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駿河国分尼寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年10月24日 (火)
駿河国分尼寺は駿河国にあったとみられる古代寺院。諸国国分尼寺の一つ。跡地は不詳。
『国史大辞典』「安倍郡」(若林淳之)では「駿河国の国府もこの郡におかれ、駿河国国分尼寺もここにあった」と国分尼寺の所在地を安倍郡と断定しているが根拠は不明。
1242年(仁治3年)書写の宮内庁書陵部蔵『大般若経』の奉納先の寺院が駿河国分尼寺とみられる。その奥書によると、「惣社并国分寺」の別当という憲信を願主として建穂寺明賢などが大般若経を書写し、「尼寺御堂」に施入したという、駿河国分寺の僧侶の発願で施入された先の「尼寺」であることから駿河国分尼寺と推定されている。
『慕景集』(1486年(文明18年)頃)によると、1441年(嘉吉1年)6月2日、太田道灌が京都から武蔵に戻る途中、静岡で「国府尼寺菩樹院」に宿泊したと記録されている。この「菩樹院」は現在の静岡県静岡市葵区沓谷の臨済宗妙心寺派の駿河・菩提樹院に当たるという。(日本歴史地名大系)