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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

東大寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年8月17日 (金)

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東大寺
とうだいじ
概要
奉斎
所在地 奈良県奈良市雑司町406-1
所在地(旧国郡) 大和国添上郡
所属(現在) 華厳宗
格式など 華厳宗大本山
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目次

概要

東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市にある南都仏教本山寺院。本尊は、大仏殿に祀られる大仏毘盧遮那仏。華厳宗大本山。国家仏教の中心として奈良時代に建てられた古代の官寺七大寺・四大寺の一つで、南都の象徴である。大和国分寺であり、全ての国分寺を代表する総国分寺とされた。開基は聖武天皇、開山は良弁。多くの名僧がここで学び、行基鑑真空海聖宝法然重源栄西の旧跡。日本律宗発祥の地とも言える戒壇院観音信仰二月堂法華堂、密教の拠点真言院も重要。二月堂ではお水取りとして知られる修二会が行われている。日本で最初の阿弥陀堂が建てられたのも東大寺内とされる。これらの伽藍は平重衡の南都焼き討ちなどで、たびたび焼失と再建を繰り返している。多くの子院があったが、三論宗東南院門跡と華厳宗尊勝院の二つの本坊があった。鎮守は手向山八幡宮。伽藍復興の財源として周防国が朝廷から丸ごと与えられ、幕末まで国府の役割を果たす寺として国庁寺を置いた。また各地に東大寺七別所が置かれた。東大寺関連旧跡も参照。大華厳寺金光明四天王護国寺

組織

住職

  • 凡例
    • 平岡定海著『東大寺辞典』(1980年(昭和55年)、東京堂出版)474ページ掲載の「東大寺別当一覧」を基本として、同書本文や鷲尾順敬編『日本仏家人名辞書』(1911年(明治44年)増補、光融館)所収の「華厳宗東大寺別当次第」や各種辞典・資料からまとめた。
    • 辞典一覧=『東大寺辞典』「東大寺別当一覧」、辞典=『東大寺辞典』本文、仏家次第=『日本仏家人名辞書』「華厳宗東大寺別当次第」、仏家=『日本仏家人名辞書』本文、国史=『国史大辞典』
    • 「辞典一覧」は207世公照まで掲載。「仏家次第は180世晋円まで。歴代数は両書や諸資料で違いがあるが、「辞典一覧」を基本とする。「仏家次第」は連続する再任を数えていない。208世以降は各種文献・新聞記事などによる。
    • 「辞典一覧」に含まれないが『辞典』に項目がある東大寺別当が4人おり、仙朝、長静、公瑜、秀応である。理由は不明。宗叡は東大寺別当になったと諸書にあるが『東大寺辞典』にはない。
    • 敬称略

古代1

世数 生没年 在職年 略歴
1 良弁 689-773 760-761 760年(天平宝字4年)5月1日別当就任。翌年弟子に譲る。773年(宝亀4年)閏11月16日死去。
2 良興 生没年不詳 761-765 良弁の弟子。華厳教学を学ぶ。病者に薬を施す。761年(天平宝字5年)別当就任。4年で辞任。
3 良恵 生没年不詳 765-770 良弁の弟子。765年(天平神護1年)別当就任。
4 永興 生没年不詳 770-774 良興の弟子。華厳教学を学ぶ。770年(宝亀1年)別当就任。在任中に実忠が修二会を始める。4年で辞任。「えいこう」と訓ずる。
5 忠恵 生没年不詳 774-778 良弁の弟子。華厳教学を学ぶ。774年(宝亀5年)別当就任。4年で辞任。
6 霊義 生没年不詳 778-783 良興の弟子。華厳教学を学ぶ。778年(宝亀9年)別当就任。5年で辞任。
7 等定 730-800 783-787 実忠の弟子。西琳寺の大鎮という職を務めた。783年(延暦2年)別当就任。787年(延暦6年)辞任。794年(延暦13年)宇佐八幡宮宗像大社阿蘇神社に派遣され、神前読経。梵釈寺検校。800年(延暦19年)7月、西琳寺で死去。
8 永覚 生没年不詳 787-791 永興の弟子。787年(延暦6年)別当就任。791年(延暦10年)辞任。「ようかく」と訓ずる。
9 禅雲 生没年不詳 791-795 等定の弟子。791年(延暦10年)別当就任。
10 湛久 生没年不詳 795-799 良恵の弟子。華厳教学を学ぶ。795年(延暦14年)別当就任。在任中に東大寺は十大寺の一つとなり、僧綱、三綱などの制度を定めた。名は「堪久君」とも。
11 源海 生没年不詳 799-803 華厳宗の僧。799年(延暦18年)別当就任。
12 定興 ?-805 803-805 華厳宗の僧。803年(延暦22年)別当就任。805年(延暦24年)12月在任中に死去。
13 海雲 生没年不詳 806-809 806年(大同1年)別当就任。809年(大同4年)辞任。
14 空海 774-835 810-814 真言宗開祖。佐伯氏。弘法大師。804年(延暦23年)4月9日に東大寺戒壇院で受戒。同年5月に入唐留学許可。810年(弘仁1年)東大寺別当。823年(弘仁14年)東大寺真言院に灌頂道場を設置。東大寺末の空海寺を創建したとされる。
15 義海 生没年不詳 814-819 814年(弘仁5年)別当就任。実忠が記した十五箇条上申書を朝廷に提出して修理を請願。勅命で818年(弘仁9年)に大仏殿で祈雨祈願。
16 静雲 ?-821 819-821 海雲の弟子か。819年(弘仁10年)別当就任。821年(弘仁12年)11月死去。
17 永念 生没年不詳 822-826 822年(弘仁13年)別当就任。「えいねん」と訓ずる。
18 興雲 生没年不詳 826-830 826年(天長3年)別当就任。大仏を修復し、後に山を築いて倒壊を防ぐ。4年で辞任。名は「興雲君」とも。
19 寛雲 生没年不詳 830-833 830年(天長7年)別当就任。833年(天長10年)辞任。伝記不詳。
20 心恵 713-? 834-838 華厳宗の僧。782年(延暦1年)興福寺維摩会講師を務める。834年(承和1年)別当就任。「しんね」と訓ずる。
21 円明 ?-851 838?-843? 三論宗・真言宗の僧。空海の弟子。東大寺で三論宗を学ぶ。838年(承和5年)別当就任し多聞天像を修復したとするが不詳。「仏家次第」では円明の名を挙げず、21代を「実敏」とする。『仏家』では円明の項目に別当の経歴を記すが、実敏の項目には記さず。『望月仏教大辞典』「仏教各宗派本山門跡住持歴代」では21代を円明とする。『辞典一覧』では円明を挙げるが、『辞典』では実敏を立項し、円明を立項していない。
21 実敏 785-856 838?-843? 三論宗の僧。物部氏。西大寺に入る。838年(承和5年)東大寺別当。842年(承和9年)大極殿最勝会講師を務める。843年(承和10年)興福寺維摩会講師。850年(嘉祥3年)四宗の講讃論義で三論宗の代表として出仕。856年(斉衡3年)9月5日死去。
22 正進 ?-874 843-847 華厳宗の僧。東大寺で等定に華厳教学を学ぶ。843年(承和10年)別当就任。856年(斉衡3年)、華厳宗僧として初めて興福寺維摩会講師を務めるとあるが、心恵のほうが先か。弟子に長興、興智。
23 真雅 801-879 847-851 真言宗の僧。佐伯氏。空海の実弟。空海の遺命で東大寺真言院を任せられた。847年(承和14年)東大寺別当。4年で辞任。貞観寺を創建。879年(元慶3年)1月3日、嘉祥寺で死去。
24 貞崇 866-944 不詳 真言宗の僧。聖宝の弟子。933年(承平3年)東大寺別当就任と伝えるが、寛救の在任期間と重なり、東寺三長者就任との混同という。『東大寺要録』や『東大寺別当次第』では851年(仁寿1年)に別当就任とあるが、生まれる前になってしまい、東大寺別当に就任したかの真偽は分からない。平岡定海は貞崇の師である聖宝が別当だった可能性を指摘する。「ていすう」と訓ずる。醍醐寺4世。(略歴は醍醐寺#組織参照)
25 済棟 822?-905? 855-858 法相宗の僧。生年は822年(弘仁13年)、823年(弘仁14年)、825年(天長2年)、839年(承和6年)説などがある。興福寺と東大寺で学ぶ。855年(斉衡2年)別当就任。同年7月に大仏仏頭が地震で倒壊。858年(天安2年)辞任。892年(寛平4年)興福寺維摩会講師。894年(寛平6年)6月27日別当に再任。在職4年で唐禅院に退く。905年(延喜5年)6月18日死去。通称は唐禅院僧都。『辞典』では822年(弘仁13年)生まれとし、再任に触れず、没年不詳とする。『仏家』では別当初任に触れない。
26 真昶 806-880 859-871 859年(貞観1年)別当就任。860年(貞観2年)4月8日、大仏修復を始める法会。翌年1月20日に修復完成し、3月14日に落慶法会。12年間の長期にわたり在職。さらに879年(元慶3年)2月4日に再任。翌年辞任、同年死去。
27 祥勢 811-895 871-875 律宗の僧。26歳で東大寺に入る。律宗を学ぶ。871年(貞観13年)閏8月14日別当就任。4年で辞任。881年(元慶5年)8月19日再任。戒壇院受戒の制度を厳しくした。大仏殿四天王像や東塔西塔を修復。889年(寛平1年)辞任。
28 玄津 807-885 875-879 律宗の僧。25歳で入寺。平塞に華厳教学を学ぶ。875年(貞観17年)4月28日別当就任。この年、東南院成立(??)。
29 真昶 806-880 879-880 再任。
30 安軌 813-881 880-881 20歳で入寺。880年(元慶4年)4月9日別当就任。在任中に清和上皇の病気平癒祈願を行う。翌年8月死去。
31 祥勢 811-895 881-889 再任。
32 勝皎 812-890 890-890 27歳で入寺。890年(寛平2年)3月23日に別当に就任するが、同年5月22日に死去。
33 恵軫 830-900 890-984 華厳宗の僧。890年(寛平2年)9月25日別当就任。4年で辞任。900年(昌泰3年)2月26日死去。「けいちん」と訓ずる。
34 済棟 822?-905? 894-898 再任か。

古代2

歴代 名前 生没年 在職年 備考
35 道義 837-905 898-905 華厳宗・三論宗の僧。佐伯氏。19歳で入寺。華厳宗を学ぶ。平仁の弟子。898年(昌泰1年)8月8日、別当就任。同年11月24日には宇多法皇が東大寺戒壇院で益信より受戒。901年(延喜1年)、初めて解除会を実施。902年(延喜2年)、1200人の僧侶を招いて中門の二天像供養を行う。904年(延喜4年)、道義は香積寺を南大門内に移して東南院とし、聖宝を招いた。
36 戒撰 843-908 905-908 法相宗の僧。905年(延喜5年)3月17日、別当就任。907年(延喜7年)会理に命じて四天王像を修理。908年(延喜8年)死去。
37 延惟 836-? 909-912 法相宗の僧。興福寺で学ぶ。のち聖宝に密教を学ぶ。907年(延喜7年)興福寺維摩会講師。909年(延喜9年)4月27日別当就任。3年で辞任。「えんゆい」と訓ずる。
38 智鎧 851-918 912-? 内藤氏。18歳で入寺。道雄に師事。910年(延喜10年)維摩会講師。912年(延喜12年)1月21日、別当就任。解除会を始めた(?)。918年(延喜18年)8月8日死去。「智愷」とも。
39 智鎧 851-918 不詳 「辞典一覧」や『望月仏教大辞典』で智鎧を39世とするが、再任年は載せない。「仏家次第」では39世を「親宥」(「観宿」の誤記か)とする。
40 観宿(親宥) 834-928 917-921? 「観宿」と「親宥」は誤写で同一人物か。「辞典一覧」では観宿を40世とするが「仏家次第」では親宥を39世とする。宗岳(宗岡)氏。大和出身。真雅の弟子(道義の弟子とも)。聖宝に灌頂を受ける。貞観寺座主。917年(延喜17年)、別当就任(「仏家次第」では親宥が919年(延喜19年)12月7日就任)。4年在職。926年(延長4年)東寺一長者。928年(延長6年)12月19日死去(「仏家次第」では親宥が8月28日死去)。
41 延〓 861-929 924-926 三論宗・真言宗の僧。聖宝の弟子。924年(延長2年)2月30日東大寺別当41世(「仏家次第」では40世)。在任中に大衆の愁訴で弟子のミスを認めた。東寺長者法務。醍醐寺座主2世。東南院院主(?)。(略歴は醍醐寺#組織を参照)
42 基遍 生没年不詳 928-928 928年(延長6年)2月9日別当に就任するが4カ月で退任。「仏家次第」では41世。
43 寛救 885-? 928-933 真言宗の僧。宇多法皇の弟子。902年(延喜2年)に東寺に入寺。928年(延長6年)6月17日東大寺別当。空海らの伝承を除いて真言宗僧で最初に東大寺別当になったともいう。正倉院の垣を修理し、その功績により、933年(承平3年)9月28日続けて別当に再任。935年(承平5年)5月9日、講堂供養。同年辞職。さらに945年(天慶8年)別当に重ねて再任。948年(天暦2年)には大仏殿で祈雨を行う。翌年辞職。「かんく」と訓ずる。「仏家次第」では42世。
44 寛救 885-? 933-935 再任。「仏家次第」ではなし。
45 明珍 881-954 936-? 三論宗の僧。和泉出身。珍氏。18歳で入寺。東南院で学ぶ。936年(承平6年)11/29日別当就任。938年(天慶1年)、塔頭念仏院を創建。940年(天慶3年)平将門調伏のため、法華堂執金剛神像に祈祷し、その効験の功績で別当を再任。944年(天慶7年)辞職。同年1月9日に当時末寺であった長谷寺が焼失しており、その責任を取った可能性がある。954年(天暦8年)12月13日死去。「仏家次第」では43世。
46 明珍 881-954 ?-944 再任。「仏家次第」ではなし。
47 寛救 885-? 945-949 再任。「仏家次第」では44世。
48 光智 894-979 950-? 華厳宗の僧。平氏。21歳で入寺。950年(天暦4年)5月26日別当就任。法華堂の蔵が破損していたため、宝物を正倉院に遷した。953年(天暦7年)千手堂に盗人が入り像を破損したため修復。また大仏殿の修理料下付を朝廷に申請。これらの功績で再任。954年(天暦8年)大仏殿の角木を交換した。957年(天徳1年)干魃飢饉のため大仏殿で祈雨祈願。同年12月2日、重ねて再任。960年(天徳4年)、尊勝院を創建。仏頂尊勝如来を祀り、天皇皇后や藤原氏の祈願を目的としたが、その寺僧に華厳宗の修行僧を当てたために後世まで華厳宗の中心道場となった。961年(応和1年)、また別当に再任。964年(康保1年)辞職。979年(天元2年)3月10日死去。「仏家次第」では45世。
49 光智 894-979 ?-957 再任。「仏家次第」ではなし。
50 光智 894-979 957-961 再任。「仏家次第」ではなし。
51 光智 894-979 951-964 再任。「仏家次第」ではなし。
52 法蔵 904-968 965-968 法相宗の僧。藤原氏。23歳で入寺。寛救の弟子。960年(天徳4年)維摩会講師。965年(康保2年)2月14日別当就任。在任中、寺内の破損状況を一斉調査した。968年(安和1年)に再任するが、同年に興福寺と依田荘をめぐり、争論となり武力衝突が生じた。同年2月2日死去(「仏家次第」では2月3日死去、『国史』では2月3日とし、一説として1月3日とする)。「仏家次第」では46世。
53 法蔵 904-968 968-968 再任。「仏家次第」ではなし。
54 観理 894-974 969-971 三論宗・真言宗の僧。延〓の弟子。969年(安和2年)東大寺別当54世就任(「仏家次第」では47世)。醍醐寺座主8世。法隆寺別当7世。東大寺東南院院主(?)。(略歴は醍醐寺#組織を参照)
55 法縁 911-981 971-? 醍醐寺9世。法隆寺別当8世。東大寺別当55世・56世。(略歴は醍醐寺#組織参照)
56 法縁 911-981 ?-977 再任。「仏家次第」ではなし。
57 堪照 909-987 978-983 法相宗の僧。菅原氏。東大寺で寛監に法相宗を学ぶ。966年(康保3年)興福寺維摩会講師。978年(天元1年)9月17日別当就任。吉祥院と号す。「仏家次第」では49湛照とする。
58 寛朝 916-998 984- 真言宗の僧。広沢流の祖。敦実親王の第二王子。宇多天皇の孫。遍照寺成田山新勝寺の開山として知られる。984年(永観2年)2月23日東大寺別当。「仏家次第」では50。(略歴は遍照寺#組織を参照)
59 奝然 938-1016 989-991 三論宗の僧。東大寺出身の入宋僧。清凉寺開山。989年(永祚1年)7月10日、東大寺別当に任命。991年(正暦2年)には大仏殿で大般若経転読。同年辞任。中国皇帝から法済大師号を下賜。「仏家次第」では51。(略歴は奝然旧跡の項目を参照)
60 深覚 955-1043 992-994 勧修寺長吏。禅林寺5世。東寺長者。藤原師輔の子。992年(正暦3年)7月8日東大寺別当60世(「仏家次第」では52世)。2年で辞任。998年(長徳4年)7月8日再任(62世)。半年で辞任。1016年(長和5年)5月16日再任(68世)。1020年(寛仁4年)辞任。「辞典一覧」では「60深覚」「62尋覚」「68深覚」。(略歴は勧修寺#組織を参照)
61 平崇 928-? 994- 三論宗の僧。14歳で入寺。東南院で明珍に三論宗を学ぶ。994年(正暦5年)7月21日、東大寺権別当。「権別当」だが別当歴代に数えている。「仏家次第」では53。
62 深覚 955-1043 998-998 再任。「辞典一覧」では「62尋覚」とする。「仏家次第」では「54深覚」
63 雅慶 925-1012 999- 勧修寺長吏。東寺の凡僧別当。東寺長者。敦実親王の王子。寛朝の弟。999年(長保1年)8月9日東大寺別当63世となる(「仏家次第」では55世)。仁和寺別当。1012年(長和1年)10月25日死去。「がけい」と訓ずる。(略歴は勧修寺#組織を参照)
64 済信 954-1030 1005-1007 勧修寺長吏。東寺長者法務。敦実親王の孫。1005年(寛弘2年)12月26日、東大寺別当64世(「仏家次第」では56世)。1007年(寛弘4年)、東大寺別当を辞任。(略歴は勧修寺#組織を参照)
65 澄心 939-1014 1007-? 三論宗の僧。伊賀出身。東南院で三論宗を学ぶ。観理の弟子。996年(長徳2年)興福寺維摩会講師。1007年(寛弘4年)4月7日東大寺別当。1009年(寛弘6年)に東塔修理。その功績で別当再任。1014年(長和3年)辞任。同年死去。東南院主。元興寺別当。「仏家次第」では57世。
66 澄心 939-1014 ?-1014 再任。「仏家次第」ではなし。
67 清寿 ?-1016 1014-1016 真言宗の僧。寛朝の弟子。仁和寺に住す。1014年(長和3年)2月26日、東大寺別当。1016年(長和5年)4月27日頓死。「仏家次第」では58世。
68 深覚 955-1043 1016-1020 再任。「仏家次第」では59世。
69 朝晴 ?-1021 1020-1021 三論宗の僧。大和国添下郡出身。東南院で三論宗を学ぶ。禅徴の弟子。1014年(長和3年)維摩会講師。1020年(寛仁4年)12月30日東大寺別当。1021年(治安1年)10月1日死去。死後2年間、別当職が空席となる。「仏家次第」では60世。
70 観真 950-1029 1023-1029 華厳宗の僧。光智の弟子。951年(天暦5年)生説もある。1011年(寛弘8年)維摩会講師。1023年(治安3年)8月22日東大寺別当。中宮藤原彰子の安産祈願を行っている。1029年(長元2年)3月19日死去。「仏家次第」では61世。
71 仁海 951-1046 1029-1032 曼荼羅寺(のちの随心院門跡)開山。小野流の祖。1029年(長元2年)6月23日、東大寺別当71世(「仏家次第」では62世)。1031年(長元4年)7月5日、正倉院の修理を朝廷に要請。1032年(長元5年)辞任。雨僧正。(略歴は随心院門跡#組織を参照)
72 済慶 965-1047 1033-1037 三論宗の僧。藤原有国の子。985年(寛和1年)生まれとも。澄心の弟子。1033年(長元6年)2月20日別当就任。寺領板蠅杣について検討する。1034年(長元7年)に怪異退散の祈祷。1035年(長元8年)には尊勝院が成立している。1037年(長暦1年)1月、東大寺領と興福寺領の間で争論があり、興福寺大衆が東大寺東南院に乱入。この事件で別当を辞任。1047年(永承2年)10月1日死去。「仏家次第」では63世。
73 深観 1001-1050 1037-1041 真言宗の僧。花山天皇の第四皇子。深覚に伝法灌頂。1037年(長暦1年)12月29日東大寺別当。12年の長期在職。1041年(長久2年)華厳会を始める。1041年(長久2年)9月27日再任。1043年(長久4年)東寺長者。金剛峰寺座主。禅林寺6世。1050年(永承5年)6月15日死去。「仏家次第」では64世。
74 深観 1001-1050 1041-1049 再任。「仏家次第」ではなし。
75 尋清 ?-1050 1049-1050 堀川時光の三男。仁和寺に入る。内供奉。1049年(永承4年)12月28日別当就任。1050年(永承5年)辞任。同年6月18日死去。「仏家次第」では65世。
76 有慶 981-1071 三論宗の僧。有国の子。澄心の弟子。東南院に住す。1035年(長元8年)維摩会講師。1051年(永承6年)5月23日別当就任。1054年(天喜2年)辞任。1058年(康平1年)閏12月29日、元興寺別当。1067年(治暦3年)2月28日、東大寺別当再任。1071年(延久3年)2月22日死去。「仏家次第」では66世。
77 覚源(覚深) 1000-1065 1055-1059 『東大寺別当次第』に覚深とあるのは覚源の誤りという。『辞典』には覚源として立項しているが、「辞典一覧」には「覚深」として記載。「仏家次第」では「67覚深」とある。花山天皇皇子。禅林寺住職(5世深覚の直後だが、歴代に数えないという)。醍醐寺座主12世。1055年(天喜3年)8月27日東大寺別当77世。11月13日拝堂。1059年(康平2年)辞職。(略歴は醍醐寺#組織を参照)
78 延幸 985-1066 1059-1066 華厳宗の僧。尊勝院主。大和国高市郡出身。雅慶と松橋の弟子。1059年(康平2年)12月24日別当就任。在任中に維摩会講師を務める。また観世音寺別当職を奪われた。天地院を再建。1066年(治暦2年)12月21日死去。「仏家次第」では68世。
79 有慶 981-1071 1067-1071 再任。「仏家次第」では69世。
80 信覚 1011-1084 1071-1075 勧修寺長吏。仁和寺別当。金剛峰寺座主。藤原公季の子。1071年(延久3年)2月22日東大寺別当80世(「仏家次第」では70世)。在任中に東大寺八幡宮を造替。(略歴は勧修寺#組織を参照)
81 慶信 1041-1095 1075-1094 三論宗の僧。藤原公成の三男。有慶の弟子。東南院に住す。1075年(承保2年)1月14日、別当に就任し20年の長期にわたり寺務を司った。仁和寺守覚法親王に授戒。食堂、大仏殿、千手院、正倉院、東塔、南大門を修復。1094年(嘉保1年)に辞任。翌年1月9日死去。55歳。「仏家次第」では71世。
82 経範 1031-1104 1095-1100 真言宗の僧。源経信の子。仁和寺に入寺。性信法親王から伝法灌頂。1095年(嘉保2年)6月20日東大寺別当(「仏家次第」では22日)。東大寺と興福寺は所領などをめぐって争っていたが、経範は興福寺に味方したので衆徒と摩擦を生じた。1099年(康和1年)閏9月、東大寺衆徒は経範の不治35箇条を朝廷に訴えた。朝廷は伴広親と紀延行を派遣して衆徒と会合。結果、朝廷は経範の不治を認めて、1100年(康和2年)、解任した。経範は興福寺に移った。東寺長者法務。1104年(長治1年)3月17日死去。「仏家次第」では72世。
83 永観 1033-1111 1100-1102 三論宗真言宗浄土教の僧。京都出身。永観堂禅林寺中興。念仏行者で光明山寺にも滞在。1100年(康和2年)5月21日、東大寺別当83世(「仏家次第」では73世)。在任中、大和国の夫役を興福寺のためでなく、東大寺修復のために用いるべきことを訴えた。七重塔、正倉院、食堂、大仏殿回廊などを修復した。1102年(康和4年)、興福寺衆徒が東大寺周辺に火を放つと、強訴のため八幡宮の神輿を初めて京都に入京させた。1102年(康和4年)辞職して禅林寺に帰った。(略歴は永観旧跡を参照)
84 勝覚 1057/58-1129 1104-1118 真言宗の僧。三宝院門跡開山。1104年(長治1年)5月29日、東大寺別当84世(「仏家次第」では74世)。14年の長期在職。東大寺領の確保に尽力。1106年(嘉承1年)、諸国封戸の徴収強化を朝廷に請願。また造東大寺長官の復活を求めた。1118年(元永1年)東大寺別当辞職。1125年(天治2年)7月20日に東大寺別当再任(86世)。醍醐寺座主14世。東寺長者法務。(略歴は醍醐寺#組織を参照)
85 寛助 1057-1125 1118-1124 真言宗の僧。源師資の子。遍照寺の経範に師事。1080年(承暦4年)性信法親王から伝法灌頂。東寺成就院に住す。1105年(長治2年)5月19日東寺三長者。1107年(嘉承2年)東寺二長者。護持僧。仁和寺別当。円教寺別当。1113年(永久1年)東寺一長者。のち広隆寺別当。法勝寺別当。1118年(元永1年)4月28日東大寺別当。伊賀国司、平忠盛の押領を訴えた。1120年(保安1年)改めて観世音寺を末寺とした。1124年(天治1年)、鳥羽上皇御幸のため東南院を建て替えた。同年11月29日、太政大臣源雅実に戒壇院で授戒。1124年(天治1年)辞任。1125年(天治2年)1月15日死去。祈祷で多くの効験をあらわし、皇室貴族の帰依を得たことから法関白と呼ばれた。「仏家次第」では75世。
86 勝覚 1057-1129 1125-1129 再任。「仏家次第」では76世。
87 定海 1074-1149 1129-1145 三宝院流の祖。醍醐寺座主15世。三宝院門跡2世。円光寺別当。東大寺別当87世。金剛峰寺座主。東寺一長者。(略歴は醍醐寺#組織参照)
88 寛信 1085-1153 1147-1153 三論宗・真言宗の僧。参議藤原為房の子。勧修寺長吏。東寺一長者。元興寺別当。勧修寺流の祖。東南院に入り、覚樹に三論宗を学ぶ。1147年(久安3年)1月14日東大寺別当88世(「仏家次第」では78世)。(略歴は勧修寺#組織を参照)
89 寛暁 1103-1159 1153-1159 堀河天皇皇子。最初、仁和寺にいた。1153年(仁平3年)3月7日(「仏家次第」では3月11日)、東大寺別当。しかし、大仏殿に参拝することなく1159年(平治1年)1月10日死去。「仏家次第」では79世。
90 寛遍 1100-1166 1159-1166 真言宗の僧。忍辱山流の祖。円成寺再興。源師忠の子。寛蓮について得度。寛助から伝法灌頂。円成寺に入る。日課として一字金輪法1座、尊勝陀羅尼1000遍、『宝篋印陀羅尼経』1巻、『理趣経』1巻、『法華経』1品、念仏1000遍を修していた。1142年(康治1年)広隆寺別当。1148年(久安4年)東寺二長者。1152年(仁平2年)東寺一長者。1156年(保元1年)高野山大塔の落慶法要に導師。1159年(平治1年)3月28日東大寺別当。1166年(仁安1年)6月30日在任中に死去。「仏家次第」では80世。
91 顕恵 1116-1175 1166-1175 三論宗の僧。1166年(仁安1年)7月5日、東大寺別当。1167年(仁安2年)拝堂。1175年(安元1年)2月23日死去。「仏家次第」では81世。
92 敏覚 ?-1176 1175-1176 三論宗の僧。東南院で三論宗を学ぶ。覚雅、顕恵の弟子となる。1175年(安元1年)3月4日東大寺別当。東大寺衆徒と対立し、退陣を迫られた。1176年(安元2年)死去。「仏家次第」では82世。
93 禎喜 1099-1183 1177- 後白河法皇の側近。藤原宗信の子。世豪の弟子。円城寺別当(?)。広隆寺別当。1160年(永暦1年)東寺二長者。1161年(応保1年)、神泉苑で祈雨を行いその功績で東寺長者。1170年(嘉応2年)、後白河法皇の東大寺戒壇院での受戒で戒和上。のち仁和寺別当、円教寺別当。1172年(承安2年)六勝寺別当。1177年(治承1年)12月6日東大寺別当。翌年12月17日拝堂。1180年(治承4年)12月28日、平重衡が南都焼討を行い、東大寺は伽藍焼亡。翌年、六勝寺別当を辞職。東大寺再建に尽くす。6月26日、造東大寺長官に藤原行隆を、10月9日に大勧進に重源を任命。8月10日には大仏造立の開始式。1182年(寿永1年)広隆寺別当、素光寺別当(?)、円楽寺別当(?)。1183年(寿永2年)10月1日死去。85歳。「仏家次第」では83貞喜
歴代 名前 生没年 在職年 備考
不詳 仙朝 生没年不詳 不詳 源雅重の子という。『辞典』に項目あるが、「辞典一覧」には載せず。史料綜覧には1278年(弘安1年)12月14日死去とあるが同一人物か不明。随心院門跡とされるが不詳。任期不詳。
不詳 長静 生没年不詳 不詳 参議藤原定長(1149-1195)の子。『辞典』に項目あるが、「辞典一覧」には載せず。随心院門跡とされるが不詳。任期不詳。

中世1

歴代 名前 生没年 在職年 備考
94 定遍 1133-1185 1183-1185 真言宗の僧。藤原顕定の子。寛遍に師事し、密教を学ぶ。『高野一切経』供養の導師を務める。1183年(寿永2年)10月1日、東大寺別当。東大寺再興に尽力。東寺長者。法勝寺別当。仁和寺別当。1185年(文治1年)8月28日、東大寺大仏再建の開眼導師を務めた。同年12月16日、京都の六条西洞院で後白河法皇に見守られながら死去(仏家次第」では18日死去)。53歳。「仏家次第」では84世。
95 雅宝 1131-1190 1186-1188 勧修寺長吏。1186年(文治2年)3月4日に東大寺別当95世(「仏家次第」では85世として7日就任)。1188年(文治4年)別当辞任。(略歴は勧修寺#組織を参照)
96 俊証 1106-1192 1189- 真言宗の僧。源能明の子。世豪の弟子。1137年(保延3年)東寺定額僧。1189年(文治5年)5月28日東大寺別当。在任中、1190年(建久1年)10月19日に後白河法皇の御幸があり、大仏殿上棟式が行われた。1192年(建久3年)3月17日死去。東寺長者法務。「仏家次第」では86世。
97 勝賢 1138-1196 1192- 真言宗の僧。1192年(建久3年)10月8日東大寺別当97世(「仏家次第」では87世)。在任中1195年(建久6年)3月12日、東大寺大仏殿再建の落慶法要が後鳥羽天皇、七条院、将軍源頼朝の臨席の下、盛大に行われ、勝賢は呪願師を務めた。醍醐寺座主18・20・22世。三宝院門跡5世。東寺二長者。(略歴は醍醐寺#組織を参照)
98 覚成 1126-1198 1196-1198 保寿院と号す。永厳の弟子。藤原忠宗の子。1196年(建久7年)7月8日から3年間、東大寺別当。在任中、東大寺八幡宮を上棟。仁和寺門跡。東寺長者。1198年(建久9年)10月20日死去。「仏家次第」では88世。
99 弁暁 1139-1202 1199-1202 華厳宗の僧。隆助の子。尊勝院を興す。1173年(承安3年)維摩会講師。1185年(文治1年)の東大寺大仏の開眼法要で導師を務める予定であったが、別当定遍に譲った。1199年(正治1年)1月14日、東大寺別当。在任中には法華堂修復、南大門落慶。1200年(正治2年)11月22日拝堂。1202年(建仁2年)6月27日辞職。同年7月11日死去。明恵の師。著書に『尊勝院弁暁説草』。「仏家次第」では89世。
100 延杲(延果) 1124-1206 1203-1204 真言宗の僧。藤原能忠の子。叔父の禎喜に師事。1191年(建久2年)東寺長者。のち神護寺に住す。護持僧。1203年(建仁3年)7月13日東大寺別当。同年11月30日大仏殿総供養で導師。1204年(元久1年)辞職。1206年(建永1年)3月12日死去。「一覧」や「次第」では「延果」とするが、『辞典』によると誤りだという。「仏家次第」では90世。
101 道尊 1174-1228 1206-1210 真言宗の僧。以仁王の王子。蓮華光院門跡開山。1206年(建永1年)3月8日東大寺別当(「次第」では17日)。在任中、重源が死去している。1028年(長元1年)11月14日拝堂。1210年(承元4年)4月、東大寺別当を辞任。1226年(嘉禄2年)12月1日、東大寺別当に再任。1228年(安貞2年)辞任。仁和寺別当、東寺長者。(略歴は蓮華光院#組織を参照)
102 成宝 1159-1227 1210-1213 三論宗の僧。勧修寺門跡。元興寺に住す。東寺長者。大安寺別当。1210年(承元4年)4月17日東大寺別当102世(「仏家次第」では92世)。8月27日拝堂。1212年(建暦2年)3月14日、華厳会を再興。1213年(建保1年)東大寺別当辞職。1222年(貞応1年)4月4日東大寺別当再任104世。(略歴は勧修寺#組織を参照)
103 定範 1165-1225 1213-1221 三論宗の僧。東南院主。醍醐寺座主28世。東大寺別当103世(「仏家次第」では93世)。1215年(建保3年)2月29日拝堂。1221年(承久3年)の承久の乱では幕府よりの姿勢を見せた。同年3月、東大寺別当を辞職。(略歴は醍醐寺#組織参照)
104 成宝 1159-1227 1222- 再任。「仏家次第」では94世。
105 道尊 1174-1228 1226-1228 再任。「仏家次第」では95世。
106 定豪 1252-1238 1228-1223 真言宗の僧。源延俊の子。良豪の弟子。東寺で学ぶ。1221年(承久3年)11月、新熊野検校と大伝法院座主。1228年(安貞2年)8月7日東大寺別当。1230年(寛喜2年)11月17日拝堂。在任中、尊勝院で三季講を始めた。1223年(貞応2年)東大寺別当と東寺長者を辞職。1236年(嘉禎2年)東寺長者、大伝法院座主。1238年(暦仁1年)9月24日死去。87歳。勝長寿院別当。鶴岡八幡宮別当。「仏家次第」では96世。
107 頼恵 1168-1235 1234-1235 三論宗の僧。東南院に入り、三論宗を学ぶ。寛法の弟子。大安寺別当、尊勝寺修理別当。1234年(文暦1年)10月12日、東大寺別当(「次第」では2日)。拝堂を遂げず、10カ月で死去。閏6月28日死去。68歳。「仏家次第」では97。「らいけい」。
108 親厳 1151-1236 1235-1236 真言宗の僧。随心院の門跡初代。中原親光の子。尊念の弟子。1215年(建保3年)東寺三長者。1229年(寛喜1年)東寺長者。1235年(嘉禎1年)閏6月29日東大寺別当。1236年(嘉禎2年)11月2日在任のまま死去。「仏家次第」では「98観厳」。
109 真恵 1163-1239 1236- 真言宗の僧。源通能の子。延杲に学び、能意の弟子となる。1198年(建久9年)東寺凡僧別当。1222年(貞応1年)石山寺座主。1229年(寛喜1年)東寺三長者。1236年(嘉禎2年)11月4日東大寺別当。在任中、1237年(嘉禎3年)に東大寺八幡宮の修復遷座が行われた。1239年(延応1年)1月21日死去。「仏家次第」では99世。
110 良慧 1192-1268 1239- 九条兼実の子。東寺長者56・58・60世。「良恵」とも。上乗院住職。東大寺別当110世。1239年(延応1年)2月30日別当就任。「辞典一覧」には掲載するが『辞典』に項目なし。「仏家次第」では100世。「良恵」。
111 定親 1203-1266 三論宗の僧。内大臣土御門通親の子。定豪に師事。1241年(仁治2年)1月8日東大寺別当。20年在任。1242年(仁治3年)東寺三長者、法務。三論宗の僧による東寺長者就任は寛信、成宝の先例もあるが異例。1260年(文応1年)7月17日東大寺別当辞任。1262年(弘長2年)東寺長者辞任。1266年(文永3年)9月6日死去(「次第」では9日?)。64歳。東大寺別当と東大寺大勧進を兼務した唯一の例か。「仏家次第」では101世。
112 宗性 1202-1278 1260-1262 中世を代表する華厳宗の学僧。藤原隆憲の子。13歳で入寺。中院や尊勝院で学ぶ。倶舎論を研究。華厳を弁暁に学ぶ。興福寺光明院や勝願院系統の法相教学を学ぶ。1220年(承久2年)頃より法勝寺御八講の聴衆に招かれ、この頃から天台教学を研究。1222年(貞応1年)御斎会に出仕。1230年(寛喜2年)頃から貞慶への崇敬の念が強まり、旧跡の笠置寺を居所として執筆に専念した。貞慶の影響で戒律を研究し、また弥勒信仰に投じた。1239年(延応1年)10月10日維摩会講師。1240年(仁治1年)には御斎会講師と薬師寺最勝会講師。1246年(寛元4年)尊勝院院主となる。1260年(文応1年)7月20日、東大寺別当(「次第」では17日)。1262年(弘長2年)、美濃大井荘の荘官任命の手違いで別当解任。翌年から海住山寺十輪院に隠居。長年の研究活動の整理に入る。海印寺を尊勝院の末寺とする。1264年(文永1年)、後嵯峨上皇の東大寺受戒で羯磨師を務める。1275年(建治1年)東大寺知足院に移る。1278年(弘安1年)6月8日死去。77歳。著編書は514点に及び、内訳は華厳54点、法華49点、天台47点、法相17点、律6点、浄土1点と多岐にわたった。代表作に『倶舎論明恵抄』『天台論義抄』『最勝講問答記』『御斎会問答記』『法勝寺御八講問答記』『春華秋月抄』『華厳宗別章疏』『観世音菩薩感応抄』『弥勒如来感応抄』『西方要決要文抄』『華厳経文殊師利菩薩感応要文抄』『華厳経普賢菩薩感応要文抄』『名僧伝指示抄』『名僧伝要文抄』『法苑珠林指示抄』『禁断悪事勧修善根誓状抄』『華厳文義抄』『華厳経伝記』『文華風月至要抄』『地持論要文抄』『華厳祖師伝』『華厳宗香薫抄』など。「仏家次第」では102世。
113 聖基 1204-1267 1262-1267 勧修寺長吏。1262年(弘長2年)6月16日東大寺別当(「次第」では1263年(弘長3年)就任103世)。1267年(文永4年)東大寺別当辞任。(略歴は勧修寺#組織を参照)
114 定済 1221-1282 1267-1273 東大寺別当114世。醍醐寺座主37・39世。三宝院門跡12世。東寺三長者。東寺長者。(略歴は醍醐寺#組織参照)
115 道融 1224-1281 1273-1276 太政大臣藤原公経の子。東寺三長者、東寺長者。1273年(文永10年)12月25日東大寺別当。1276年(建治2年)11月20日辞任。「仏家次第」では105世。
116 聖兼 1242-1293 1276-1280 東大寺別当116世・119世。醍醐寺座主43世。三宝院門跡15世。(略歴は醍醐寺#組織を参照)
117 道宝 1213-1281 1281-1281 勧修寺門跡。東寺二長者。大安寺別当。1281年(弘安4年)3月5日東大寺別当117世(「仏家次第」では107世)。まもなく8月4日に死去(「仏家次第」では7日)。(略歴は勧修寺#組織を参照)
118 勝信 1235-1287 1281-1283 勧修寺長吏。東寺長者法務。関白九条道家の子。11歳で東大寺尊勝院に入寺。華厳倶舎を学ぶ。1281年(弘安4年)8月4日東大寺別当118世(「仏家次第」では108世)。(略歴は勧修寺#組織を参照)
119 聖兼 1242-1293 1283-1287 再任。「仏家次第」では109世。
120 了遍 ?-1305 1287-1288 左大臣実有の子。東寺長者。1287年(弘安10年)2月23日東大寺別当。翌年9月7日辞任。「仏家次第」では110世。
121 聖忠 1268-1319 1288-1291 東大寺別当121世・124世・127世。醍醐寺座主51世。東寺長者法務。(略歴は醍醐寺#組織を参照)
122 頼助 ?-1296 1292-1295 「仏家次第」では112世。
123 聖助 「一覧」名前があるが『辞典』に項目なし。「仏家次第」では「112頼助」の次を「113聖恵」とする。
124 聖忠 1268-1319 1296- 再任。「仏家次第」ではなし。
125 信忠 ?-1322 1310- 勧修寺門跡。東寺長者。1310年(延慶3年)3月3日東大寺別当125世就任(「仏家次第」では114世)。(略歴は勧修寺#組織を参照)
126 実海 1268-1318 1313-1316 藤原公泰の子。仁和寺勝宝院の道耀から灌頂。五智院住職を経て1313年(正和2年)10月4日東大寺別当126世就任(「仏家次第」では115世)。同年東寺三長者。1316年(正和5年)東寺長者。1318年(文保2年)5月7日死去。なお醍醐寺座主21世の実海(?-1182)は別人と思われる。
127 聖忠 1268-1319 1316-1317 再任。「仏家次第」では116世。
128 公暁 生没年不詳 1317- 1317年(文保1年)別当就任。「仏家次第」では117世。
129 教寛 生没年不詳 1320- 勧修寺長吏。東寺一長者。1320年(元応2年)東大寺別当129世就任(「仏家次第」では118世)。1331年(元弘1年)東大寺別当131世に再任。(略歴は勧修寺#組織を参照)

中世2

歴代 名前 生没年 在職年 備考
130 聖尋 生没年不詳 1322- 東大寺別当130世。醍醐寺座主59・61世。三宝院門跡20世。東寺長者。(略歴は醍醐寺#組織を参照)
131 教寛 生没年不詳 1331- 再任。「仏家次第」では120世。
132 聖珍法親王 ?-1382 1334- 伏見天皇皇子。東大寺別当132・137・139世。三宝院門跡23世。醍醐寺座主69世。東寺長者。(略歴は醍醐寺#組織を参照)
133 良性 生没年不詳 1336-1336 東大寺西南院に住す。1336年(延元1年/建武3年)、足利尊氏の推挙で北朝から東大寺別当に任命。しかしまもなく定暁に譲った。「仏家次第」では122世。
134 定暁 生没年不詳 1336- 寺僧宗顕の子。1336年(建武3年)7月16日、光厳上皇により東大寺別当に任命。しかし同年、後醍醐天皇が実暁を東大寺別当に任命する。「仏家次第」では123世。
135 実暁 生没年不詳 1336- 洞院公敏の子。尊勝院に入る。1336年(延元1年/建武3年)7月22日、後醍醐天皇から東大寺別当に任命。「仏家次第」では124世。
136 寛胤法親王 1309-1376 1338- 後伏見天皇の第七皇子。勧修寺長吏。東寺長者法務。東南院で三論宗を学ぶ。1338年(延元3年/暦応1年)、北朝により東大寺別当(「仏家次第」では125世。)。勧修寺に居て、寺務代を派遣し、政務を司った。寺領の悪党の対応に苦慮。1350年(正平5年/観応1年)別当再任。1367年(正平22年/貞治6年)6月別当再任。東南院を修理し、東大寺八幡宮領の確保に尽力。(略歴は勧修寺#組織を参照)
137 聖珍法親王 ?-1382 1343- 再任。「仏家次第」では126世。
138 寛胤法親王 1309-1376 1350- 再任。「仏家次第」では127世。
139 聖珍法親王 ?-1382 1353- 再任。「仏家次第」では128世。
140 寛胤法親王 1309-1376 1367- 再任。「仏家次第」では129世。
141 尊信法親王 1324-1380 1373-1380 常盤井宮恒明親王の王子。亀山天皇の皇孫。勧修寺長吏。1373年(文中2年/応安6年)9月11日、東大寺別当141世(「仏家次第」では130世)。寺務代は尊勝院が務めた。(略歴は勧修寺#組織を参照)
142 経弁 生没年不詳 1379- 華厳宗の僧。尊勝院に住す。1379年(天授5年/康暦1年)10月10日東大寺別当(「次第」では9日)。1396年(応永3年)4月5日と1402年(応永9年)5月4日に再任。「仏家次第」では131世。
143 寛海(観海)法親王 生没年不詳 1385- 邦世親王王子。聖珍法親王の弟子。1385年(元中2年/至徳2年)東大寺別当。12年在任。1399年(応永6年)4月別当再任。浄林院と号す。「辞典一覧」では「寛海」。「仏家次第」や『辞典』では132観海
144 経弁 生没年不詳 1396- 再任。「仏家次第」では133世。
145 寛海 生没年不詳 1399- 再任。「仏家次第」では「134観海」。
146 経弁 生没年不詳 1402- 再任。「仏家次第」では135世。
147 観覚法親王 ?-1418 1407-1411? 光厳天皇皇子か。俗名は義仁親王で高山寺にいた。出家して東南院に住す。1407年(応永14年)12月、東大寺別当。4年で退任。栂尾宮、東南院宮と号した。「仏家次第」では136世。
148 光経 生没年不詳 1414-1417 華厳宗の僧。尊勝院で華厳宗を学ぶ。1414年(応永21年)6月12日東大寺別当。「仏家次第」では137世。
149 興胤 1394-1428 1411-1414 常磐井宮満仁親王の王子。兄の尊興法親王に師事。勧修寺長吏。1411年(応永18年)東大寺別当149世(148世光経より先になってしまうので要検討。仏家次第では1416年(応永23年)2月に138尊胤就任とする。年代はこちらが正しいか)。1414年(応永21年)東大寺別当辞職。(略歴は勧修寺#組織を参照)
150 房恵 ?-1432 1428- 三論宗の僧。房顕の弟子。初名は房宣で、のち房恵に改め、さらに房俊に改名した。1428年(正長1年)東大寺別当。1432年(永享4年)8月2日西室房で死去。「仏家次第」では139房宣。
151 公顕 1422-? 1432-1442 三条実尚の子。三条実雅の猶子。房恵の弟子。1432年(永享4年)東大寺別当。11年在職。「仏家次第」では140世。
152 持宝 1416-? 1442-1444 華厳宗の僧。徳大寺公俊の子。華厳宗を学ぶ。光経の弟子。尊勝院に住す。足利義持の猶子。1442年(嘉吉2年)3月14日東大寺別当。1444年(文安1年)辞任。「仏家次第」では141世。
153 珍覚 1421-? 1444-1447 三論宗の僧。東南院で三論宗を学ぶ。1444年(文安1年)7月22日、24歳で別当就任。1447年(文安4年)12月辞職。「仏家次第」では142世。
154 隆実 ?-1450 1447-1450 三論宗の僧。日野重光の子。東南院で三論宗を学び、東室に住す。1447年(文安4年)12月17日東大寺別当。「仏家次第」では143世。
155 恒弘法親王 1431-1509 1451-1455 常盤井宮直明王の王子。勧修寺長吏。1451年(宝徳3年)東大寺別当。1455年(康正1年)別当辞任。恒興法親王。(略歴は勧修寺#組織を参照)
156 公恵 ?-1491 1455-1461 「こうけい」と訓ずる。
157 公深 生没年不詳 1461-1464
158 覚尋 生没年不詳 1464-1466 二度別当になる。経歴不詳。
159 公恵 ?-1491 再任。
160 秀雅 ?-1501 1470-1472 東大寺普門院に住す。1470年(文明2年)東大寺別当。1472年(文明4年)、東大寺大衆は所領をめぐり内紛を起こし、東南院僧坊を破却する。その責任で同年辞任。その後、1496年(明応5年)12月18日東大寺別当再任。1499年(明応8年)辞任。1501年(文亀1年)9月8日死去。
161 覚尋 生没年不詳 1473-1475 再任。
162 光任 『辞典』に項目なし。
163 厳宝 ?-1481 1466-1467 一条兼良の子。随心院門跡。1467年(応仁1年)東寺長者。1481年(文明13年)12月2日死去。
164 公恵 ?-1491 再任。
165 実誉 「辞典一覧」には載せるが『辞典』に項目なし。
166 秀雅 ?-1501 1496-1499 再任。
?? 公瑜 生没年不詳 1499-1502 「辞典一覧」には載せないが、『辞典』に記載。西室に住す。1499年(明応8年)東大寺別当。1502年(文亀2年)辞職。略歴不詳。
除歴? 秀応 生没年不詳 1502-1502 秀雅の弟子と思われる。1502年(文亀2年)6月26日東大寺別当に就任するが、「戒行が修まらないため」衆徒に追放された。「辞典一覧」にないため除歴されたと思われる。
167 実真 生没年不詳 1502- 三条実隆の子ともいうが不詳。尊勝院に住す。華厳宗。
168 公恰 「辞典一覧」には載せるが『辞典』に項目なし。
169 忠厳 ?-1552 1508- 関白九条政忠の子。随心院に入る。1508年(永正5年)8月15日東大寺別当。
170 光通 「辞典一覧」には載せるが『辞典』に項目なし。
171 公恰 再任。
172 実恰 「辞典一覧」には載せるが『辞典』に項目なし。
173 公順 生没年不詳 1499- 三論宗の僧。内大臣三条西実隆の子。三論宗を学び、西室に住す。1499年(明応8年)東大寺別当。1502年(文亀2年)2月17日元興寺別当となり寺務代に英訓を任命。
174 智経 「辞典一覧」には載せるが『辞典』に項目なし。
175 三条西某 「辞典一覧」には載せるが『辞典』に項目なし。

近世

歴代 名前 生没年 在職年 備考
176 増孝 1589-1644 1607- 関白九条兼孝の子。1598年(慶長3年)随心院に入る。随心院門跡31世。1607年(慶長12年)東大寺別当。1630年(寛永7年)東寺長者180世。西南院と号す。
177 栄厳 1622-1664 1644- 関白九条幸家の子。随心院門跡32世。1644年(正保1年)7月4日東大寺別当。同時に東南院を兼務。1664年(寛文4年)閏5月10日死去。
178 俊海 1651-1682 1664- 左大臣鷹司教平の子。随心院門跡33世。1664年(寛文4年)7月26日、14歳で東大寺別当となり東南院を兼務。1682年(天和2年)5月26日死去。32歳。
179 済深法親王 1671-1701 1688- 霊元天皇皇子。1671年(寛文11年)8月16日生。勧修寺長吏。1688年(元禄1年)2月2日、東大寺別当。大仏殿再建に尽くす。同年4月、木作始規式を執行。1689年(元禄2年)2月23日、聖武天皇像を開眼。1692年(元禄5年)3月8日から4月8日まで再建した大仏の開眼導師を務めた。1695年(元禄8年)3月には大勧進公慶と共に江戸に下向し、大仏殿再建について幕府と協議。明正天皇御殿の賢所旧殿を遷して東南院に東大寺東照宮を創建することに尽力。大仏殿落慶を見ることなく、1701年(元禄14年)12月2日に死去。32歳。
180 道恕 1668-1733 不詳 久我広道の子。1676年(延宝4年)8月、蓮華光院に入る。1678年(延宝6年)得度。1684年(貞享1年)4月1日東大寺別当(?)。同年12月19日蓮華光院門跡を継ぐ。尊勝院、華厳長吏を兼任。1709年(宝永6年)3月21日から4月8日まで行われた大仏殿落慶法要で導師。1718年(享保3年)東寺長者195世。東寺長者197世。1733年(享保18年)11月15日死去。
181 尊孝法親王 1701-1748 1723- 伏見宮邦永親王の王子。勧修寺長吏。三論宗を学ぶ。1722年(享保7年)12月12日東南院門跡。翌年1月15日東大寺別当。(略歴は勧修寺#組織を参照)
182 寛宝法親王
(伏見宮邦頼親王)
1733-1802 1748-1774 伏見宮貞建親王の王子。1748年(寛延1年)6月29日東大寺別当。1774年(安永3年)11月25日、還俗して伏見宮家17代を継ぐ。邦頼親王。
183 尊深 生没年不詳 1798-1818 1798年(寛政10年)1月25日、東大寺別当。21年間在任。1821年(文政4年)8月17日再任。1829年(文政12年)辞任。
184 了尊 生没年不詳 1818-1821 蓮華光院門跡。1818年(文政1年)12月18日東大寺別当。1821年(文政4年)辞任。
185 尊深 生没年不詳 1821-1829 再任。
186 済範法親王
(山階宮晃親王)
1816-1898 1829-1841 山階宮晃親王として知られる。勧修寺門跡。東南院門跡。1829年(文政12年)11月15日東大寺別当。1841年(天保12年)10月、女王と出奔事件を起こし別当を解任される。(略歴は勧修寺#組織を参照)
187 慈性法親王 1813-1867 1842-1846 有栖川宮韶仁親王の王子。蓮華光院に住す。大覚寺門跡。1842年(天保13年)8月28日東大寺別当。1846年(弘化3年)、東大寺別当を辞任し、輪王寺門跡に転じる。のち天台座主となる。1867年(慶応3年)12月7日死去。大薬王院と号す。
188 増護 1804-1875 1860- 左大臣二条治孝の子。随心院門跡35世。1828年(文政11年)護持僧。1855年(安政2年)東寺長者225世。1860年(万延1年)11月23日、東大寺別当。1865年(慶応1年)東寺長者を辞任し、東南院門跡。1875年(明治8年)11月12日死去。

近代

歴代数については要検討。

歴代 名前 生没年 在職年 備考
189 鼓坂荐海 ?-1890 大仏会を設立して会長となる。(『奈良市史』)
190 菅沼英樹 大仏会会長。
191 戸田英懐
192 佐保山晋円 1846-1915 郡山藩士足立主計の三男。1846年(弘化3年)11月25日生。幼くして東大寺総持院に入る。1858年(安政5年)、永恩について得度。1863年(文久3年)四度加行。1864年(元治1年)から1867年(慶応3年)まで長谷寺雲井寮で高志大了に学ぶ。1872年(明治5年)東大寺戒壇院で受戒。1878年(明治11年)、東大寺二月堂で伝法灌頂。同年、東大寺持宝院住職。1880年(明治13年)教導職権大講義。1895年(明治28年)東大寺権別当。翌年華厳宗学頭。1897年(明治30年)、華厳宗宗会議長。1900年(明治33年)、管長就任。管長を3期務める。東大寺別当(任期不明)。大仏殿を修復。1915年(大正4年)2月12日管長在職中に死去。東峰と号す。(『現代仏教家人名辞典』)
193 筒井寛聖 1861- 京都の山本勝四郎の次男。1861年(文久1年)2月6日生。大和郡山の高田家で育つ(『誰も知らない東大寺』)。7歳で父を失い、9歳で西大寺で出家し寛明に師事。1879年(明治12年)、佐伯泓澄から菩薩流の伝法灌頂を受け、長福寺法雲に三輪神道の灌頂を受ける。1882年(明治15年)、東大寺別当鼓坂荐海の下に就き、執事、事務長を歴任。宗制寺法の改訂や宗会法案の作成に当たる。1904年(明治37年)、佐保山晋円管長から東大寺流の伝法灌頂を受ける。1912年(大正1年)、八宗兼学を請願して許可。1915年(大正4年)、管長死去により、別当・管長に就任。同年5月2日、大仏開眼導師を務める。渓堂、香夢と号す。「筒井寛聖氏蔵東大寺文書」が伝わる。194世とする資料もある(『誰も知らない東大寺』『現代仏教家人名辞典』)。(『現代仏教家人名辞典』)
194 上司永純 1864-1937 中園実和の五男。東大寺勧学院出身、持宝院住職(現代仏教家人名辞典)。大正14年管長。のち別当。昭和5年退任。昭和12年2月7日死去。
195 三宅英慶 ?-1932 哲学館(東洋大学)出身(現代仏教家人名辞典)。知足院住職。南都仏教図書館(現在の東大寺図書館)を開設。自坊は知足院。1932年8月20日、管長在職中に死去(官報)。
196 雲井春海 1871-? 東大寺勧学院出身。宝珠院住職(現代仏教家人名辞典)。清凉院住職。
197 清水公俊 1885-1945 1942-1945 明治18年10月7日生。京都府乙訓郡久世村出身。父は村田義繁。初名は謙次郎。明治30年、上生院の清水公賢の養子となる。同年、佐保山晋円について得度。大正3年上生院住職。大正14年宝厳院住職に転じる。昭和11年、金鐘中等学校校長。昭和12年、二月堂主管。昭和17年10月1日、華厳宗管長。東大寺別当。昭和20年12月22日、在職で死去。著書に『東大寺』(1949)。(乾健治『郷土歴史人物事典 奈良』)
198 鷲尾隆慶 京都帝国大学卒(現代仏教家人名辞典)。著書に『大仏及大仏殿史』。
199 北河原公海 1887-1975 1946-1951 明治20年2月生。男爵。五男。中性院の平松晋海に師事。昭和21年から26年まで別当管長。中性院住職。昭和50年7月7日死去。著書に『大仏慶讚集』(1916)。200世とする資料もある。(奈良県人物・人材情報リスト2017』)
200 平岡明海 1889-? 1951-? 明治22年6月3日生。明治31年宝厳院の平岡宥海の徒弟となる。1902年(明治35年)、平松晋海に従い得度。1908年(明治41年)、修二会新入。1912年(大正1年)東洋大学卒。華厳宗勧学院で学ぶ。1914年(大正3年)四度加行と方広会竪義満行。1915年(大正4年)4月地蔵院住職。1918年(大正7年)5月、勧学院副主事。同年9月、上之坊住職に転じる。大正8年、宗会議員、勧学院主事。昭和4年、東大寺執事。昭和17年執事長・宗務長、金鐘財団理事長(1946年(昭和21年)まで)。昭和21年1月、宗会議長、本山会議長。2月上院二月堂三月堂主任。昭和26年5月1日、管長・住職(行政文書昭59文部00998100)。著書に『大仏及大仏殿史』。
201 狭川明俊 1891-1988 1961-1966 明治24年11月4日生(『現代人物誌第十八編』)。明治44年東大寺真言院に入る。上野明淳に師事。華厳を山上戎全に学ぶ。大正7年勧進所住職(『現代人物誌』には北林院住職)(以上、『郷土歴史人物事典奈良』)。東大寺婦人会設立、26年4月、執事長。奈良県仏教会理事長(以上『現代人物誌』)。隣山会設立の「音頭」を取ったという(大基芳影。薬師寺橋本凝胤が「主導」したとも)。『東大寺長老狭川明俊師建碑記念句抄』。昭和36年-41年203代別当?(リスト)。昭和63年2月18日死去(リスト)。
202 筒井英俊 1892-1973 1956-? 筒井寛聖の長男。俗名は英男。明治25年2月19日生。東洋大学卒。同大学院修了。龍松院住職。東大寺執事長、華厳宗宗議会議長、東大寺本山会議長、奈良県肢体不自由児協会理事長、奈良県文化財保存協会理事長など歴任。昭和31年5月、華厳宗管長・東大寺住職・金鐘学院理事長。昭和48年3月6日死去。『東大寺要録』『東大寺現存遺物銘記』を出版。薬師寺の橋本凝胤と共に雑誌『寧楽』を刊行。俳句を好み、句文集『東大寺』。編書に『東大寺論叢』。(『郷土歴史人物事典奈良』、奥田信義監修『現代人物誌第十八編』)
203 橋本聖準 1905-1994 1966-1969 明治38年8月30日生。奈良市出身。龍谷大学卒。龍蔵院住職。庶務執事、執事長、大仏殿主任などを経て別当。平成6年6月24日死去。(リスト)(204世とも。リスト)
204 上野澄園 ?-1999 1969-1972 14歳で得度。東洋大学卒。昭和8年、龍蔵院住職。真言院住職、執事長、上院主任を経て昭和44-47年に別当。205代とも。平成11年1月29日死去。93歳。
205 上司海雲 1906-1975 1972-1975 永純の子。明治39年2月15日生。龍谷大学卒。大正9年得度。昭和14年観音院住職。東大寺図書館長。昭和41年執事長。昭和47年206代別当。良弁1200年遠忌を執行。観音院サロンを主宰し、志賀直哉、杉本健吉ら文化人と幅広く交流。壺の収集家で壺法師と呼ばれた。昭和48年から昭和大修理を手掛けるが昭和50年1月25日死去(在職中?)。著書に『東大寺』『古都讃仰』『壺法師独語』『雑華厳浄』『東の大寺』『海雲の絵と字』など。(奈良県人物・人材情報リスト2017』ほか)
206 清水公照 1911-1999 1975-1978 明治44年1月3日生まれ。兵庫県出身。公俊の養子。龍谷大学卒。天龍寺で禅を学ぶ。宝厳院住職。上生院住職。昭和49年東大寺別当。翌年、華厳宗管長。大仏殿昭和大修理を完遂。書画・陶芸を好む。平成11年5月6日死去。88歳。著書に、『華厳経入門』『花ぼとけ』『公照かな手本』『しあわせを創る』『お水取り』『ようこそようこそ』『文人画の技法』『文人画十二カ月』『観音さん大仏さん―清水公照ほとけ問答』『ひらひら―清水公照八十年』『華厳日日』『寺小屋机―絵日記句絵抄』など多数。(『日本人名大辞典』)
207 清水公照 1978-1981 大仏殿修復事業のため再任。
209 佐保山堯海 1907-1990 1981-1984 雲井春海の長男。明治40年4月22日生。8歳で佐保山晋円の養子となる。大正9年得度。東洋大学卒。昭和10年宝殊院住職。昭和47年執事長。昭和56年別当。写真家としても知られ、昭和28年仲間とシュピーゲル写真家協会を設立。著書に『東の大寺』『東大寺』(1973座右宝刊行会)(リスト)
210 北河原公典 1915-1988 1984-1987 北河原公海の長男。大正14年11月13日生。分家だったが、男爵北河原本家を継ぐ。龍谷大学に入学するが、種智院大学に移る。永平寺専門僧堂で修行。惣持院住職を経て中性院住職。昭和48年からの大仏殿修復に執事長として尽力。法話集『一鉢千家之飯』。昭和63年7月30日死去。(『奈良県人物人材情報リスト2017』)
211 狭川宗玄 1920- 1987-1990 大正大学卒。北林院住職。昭和19年、修二会参籠中に召集。『東大寺』(講談社)。
212 筒井寛秀 1921-2010 1990-1993 大正10年9月6日生。筒井英俊の子。大正大学卒。清涼院住職を経て龍松院住職。昭和19年、修二会参籠中に教育召集を受けた。昭和大修理の勧進部長。重源の研究をライフワークとした。『東大寺続要録』を出版。写真を好む。著書は『誰も知らない東大寺』『学僧多忙』。平成22年1月23日死去。
213 平岡定海 1923-2011 1993-1996 平岡明海の長男。大正12年4月27日生。歴史学者。昭和10年得度。国学院大学中退、京都大学卒。東京大学大学院修了。昭和32年種智院大学助教授。昭和41年大手前女子大学教授。上之坊住職。昭和62年執事長。著書に『東大寺辞典』『大佛勧進ものがたり』『教育社歴史新書 東大寺』『日本寺院史の研究』『東大寺宗性上人之研究並史料』『日本弥勒浄土思想展開史の研究』など多数。平成23年11月26日死去。(リスト)
214 守屋弘斎 1928- 1996-1999 長野県諏訪市出身。龍谷大学卒。著書に『東大寺と正倉院』。
215 上司永慶 1928-2000 1999-2000 上司海雲の義理の甥。昭和3年生。龍谷大学卒。昭和17年入寺。昭和41年まで東大寺学園で教師。持宝院住職。平成2年執事長、平成5年大仏殿主任。平成11年別当。ケルンで東大寺宝物展を開催。大仏蛍を守る会を結成。在任中の平成12年6月21日死去。追悼集として『東大寺二百十五世別当上司永慶』。(『奈良県人物・人材情報リスト2017』)
216 新藤晋海 1927-2001 2000-2001 昭和2年1月30日生。上司海雲の甥。15歳で入寺して海雲に師事。昭和17年得度。龍谷大学卒。昭和28年金万珠院住職。上院主任、学園理事長、執事長を歴任。平成12年別当。在任中の平成13年3月17日死去。(リスト、『壺法師海雲』)
217 橋本聖円 1935- 2001-2004 橋本聖準の長男。大阪市立大学卒。京都大学大学院満期退学。龍蔵院住職。著書に『東大寺と華厳の世界』。
218 森本公誠 1934- 2004-2007 イスラム学者。父は陸軍少将の森本伊市郎。昭和9年兵庫県生まれ。昭和20年奈良に転居。昭和24年東大寺に入る。昭和32年、京都大学卒。カイロ大学留学後、京都大学大学院修了。昭和42年清凉院住職。平成11年執事長。上院主任を経て平成16年東大寺別当・華厳宗管長。龍谷大学特任教授、京都大学講師。著書に『初期イスラム時代エジプト税制史の研究』『イブン=ハルドゥーン』『聖武天皇 責めはわれ一人にあり』『世界に開け華厳の花』『善財童子 求道の旅―華厳経入法界品華厳五十五所絵巻より』、訳書に『歴史序説』『イスラム帝国夜話』など。(リストなど)
219 上野道善 1939- 2007-2010 澄園の養子。昭和37年、龍谷大学卒。
220 北河原公敬 1943- 2010-2013 公典の長男。昭和18年5月9日生。学習院高等科卒。龍谷大学卒。同大学院修了。昭和28年東大寺に入寺。昭和46年、総持院住職。のち中性院住職。平成19年上院院主。平成22年、東大寺別当・華厳宗管長に就任。著書に『蓮は泥の中で育ちながら、泥に染まらない』、『修二会の風景』。(『さくら友会報』98、『奈良県人物・人材情報リスト2017』)
221 筒井寛昭 1946- 2013-2016 昭和21年生まれ。昭和30年東大寺入る。甲南大学卒。平成25年東大寺別当・華厳宗管長。著書に『あなたを幸せに導く仏様からのアドバイス』、『もっと知りたい東大寺の歴史』。
222 狭川普文 1951- 2016- 昭和50年龍谷大学大学院修了。狹川普文。 著書に『東大寺 境内の四季と小さな命たち』など。

管長

歴代 名前 生没年 就任 退任 備考
1 鼓坂荐海 ?-1890
2 菅沼英樹
3 戸田英懐
4 佐保山晋円 1846-1915 1900年(明治33年)2月17日 1900年2月19日官報掲載
5 筒井寛聖 1915年(大正4年)2月13日 1915年2月16日官報掲載
6 上司永純 1864-1937 1925年(大正14年)2月12日 1925年2月14日官報掲載
7 三宅英慶 ?-1932 1930年(昭和5年)2月7日 1932年(昭和7年)8月20日 1930年2月8日官報掲載
事務
取扱
鷲尾隆慶 1932年(昭和7年)8月20日 1932年(昭和7年)9月16日 三宅英慶死去により執事長が管長事務取扱に就任。1932年8月27日官報掲載。
8 雲井春海 1871-? 1932年(昭和7年)9月16日 1932年9月17日官報掲載
9 鷲尾隆慶 1937年(昭和12年)9月16日 1937年9月18日官報掲載
10 清水公俊 1885-1945 1942年(昭和17年)10月1日 1942年9月25日認可(1942年9月28日文部省告示第584号)

大勧進

歴代の大勧進は、周防国司(政庁は国庁寺)を兼ね、周防・阿弥陀寺住職となり、国司上人と呼ばれた。

  • 1重源(1121-1206)<>:
  • 2栄西(1141-1215)<>:建仁寺開山、寿福寺開山
  • 3行勇(1163-1241)<1231->:建仁寺住職、寿福寺住職。浄妙寺開山。
  • 4円琳()<>:建仁寺7世。
  • 5隆禅(1038-1100)<>:高野山金剛三昧院住職。浄妙寺住職。
  • 6定親(1203-1266)<>:東大寺別当。鶴岡八幡宮寺別当。東寺一長者。東大寺別当と東大寺大勧進を兼務した唯一の例か。
  • 7慶鑑()<>:建仁寺6世。
  • 8了心()<>:戒壇院長老
  • 9円照(1220-1277)<>:東大寺戒壇院中興。善法寺開山。(略歴は、東大寺戒壇院#組織を参照)
  • 10円爾(1202-1280)<>:東福寺開山。建仁寺10世。
  • 11聖守(1219-1291)<>:円照の実兄。東大寺新禅院開山。東大寺真言院を復興。真言院流を興す。石清水八幡宮宮寺の法園寺の中興。法園寺に葬られた。
  • 12聖然(?-1312)<>
  • 13円乗()<>
  • 14忍性(1217-1303)<1293->:極楽寺開山
  • 15心恵()<>:覚園寺長老。同名の東大寺別当がいるが別人。
  • 16聡遍()<>:理智光院長老
  • 17聖然(?-1312)<>:再任
  • 18円瑜()<>:戒光寺長老
  • 19円乗()<>:再任
  • 20心源()<>:円通寺長老
  • 21和義()<>:三聖寺長老
  • 22順忍(1265−1326)<>:極楽寺長老。叡尊、忍性の弟子。
  • 23俊海()<>:極楽寺長老。同名の東大寺別当がいるが別人。
  • 24円観(1281-1356)<>:法勝寺長老
  • 25俊才(1259-1353)<>:凝念、聖然に師事。戒壇院長老。称名寺長老。
  • 26昭玄(1301-1358)<>:戒壇院長老、極楽寺長老
  • 27盛誉(1273-1362)<>:戒壇院長老
  • 28正為(?-1368)<>:戒壇院長老、極楽寺住職
  • 29頼然()<>:新禅院長老、戒壇院長老?
  • 30霊波(1290-1377)<>:戒壇院長老、称名寺住職?
  • 31普乗(?-1379)<>:戒壇院長老
  • 32惣融(?-1386)<>:戒壇院長老
  • 33惣深()<>:戒壇院長老
  • 34志玉(1383-1463)<>:戒壇院長老
  • 35霊賢(?-1423)<>:戒壇院長老
  • 36志玉(1383-1463)<>:再任
  • 37惣該()<>:戒壇院長老
  • 38資胤()<>:戒壇院長老
  • 39能範()<>:戒壇院長老
  • 40玉叡()<>:戒壇院長老
  • 41妙祐()<>:戒壇院長老
  • 42令洞()<>:戒壇院長老
  • 43円意()<>:戒壇院長老
  • 44実政()<>:戒壇院長老
  • 45叡範()<>:戒壇院長老
  • 46昭海(?-1569)<>:戒壇院長老、善法寺住職。
  • 1公慶(1648-1705)<>:大仏を再建。以後、東大寺龍松院院主が兼務。
  • 2公盛(?-1724)<>:
  • 3公俊()<>:
  • 4庸訓()<>:鶯塚古墳の石碑に名がある。
  • 5公祥():
  • 6崇憲():
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11公延():最後の大勧進。還俗。清水谷公延。

恵弁? 慧存? 公般? 公円? 公昶? 慧祥?

46まで『中世東大寺の組織と経営』

年表

奈良時代

  • 和銅2年(709)3月5日:行基天地院創建(東大寺要録)。前年2月10日から建て始めてこの日に落慶。
  • 和銅3年(710)3月10日:平城京遷都()。
  • 神亀元年(724)2月4日:聖武天皇即位(続日本紀)。
  • 神亀4年(727):安宿媛(光明皇后)発願の写経所が初出。写経所は、皇后宮職写経所、写経司、金光明寺写経所と変遷し、天平19年(747)に金光明寺造仏所に組み込まれる。
  • 神亀4年(727):聖武天皇皇子の基皇子が生まれ、ただちに皇太子となるが翌年9月13日死去。
  • 神亀5年(728)12月?:聖武天皇、亡くなった基皇子の冥福を祈る山房を建て、知行僧9人を置く(続日本紀)
  • 天平元年(729):長屋王の変
  • 天平元年(729)8月:安宿媛(光明皇后)、皇后となる。皇族以外で皇后となった初例。
  • 天平5年(733):良弁金鍾寺創建と伝える(東大寺要録)
  • 天平12年(740)2月:聖武天皇、河内国知識寺を参拝し、大仏に驚く(続日本紀)
  • 天平12年(740)10月8日:大安寺審詳を招いて金鍾寺で華厳の講義を始める(東大寺要録)
  • 天平12年(740)10月29日:藤原広嗣の蜂起の報に接し、聖武天皇、平城京を離れ、12月まで東国を巡幸する。
  • 天平12年(740)12月15日:聖武天皇、恭仁京に入京。天平16年閏1月まで新たな都とした。
  • 天平13年(741)2月14日:聖武天皇、国分寺国分尼寺建立の詔を出す(類聚三代格)
  • 天平15年(743)10月15日:大仏造立を発願。19日、紫香楽宮に行幸し、大仏造立地を定める(東大寺要録)
  • 天平15年(743):大仏造立の勧進のため、行基を起用する。
  • 天平16年(744):難波京に遷都を宣言。実際には紫香楽宮が皇宮となる。
  • 天平16年(744)10月:金鍾寺で知識華厳別供(東大寺要録)。
  • 天平16年(744)11月13日:聖武天皇、近江国甲賀寺に大仏建立を始める(続日本紀)
  • 天平16年(744)11月:元明上皇が難波京から紫香楽宮に移り、紫香楽宮が事実上の都となる。
  • 天平16年(744)12月8日:金鍾寺と朱雀大路で万灯供養を始める(続日本紀)
  • 天平16年(744):金光明寺造仏所の初出。造仏所は金光明寺造仏司、造東大寺司と変遷
  • 天平17年(745)5月:平城京に遷都。
  • 天平17年(745)8月23日:平城京に移して盧舎那大仏建立を始める(東大寺要録)
  • 天平17年(745):この頃、国中連公麻呂、造仏長官となる(正倉院文書)。
  • 天平17年(745):行基、日本初の大僧正となる。
  • 天平18年(746)3月16日:良弁、羂索院(東大寺法華堂)で法華会を始めて行う(東大寺要録)
  • 天平18年(746)7月:菩提僊那、来日()。
  • 天平18年(746)10月16日:聖武天皇、金鍾寺に行幸。盧舎那仏を燃灯供養する(続日本紀)。
  • 天平19年(747)9月26日:封1000戸を金光明寺に寄進()。
  • 天平19年(747)9月29日:大仏鋳造を始める(延暦僧録、東大寺要録)
  • 天平20年(748)9月7日:造東大寺司の初見()。
  • 天平勝宝元年(749)2月2日:行基死去(続日本紀)
  • 天平勝宝元年(749)2月22日:陸奥国で黄金が産出し、朝廷に届けられる()。
  • 天平勝宝元年(749)4月1日:聖武天皇、東大寺行幸。陸奥国産金を奉告。(続日本紀)
  • 天平勝宝元年(749)7月2日:孝謙天皇、即位(続日本紀)。
  • 天平勝宝元年(749)7月13日:東大寺に4000町の墾田が定められる(続日本紀)
  • 天平勝宝元年(749)10月24日:大仏本体の鋳造が完成(東大寺要録)
  • 天平勝宝元年(749)12月:東大寺八幡宮鎮座。
  • 天平勝宝元年(749)12月:螺髪の鋳造を始める
  • 天平勝宝3年(751)3月9日:大仏の両脇侍の観音と虚空蔵が完成(巡礼私記)
  • 天平勝宝3年(751):この年、大仏殿が造営(東大寺要録)
  • 天平勝宝4年(752)閏3月7日:大梵鐘が完成(巡礼私記)
  • 天平勝宝4年(752)閏3月18日:六宗厨子を作る()。
  • 天平勝宝4年(752)閏3月:この頃、造大仏光所を設置()。
  • 天平勝宝4年(752)閏3月21日?:開眼法要の配役を命じる。開眼導師に菩提僊那。
  • 天平勝宝4年(752)4月9日:聖武上皇と孝謙天皇が東大寺行幸し、大仏開眼(続日本紀)
  • 天平勝宝4年(752):この年、実忠初めて十一面悔過(東大寺修二会)を修する()。
  • 天平勝宝5年(753)3月3日:東大寺東塔院建立(東大寺要録)
  • 天平勝宝5年(753)閏3月23日:東大寺西塔院建立(東大寺要録、前年とも)
  • 天平勝宝5年(753)12月20日:鑑真ら、来日して薩摩上陸()。
  • 天平勝宝6年(754)5月1日:良弁、初代東大寺別当となる(東大寺要録)?
  • 天平勝宝7年(755)4月5日:大仏殿前に戒壇を設けて鑑真が聖武上皇、孝謙天皇らが受戒(東征伝)?
  • 天平勝宝7年(755)11月21日:東大寺講堂本尊の千手観音造立(東大寺要録)
  • 天平勝宝7年(755):この年、東大寺唐禅院創建(東大寺要録)
  • 天平勝宝7年(755):造東大寺長官に佐伯今毛人就任。
  • 天平勝宝8年(756)9月?:東大寺戒壇院創建(東大寺要録)
  • 天平勝宝8年(756)5月2日:聖武上皇崩御(続日本紀)
  • 天平勝宝8年(756)6月21日:光明皇太后、聖武天皇の遺品を東大寺に奉納(国家珍宝帳)
  • 天平宝字元年(757)6月9日:東大寺山堺四至図が成る(同図)
  • 天平宝字2年(758)8月1日:孝謙天皇譲位し淳仁天皇即位(続日本紀)。
  • 天平宝字2年(758)9月:東大寺食堂起工()。
  • 天平宝字4年(760):東大寺如法院創建()。
  • 天平宝字6年(762)1月23日:夏にかけて銅菩薩像を作る(二月堂旧本尊か)()。
  • 天平宝字6年(762)閏12月17日:東大寺封戸のうち100戸を新薬師寺に充てる()。
  • 天平宝字7年(763)5月6日:鑑真死去()。
  • 天平宝字8年(764)9月20日:道鏡、大臣禅師となる(続日本紀)。
  • 天平宝字8年(764)10月9日:孝謙上皇、淳仁天皇を廃して重祚し、称徳天皇即位(続日本紀)。
  • 天平宝字8年(764):東西の小塔院建立(東大寺要録)?
  • 天平神護元年(765)閏10月:道鏡、太政大臣禅師となる(続日本紀)。
  • 天平神護2年(766)10月20日:道鏡、法王となる(続日本紀)。
  • 天平神護年間:東大寺西南院創建(東大寺要録)。
  • 神護景曇元年(767)6月7日:光明皇太后崩御(続日本紀)?
  • 神護景曇元年(767):実忠、小塔院を建立(東大寺要録)?
  • 神護景曇元年(767)2月4日:称徳天皇、東大寺行幸。造営関係者に位階を授ける(続日本紀)
  • 神護景曇元年(767)8月30日:「阿弥陀悔過料資財帳」。
  • 神護景曇3年(769):宇佐八幡宮神託事件。
  • 宝亀元年(770)4月:百万塔を製作。
  • 宝亀元年(770)8月4日:称徳天皇崩御(続日本紀)
  • 宝亀2年(771)4月:実忠、年末にかけて大仏殿に副柱40本を建てる(東大寺要録)。この年、大仏光背が完成(東大寺要録)。
  • 宝亀3年(772):この年、初めて吉祥悔過を行う(東大寺要録)
  • 宝亀4年(773)閏11月24日:良弁死去()。
  • 宝亀7年(776):佐伯今毛人、佐伯院東大寺東南院の前身)を創建。
  • 宝亀9年(778)2月23日:造東大寺長官に吉備朝臣泉()。
  • 延暦3年(784)11月11日:長岡京遷都。
  • 延暦8年(789)3月16日:造東大寺司を廃止(続日本紀)。東大寺三綱管轄下の東大寺造寺所(造東大寺所)に継承される。

平安時代

  • 803年(延暦22年):この年、実忠、大仏の背部・左手の破損を修理する(東大寺要録)。
  • 810年(弘仁1年):空海が東大寺別当となる。(『歴史と年表』)
  • 822年(弘仁13年)2月10日:灌頂行法所を設置(三代格)。
  • 827年(天長4年)4月17日:大仏の傾きを止めるため、大仏の後ろに山を築く(東大寺要録)。
  • 836年(承和3年)5月9日:灌頂堂を建て僧21人を置く(東大寺要録、続日本後紀)。
  • 855年(斉衡2年)5月22日:大地震で大仏の頭部が落下(文徳実録、東大寺要録)。
  • 858年(天安2年)4月19日:造東大寺長官に藤原家宗を任命。(『歴史と年表』)
  • 861年(貞観3年)3月14日:大仏開眼法要(東大寺要録)。
  • 866年(貞観8年)3月1日:真言僧を東大寺三綱に任命。(『歴史と年表』)
  • 875年(貞観17年)10月24日:聖宝東南院を創建。三論宗の本所とする(東大寺要録)。
  • 889年(寛平1年)11月24日:宇多上皇、戒壇院で受戒(日本紀略)。
  • 890年(寛平2年):知足院建立。(『歴史と年表』)
  • 904年(延喜4年):佐伯院を大安寺から南大門東に移す。翌年7月11日聖宝に与える。(『歴史と年表』)
  • 917年(延喜17年)12月1日:僧坊西室から出火し、講堂・三面僧坊焼失(東大寺要録)。
  • 931年(承平1年)閏5月5日:造東大寺長官に藤原恒佐に任命。(『歴史と年表』)
  • 934年(承平4年)10月19日:西塔、雷火で被災(日本紀略、東大寺要録)。
  • 935年(承平5年)5月6日:講堂が再建され落慶法要(東大寺要録、扶桑略記)。
  • 938年(天慶1年):明珍、念仏院を建立。(『歴史と年表』)
  • 954年(天暦8年):吉祥堂焼失。以後、吉祥悔過は法華堂で行う(東大寺要録)。
  • 955年(天暦9年)12月25日:別当光智、尊勝院を創建し、華厳宗の本所とする(東大寺続要録)。961年(応和1年)3月4日、御願寺。(『歴史と年表』)
  • 962年(応和2年)8月30日:大暴風雨で南大門と大仏殿の扉などが倒壊(日本紀略、東大寺要録)。
  • 962年(応和2年)12月:講堂焼失。(『歴史と年表』)
  • 986年(寛和2年)3月22日:円融法皇、戒壇院で受戒(円融法皇御受戒記)。
  • 987年(永延1年)10月26日:円融法皇、南都諸寺を巡拝。(『歴史と年表』)
  • 989年(永祚1年)8月13日:暴風で南大門・鐘楼・大仏殿後戸などが倒壊(東大寺要録)。
  • 1019年(寛仁3年)11月16日:有慶、良弁堂を建てて忌日法要を始める(東大寺要録)。
  • 1023年(治安3年)10月18日:藤原道長、東大寺に参詣。(『歴史と年表』)
  • 1031年(長元4年)1月11日:西院建立。(『歴史と年表』)
  • 1042年(長久3年):初めて鑑真忌を行う。(『歴史と年表』)
  • 1053年(天喜1年)9月20日:天地院焼失。(『歴史と年表』)
  • 1070年(延久2年)10月20日:大地震で梵鐘落下(扶桑略記)
  • 1071年(延久3年):この年以降、東南院院主が三論宗長者となる。(『歴史と年表』)
  • 1095年(嘉保2年):この頃、別当経範、南院を修復し、真言院とする。(『歴史と年表』)
  • 1096年(永長1年)9月7日:この頃、東大寺の封戸が減少しているので、封物による修理を願う(東南院文書)
  • 1102年(康和4年)9月3日:転害会について東大寺と興福寺の衆徒が争い、市街地が焼失(中右記)。
  • 1106年(嘉承1年)5月:『東大寺要録』10巻編纂(東大寺要録)。
  • 1109年(天仁2年)3月30日:造東大寺長官に藤原為隆を任命。(『歴史と年表』)
  • 1120年(保安1年):この頃、観世音寺別当職、東大寺の管轄を離れる。(『歴史と年表』)
  • 1124年(天治1年)8月:上皇御幸のために東南院を新造。(『歴史と年表』)
  • 1129年(大治4年)11月25日:厳幸、五獅子如意の紛失を報告。(『歴史と年表』)
  • 1132年(長承1年)11月28日:法華堂で千日不断花会を始める。(『歴史と年表』)
  • 1142年(康治1年)5月5日:鳥羽上皇、前関白藤原忠実と共に戒壇院で受戒(本朝世紀)。
  • 1145年(久安1年)10月28日:造東大寺長官に藤原朝隆を任命。(『歴史と年表』)
  • 1149年(久安5年):覚仁、黒田荘について京都摂関家藤原忠通政所で伊賀国目代と論争(東大寺文書)。
  • 1161年(応保1年)7月23日:造東大寺長官に藤原朝方を任命。(『歴史と年表』)
  • 1170年(嘉応2年)4月20日:後白河上皇、戒壇院で受戒(兵範記)。

鎌倉時代

  • 1180年(治承4年)12月28日:平重衡、南都焼討。東大寺、興福寺元興寺諸堂炎上(山槐記など)。翌年1月5日、東大寺・興福寺僧綱を解任。所領を収公する。(『歴史と年表』)
  • 1181年(養和1年)3月18日:藤原行隆ら、東大寺と興福寺の罹災状況を実検する。(『歴史と年表』)
  • 1181年(養和1年)6月26日:東大寺再興の詔(東大寺続要録)。
  • 1181年(養和1年)8月:重源、勧進状を作成(東大寺続要録)。
  • 1183年(寿永2年)2月:陳和卿ら大仏の手・頭の鋳造を始める(東大寺続要録)。
  • 1185年(文治1年)3月7日:源頼朝、重源に米1万石・砂金1000両・上絹1000疋を贈る(吾妻鏡)。
  • 1185年(文治1年)8月27日:勅封倉(正倉院)を開き、天平開眼で使われた開眼筆などを出庫(東大寺続要録)。
  • 1185年(文治1年)8月28日:大仏開眼法要。後白河法皇、親しく開眼する。
  • 1186年(文治2年)3月23日:朝廷、周防国を東大寺造営料とし、重源に国政を管轄させる(玉葉)
  • 1186年(文治2年)4月23日:東大寺衆徒、伊勢神宮に参拝。大般若経を転読。
  • 1186年(文治2年)10月1日:藤原秀衡、東大寺造営料として黄金450両を京都に送る(吾妻鏡)。
  • 1187年(文治3年):この年、重源、周防・阿弥陀寺を創建。(東大寺辞典)
  • 1188年(文治4年)2月18日:鎌倉幕府、東大寺再興に協力を藤原経房に伝える(吾妻鏡)。
  • 1190年(建久1年)10月17日:東南院落慶。(『歴史と年表』)
  • 1190年(建久1年)10月19日:大仏殿上棟式。後白河法皇臨席(玉葉)。
  • 1190年(建久1年)12月:源頼朝、密かに四天王寺と東大寺を参詣(東大寺文書)。
  • 1191年(建久2年):この頃、重源、建設中の大仏殿に観経曼荼羅と浄土五祖画像を懸け、法然を招いて講説させた。(『歴史と年表』)
  • 1192年(建久3年)3月13日:後白河法皇、崩御。
  • 1193年(建久4年)4月10日:源頼朝の奏上で、備前国を造東大寺料とし、重源を国司とする(玉葉)。
  • 1194年(建久5年)6月28日:源頼朝、有力御家人に命じて、大仏殿脇侍・四天王像の造立、戒壇院再建を急がせる(吾妻鏡)。
  • 1195年(建久6年)2月29日:勅使を伊勢神宮に派遣して東大寺供養を奉告する(玉葉)。
  • 1195年(建久6年)3月10日:源頼朝、七条院殖子、後鳥羽天皇が南都入り(玉葉、吾妻鏡)。
  • 1195年(建久6年)3月12日:大仏殿落慶法要。後鳥羽天皇、七条院殖子、九条兼実、源頼朝ら参列(吾妻鏡、東大寺続要録)。
  • 1196年(建久7年)2月1日:造東大寺長官に藤原宗頼を任命。(『歴史と年表』)
  • 1196年(建久7年)6月13日:天皇、九条御堂で東大寺四天王像の模型を見る。(『歴史と年表』)
  • 1196年(建久7年)6月18日:大仏殿の脇侍の造立を開始(東大寺続要録)
  • 1196年(建久7年)12月10日:四天王像完成(続要録)。
  • 1197年(建久8年)8月28日:戒壇院金堂落慶。(『歴史と年表』)
  • 1197年(建久8年)8月17日:東大寺僧綱、八幡宮の神体として勝光明院宝蔵の画像を請うが、石清水八幡宮神護寺も望み、神護寺に収められる。(『歴史と年表』)
  • 1199年(正治1年)1月20日:造東大寺長官に藤原資実を任命。(『歴史と年表』)
  • 1199年(正治1年)6月:南大門上棟。
  • 1200年(正治2年)10月22日:尊勝院竣工。(『歴史と年表』)
  • 1201年(建仁1年)12月27日:僧形八幡神像、開眼法要。
  • 1203年(建仁3年)10月3日:南大門仁王像、開眼法要(続要録)。
  • 1203年(建仁3年)11月30日:東大寺総供養。後鳥羽上皇行幸。続要録。
  • 1204年(元久1年)3月29日:造東大寺長官に藤原親経を任命。(『歴史と年表』)
  • 1204年(元久1年)4月5日:東塔再建起工。(『歴史と年表』)
  • 1206年(建永1年)1月29日:二月堂落慶。(『歴史と年表』)
  • 1206年(建永1年)6月5日:重源死去(明月記)。
  • 1206年(建永1年)10月11日:栄西、大勧進となる(東大寺文書)。
  • 1215年(建保3年)6月5日:栄西死去。7月9日、行勇、大勧進となる(東大寺文書)。
  • 1225年(嘉禄1年)3月:東大寺衆徒、大安寺別当職を東大寺に任せるように請う。(『歴史と年表』)
  • 1227年(安貞1年)10月22日:東塔再建(明月記)。
  • 1231年(寛喜3年)4月10日:周防国、東大寺の知行国となる。(『歴史と年表』)
  • 1236年(嘉禎2年)9月1日:叡尊、覚盛、円晴ら、法華堂で自誓受戒。(『歴史と年表』)
  • 1237年(嘉禎3年)4月19日:講堂上棟(続要録)
  • 1242年(仁治3年)6月:定親、念仏院を建立。(『歴史と年表』)
  • 1249年(建長1年)1月22日:三論談義を修め始める。(『歴史と年表』)
  • 1249年(建長1年)11月28日:戒壇院講堂の釈迦如来像を供養。(『歴史と年表』)
  • 1250年(建長2年)9月17日:新堂院落慶(『歴史と年表』)
  • 1250年(建長2年):定親、知足院を再興。(『歴史と年表』)
  • 1251年(建長3年):円照、東大寺戒壇院に移り、戒律復興を宣言。(『歴史と年表』)
  • 1262年(弘長2年):真言院に舎利殿を建て、東寺の舎利を奉安。(『歴史と年表』)
  • 1257年(正嘉1年):聖守、聖武天皇500年忌を期して「四聖御影」を作り、僧坊北室に祀る(続要録)。
  • 1263年(弘長3年)8月25日:勅使参向して、大仏殿で行基遺骨の供養を行う(続要録)。
  • 1268年(文永5年)10月:聖守、真言院に僧坊を建てる(続要録)。
  • 1269年(文永6年)4月4日:後嵯峨上皇、戒壇院で受戒。(『歴史と年表』)
  • 1269年(文永6年)5月11日:真言院に神護殿を創建。
  • 1269年(文永6年):西南院再建。翌年4月、御願所となる。(『歴史と年表』)
  • 1303年(嘉元1年)4月3日:亀山法皇、受戒。(東大寺辞典)
  • 1307年(徳治2年)11月21日:後宇多上皇、戒壇院で受戒(続要録)。

室町時代

  • 1331年(元弘1年/元徳3年)8月25日:元弘の変。後醍醐天皇、東南院に行幸。別当聖尋、150人と共に迎える(雑集録)。
  • 1335年(建武2年)7月25日:興福寺衆徒により東南院、西南院などが破壊されたことを朝廷い訴える。(『歴史と年表』)
  • 1345年(興国6年/貞和1年)3月:食堂を再建しようとして北朝に宣旨を請う。(『歴史と年表』)
  • 1362年(正平17年/貞治1年)1月13日:東塔・真言院など雷火で炎上(嘉元記)
  • 1395年(応永2年)9月16日:足利義満、戒壇院で受戒。19日に法華堂に参拝。(大乗院日記目録)
  • 1426年(応永33年)1月19日:興福寺衆徒、東大寺尊勝院に放火。(『歴史と年表』)
  • 1441年(嘉吉1年)6月29日:興福寺衆徒、東大寺西室坊などを破却。(『歴史と年表』)
  • 1442年(嘉吉2年)7月:元興寺別当を東大寺から出すこととなり、円良房を任命。(『歴史と年表』)
  • 1446年(文安3年)1月1日:戒壇院焼失(続史愚抄)。
  • 1475年(文明7年)8月8日:東南院院主、維摩会の五獅子如意を持ったまま逐電。1478年(文明10年)9月5日、六方衆、如意が京都にあることを突き詰め、返還を願う。9月11日、九条殿から返還の書。(『歴史と年表』)
  • 1448年(文安5年)1月29日:戒壇院再建のため、造東大寺長官に藤原俊秀就任(康富記)。
  • 1465年(寛正6年)9月24日:足利義政、受戒。(東大寺辞典)
  • 1508年(永正5年)3月18日:僧坊東室から出火。講堂・三面僧坊に類焼(続史愚抄)。
  • 1509年(永正6年)4月13日:講堂、三面僧坊の修理の綸旨。(『歴史と年表』)
  • 1529年(享禄2年)6月26日:地蔵院建立。(『歴史と年表』)
  • 1566年(永禄9年)2月12日:金剛院焼失。(『歴史と年表』)

近世1

  • 1567年(永禄10年)5月18日:三好松永の合戦で戒壇院炎上(多聞院日記)。
  • 1567年(永禄10年)10月10日:三好松永の合戦で、大仏殿など焼失(多聞院日記など)。
  • 1568年(永禄11年)3月27日:正親町天皇、大仏殿再建の綸旨を諸国に下す。
  • 1568年(永禄11年)5月7日:毛利元就に大仏殿再興の費用を寄進させる。(『歴史と年表』)
  • 1569年(永禄12年)7月18日:大仏の胴体と右膝を修復(多聞院日記)。
  • 1572年(元亀3年)6月:織田信長、大仏殿再興のため清玉に勧進を許可する(東大寺文書)。
  • 1583年(天正11年)3月29日:暴風で西大門倒壊(多聞院日記)。
  • 1583年(天正11年)9月10日:再び大仏殿再興勧進の綸旨が下る。(『歴史と年表』)
  • 1589年(天正17年)2月5日:大仏の修理を始める。(『歴史と年表』)
  • 1589年(天正17年):勧学院建立。福蔵院を号す。(『歴史と年表』)
  • 1594年(文禄3年)9月:豊臣秀吉、東大寺に朱印地2000石(東大寺文書)。
  • 1602年(慶長7年):戒壇院仮堂建立。(『歴史と年表』)
  • 1610年(慶長15年)7月21日:大仏仮堂、暴風で倒壊(雑集録)
  • 1610年(慶長15年)8月8日:上生院、大仏修理を徳川家康に訴える。補強が行われた。(『いざない』)
  • 1642年(寛永19年)11月27日:大火で興福寺一乗院など、東大寺八幡宮、真言院、新禅院など焼失。(『歴史と年表』)
  • 1660年(万治3年)春:浄慶、真言院・新禅院を建立。(『歴史と年表』)
  • 1667年(寛文7年)2月14日:二月堂焼失。(『いざない』)
  • 1669年(寛文9年)5月9日:二月堂上棟式。(『いざない』)
  • 1682年(天和2年)4月17日:四月堂竣工。(『歴史と年表』)
  • 1684年(貞享1年)6月9日:幕府、公慶に勧進の許可を与える。(『いざない』)
  • 1689年(元禄2年)2月25日:聖武天皇殿を建立。(『歴史と年表』)
  • 1690年(元禄3年)8月15日:大仏頭部完成。(『いざない』)
  • 1691年(元禄4年)2月:大仏の修復完成。(『いざない』)
  • 1692年(元禄5年)3月8日から1カ月間、大仏開眼法要。(『いざない』)
  • 1696年(元禄9年)5月21日:公慶、重源所用の柄杓と共に徳川綱吉に謁見。白銀1000枚を寄進される。(『いざない』)
  • 1699年(元禄12年)2月9日:幕府、東南院再興を許可。(『歴史と年表』)
  • 1701年(元禄14年)3月18日:幕府、南都奉行を大仏殿再建の奉行に任命。(『歴史と年表』)
  • 1701年(元禄14年)5月12日:大仏殿起工。(『歴史と年表』)
  • 1702年(元禄15年)5月23日:東照宮上棟式。像を奉安。(『歴史と年表』)
  • 1702年(元禄15年)9月15日:東南院御影堂、聖宝像を奉安。(『歴史と年表』)
  • 1704年(宝永1年)3月10日:俊乗堂建立。重源像を奉安。(『歴史と年表』)
  • 1705年(宝永2年)閏4月10日:大仏殿上棟式。(『いざない』)
  • 1705年(宝永2年)7月12日:公慶、死去。(『いざない』)
  • 1706年(宝永3年)7月12日:公慶堂を建立。(『歴史と年表』)
  • 1708年(宝永5年)6月26日:大仏殿再建完成。(『歴史と年表』)
  • 1709年(宝永6年)3月21日:大仏殿落慶法要。4月8日まで。(『いざない』)

近世2

  • 1711年(正徳1年)5月20日:幕府、大仏光背造立の勧進を許可。(『いざない』)
  • 1713年(正徳3年)4月25日:大仏殿中門上棟式。(『いざない』)
  • 正徳年間:庸性、金珠院内に明王殿を建立。(『歴史と年表』)
  • 1716年(享保1年)4月11日:大仏殿廻廊の立柱。(『いざない』)
  • 1719年(享保4年)1月6日:大仏殿中門の二天像の開眼法要。(『いざない』)
  • 1726年(享保11年)4月:大仏光背の勧進を始める。(『いざない』)
  • 1733年(享保18年)1月11日:戒壇院落慶(『いざない』)
  • 1739年(元文4年)5月16日:大仏光背完成(『いざない』)
  • 1752年(宝暦2年)2月4日:大仏脇侍の虚空蔵造立。(『いざない』)
  • 1762年(宝暦12年)2月23日:芝辻町から出火して戒壇院・尊光院・新禅院など類焼。(『いざない』)
  • 1806年(文化3年)7月:大仏殿二重目の屋根が沈下。角柱で支える。(『いざない』)
  • 1837年(天保8年)8月:大仏殿東北角の柱を根接ぎする。(『いざない』)
  • 1855年(安政2年)5月2日:聖武天皇1100年遠忌を大仏殿で行う。(『いざない』)

近現代

  • 1868年(明治1年)3月28日:神仏分離令。
  • 1870年(明治3年)4月:大勧進職を廃止。(『いざない』)
  • 1872年(明治5年)9月:浄土宗知恩院に属す。(『東大寺辞典』)
  • 1877年(明治10年)2月8日:明治天皇、東南院行幸。(『いざない』)
  • 1882年(明治15年)10月:大仏殿修理のため、内務省と宮内省に勧進許可願。宮内省より500円下賜。(『いざない』)
  • 1883年(明治16年)3月22日:大仏会設立。(『いざない』)
  • 1884年(明治17年):正倉院が宮内省の管轄となる。(『もっと知りたい東大寺の歴史』)
  • 1886年(明治19年)6月:単称華厳宗として独立。(『いざない』)
  • 1894年(明治27年)5月:尊勝院経蔵を宮内省に献納。(『いざない』)
  • 1896年(明治29年):東大寺図書館開館。(『いざない』)
  • 1903年(明治36年)5月:法華堂修理落慶(『いざない』)
  • 1903年(明治36年)7月1日:大仏殿修理を始める。(『いざない』)
  • 1907年(明治40年)9月2日:大仏殿解体足場建設にあたり、蓮華座から古刀2点など出土。(『いざない』)
  • 1911年(明治44年)5月2日:大仏殿修理上棟式。(『いざない』)
  • 1915年(大正4年)5月2日:8日まで大仏殿落慶法要。(『いざない』)
  • 1916年(大正5年)4月:貞明皇后、大仏殿・法華堂・二月堂に参詣。(『いざない』)
  • 1922年(大正11年)4月21日:勧学院・上生院焼失。(『いざない』)
  • 1947年(昭和22年)7月:本坊焼失。(『いざない』)
  • 1951年(昭和26年)12月:本坊再建。(『いざない』)
  • 1952年(昭和27年)10月12日:19日まで。大仏開眼1200年法要。(『いざない』)
  • 1963年(昭和38年)5月6日:鑑真1200年遠忌。(『いざない』)
  • 1974年(昭和49年)6月:大仏殿昭和大修理起工式(『いざない』)
  • 1980年(昭和55年)10月15日:大仏殿落慶。5日間。(『いざない』)
  • 1993年(平成5年)11月:南大門仁王像二体修理落慶。(『いざない』)
  • 1998年(平成10年)5月:戒壇院千手堂、焼失。(『いざない』)
  • 1998年(平成10年)12月3日:世界文化遺産に登録。(『いざない』)
  • 1999年(平成11年)10月:源頼朝800年忌。(『いざない』)
  • 2002年(平成14年)10月15日:大仏開眼1250年法要。5日間。(『いざない』)

典籍

  • 『東大寺要録』:1106年(嘉承1年)頃の成立。奈良時代から平安時代までの寺誌。1134年(長承3年)増補。1241年(仁治2年)の写本が現存。1485年(文明17年)の写本が東大寺に伝わる。
  • 『東大寺続要録』:鎌倉時代の復興記録などを収録。
  • 『東大寺縁起絵詞』:1337年(延元2年/建武4年)。20巻。
  • 『八幡縁起絵巻』:1535年(天文4年)。手向山八幡宮の縁起。
  • 『東大寺大仏縁起』:1536年(天文5年)。3巻全17段。
  • 『二月堂縁起絵巻』:1545年(天文14年)。修二会の起源と観音利益を説く。上下巻。

参考文献


脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA」より作成

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