出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年1月22日 (火)
光明山寺(こうみょうせんじ)は、山城国相楽郡(京都府木津川市)にあった南都仏教寺院。南都浄土教の拠点だった。別所。東大寺関連旧跡、興福寺関連旧跡。
歴史
平安時代前期に寛朝が開き、のち東大寺僧の厳〓が再建。本尊は薬師如来だったという(〓=「王+罔」)。
多くの僧が滞在しており、代表的な永観のほか、頼基、静誉、覚樹、重誉、実範、心覚、明遍らが訪れた。
源平合戦で、以仁王が光明山寺の鳥居の前で戦死したと伝える。
元々、東大寺末だったが、室町時代に興福寺末になった。中世末までに廃絶したらしい。
(日本歴史地名大系)