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真言宗智山派
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年4月9日 (火)
真言宗智山派は、京都府京都市東山区の智積院を本山とする真言宗新義派の教団。戦前の名称は「新義真言宗智山派」。
目次 |
歴史
- 1900年(明治33年)8月9日、新義真言宗智山派、独立。
- 1941年(昭和16年)3月31日、智山派解散。翌日、合同真言宗設立。
- 1946年(昭和21年)3月1日、戦後、合同真言宗の解体で真言宗智山派が再独立。
- 1953年(昭和28年)1月1日、宗務所が東京真福寺から京都智積院に移転。
組織
管長
智積院#組織を参照
宗務長
- 1950年(昭和25年)3月27日、「宗務長」から「宗務総長」と改称。以降、宗本一致の体制となる。
- 2014年:一宗公選制となる。選挙権は住職・長老。
- 2024年:一宗公選制に基づく初の投票
代 | 名 | 生没年 | 在職年 | 略歴 |
---|---|---|---|---|
1 | 小柴豊嶽 | ?-1617 | 1900-1903 | 自坊は千葉成願寺。1900年(明治33年)8月9日から1903年(明治36年)12月22日まで宗務長。大学林教授。1917年(大正6年)5月13日死去。58歳。 |
2 | 志賀照林 | ?-1916 | 1903-1906 | 薬王院26世。1903年(明治36年)12月22日から1906年(明治39年)5月7日まで宗務長。1916年(大正5年)8月10日死去。71歳。著書『密宗安心章』[1]。 |
3 | 旭純栄 | 1864-1948 | 1906-1908 | 智積院化主53世・管長7代。1906年(明治39年)5月7日から1908年(明治41年)3月17日まで宗務長。(略歴は智積院#組織を参照) |
4 | 佐伯隆運 | 1870-1923 | 1908-1909 | 平間寺44世。1908年(明治41年)3月17日から1909年(明治42年)12月28日まで宗務長。 |
5 | 青木栄豊 | 1857-1936 | 1909-1911 | 智積院化主52・管長6代。1909年(明治42年)12月28日から1911年(明治44年)6月16日まで宗務長。(略歴は智積院#組織を参照) |
6 | 宮本隆範 | 1865- | 1911-1917 | 1911年(明治44年)6月26日から1917年(大正6年)6月22日まで宗務長。新義智山大学院長。 |
7 | 千葉賢永 | ?-1922 | 1917-1918 | 自坊は東京普門院。1917年(大正6年)6月27日から1918年(大正7年)1月18日まで宗務長。1922年(大正11年)5月1日死去。73歳。 |
8 | 旭純栄 | 1864-1948 | 1918-1923 | 再任。1918年(大正7年)2月20日、宗務長。1923年(大正12年)6月10日、辞表を提出。前日の定期宗会で連合大学設立案が否決されたためか。6月11日受理され、同時に宗務長事務取扱となる。 |
9 | 旭純栄 | 1864-1948 | 1923-1925 | 再任。辞任による宗務長選挙の結果、再選。1923年(大正12年)7月10日、宗務長に就任。1925年(大正14年)3月18日まで。 |
10 | 平沢照尊 | 1877-1947 | 1925-1929 | 1925年(大正14年)4月17日から1929年(昭和4年)9月4日まで宗務長。集議。1947年(昭和22年)3月30日死去。71歳。 |
11 | 平幡照法 | ?-1962 | 1929-1932 | 自坊は下総・円福寺。1929年(昭和4年)9月4日から1932年(昭和7年)9月4日まで宗務長。集議。1962年(昭和37年)3月2日死去。86歳。 |
12 | 御嶽隆道 | 1885-1959 | 1932-1935 | 智積院化主56世・管長10代。1932年(昭和7年)9月4日から1935年(昭和10年)9月4日まで宗務長。(略歴は智積院#組織を参照) |
13 | 芙蓉浄淳 | ?-1955 | 1935-1938 | 自坊は埼玉勝蔵院。1935年(昭和10年)9月4日から1938年(昭和13年)7月26日まで宗務長。合同真言宗の解体と真言宗智山派の再設立にともない、1946年(昭和21年)3月1日に宗務長に就任。1946年(昭和21年)6月29日まで。集議。1955年(昭和30年)9月20日死去。71歳。 |
14 | 倉持秀峰 | 1891-1972 | 1938-1941 | 智積院化主57世・管長11代。1938年(昭和13年)9月4日宗務長に就職。1941年(昭和16年)3月31日、智山派の解散により退任。(略歴は智積院#組織を参照) |
宗務総長
代 | 名 | 生没年 | 在職年 | 略歴 |
---|---|---|---|---|
1 | 芙蓉浄淳 | ?-1950 | 1946-1946 | 合同真言宗の解体と真言宗智山派の再設立にともない、1946年(昭和21年)3月1日に初代宗務長に就任。第1次臨時宗会が開かれた同年6月29日まで。 |
2 | 秋山祐雅 | 1895-1989 | 1946-1949 | 智積院化主59世・管長13代。1946年(昭和21年)6月29日から1949年(昭和24年)7月7日まで宗務長。(略歴は智積院#組織を参照) |
3 | 阿部龍伝 | ?-1968 | 1949-1956 | 自坊は満願寺。1949年(昭和24年)7月7日宗務長に就職。1950年(昭和25年)3月27日、「宗務長」から「宗務総長」と改称。以降、宗本一致の体制となる。1956年(昭和31年)3月31日、宗務総長退任。集議。1968年(昭和43年)12月11日死去。69歳。 |
4 | 竹村教智 | 1896-1990 | 1956-1962 | 智積院化主61世・管長15代。1956年(昭和31年)4月1日から1962年(昭和37年)3月17日まで宗務総長。(略歴は智積院#組織を参照) |
5 | 上野頼栄 | 1906-1993 | 1962-1969 | 智積院化主63世・管長17代。1962年(昭和37年)3月17日から1969年(昭和44年)3月13日まで宗務総長。(略歴は智積院#組織を参照) |
6 | 田中隆恵 | ?-1993 | 1969-1973 | 集議。1969年(昭和44年)3月13日から1973年(昭和48年)3月13日まで宗務総長。1993年(平成5年)11月3日死去。82歳。 |
7 | 別所弘因 | ?-1984 | 1973-1980 | 自坊は法光寺。1973年(昭和48年)3月13日から1980年(昭和55年)6月26日まで宗務総長。集議。1984年(昭和59年)4月19日死去。69歳。 |
8 | 小沢照禧 | 1980-1984 | 1980年(昭和55年)6月27日から1984年(昭和59年)6月26日まで宗務総長。1987年(昭和62年)3月31日、集議辞任。1999年(平成11年)集議。 | |
9 | 高野一能 | 1984-1988 | 自坊は五智院。1984年(昭和59年)6月27日から1988年(昭和63年)6月26日まで宗務総長。 | |
10 | 石川良泰 | 1988-1992 | 那古寺62世。1988年(昭和63年)6月27日から1992年(平成4年)6月26日まで宗務総長。 | |
11 | 上村正剛 | 1942- | 1992-1996 | 自坊は岩槻弥勒密寺。1942年(昭和17年)生。1992年(平成4年)6月27日から1996年(平成8年)6月26日まで宗務総長。 |
12 | 楠宗親 | ?-2013 | 1996-2000 | 自坊は福島勝行院。1996年(平成8年)6月27日から2000年(平成12年)2月18日まで宗務総長。任期途中で辞任。2013年(平成25年)死去。 |
13 | 小林照宥 | 2000-2004 | 自坊は千葉惣持院。2000年(平成12年)3月28日から2004年(平成16年)3月27日まで宗務総長。 | |
14 | 島秀隆 | 2004-2008 | 自坊は楢葉町広徳院。2004年(平成16年)3月28日から2008年(平成20年)3月27日まで宗務総長。 | |
15 | 岡部快円 | 1949- | 2008-2012 | 自坊は尾張・真福寺。1949年(昭和24年)生。2008年(平成20年)3月28日から2012年(平成24年)3月27日まで宗務総長。 |
16 | 小宮一雄 | 1948- | 2012-2016 | 自坊は東京東覚寺。1948年(昭和23年)生。法政大学法学部卒。大正大学仏教学部卒。東京東部教区長、宗派総務部長などを歴任。2012年(平成24年)3月28日から2016年(平成28年)3月27日まで宗務総長。 |
17 | 芙蓉良英 | 1956- | 2016-2024 | 自坊は東京大聖院。1956年(昭和31年)生。1979年(昭和54年)大正大学卒。同年、智山派宗務所に就職。財務部長、総務部長などを歴任して2016年(平成28年)3月28日、宗務総長。一宗公選(ただし無投票)で選ばれた初の宗務総長。 |
18 | 三神栄法 | 1961- | 2024-2028予定 | 自坊は京田辺市法泉寺。大正大学仏教学部真言学科卒。京阪教区支所長、法務部長、総務部長など歴任。2024年3月28日、宗務総長。一宗公選で投票により選ばれた初の宗務総長。 |