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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

新勝寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年8月17日 (金)

成田山新勝寺から転送)
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新勝寺(しんしょうじ)は、千葉県成田市にある不動信仰真言宗寺院。成田不動信仰の発祥地。真言宗智山派大本山。本尊の不動明王は、神護寺護摩堂から遷されたもので、空海作という。平将門の乱の戦勝祈願のために遍照寺寛朝(916-998)が不動像を奉じて下総に下り、公津ケ原で祈祷。満願後も不動像を動かすことができなくなったことが起源とされる。永禄9年(1566)、久根の内に遷座。さらに愛宕山を経て現在地に遷ったという。元禄時代、照範が中興。佐倉藩主、そして桂昌院の帰依を得て大覚寺末となる。元禄16年には江戸で出開帳。初代以来、歴代の市川団十郎が信仰している。幕末明治期には各地に別院を設置。明治2年、智積院末に転属した。成田不動。山号は成田山新勝寺関連旧跡も参照。


組織

歴代住職(中興以前)

世数 生没年 就任年 略歴
開山 寛朝 916-998 新勝寺・遍照寺円融寺の開山。広沢流の開祖。真言声明の開祖という。敦実親王の王子。宇多天皇の孫。916年(延喜16年)生。926年(延長4年)、宇多法皇に師事。948年(天暦2年)寛空から伝法灌頂。977年(貞元2年)東寺三長者・西寺別当。979年(天元2年)東寺長者。984年(永観2年)東大寺別当。986年(寛和2年)円融法皇受戒の戒和尚を務める。同年、日本仏教で3人目の大僧正、真言宗初の大僧正となった。989年(永祚1年)遍照寺を創建。998年(長徳4年)6月12日死去。83歳。(国史大辞典、日本人名大辞典)
宥鑁 弥勒寺住職。
隆長 (略歴不詳)
尊有 (略歴不詳)
宥俊 (略歴不詳)
長海 (略歴不詳)
澄浄 (略歴不詳)
宥覚 (略歴不詳)
照禅 (略歴不詳)
照三 (略歴不詳)
宥隆 (略歴不詳)
照慶 (略歴不詳)
宥慶 (略歴不詳)
照源 ?-1700 (略歴不詳)

歴代住職(中興以降)

現在は貫首と称す。

世数 生没年 就任年 略歴
1 照範 1664-1724 1700-1724 中興1世。常陸国水戸出身。1675年(延宝3年)出家。磯部医王院住職。1700年(元禄13年)9月26日、新勝寺住職となる。江戸深川で出開帳。1706年(宝永3年)、弥勒寺末を離れ、1707年(宝永4年)3月10日、大覚寺門跡末となった。1724年(享保9年)、集議。1724年(享保9年)10月19日死去。61歳。(成田山通志)
2 快盛 ?-1727 加歴 照範の弟子。1727年(享保12年)9月22日死去。照朝が加歴。(成田山通志)
3 照朝 ?-1762 照範の弟子。1762年(宝暦12年)6月18日死去。(成田山通志)
4 照諦 ?-1625 1625年(寛永2年)2月4日死去。(成田山通志)
5 照峰 ?-1783 1783年(天明3年)3月1日死去。(成田山通志)
6 照乗 ?-1809 1809年(文化6年)2月2日死去。(成田山通志)
7 照誉 ?-1821 1821年(文政4年)10月19日死去。(成田山通志)
8 照胤 ?-1829 1829年(文政12年)7月16日死去。(成田山通志)
9 照融 ?-1844 常陸国河内郡佐沼出身。佐沼遍照院に隠居。1844年(弘化1年)11月7日死去。(成田山通志)
10 照阿 ?-1862 旧姓は渡辺。葛飾郡我孫子出身。延命院に隠居。1862年(文久2年)8月5日死去。(成田山通志)
11 照嶽 ?-1869 ?-1859 葛飾郡布施出身。本堂落慶。1859年(安政6年)退任。1869年(明治2年)9月22日死去。(成田山通志)
12 照順 ?-1861 1859-1861 安政6年就任。1861年(文久1年)6月8日死去。以後、負債問題と後任を巡り紛糾して6年間無住。(成田山通志)
13 原口照輪 1815-1882 1867-1882 1815年(文化12年)12月21日生。1867年(慶応3年)住職就任。1882年(明治15年)11月29日死去。68歳。(成田山通志)
14 三池照鳳 1848-1896 1883-1893 下総国成田出身。1848年(嘉永1年)5月生。1857年(安政4年)得度。1873年(明治6年)密蔵院住職。明治16年新勝寺住職就任。成田鉄道の開設に協力。1893年(明治26年)、新勝寺住職を退任して智山派独立運動に尽力。1896年(明治29年)6月3日死去。(成田山通志)
15 石川照勤 1869-1924 1894-1924 下総国印旛郡出身。1869年(明治2年)10月10日生。旧姓は中村。1878年(明治11年)入寺。原口照輪に師事。真言宗中学林卒。1894年(明治27年)新勝寺住職就任。2年間の欧米視察の後、成田中学、成田図書館、成田山感化院などを創設。1924年(大正13年)1月31日死去。56歳。(日本人名大辞典)
16 服部照和 1866-1909 加歴 1931年(昭和6年)2月、荒木照定貫首が加歴。
17 池田照誓 1878-1919 加歴 1931年(昭和6年)2月、荒木照定貫首が加歴。
18 荒木照定 1892-1965 1924-1965 千葉県山武市小松出身。1892年(明治25年)4月28日生。農家の次男。1901年(明治34年)に入寺。服部照和に師事。東洋大学卒。一時、日比谷図書館に勤務。1924年(大正13年)2月6日、貫首就任。欧米視察。インド巡拝。関西地方に進出して各地に別院を建立。成田山文化事業財団を設立。宗派の菩提院結衆、集議。1965年(昭和40年)9月20日死去。73歳。(20世紀日本人名事典、「大僧正荒木照定伝」)
19 松田照応 1903-1986 1965-1986 千葉県成田市出身。1903年(明治36年)3月25日生。1912年(大正1年)入寺。真言宗智山大本科卒業。新勝寺横浜別院主監、新勝寺大阪別院主監を経て1965年(昭和40年)貫首就任。1986年(昭和61年)10月7日死去。(20世紀日本人名事典)
20 鶴見照碩 1917-2002 1986-2002 東京都出身。1917年(大正6年)生。寺務長などを経て1986年(昭和61年)就任。2002年(平成14年)8月14日死去。85歳。
21 橋本照稔 1926- 2002- 1926年(昭和1年)生。寺務長などを経て貫首に就任。2002年(平成14年)就任。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%96%B0%E5%8B%9D%E5%AF%BA」より作成

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