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福勝院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年9月15日 (木)
福勝院(ふくしょういん)は、平安京東郊の白川・吉田(京都府京都市左京区吉田近衛町)にあった寺院。鳥羽法皇皇后の高陽院の御願寺・菩提寺・陵墓。通称は白川御堂、白川福勝院。
高陽院藤原泰子(1095-1155)が創建。1151年(仁平1年)6月13日の落慶法要には鳥羽法皇も臨席した。康助や賢円が造仏に関わった。1154年(久寿1年)10月、三重塔が建立され、御斎会に准じて法要を営んだ。他に九体阿弥陀堂と護摩堂があった。 翌年、高陽院が死去すると、遺骨が福勝院の護摩堂の床下に収められた。廃絶時期は不明。 高陽院の陵墓と伝承される塚があったが学校建設で消滅し、現在の近衛中学校の敷地内となっている。 (『日本歴史地名大系』)