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幸彦社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''幸彦社'''(さちひこしゃ)は福岡県北九州市小倉南区蒲生にある[[国学者]]を祀る[[霊社]]。[[豊前・蒲生八幡宮]]境内にある。祭神は[[柿本人麻呂]]と西田直養。 西田直養(1793-1865)は小倉藩士で[[神理教]]教祖佐野経彦の師に当たる。 1793年(寛政5年)生。藩士高橋元義の四男。西田直享の養子となる。儒学を石川彦岳大田錦城に、和歌を国学者秋山光彪に学ぶ。36歳の時、勘定奉行となり、町奉行、近習番頭などを歴任した。江戸、京都、大坂などにも出張した。平田篤胤、屋代弘賢、塙保己一、伴信友、萩原広道らと交流。のち本居大平の門下となった。小倉藩が佐幕の姿勢を取り、1864年(元治1年)、山口藩が攻撃された英米仏蘭の下関砲撃事件の時、小倉藩が傍観していたことに憤慨し、絶食。1865年(慶応1年)3月18日死去。号は筱舎。著書『古事記集解』『金石記』『金石年表』『神璽考』『筱舎漫筆』『四天王寺旧地根元考』など多数。 西田直養の死後、門人である蒲生八幡宮神主や佐野経彦らによって建てられたようだ。1867年(慶応3年)8月5日創建(1931企救郡誌)。 [[category:福岡県]]
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