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京都・清凉寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年2月10日 (土)
清凉寺(せいりょうじ)は、京都府京都市右京区にある、清凉寺如来信仰の浄土宗・南都仏教の寺院。本尊は釈迦如来。元は、開封の啓聖院にあったものを奝然が持ち帰った。少し離れているが愛宕山の神域に含まれるという。通称は嵯峨釈迦堂。山号は五台山。(参考:同名寺院清凉寺)
目次 |
歴史
棲霞寺の創建
- 895年(寛平7年):源融死去。別荘の棲霞観は死後、寺院にされ、棲霞寺と称した。阿弥陀三尊を祀った。
- 945年(天慶8年):源重明が本堂を再建。等身大の釈迦如来像を祀る
奝然請来の釈迦像
- 987年(永延1年):入宋してウデン王造立釈迦の模刻を持ち帰った東大寺僧奝然は愛宕山を中国五台山に見立てて大清凉寺の創建を発願。この年、朝廷に請願するが許可されず。
- 1016年(長和5年):奝然死去。盛算が跡を継いだが、寺院建立は諦め、清凉寺如来を棲霞寺釈迦堂に奉安し、勅許を得て五台山清凉寺と称した。五台山は中国華厳宗の聖地だった。如来像は「生身の釈迦」として厚く信仰を集めた。ウデン王が造立した仏教史上初の仏像、栴檀釈迦像そのものだと信じられるようになり、三国伝来の釈迦と称えられた。
- 鎌倉時代:唐招提寺長老24世の導御が融通念仏を広めた。以後、清凉寺で浄土教が強くなる。
- 16世紀頃:浄土宗系の僧が寺院運営の実権を握るようになり、真言宗系の僧としばしば対立した。
- 1701年(元禄14年):桂昌院により現在の本堂を再建。
- 明治維新:浄土宗に所属した。真言宗系の塔頭は大覚寺末となった。
- 1953年(昭和28年):本尊釈迦如来像を調査し、五臓六腑の納入品を発見。
(日本歴史地名大系、国史大辞典ほか)
伽藍
- 本堂:本尊は釈迦如来。
- 阿弥陀堂:本尊は阿弥陀如来。棲霞寺と号す。旧棲霞寺の本尊を祀っていたが現在は宝物館に格護されている。
- 納骨堂:
- 大方丈:
- 愛宕神社:祭神は愛宕神。
- 仁王門:
- 弁天堂:祭神は弁財天。
- 忠霊塔:石塔
- 狂言堂:
- 経蔵:
- 鐘楼:
- 多宝塔:
- 聖徳太子堂:本尊は聖徳太子。
- 嵯峨天皇塔:嵯峨天皇を祀る。
- 檀林皇后塔:檀林皇后を祀る。
- 源融墓:
- 源昇墓:
- 導御墓:導御の墓。本堂背後の大覚寺覚勝院(旧清凉寺地蔵院)墓地にある。ただし本墓は法金剛院にあるとされる。
- 奝然墓:奝然の墓
- 豊臣秀頼首塚:豊臣秀頼の首塚
子院
- 地蔵院:真言宗。壬生寺導御が創建。大覚寺覚勝院に合併。成法身院。
- 明王院:真言宗。大覚寺覚勝院に合併。
- 歓喜院:真言宗。大覚寺覚勝院に合併。
- 宝泉院:真言宗。大覚寺覚勝院に合併。
- 宝性院:真言宗。大覚寺覚勝院に合併。
- 竹林寺:浄土宗。
- 薬師寺:浄土宗。現存。
組織
歴代住職
- 奝然:清凉寺座主。
- 盛算:清凉寺阿闍梨。
- 忠範?
- 任雅:清凉寺別当。
- 道融:清凉寺別当。
歴代本願
- 円誉堯淳:中興?1529年上人号を賜う。
- 堯海:堯淳の弟子。
- 隆誉堯仙:登蓮社。堯海の弟子。1621年死去。
- 堯然:
- 仙誉堯鑑(1597-1657):俊把。堯然の弟子。
- 堯鎮:
- 堯演:1737年上人号を賜う。
画像
資料
古典籍
- 『釈迦堂縁起』:絵巻。『清凉寺縁起』。
- 『清凉史略』
- 『嵯峨清涼寺釈迦如来牛皮華鬘縁起』
- 『清凉寺過去帳』[1]
- 『清凉寺文書』
- 『清凉寺釈迦堂本尊胎内文書』
- 『浄土宗史・美術編』