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七高山
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
七高山
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'''七高山'''(しちこうざん)は畿内にある[[天台宗]]系の霊場となった7座の霊山。古代において毎年春秋、[[薬師如来]]を本尊とする七高山御修法が行われた。いずれも古代仏教における山林修行者の霊場として知られる。国境での疫神祭祀や[[神宮寺]]発生や[[修験道]]発生に関っているとも指摘されている。 ==一覧== 国郡は『口遊』による。 *[[比叡山]]:近江国滋賀郡:滋賀県大津市。京都府京都市左京区。 *[[比良山]]:近江国高島郡:滋賀県大津市。 *[[伊吹山]]:美濃国不破郡:岐阜県揖斐郡揖斐川町、不破郡関ケ原町。滋賀県米原市。 *[[神峰山]]:摂津国島上郡:大阪府高槻市。 *[[愛宕山]]:山城国葛野郡:京都府京都市右京区。 *[[金峰山]]:大和国吉野郡:奈良県吉野郡吉野町。 *[[葛城山]]:大和国葛上郡:奈良県、大阪府、和歌山県。 ==歴史== *836年(承和3年)3月13日:七高山阿闍梨(七高阿闍梨)を設置(『釈家官班記』)。毎年春秋に9日間にわたり薬師悔過を修し、五穀豊穣を祈願した(『口遊』)。『釈家官班記』では3月10日、期間は49日間とする。 *878年(元慶2年)2月13日:『三代実録』に伊吹山護国寺を定額寺に指定した記事に関連して「近江国坂田郡伊吹山」を「七高山之其一」として記載し、仁明天皇が精舎を建て「薬師念仏」を行わせたとある。「七高山」の史料上の初出。 *970年(天禄1年):『口遊』「坤儀門」に「比叡、比良、伊吹、神岑、愛宕、金岑、葛木。謂之七高山」とある。七高山の具体的な記述の初出。 ==七高山御修法== 天皇の命令によって行われた[[勅会]]。七高山阿闍梨に任命された高僧によって薬師悔過が営まれた。『口遊』に各寺には50斛が支給されたと記すことから、各山にあった寺院が法会の場となったと思われる。目的は五穀豊穣とされた(『釈家官班記』)。期間は9日間(『口遊』)とも、49日間(『釈家官班記』)ともいう。勅使が派遣されたとも。金峰山以外は国境に位置し、都に疫神が入ってくることを防ぐための[[畿内堺十処疫神祭]]の祭場の一部との対応関係も指摘される。ただし関連する史料はほとんど残っておらず、実施例も不明確で、そこまで重視されなかったのだろう。 ==資料== ===史料=== *『延喜天暦御記抄』「御修法付七高山御修法」 *『二中歴』:鎌倉時代 *『釈家官班記』:南北朝時代。 *『拾芥抄』:室町時代: *『塵添アイノウ抄』:1446年(文安3年)頃。葛城山の代わりに[[高野山]]を入れる。 ===文献=== *長坂一郎1992「初期神宮寺の成立とその本尊の意味―神護寺薬師如来立像の造像理由をてがかりにして」[http://id.nii.ac.jp/1440/00006304/] *長岡龍作1994「 神護寺薬師如来像の位相―平安時代初期の山と薬師」[http://id.nii.ac.jp/1440/00006322/] *岡野浩二2015「七高山薬師悔過と七高山阿闍梨」『延喜式研究』 [[category:系譜記事]]
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