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高勝寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年5月7日 (月)
高勝寺(こうしょうじ)は、栃木県栃木市岩舟町静にある地蔵信仰の天台宗寺院。蓮華院と号す。山号の岩船山(岩舟山)で知られる。岩船地蔵(岩舟地蔵)とも呼ばれる。
歴史
771年(宝亀2年)、伯耆大山の弘誓坊明願という僧が「生身の地蔵菩薩」を求めて岩船山に赴き、伊賀坊に導かれて地蔵の出現が叶い、高勝寺を開いたという。室町時代の『桂川地蔵記』[1][2]によると、霊験奇特の石像として日光の不動尊、出流山観音と共に「岩船之地蔵」が挙げられている。1719年(享保4年)から自然発生的に関東各地の農村で岩船地蔵が流行し、地蔵念仏が行われた地域に建立された。ただし、高勝寺と直接の関連はなかったらしい。1724年(享保9年)建立の露座の地蔵仏(大仏と呼ばれる)があり、この頃から信仰が盛んになったらしい。1751年(宝暦1年)、本堂と三重塔を建立。徳川家光側室のお楽の方が信仰し、家綱を産んだという。江戸時代中期以降、死者の霊が集まる霊場としての信仰が広まると共に関東各地に姿を写した石仏が建てられた。1926年(昭和1年)本堂焼失。翌年再建。2011年(平成23年)の東日本大震災で山体の一部が大きく崩壊し、奥之院へ行く道が寸断したため、奥之院の位置が遷された。
伽藍
切り立った独特の形状をした岩舟山(標高172.7m)にある。山全体が船の形としているとされ、舳に1927年(昭和2年)再建の本堂、艫に「賽の河原堂」(常念仏堂)がある。本堂の「生身の地蔵菩薩」は秘仏。奥之院は「生身の地蔵菩薩」が出現した聖地。東日本大震災で山体が崩落したため、谷の手前に移転した。1742年(寛保2年)建立の仁王門、1751年(宝暦1年)建立の三重塔、鐘楼堂、護摩堂、孫太郎尊がある。孫太郎尊は松田康郷を祀る廟。鬼孫太郎の異名を持つ北条氏政の家臣で、「岩船山に赤鬼が住む」と呼ばれた。表参道には洞窟に祀る坂中地蔵があり、弘誓坊明願も祀る。山内のあちこちに地蔵が建てられ、故人の供養のために遺品の服が着せられている。大量の卒塔婆も立てられている。
(日本歴史地名大系、高勝寺ウェブサイト、「岩船地蔵信仰と死者供養」ほか)