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遍照寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年10月31日 (木)
遍照寺(へんじょうじ)は、京都府京都市右京区にある真言宗寺院。敦実親王の子の寛朝(916-998)が創建した。仁和寺子院。仁和寺関連旧跡。(参考:同名寺院遍照寺_(同名))
組織
住職
- 寛朝(916-998)<984->:真言宗の僧。広沢流の祖。敦実親王の第二王子。母は藤原時平の娘。宇多天皇の孫。926年(延長4年)宇多法皇に従い出家。仁和寺で寛空から灌頂を受ける。967年(康保4年)仁和寺別当。東寺三長者。西寺別当。979年(天元2年)東寺二長者。980年(天元3年)、私財を投じて東大寺華厳会を盛大に実施。982年(天元5年)東寺長者。986年(寛和2年)、東大寺戒壇院で円融法皇に授戒。988年(永延2年)5月大仏殿で祈雨。大きな効験があったという。989年(永祚1年)、東寺灌頂院で円融法皇に灌頂を授ける。同年、後に広沢流の拠点となる遍照寺を創建。平将門の乱では940年(天慶3年)、東国に赴いて調伏祈祷を行い、成田山新勝寺を創建したとされる。円融法皇との関係は深く、984年(永観2年)の円融寺創建にも協力。同年、東大寺別当58世。円教寺供養にも出仕。真言宗で初めて大僧正となる。理趣経の声明に優れ、東密声明の中興と呼ばれた。998年(長徳4年)6月12日死去。著書『一乗義私記』。(『東大寺辞典』『仏家人名辞書』)