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雍和宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年11月14日 (火)
雍和宮(ようわ・きゅう)は、中国北京市東城区にある清朝皇室ゆかりのチベット仏教寺院。重点寺院
歴史
即位前の清朝第5代雍正帝(1678-1735)<1723-1735>が宮邸とした雍親王府が前身。1694年に建てられた。雍正帝が即位した1723年、宮邸の半分をチベット仏教寺院とし、残りの半分を行宮として残した。この時、雍和宮と改称した。1744年、乾隆帝が宮邸全体を寺院として改造され、皇居宮殿と同格とされた。 正殿の他、天王殿、永佑殿、法輪殿、万福閣がある。また四学殿として薬師殿、数学殿、密宗殿、講経殿がある。最大の建物は万福閣で、1750年にダライ・ラマ7世が奉納した高さ18mの白檀の弥勒立像がある。
1966年からの文化大革命で被災した後、1981年に復興。文革前に北京には38寺のチベット仏教寺院があったがその中で唯一壊されなかった。当時、紅衛兵が寺を襲撃したが、住職の高全寿が直接電話で周恩来に報告。周恩来の使者がすぐに派遣し、事なきを得たという。
参考文献
- 『東洋文庫 燕京歳時記 北京年中行事記』
- 嘉木揚凱朝「文化大革命後のモンゴル仏教の様態―北京市雍和宮と承徳市普寧寺を中心として」[1]