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七高山

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年9月18日 (日)

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七高山(しちこうざん)は畿内にある天台宗系の霊場となった7座の霊山。古代において毎年春秋、薬師如来を本尊とする七高山御修法が行われた。いずれも古代仏教における山林修行者の霊場として知られる。国境での疫神祭祀や神宮寺発生や修験道発生に関っているとも指摘されている。

目次

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順序・国郡は『口遊』『二中歴』による。必ずしも薬師信仰の霊山ではない。対応する寺院が不明確な霊山もある。『延喜天暦御記抄』に「七高第四神峰山忍頂寺」とあることから順序が意識されていたらしい。『釈家官班記』では神峰山と愛宕山の順序が逆である(『拾芥抄』も順序が異なる)。

七高山一覧
順序 山名 国郡 所在地 関連寺院(参考) 備考
1 比叡山 近江国滋賀郡 滋賀県大津市・京都府京都市左京区 延暦寺 延暦寺本尊は薬師如来。
2 比良山 近江国高島郡 滋賀県大津市 妙法寺最勝寺
3 伊吹山 美濃国不破郡 岐阜県揖斐郡揖斐川町・不破郡関ケ原町・滋賀県米原市 護国寺
4 神峰山 摂津国島上郡 大阪府高槻市・茨木市 神峰山寺忍頂寺 忍頂寺本尊は薬師如来。
5 愛宕山 山城国葛野郡 京都府京都市右京区 白雲寺神護寺清凉寺 神護寺の本尊は薬師如来。
6 金峰山 大和国吉野郡 奈良県吉野郡吉野町 金峰山寺
7 葛城山 大和国葛上郡 奈良県・大阪府・和歌山県 転法輪寺

歴史

  • 836年(承和3年)3月13日:官符により毎年春秋に薬師悔過を修することが定められた(『口遊』)。七高山阿闍梨(七高阿闍梨)を設置(『釈家官班記』)。『釈家官班記』では3月10日、期間は49日間とする。
  • 860年(貞観2年)9月20日:『三代実録』に摂津国島下郡の「神峰山寺」が三澄という僧の申請により勅願寺(「御願真言一院」)となり、忍頂寺の名を賜ったという。七高山の神峰山は、現在の大阪府高槻市(摂津国島上郡)の神峰山寺とみなされることが多いが、この記事により、大阪府茨木市(摂津国島下郡)の忍頂寺である可能性も指摘されている。
  • 878年(元慶2年)2月13日:『三代実録』に伊吹山護国寺を定額寺に指定した記事に関連して「近江国坂田郡伊吹山」を「七高山之其一」として記載し、かつて仁明天皇が精舎を建て「薬師念仏」を行わせたとある。「七高山」の史料上の初出。
  • 944年(天慶7年):金峰山に「七高山薬師悔過官符」が下る(『金峰山草創記』「代々帝王御帰依事」)。
  • 949年(天暦3年):金峰山に「嶺四至并薬師悔過之官符」が下った(『金峰山草創記』「代々帝王御帰依事」)。
  • 953年(天暦7年)4月26日:官符により天皇御願の仏事の財源を求めた「七高第四神峰山忍頂寺住僧泰運」の申請が認められた。(『延喜天暦御記抄』)
  • 970年(天禄1年):『口遊』「坤儀門」に「比叡、比良、伊吹、神岑、愛宕、金岑、葛木。謂之七高山」とある。七高山の具体的な記述の初出。
  • 997年(長徳3年):金峰山の検校蔵算に「薬師悔過阿闍梨官符」が下った(『金峰山草創記』「代々帝王御帰依事」)。
  • 1092年(寛治6年):白河上皇の金峰山御幸の帰還を受け、金峰山の僧侶2人が法橋に叙され、阿闍梨3人の設置が認められたが、この時、高算が「当山薬師悔過阿闍梨」だったという(『熊野権現金剛蔵王宝殿造功日記』)。
  • 1103年(康和5年)8月22日:前東大寺別当経範が東大寺僧の忠範を愛宕山清凉寺の阿闍梨に推薦したが、『朝野群載』(平安時代末成立)ではこの出来事を「挙七高山阿闍梨」と誤って表題を付けている。

七高山御修法

天皇の命令によって行われた勅会。七高山阿闍梨に任命された高僧によって薬師悔過が営まれた。『口遊』に各寺には50斛が支給されたと記すことから、各山にあった寺院が法会の場となったと思われる。目的は五穀豊穣とされた(『釈家官班記』)。期間は9日間(『口遊』)とも、39日間(『二中歴』)とも、49日間(『釈家官班記』)ともいう。勅使が派遣されたとも。金峰山以外は国境に位置し、都に疫神が入ってくることを防ぐための畿内堺十処疫神祭の祭場の一部との対応関係も指摘される。ただし関連する史料はほとんど残っておらず、実施例も不明確で、そこまで重視されなかったのだろう。 岡野浩二の研究によると、836年(承和3年)3月の制度制定から時代を下って実施命令・財源確保要請が現れることから、開始時点では仏事を担う僧侶と寺院、国庫による財源確保は未確立で、仏事が永続的に行われたかどうかは疑わしいとする。七高山阿闍梨も常置ではなかったとみられる。七高山の設定については中国の三山五岳に対応させようとしたとの見解も述べている。

資料

史料

  • 『口遊』:970年(天禄1年)。
  • 『延喜天暦御記抄』「御修法付七高山御修法」
  • 『朝野群載』「挙七高山阿闍梨」
  • 『二中歴』:鎌倉時代。平安時代の故実について記す。「七高山、比叡、比良、伊吹、神峰、愛宕、金峯、葛木、并七」などとある。
  • 『釈家官班記』:南北朝時代。「阿闍梨。七高山阿闍梨事、在為憲口遊。近江国。比叡山、比良山。美濃国。伊吹山。山城国。愛護山。摂津国。神峰山。大和国。金峯山、葛木山」などとある。
  • 『拾芥抄』:室町時代:
  • 『塵添アイノウ抄』:1446年(文安3年)頃。葛城山の代わりに高野山を入れる。
  • 『参語集』:仁和寺行遍。鎌倉時代。「嵯峨天皇の時に七高山阿闍梨を初めて置き、薬師法を七高山で行った。一法阿闍梨(の一つ)である」という。

文献

  • 長坂一郎1992「初期神宮寺の成立とその本尊の意味―神護寺薬師如来立像の造像理由をてがかりにして」[1]
  • 長岡龍作1994「 神護寺薬師如来像の位相―平安時代初期の山と薬師」[2]
  • 岡野浩二2015「七高山薬師悔過と七高山阿闍梨」『延喜式研究』(『中世地方寺院の交流と表象』所収)
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%B8%83%E9%AB%98%E5%B1%B1」より作成

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