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陸奥・大善院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
陸奥・大善院
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'''大善院'''(だいぜんいん)は福島県東白川郡棚倉町八槻(陸奥国白河郡)にあった[[天台]][[修験]]寺院。[[修験道本山派]]。[[八槻都々古別神社]]の別当。[[八溝山]]修験の拠点だった。建造物の一部は'''八槻家住宅'''として現存する。'''大膳院'''とも。寺号は'''長広寺'''。'''八槻別当'''、'''近津別当'''と呼ばれた。山号は生母山。(参考:同名寺院[[大善院]]) ==歴史== *1392年:二階堂高盛、良源から伊豆山権現、箱根権現、熊野三山の先達職を譲り受ける。八槻家の祖。 *1447年:結城直朝、八槻別当に「菊田庄内小山田三良天神別当并御礼堂別当」職を寄進。 *1462年:石川郡霞地の先達職を巡り、竹貫別当と争う。 *1484年:聖護院門跡、石川郡の赤坂家の熊野先達職を、竹貫別当から奪い、八槻別当に認める。 *1487年:聖護院門跡の道興、東国巡教の際に宿泊 *1494年:聖護院門跡、石川別当・竹貫別当を処分し、その檀那を八槻別当に預けた。 *1496年:霞地の争論に際して、八槻別当に対抗し、石川別当を支援するため、石川一族が一揆を結成 *1505年:結城政朝、八槻別当に石川郡内の所領寄進 *1588年7月23日:聖護院から白河本領の惣年行事職を安堵される。同年、「大善院」の名称が初出。 *中世末:金光寺(下野宮近津神社別当)が配下から離れる。のち徳川光圀が金光寺を当山派とする。 *1602年:聖護院門跡、白河本領、保内、小里の年行事職を安堵 *1609年:聖護院門跡、石川郡66郷の年行事職は石川別当に安堵 *近世:八溝山修験を支配下に置く。 *1727年:八溝山神社を再建。 *1738年:社僧如意輪寺が大善院支配を離れようとして争論となる *1842年:配下108院 *明治初年:神仏分離で廃絶。 (『日本歴史地名大系』ほか) ==資料== *「大善院旧記」:全貌は不明。『陸奥国風土記』逸文のみ伝わる。[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9641584/28] *八槻文書:八槻家文書 **『棚倉町町史2』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9641584/386] **『茨城県史料』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9644741/258]、解説[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9644741/77] *八槻家系図 *陸奥国一宮近津大明神縁記:1597年。八槻文書。[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/7960870/23] *近津神社記:1895年。[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9641584/19] *配下寺院名前帳:1842年。福島県史。 *「福島県内に残る旧修験者活動遺構調査に関する覚書(3)」[http://www.anno-spero.org/renaissance/dentou/history/fukushima_3.html] *「大善院霞下塙町内の修験」『西国筋郡代と広瀬淡窓』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9568973/103](デジコレ限定送信) *「大善院八槻家住宅と馬場都々古別神社本殿」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/7960870/15] [[category:福島県]]
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