連合軍を撃退するが、その後の戦闘で戦死した。太廟に合祀された後、北京のセンゲリンチン祠など各地に祠が建てられた。
  • 李鴻章(1823-1901):清末期の官僚。洋務運動を推進。日清戦争の講和条約の全権大使を務めた。李公祠。
  • 江召棠(1849-1906):江公祠。
  • 韓信(?-196):漢初の武将。劉邦に仕えて建国の偉業を達成した。国士無双、兵仙神帥と讃えられた。謀反を企てて処刑された。
    • 韓信墓:陝西省西安市灞橋区新築街道新農村。『咸寧県志』に記録されている。清代に「漢淮陰侯韓信之墓」碑建立。百度百科[13]
    • 韓信墓_(淮安):江蘇省淮安市淮陰区長江路街道韓信社区。旧城関一帯。封土墓(塚)が現存し、近接して淮陰侯祠がある。歴代地方志に一貫して記載される本貫地の墓。百度百科[14]
    • 韓信墓_(霊石):山西省晋中市霊石県南関鎮。高壁嶺山。百度百科[15]
    • 淮陰侯祠:江蘇省淮安市淮陰区長江路街道韓信社区。韓信の本貫地に建つ最重要祠で、近接して韓信墓(淮陰侯墓)がある。歴代王朝で重修され、公的顕彰色が強い。韓侯祠、漢韓侯祠。百度百科[16]
    • 拝将壇:陝西省漢中市漢台区東関街道。劉邦が天を祭り、韓信を拝して将軍に任命した場所。祠廟ではないが韓信の巨大な像を拝むような形で整備されている。
  • 文天祥(1236-1282):南宋の忠臣。信国公。諡号は忠烈。
    • 文天祥墓:江西省吉安市青原区富田鎮大坑村。
    • 文丞相祠:北京市東城区交道口街道府学社区。文天祥が投獄された場所に建てられた。日本でも勤王志士に好まれた「正気歌」が詠まれた地である。文天祥祠。文山祠。百度百科[17]。中文Wikipedia[18]
    • 温州・文天祥祠:浙江省温州市鹿城区。江心嶼という小島にある。中文Wikipedia[19]
    • 忠烈祠:江蘇省蘇州市姑蘇区平江街道文丞相巷。清の嘉靖20年(1541年)に祠を他の場所に移し、文山寺となった。廃絶か。
  • 魏徴(580-643):唐の政治家。字は玄成。太宗李世民に直諫を何度も行い、「貞観の治」を支えたことで知られる。諡号は文貞公。鄭国公。
    • 魏徵墓:陝西省咸陽市礼泉県。唐太宗の昭陵の陪葬墓。
    • 魏徴祠:陝西省渭南市澄城県城関街道。廃絶。跡地不詳。宋の宣和年間(1119–1125)県城の西郊に祠を建てた。金の承安3年(1198年)、南門の外に移築再建。元の至正7年(1347年)に再建。詩題として好まれた。
  • 張夏():相公
  • 朱六郎():相公
  • 李禄():
  • 陸載():
  • 米〓():米公祠


  • 昭忠祠
  • 郷賢祠
  • 睿忠親王祠:ドルゴン
  • 定南武壮王祠:孔有徳
  • 宏毅公祠:額亦都。
  • 恪僖公祠:バブタイ(巴布泰)
  • 勤襄公祠:方維甸
  • 左文襄公祠:左宗棠
  • 旌勇祠:明瑞
  • 先医廟
  • 双忠祠
  • 奨忠祠
  • 褒忠祠

資料

  • 宮川尚志1938「項羽神の研究」[20]
  • 宮川尚志1939「水経注に見えたる祠廟」[21]
  • 井上以智為1941「関羽祠廟の由来並に変遷」[22]
  • 小川貰弌1971「浮屠祠と祠堂」[23]
  • 岡田栄照1979「台湾の寺廟について」[24]
  • 闕銘崇・田中禎彦・布野修司1999「台北市の「寺廟」,「神壇」の建築類型とその分布に関する考察」[25]
  • 小島毅1991「正祠と淫祠:福建の地方志における記述と論理」[26]
  • 須江隆1999『唐宋時代の祠廟制の研究』[27]
  • 井上徹2002「魏校の淫祠破壊令」[28]
  • 水越知2002「宋代社会と祠廟信仰の展開―地域核としての祠廟の出現」[29]
  • 水越知2005「元代の祠廟祭祀と地域社会―三皇廟と賜額賜号」[30]
  • 水越知2006「宋元時代の祠廟信仰の変容と秩序形成」[31]
  • 水越知2006「伍子胥信仰と江南地域社会―信仰圏の構造分析」『宋代社会の空間とコミュニケーション』
  • 水越知2010「忠臣、海を渡る―日中における文天祥崇拝」『アジア遊学』132
  • 水越知2015「清代後期における重慶府巴県の寺廟と地方社会―『巴県档案』寺廟関係档案の基礎的考察」[32]
  • 飯山知保2003「金元代華北における州県祠廟祭祀からみた地方官の系譜:山西平遥県応潤侯廟を中心に」[33]
  • 松本浩一2004「宋代を中心としてみた都市の祠廟の変遷」[34]
  • 須江隆2005「祠廟の記録に見える近世中国の「鎮」社会」[35]
  • 二階堂善弘2006『道教・民間信仰における元帥神の変容』[36]
  • 二階堂善弘2007「祠山張大帝考:伽藍神としての張大帝」[37]
  • 二階堂善弘2012「華光大帝の変容」[38]
  • 二階堂善弘2016「温州の廟と祭神について」[39]
  • 鈴木博之2007「南京神廟の成立:明初の祠廟政策」[40]
  • 張葉茜・杉野丞・沢田多喜二・曹毅2017「中国・徽州地方の宗祠建築の研究」[41]
  • 張葉茜・杉野丞・沢田多喜二2017「中国・徽州地方の祠堂建築に関する研究」[42]
  • 関口順2012「礼としての神祇祭祀の考察」[43]
  • 梅村尚樹2015「宋代学校研究:地域社会における儀礼・祭祀空間としての視点から」[44]
  • 王燕萍2020「宋代における祠廟信仰に関する研究の現状と課題」[45]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%A5%A0%E5%BB%9F%E4%BF%A1%E4%BB%B0」より作成

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