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讃岐・曼荼羅寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年10月22日 (木)

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曼荼羅寺(まんだらじ)は、香川県善通寺市吉原町(讃岐国多度郡)にある真言宗寺院。空海母の玉依御前の菩提寺という。四国八十八所霊場第72番札所。本尊は金剛界大日如来佐伯氏の氏寺だったという。真言宗善通寺派。延命院。山号は我拝師山。 (参考:同名寺院曼荼羅寺

歴史

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山号にもなっている我拝師山は五岳山の主峰で、曼荼羅寺はその北に位置する。曼荼羅寺の南500m、我拝師山の麓にある出釈迦寺は曼荼羅寺の奥院ともいう。

596年(推古4年)、佐伯氏の氏寺として創建され、世坂寺と称したという。空海は父の菩提寺として善通寺を建てたのに次いで、世坂寺を母の玉依御前の菩提寺としたという。唐から請来した曼荼羅を納めて曼荼羅寺と改称した。

平安時代から鎌倉時代中期まで京都の東寺の末寺で、東寺から派遣された善通寺別当が曼荼羅寺も所管した。

1058年頃から善芳や善範が再建に取り組む(二人は同一人物という見方もある)。 やがて善通寺と共に随心院門跡の管轄となる。 平安時代末に西行が訪れた。 1289年、一遍が参詣。

鎌倉時代末に後宇多上皇の遺告で大覚寺門跡の末寺となるが、1341年には随心院門跡末に戻る。 中世には善通寺と一体的な運営をされたが、誕生院の興隆でその末寺の扱いとなる。

戦乱で荒廃するが、文禄年間に生駒家家老の三野栄政が小堂を建て復興が始まる。


1703年(元禄16年)、大坂の仏師宮内法橋により金剛界大日如来と胎蔵界大日如来を造立。金剛界大日如来は本堂にある本尊で、胎蔵界大日如来は観音堂に祀る。 江戸時代中期、仁王門を造営。 1896年(明治29年)本堂再建。本堂の両脇には不動明王と毘沙門天を祀る。 1987年(昭和62年)、観音堂を造営。平安時代の聖観音を祀る。 虫害によって枯れた「不老松」の幹で空海像を彫り、2003年(平成15年)、笠松大師として祀った。 2013年(平成25年)大師堂を造営。

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