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聖ユーラ大聖堂
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年3月6日 (日)
聖ユーラ大聖堂はウクライナのリヴィウにある東方典礼カトリックの大聖堂。ウクライナ東方典礼カトリック教会(UGCC)。当初は正教会だったが、1803年から2005年までウクライナカトリックの中心として、高位大司教の司教座聖堂だった。 聖ゲオルギウス大聖堂。 (参考:同名聖堂聖ゲオルギオス聖堂)
歴史
ハールィチ公国時代の1280年頃、聖ゲオルギウスの丘に建てられた。 木製の教会が城塞の中にあったが、1340年にポーランドのカシミール3世が破壊。 その後、ビザンチン様式の聖堂が建てられた。主教ヨシフ・シュムリャンスキーの時代、1700年7月にリヴィウ大主教区をローマ教皇に合同する法律を宣言。東方典礼カトリック教会に属した。 現在のバロック様式の伽藍は1746年、首都大司教アタナシウス・シェプティツキが建設を開始。1762年、レオ・セプティツキが完成させた。 建築家ベルナール・メレティンと彫刻家ヨハン・ゲオルク・ピンゼルが設計。
1803年、東方典礼教会の本部がリヴィウに移ると、その司教座聖堂となった。 第二次世界大戦後、ソビエト政権は東方典礼教会を弾圧。1945年に就任したリヴィウ大司教ヨシフ・スリピジは投獄された。1946年3月の教会会議でブレスト合同が否定され、他の東方典礼教会所属教会と共にロシア正教会のハリチナ教会管区に組み込まれた。大聖堂は聖ユーリ(聖ゲオルギウス)に再奉献され、ロシア正教会リヴィウ・テルノピリ教区の本部となった。 1990年8月12日、ウクライナ人民運動党が大聖堂を占拠。1992年、リヴィウ州は、大聖堂をウクライナ東方典礼カトリック教会の聖堂だと認めた。 2005年8月、東方典礼教会の高位大司教座がキエフのキリスト復活大聖堂に移転した。 引き続き、リヴィウ大司教区の司教座聖堂となっている。
Wikipedia英語版[1]などを参照