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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

藤崎台招魂社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年2月15日 (土)

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藤崎台招魂社。拝殿と本殿があったことが分かる。

藤崎台招魂社(ふじさきだい・しょうこんしゃ)は熊本県熊本市中央区宮内の熊本城跡にあった招魂社。熊本城跡は陸軍第六師団の衛戍地でその付属の営内神社だった。藤崎台は1877年(明治10年)の西南戦争まで藤崎八旛宮が鎮座していた地で、西南戦争の激戦地でもある。神霊常在の社であったのかは不明で、神社行政上の正式な神社ではなかったと思われる。跡地に熊本県護国神社がある。藤崎台招魂場藤崎台招魂祭場

歴史

藤崎台招魂社

熊本県における招魂社としては、既に1869年(明治2年)創建の官祭招魂社の熊本招魂社(後の熊本県護国神社)が花岡山にあったが、陸軍主体の祭祀との結び付きは弱かった。熊本の第6師団では日清戦争前後から山崎練兵場で招魂祭を実施。日露戦争を経て1900年(明治33年)から藤崎台で営むようになり(角川日本地名大辞典)、1907年(明治40年)に招魂社を建立した(神道辞典)という。ただし、官祭招魂社でも私祭招魂社(官祭招魂社以外で神社行政上の創立認可を受けた招魂社)でもなかったらしく、関係資料に名前は現れない。師団主催の招魂祭は毎年4月30日と5月1日の2日間にわたり行われた。熊本招魂社でも同日に祭典が営まれた。昭和に入ると神仏両式で行うこともあった(正式な神社でないため可能だったのだろう)。廃絶時期は不明だが、熊本大空襲で焼失したのかもしれない。戦後、造営予定地を失った熊本県護国神社が藤崎台招魂社跡地に用地を移して造営され、慰霊空間としての土地の性格は受け継がれた。

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