ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。
元禄の修陵のときは、継体天皇陵は「湮没」として修復の対象とならなかった。 『前王廟陵記』において、現在の「太田茶臼山古墳」説が挙げられ、文化の修陵において、「太田茶臼山古墳」が継体天皇陵として修復された。しかしながら築造年代と合わず比定は間違っている可能性が高いという。
「太田茶臼山古墳」は前方後円墳。5基ほどの陪冢がある。(文久山陵図221ほか)