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京都・興聖寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
京都・興聖寺
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[[file:本山興聖寺 (1).jpg|thumb|400px|]] [[file:Kokudo0202.jpg|thumb|300px|京都興聖寺(国土地理院空中写真より)]] '''興聖寺'''(こうしょうじ)は、京都府京都市上京区上天神町にある[[臨済宗]]の[[禅宗の本山寺院|本山寺院]]。本尊は[[釈迦如来]]。[[臨済宗興聖寺派]]本山。山号は円通山。(参考:同名寺院[[興聖寺]]) 文禄年間、虚応円耳(1559-1619)が大昭庵を建てたのが起源。 虚応円耳は当初、[[日蓮宗]][[妙満寺]]の日重に師事し、[[大応寺]]を開く。臨済宗に転じた。[[天海]]から葉上流天台密教も受法している。 1603年(慶長8年)、古田織部が帰依し、興聖寺としたという。 1629年(寛永6年)、[[後水尾天皇]]が勅願所とした。 [[海住山寺]]より平安時代の一切経を入手した。 1701年(元禄14年)、[[東山天皇]]が[[常紫衣]]と定めた。 1788年(天明8年)の大火で焼失。 東山天皇皇女の福宮(尊勝法院)の墓がある。 [[臨済宗相国寺派]]だったが独立した。 [[妙伝寺]]の錐揉祖師像([[日蓮]]像)は元々、日蓮宗時代の興聖寺にあったものだという。 ==伽藍== *本堂:本尊は釈迦三尊。弥勒菩薩や達磨も祀る。もともと仏殿として建てられたが、法堂も兼ねるようになった。 *開山堂:虚応円耳を祀る。本堂の背後にある。 *涅槃堂:本尊は勝軍地蔵。檀信徒の位牌を納める。 *方丈: *雲了軒:古田織部像を祀る。 *古田織部墓 *福宮墓 *曽我蕭白墓 ==塔頭== *青松院 *一乗院 <Gallery widths="250" heights="200" perrow="2"> file:本山興聖寺・扁額.jpg| file:本山興聖寺・仏殿.jpg| file:本山興聖寺 (7).jpg| file:本山興聖寺 (6).jpg| file:本山興聖寺 (5).jpg| file:本山興聖寺 (4).jpg| file:本山興聖寺 (2).jpg| </Gallery> ==組織== ===歴代住職=== *1虚応円耳 *2無閣裏門 *3幽谷一通?全空? *4了海通光 *5拙堂祖玄(1615-)<>:谷中興禅寺、伊勢不動院などを開く。 *6月舟 *7洞水祖深 *8浄天祖信 *9伯映 *日種譲山 *長門宏道 *望月宏済 [[Category:京都府]]
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