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禅林寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2026年3月5日 (木)

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禅林寺(ぜんりんじ)は、京都府京都市左京区永観堂町にある、浄土宗西山派本山寺院浄土宗西山禅林寺派総本山。本尊は「見返り阿弥陀」として知られる阿弥陀如来。元は真言宗門跡寺院で、大日如来を本尊としたが、証空が譲られて浄土宗西山派西谷流の拠点になったとされる。南都仏教と関わりが深く、東大寺関連旧跡。一時期は三論宗も盛んに学ばれた。古代の定額寺でもある。鎮守は若王子神社。通称の永観堂がよく知られる。無量寿院と号す。山号は聖衆来迎山。南に建てられた離宮禅林寺殿は後に南禅寺となった。(参考:同名寺院禅林寺_(同名)

目次

歴史

古代

元は真言宗寺院として始まった。 853年(仁寿3年)、空海の弟子の真紹が藤原関雄という人物の旧宅を購入して大日如来を祀って創建。 863年(貞観5年)9月6日、定額寺となる。この時の三代実録の記事によると、河内観心寺を移して禅林寺としたという。「禅林・観心両寺座主職相承次第」(東寺文書)という文書があり、観心寺と禅林寺は兼務されていたらしい。868年(貞観10年)、真紹は「禅林寺清規」15条を定め、宗叡に伝えた。 877年(元慶1年)、清和上皇の勅願で寺内に山城・円覚寺が創建され、禅林寺の伽藍も整えられた。 993年(正暦4年)火災で焼失。深覚が伽藍再建した。

1160年(永暦1年)、後白河上皇熊野那智大社を分霊して若王子神社を創建し、禅林寺の鎮守となった。

石山寺観心寺を末寺とした。 仁和寺側の記録では禅林寺は仁和寺の院家として扱われてる(仁和寺関連旧跡)。

中世

東大寺別当の永観(ようかん)が浄土教の拠点として中興。永観は塔頭東南院を創建し、日課一万遍の念仏を行なっていたといい、『禅林寺縁起』などに記された見返り阿弥陀の説話が著名である。1082年(永保2年)、永観が阿弥陀堂で行堂念仏していたところ(常行三昧と思われる)、阿弥陀仏が永観と共に行堂を始め、振り向いて「永観遅し」と諌めたという。首を左に振り向いた姿を表した異形の阿弥陀像がのちに本尊となる。永観堂(えいかんどう)という当寺の通称にその名を残している。静遍が法然の『選択本願念仏集』を批判しようと熟読したところ、返って自らの非を悟り改宗した。改宗のときに、すでに亡くなっていた法然を11世住職とし、自らは12世とした。永観も静遍も真言宗系の東大寺念仏別所である光明山寺に住したこともある。静遍が証空に譲り、証空が住した。その後、浄音が17世となったときに正式に真言宗から浄土宗(西山派)となったという。発展して、西山派西谷流の拠点となった。

1264年(文永1年)には亀山天皇が禅林寺の隣に離宮禅林寺殿を建て、南禅寺の起源となる。 室町時代には聖衆来迎院という堂を中心に当麻曼陀羅の信仰が盛んになった。 応永年間、後小松天皇生母の通陽門院が堂塔を修復。 1467年(応仁1年)9月18日、東岩倉の戦いで南禅寺などと共に焼失。

近世

上徳寺に移築された旧永観堂祖師堂

応仁の乱で荒廃後、1497年(明応6年)法然を祀る御影堂や書院を再建。永正年間、方丈(釈迦堂)や境内の堂宇を廊でつなぐ臥龍廊が建てられた。1607年(慶長12年)、阿弥陀堂を再建。御影堂は1600年(慶長5年)再建ともいう(禅林寺正選歴代記)。 1573年(天正1年)、豊臣秀吉から寺領43石が寄進され、幕末まで維持した。

宏善や甫叔らといった歴代が皇室の帰依を受け、1572年(元亀3年)、香衣出世の寺と認められ、本山としての地位を確立した。

近代

1912年(大正1年)現在の御影堂を建立。1928年(昭和3年)には多宝塔を建立した。

(日本歴史地名大系、国史大辞典)


禅林寺(永観堂)(国土地理院空中写真より)

伽藍

名称 本尊など 概要
本堂
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阿弥陀如来 本尊は見返り阿弥陀如来(回顧阿弥陀如来)。嘉禎年間の建立という。四天王寺から当麻曼荼羅と共に移築したと伝える。南壇には十一面観音(永観の本地仏)、永観像(自作)、倍舎利塔(後奈良天皇寄進)、厄除地蔵(空海作)、地蔵尊(霊鑑寺宮寄進)、北壇には当麻曼荼羅、清和天皇像、中将姫像、、後門に釈迦、外陣に賓頭盧などを祀るという。阿弥陀堂。(禅林寺誌)
御影堂
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法然 本尊は法然像(自作)。左に善導像(唐朝将来という。「放光善導」と称す)、右に証空像を祀る。多くの位牌もある。1497年(明応6年)後土御門天皇が再建。1912年(大正1年)12月、再建。祖師堂、大殿ともいう。
勅使門
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釈迦堂
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釈迦三尊 本尊は釈迦如来三尊像(快慶作)。永正年間に後柏原天皇が建立。歴代天皇や歴代将軍の位牌を祀るという。方丈。(禅林寺誌)
総門
中門
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瑞紫殿 阿弥陀如来 本尊は火除阿弥陀如来(空海作)。創建時に祀られた大日如来など五仏のうち、唯一残ったとされ、「火除けの阿弥陀」と呼ばれている。地蔵(源信作)、大黒天(最澄作)、阿弥陀如来、舎利塔、阿弥陀如来、太子誕生像、並河喜庵像(施主)なども祀る。伝授堂とも。1895年(明治28年)再建。(禅林寺誌)
講堂 1828年(文政11年)再建。(禅林寺誌)現存しない?
祖廟堂 法然 法然の「梵字形大師心骨」を祀るという。証空が生涯供養していた。左に証空、右に浄音、阿弥陀如来坐像を祀る。1764年(明和1年)8月再建。1895年(明治28年)2月増築。(禅林寺誌)廃絶して代わりに多宝塔が建てられた?
茶所 旧伝法堂(禅林寺誌)
教会所 1834年(天保5年)5月建立。1895年(明治28年)北野祥光寺から移築。(禅林寺誌)
勧学院 1572年(元亀3年)9月、正親町天皇が綸旨を下して設置。再建。(禅林寺誌)
弁天堂
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弁財天 1866年(慶応2年)再建。(禅林寺誌)
鎮守
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熊野、日吉、赤山、八幡、大神宮、春日、北野、祇園、稲荷 1497年(明応6年)創建。九社を祀る。熊野、日吉、赤山、八幡、大神宮、春日、北野、祇園、稲荷。(禅林寺誌)春日社とも呼ばれる。
古方丈
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浴室
庫裏
鶴寿台
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大玄関
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寺務所
宗務所 聖峰閣にある
聖峰閣
開山堂
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多宝塔
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位牌堂
画仙堂
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1914年、鈴木松僊の発願で建立
千仏洞
清和天皇髪塔 清和天皇 治定外
後三条天皇骨塔 後三条天皇 治定外
聖衆来迎院 廃絶。
永観堂会館
図書館
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南門
禅林寺・南門 (1).JPG

子院

  • 智福院:現存
  • 帰命院:
  • 真善院:
  • 信行律院:浄土律律院
  • 東南院:永観が創建。
  • 薬王院:
  • 松岳院:近年廃絶。松岳庵
  • 花月庵:
  • 井正庵:
  • 円覚寺:宗叡が創建。現在は京都府京都市右京区嵯峨水尾宮ノ脇町にある。

組織

歴代住職

  • 古代は座主と呼ばれた。現在は法主と称す。現在は浄土宗西山禅林寺派管長を兼務する。
  • 五十嵐隆明2018『京都永観堂禅林寺史』などに基づく。稲村修道1913『禅林寺誌』も参照。
  • 江戸時代に54世霊空是堪が1752年(宝暦2年)に執筆した『禅林寺正選歴代記』が基になっている。他に『禅林寺歴代前記』、『禅林寺歴代後記』がある。
  • 古代~中世の史料としては『石山寺座主并禅林・観心両寺座主相承次第』[1]があるが別に掲げる。
世数 生没年 在職年 略歴
1 真紹 797-873 空海の弟子。東寺二長者。真紹僧都。禅林寺僧都。石山僧都。『歴代前記』に1世。『歴代後記』に1世。
2 宗叡 809-884 真紹の甥。真如法親王に随従して入唐。帰国。東大寺別当(??)。東寺長者。京都・円覚寺開山となる。宗叡僧正。禅林寺僧正。後入唐僧正。『歴代前記』に2世。『歴代後記』に2世。
3 真如法親王 799-865? 平城天皇皇子。インドを目指し入唐し行方不明になる。実際には住職になっていないが真紹、宗叡に縁のある人物であることから偲んで一世に数えたという。『歴代前記』に歴代外で記載。『歴代後記』になし。
4 安載 生没年不詳 安載内供。『歴代前記』になし。『歴代後記』になし。
(寛空) 884-972 寛空僧正。『歴代前記』に3世。『歴代後記』になし。
(寛忠) 906-977 敦固親王(宇多天皇皇子)の王子。寛忠僧正。『歴代前記』に4世。『歴代後記』になし。
(元果) 914-995 元果僧都。短期間のため一世とせず。「元杲」か。『歴代前記』に5世。『歴代後記』になし。
(明観) 953-1021 佐忠王(醍醐天皇皇子)の王子。醍醐寺11世。明観僧正。(略歴は醍醐寺#組織を参照)『歴代前記』に6世。『歴代後記』になし。
5 深覚 955-1043 勧修寺長吏。東大寺別当60世・62世・68世。東寺長者。『歴代前記』では「保覚」。(略歴は勧修寺#組織を参照)『歴代前記』に7世。『歴代後記』に3世。
6 深観 1001-1050 花山天皇第4皇子。東大寺別当73世。東寺長者。金剛峰寺座主。深観僧都。坐禅院僧都。宮大僧都。(略歴は東大寺#組織を参照)『歴代前記』に8世。『歴代後記』に4世。
(覚源) 1000-1065 花山天皇皇子。東大寺別当77世。覚源僧正。(略歴は東大寺#組織を参照)『歴代前記』に9世。『歴代後記』になし。
(義範) 1023-1088 性信の弟子。『歴代前記』に10世。『歴代後記』になし。
7 永観 1032-1111 禅林寺中興。三論宗の僧侶。長座念仏して舎利の倍増を得る。念仏行道に励むとき、阿弥陀像が先を走り、振り向き「永観遅し」と言ったという。永観堂の名の由来。永観律師。以降、浄土教の寺院となる。東大寺別当83世。(略歴は永観旧跡を参照)『歴代前記』に11世。『歴代後記』に5世。
(勝覚) 1058-1129 東寺長者。醍醐寺座主。東大寺別当。広隆寺別当。『歴代前記』に12世。『歴代後記』になし。
8 覚叡 生没年不詳 覚叡阿闍梨。『歴代前記』に13世。『歴代後記』になし。
(元海) 1094-1157 東寺長者。醍醐寺座主。『歴代前記』に14世。『歴代後記』になし。
(良深) 1025-1077 東寺長者。昭登親王王子。深覚、深観の弟子。『歴代前記』に15世。『歴代後記』に7世。
(尊誉) 生没年不詳 『歴代前記』に16世。『歴代後記』に8世。
9 永恵 生没年不詳 永恵上人。『歴代前記』になし。『歴代後記』に11世。
10 珍海 1091-1152 照登親王(花山天皇皇孫)の王子。あるいは仏画土佐派始祖の藤原基光の子。仏画に長けた。珍海已講。禅林寺僧都。『歴代前記』になし。『歴代後記』に6世。
(覚誉) 生没年不詳 『歴代前記』に17世。『歴代後記』に9世。
(勝賢) 1138-1196 東寺長者。醍醐寺座主。東大寺別当。信西の子。『歴代前記』に18世。『歴代後記』になし。
11 法然 1133-1212 浄土宗開祖。実際には住職になっていないが、浄土宗に帰したのち一世に数える。諡号は円光大師。『歴代前記』になし。『歴代後記』になし。
12 静遍 1166-1224 1166年(仁安1年)生。仁和寺出身の真言僧だったが、禅林寺の寺伝では法然の著書を読み帰依したという。源頼朝の帰依を受けたという。静遍僧都。1224年(元仁1年)4月20日死去。『歴代前記』に20世。『歴代後記』に12世。
13 証空 1177-1247 浄土宗西山流の開祖。1177年(治承1年)生。1247年(宝治1年)11月26日死去。西山国師。『歴代前記』になし。『歴代後記』に13世。
14 道誉 1179-1240 天台宗の僧侶。藤原兼房の子。1179年(治承3年)生。園城寺にいた。禅林寺僧正。道誉僧正。1240年(仁治1年)9月5日死去。『歴代前記』になし。『歴代後記』になし。
15 道智 1217-1269 天台宗の僧侶。摂政九条道家の子。1217年(建保5年)生。園城寺長吏。死後、その霊が怪異を起こしたため、近くに離宮禅林寺殿を建てた亀山天皇が慰めるために無関普門を招いて堂宇を設けたのが南禅寺の始まりという。現在、南禅寺の鎮守神として塔頭最勝院に祀られている。道智僧正。狛僧正。駒僧正。御霊神。1269年(文永6年)3月3日死去。『歴代前記』に19世。『歴代後記』に10世。
16 永空正覚 ?-1259 1259年(正元1年)9月2日死去。『歴代前記』に25世。『歴代後記』に19世。
17 法興浄音 1201-1271 西谷流の開祖。証空の弟子。1201年(建仁1年)生。仁和寺の西側に京都・光明寺(西谷光明寺、新光明寺)を創建。1271年(文永8年)5月22日死去。智空。『歴代前記』になし。『歴代後記』に14世。
18 朝阿観智 ?-1313 西谷光明寺2世。1313年(正和2年)6月12日死去。光空。『歴代前記』になし。『歴代後記』に15世。
19 覚融行観 1241-1325 西谷光明寺3世。1241年(仁治2年)生。観智の弟子。関東に布教に進出し、武蔵・光明寺(鵜木光明寺)を創建。西山派の教学を大成。1325年(正中2年)6月9日死去。『歴代前記』になし。『歴代後記』に16世。
20 覚願 生没年不詳 『歴代前記』に31世。『歴代後記』に20世。
21 覚生 ?-1271 1271年(文永8年)6月9日死去。『歴代前記』に21世。『歴代後記』になし。
(道範) 1178?1252 金剛峰寺執行。静遍に学ぶ。『歴代前記』に22世。『歴代後記』になし。
(成賢) 1162?1231 醍醐寺座主。東寺三長者。勝賢に師事。『歴代前記』に23世。『歴代後記』になし。
(道教) 1200?1236 成賢に師事。『歴代前記』に24世。『歴代後記』になし。
(憲深) 1192?1263 醍醐寺座主。成賢に師事。『歴代前記』に26世。『歴代後記』になし。
(実深) 1206?1274/77 醍醐寺座主。東寺三長者。成賢、憲深に師事。『歴代前記』に27世。『歴代後記』になし。
(実勝) 1241?1291 醍醐寺座主。親快に師事。『歴代前記』に28世。『歴代後記』になし。
(頼瑜) 1226?1304 大伝法院学頭。実勝に師事。『歴代前記』に29世。『歴代後記』になし。
(聖雲親王) 1271-1314 醍醐寺座主。亀山天皇皇子。実勝に師事。『歴代前記』に30世。『歴代後記』になし。
22 観意 ?-1347 1347年(正平2年/貞和3年)10月31日死去。『歴代前記』に32世。『歴代後記』になし。
(聖尊親王) 1304?1370 醍醐寺座主。後二条天皇の皇子。賢助に師事。聖尊法親王。『歴代前記』に33世。『歴代後記』になし。
(弘顕) 生没年不詳 『歴代前記』に34世。『歴代後記』になし。
(広済) 生没年不詳 『歴代前記』に35世。『歴代後記』になし。
(広鑁) 生没年不詳 『歴代前記』に36世。『歴代後記』になし。
(広喜) 生没年不詳 『歴代前記』に37世。『歴代後記』になし。
(円慈) 生没年不詳 般舟院開山の恵篤善空か。1412-1492 『歴代前記』に38世。『歴代後記』になし。
23 観教 ?-1389 行観の弟子。鵜木光明寺から晋山。1389年(元中6年/康応1年)4月20日死去。『歴代前記』になし。『歴代後記』に17世。
24 道覚浄弁 ?-1395 鵜木光明寺から晋山。1395年(応永2年)8月15日死去。『歴代前記』になし。『歴代後記』になし。
25 識阿空寂 ?-1406 上野国に進出し、吾妻・善導寺を創建。1406年(応永13年)12月10日死去。『歴代前記』になし。『歴代後記』に18世。
26 宏空円光 ?-1420 吾妻善導寺2世。1420年(応永27年)11月7日死去。『歴代前記』になし。『歴代後記』になし。
27 光融妙静 ?-1428 「善導寺を創し」(『禅林寺誌』)とあるが、吾妻善導寺のことか。1428年(正長1年)2月29日死去(3月29日死去とも)。『歴代前記』になし。『歴代後記』になし。
28 空〓召運 ?-1463 尾張・曼陀羅寺開山天真乗運の弟子。曼陀羅寺2世。尾張常念寺を創建。1463年(寛正4年)4月14日死去。(〓は瑞のつくり+しんにょう )『歴代前記』になし。『歴代後記』になし。
29 在空栄運 ?-1472 天真乗運の弟子。二尊院の恵篤善空にも師事。1472年(文明4年)5月8日死去。『歴代前記』になし。『歴代後記』になし。
30 曉堂妙諫 ?-1491 1491年(延徳3年)2月29日死去。『歴代前記』になし。『歴代後記』になし。
31 撮堂賢立 ?-1488 吾妻善導寺から晋山。1488年(長享2年)7月13日死去。『歴代前記』に39世。『歴代後記』に21世。
32 天承祐音 ?-1505 尾張曼陀羅寺から晋山。「永承祐音」は誤りか1505年(永正2年)9月22日死去。『歴代前記』に40世。『歴代後記』に22世。
33 一冲融舜 ?-1523 尾道宝土寺から晋山。「一沖融舜」1523年(大永3年)11月18日死去(1524年(大永4年)とも)。『歴代前記』に41世。『歴代後記』に23世。
34 舜叔宏善 ?-1557 伽藍を復興。『禅林寺縁起』を作成。粟生光明寺18世を兼任。1557年(弘治3年)7月23日死去。『歴代前記』に42世。『歴代後記』に24世。
35 実空顕貞 ?-1564 京都善長寺から晋山。1564年(永禄7年)7月13日死去。『歴代前記』に43世。『歴代後記』に25世。
(明空真鏡) ?-1580 1580年(天正8年)死去。『歴代前記』に44世。『歴代後記』に27世。
(超月幽隆) 生没年不詳 『歴代前記』に45世。『歴代後記』に26世。
36 智空甫叔 ?-1586 紀伊・総持寺から晋山。実父が建てた醍醐融雲寺の開山となる。引退しようとした時、正親町上皇が綸旨を下して留めたといい、「御留の綸旨」と言って現存するという。弟子に安楽庵策伝がいる。1586年(天正14年)6月2日死去。『歴代前記』に46世。『歴代後記』に28世。
(沢良) 生没年不詳 祐福寺12世の沢良教雲か。『歴代前記』に47世。『歴代後記』に29世。
37 果空俊式' ?-1623 紀伊総持寺から晋山。徳川家康と二条城で面会し、当流総本寺と認められ、西山派諸法度を受けたという。本堂、御影堂などを再建。「杲空俊弌」1623年(元和9年)9月2日死去。『歴代前記』に48世。『歴代後記』に30世。
38 頂空寿仙 ?-1618 京都万年寺を創建。1618年(元和4年)2月15日死去。『歴代前記』に49世。『歴代後記』に31世。
(諫空舜有) 生没年不詳 桑名浄土寺4世。『歴代前記』に50世。『歴代後記』に32世。
(空眼行清) 生没年不詳 紀伊総持寺14世。善導寺12世。『歴代前記』に51世。『歴代後記』に33世。
(道空俊長) 生没年不詳 粟生光明寺30世の道空純長(?-1638)か。『歴代前記』になし。『歴代後記』に34世。
(快空祈践) 生没年不詳 名古屋西光院6世か。『歴代前記』になし。『歴代後記』に35世。
39 行空龍道 ?-1635 越前・安養寺から晋山。1635年(寛永12年)5月3日死去。『歴代前記』に52世。『歴代後記』に36世。
(澄空寿全) 生没年不詳 頂空寿仙と同一か。奈良称名寺に住す。智空甫叔に師事。(日本仏家人名辞書)『歴代前記』になし。『歴代後記』に37世。
(泰空政山) 生没年不詳 伊勢盛広院に住す。『歴代前記』になし。『歴代後記』に38世。
40 真空久円 ?-1645 堺・十万寺(北十万)に住し、紀伊総持寺を経て晋山。光林寺(京都か)に引退1645年(正保2年)4月6日死去。『歴代前記』に53世。『歴代後記』に39世。
41 月空清感 ?-1599 安芸・誓願寺から晋山。1599年(慶長4年)1月8日死去。『歴代前記』に54世。『歴代後記』に40世。
42 積峰慶善 ?-1658 桑名・浄土寺から晋山。1658年(万治1年)2月22日死去。『歴代前記』に55世。『歴代後記』に41世。
43 圭道秦〓 ?-1665 三河・崇福寺から晋山。紫衣参内の綸旨を得る。本堂再興。本堂と御影堂の間の廊下を作る。江戸で客死。〓は王+賛。「圭道泰〓」。1665年(寛文5年)6月10日死去。『歴代前記』に56世。『歴代後記』に42世。
44 養空霊徹 ?-1679 越前・長寿院(現在、明石に移転)から晋山。常紫衣の許可を得る。1679年(延宝7年)1月13日死去。『歴代前記』に57世。『歴代後記』に43世。
45 寰空貞凖 ?-1685 桑名浄土寺から尾張曼陀羅寺に転じたのち晋山。1685年(貞享2年)3月22日死去。『歴代後記』に44世。
46 是空回隆 ?-1704 伊勢養草寺、三河・法蔵寺を経て晋山。引退して摂津浄橋寺に住す。1704年(宝永1年)1月3日死去。『歴代後記』に45世。
47 太空湖南 ?-1697 淡路日光寺から晋山。江戸で1697年(元禄10年)10月死去。『歴代後記』に46世。
48 天空助三 ?-1710 大津九品寺、桑名浄土寺を歴任して当寺に晋山。本堂再興。1710年(宝永7年)12月16日死去。『歴代後記』に47世。
49 三空普及 ?-1720 播磨如来寺から晋山。信行庵(不詳)に隠居。1720年(享保5年)11月4日死去。『歴代後記』に48世。
50 浣谿炬範 ?-1725 熱田正覚寺、曼陀羅寺を経て晋山。醍醐一音寺に隠居。1725年(享保10年)7月24日死去。
51 乙空恵海 ?-1724 美濃慈恩寺、伊勢養草寺を経て晋山。1724年(享保9年)8月6日死去。
52 台空阿三 ?-1724 京都休務寺、播磨法界寺を歴任して晋山。1724年(享保9年)9月24日死去。
53 演空良義 ?-1738 桑名薬師寺、高砂十輪寺を経て晋山。御影堂を修復。延寿寺に退隠。1738年(元文3年)11月29日死去。
54 霊空是堪 1678-1761 1678年(延宝6年)生。伊勢大林寺、桑名浄土寺を経て晋山。信行庵(不詳)に隠居。1752年(宝暦2年)『禅林寺正選歴代記』を執筆し、現在の住職歴代の基礎となる。1761年(宝暦11年)7月22日死去。
55 英空灌龍 ?-1754 曼陀羅寺から晋山。1754年(宝暦4年)6月26日死去。
56 瑞空愿亮 ?-1764 播磨利生寺から晋山。書に優れたという。1764年(明和1年)3月18日死去。
57 貫空巨道 ?-1768 美濃立政寺から晋山。1768年(明和5年)7月28日死去。
58 盤空有倫 ?-1780 淡路日光寺から晋山。1780年(安永9年)10月18日死去。
59 霊空万瀏 ?-1787 播磨利生寺から晋山。仏陀寺で1787年(天明7年)10月4日死去。
60 攀空泰凖 ?-1795 1795年(寛政7年)11月27日死去。
61 綜空練耕 ?-1810 祐福寺から晋山。1810年(文化7年)5月24日死去。
62 澹空旭応 1740-1822? 1740年(元文5年)生。書家・画家としても知られる。岳陽と号す。1822年(文政5年)10月10日山科来迎寺で死去?。83歳。著書に『往生論註疏』。1821年(文政4年)3月20日死去?
63 誠空義諦 ?-1832 利生寺から晋山。播磨で死去。1832年(天保3年)1月3日死去。
64 実空俊瑞 ?-1841 正覚寺から晋山。専求寺で死去。1841年(天保12年)5月17日死去。
65 水空洗懐 ?-1841 越前安養寺から晋山。1841年(天保12年)9月6日死去。
66 観空照〓 ?-1848 十輪寺から晋山。〓は王+(隣のつくり)1848年(嘉永1年)7月25日死去。
67 仁空観識 ?-1855 祐福寺から晋山。祥光寺に退隠。尾張極楽寺で1855年(安政2年)9月22日死去。
68 恬空泰然 ?-1861 越前安養寺から晋山。1861年(文久1年)11月26日死去。
69 万空霊円 ?-1862 伊勢大林寺から晋山。1862年(文久2年)12月22日死去。
70 淵空旭泉 ?-1866 曼陀羅寺から晋山。1866年(慶応2年)5月17日死去。
71 徹空俊玉 ?-1881 東山天華。近代日本で最初の公立精神病院「京都癲狂院」を建てたという。西福寺で1881年(明治14年)7月22日死去。
72 亀空観鏡 ?-1889 佐幹観鏡。曼陀羅寺から晋山。1889年(明治22年)5月23日死去。
73 洪空基範 ?-1885 柴田基範。初の公選。美濃立政寺から晋山。1885年(明治18年)6月7日死去。著書『当麻曼荼羅講説』[2]
74 恭空儼敬 ?-1891 吉谷恭空。美濃立政寺から晋山。1891年(明治24年)4月28日死去。
75 範空亮弁 ?-1907 清水亮弁。美濃立政寺から晋山。1907年(明治40年)9月26日死去。
76 超空亮厳 1852-1920 1908-? 近藤亮厳。自坊は兵庫阿弥陀寺。1852年(嘉永5年)生。1908年(明治41年)禅林寺法主。御影堂再建。法然700回大遠忌執行。1920年(大正9年)9月1日死去。耆山と号す。著書『耆山語録』『法のおさらえ』。
管長代務 1848-1924 1920-1920 青井俊法。1920年(大正9年)9月4日管長代務者就任認可(官報)。
77 才空俊法 1848-1924 1920-? 青井俊法。自坊は金沢光覚寺。1848年(嘉永1年)生。1920年(大正9年)9月4日管長代務者就任認可(官報)。同年11月8日管長就任認可(官報)。のち辞職。1924年(大正13年)6月10日死去。
管長事務取扱 生没年不詳 1924-1924 酒見真功。1924年(大正13年)6月6日管長事務取扱就任認可(官報)。のち辞職。
78 大空圭学 ?-1933 1924-? 祖父江圭学。1924年(大正13年)9月29日管長就任認可(官報)。1933年(昭和8年)3月31日死去。
管長事務取扱 生没年不詳 1929-1929 藤原齢教。1929年(昭和4年)11月6日管長事務取扱就任認可(官報)。
79 照空玄光 ?-1938 1929-? 大西玄光。自坊は下京区専求寺。1929年(昭和4年)12月28日管長就任認可(官報)。のち辞職。1938年(昭和13年)3月22日死去。
管長事務取扱 (顕空隆明) ?-1955 1936-1936 柴田隆明。1936年(昭和11年)6月12日管長事務取扱就任認可(官報)。
80 普空朴聞 1871-1939 1936-1939 淵江朴聞。広島県出身。1871年(明治4年)生。宗学本校卒。1936年(昭和11年)8月21日管長就任認可(官報)。在任中、1939年(昭和14年)9月29日死去。69歳。
管長事務取扱 (顕空隆明) ?-1955 1939-1939 柴田隆明。1939年(昭和14年)10月4日管長事務取扱就任認可(官報)。
81 顕空隆明 ?-1955 1939-? 柴田隆明。自坊は融雲寺。1936年(昭和11年)6月12日から8月21日まで管長事務取扱就任認可(官報)。1939年(昭和14年)10月4日管長事務取扱就任認可(官報)。同年12月13日管長就任認可(官報)。1955年(昭和30年)1月30日死去。77歳。
82 軌空隆範 1885-1965 伊藤隆範。自坊は京都安養寺。三重県出身。1885年(明治18年)生。1965年(昭和40年)3月2日死去。伊藤天力。
83 然空準良 ?-1967 五十嵐準良。自坊は養福寺。1967年(昭和42年)9月16日死去。80歳。
84 教空亮明 ?-1986 ?-1983 三輪亮明。1986年(昭和61年)5月15日死去。
85 英空儼雄 ?-1994 1983-1988 久我儼雄。自坊は等善寺。1983年(昭和58年)から1988年(昭和63年)まで禅林寺法主。1994年(平成6年)2月6日死去。
86 鑁空観堂 ?-2010 1899-1993 丹羽観堂。自坊は愛知長善寺。1899年(明治32年)から1993年(平成5年)まで禅林寺法主。2010年(平成22年)4月7日死去。93歳。
87 東空凖玄 1918-2007 1993-2000 森凖玄。自坊は岐阜光照寺。岐阜県出身。1918年(大正7年)生。11歳で出家。第二次世界大戦で従軍し戦犯となる。1947年(昭和22年)復員。1967年(昭和42年)宗学院講師。1977年(昭和52年)2月、立政寺貫主。1993年(平成5年)11月17日から2000年(平成12年)1月31日まで禅林寺法主。2007年(平成19年)2月11日死去。90歳。輪山東空。
88 徹空隆明 1933-2024 2000-2005 五十嵐隆明。自坊は養福寺。1933年(昭和8年)生。龍谷大学文学部卒。1993年から2000年まで宗務総長。2000年(平成12年)から2005年(平成17年)まで禅林寺法主。同和園理事長。2024年10月28日死去。
89 修空善龍 1918-2012 2005-2010 小木曽善龍。自坊は京都香泉寺。1918年(大正7年)生。2005年(平成17年)から2010年(平成22年)まで禅林寺法主。2012年(平成24年)2月16日死去。94歳。
90 恭空玄礼 1941- 2010-2018 中西玄礼。自坊は姫路大覚寺。1941年(昭和16年)生。1963年(昭和38年)龍谷大学仏教学部仏教学科卒。1965年(昭和40年)大学院修了。1981年(昭和56年)大覚寺住職。2010年(平成22年)から2018年(平成30年)まで禅林寺法主。
91 儼昭 1950- 2018-2023予定 久我儼昭。自坊は等善寺。1950年(昭和25年)生。1975年(昭和50年)龍谷大学大学院文学研究科修了。宗務総長・執事長を経て2018年(平成30年)6月1日禅林寺法主。

歴代座主

  • 古代の真言宗時代の禅林寺座主歴代。
  • 『石山寺座主并禅林・観心両寺座主相承次第』[3]より
  • 石山寺観心寺を兼務していたらしい。
  • 『日本仏家人名辞書』『望月仏教大辞典』掲載の「禅林寺門跡一覧」は無視した。
世数 生没年 在職年 略歴
1 真紹 797-873
2 宗叡 809-884
3 峰教 宗叡の弟子。898年(昌泰1年)東寺三長者。908年(延喜8年)4月29日死去。75歳。
4 禅安 宗叡の弟子。914年(延喜14年)3月3日死去。
5 円性 峰教の弟子。
6 神行 峰教の弟子。
7 神予
8 神隆
9 円明
10 寛忠 906-977 敦固親王第三王子。石山寺座主4世。
11 深覚 955-1043 石山寺5世。
12 深観 1001-1050 東大寺別当。石山寺6世。
13 良深 1025-1077 石山寺7世。
14 覚任 1088-1152 般若寺別当。東寺三長者。石山寺8世?。
15 実意 石山寺9世。
16 公祐 石山寺10世。
17 範賢 石山寺11世。
18 公深 石山寺12世。
19 長厳 1152-1228 東寺教令院を創建か。石山寺座主(歴代外?)。承久の乱で配流。
20 能意
21 教深 石山寺13世。
22 実位 石山寺14世。
23 公遍 石山寺15世。
24 長能
25 守恵 生没年不詳 東寺長者。石山寺16世。
26 道朝 石山寺座主(歴代外?)
27 守恵 生没年不詳 再任。
28 道耀 1234-1304 東寺長者。
29 守恵 生没年不詳 再任。
30 益守 生没年不詳 東寺長者。石山寺17世。

画像


資料

史料・古典籍

  • 福田行慈・宇高良哲・中野正明共編1992『京都永観堂禅林寺文書』
  • 「禅林寺清規」:真紹。
  • 『禅林寺正選歴代記』:54世霊空是堪が1752年(宝暦2年)に執筆した。1985『西山禅林学報』18所収
  • 『禅林寺歴代前記』:1985『西山禅林学報』18所収
  • 『禅林寺歴代後記』:1985『西山禅林学報』18所収
  • 「禅林・観心両寺座主職相承次第」:東寺文書
  • 禅林図書館運営委員会編1987『禅林図書館蔵書目録』[4]
  • 若園善聡・湯谷祐三2000「資料翻刻・九品寺蔵『両本山〈禅林寺・光明寺〉諸末寺法末寺院牒』」『西山禅林学報』32
  • 『聖衆来迎山永観堂顧本尊略縁起』
  • 武内孝善1996「石山寺蔵『禅林寺内供宮灌頂日記・諸師灌頂太政官牒文』」『高野山大学論叢』31

図録など

  • 千葉そごう美術館編1998『京都・永観堂禅林寺展ー法然上人選択本願念仏集撰述800年記念』
  • 1996『図録ー京都永観堂禅林寺の名宝』:大阪市立美術館、東武美術館
  • 浄土宗西山禅林寺派総本山永観堂禅林寺開山真紹僧都1100年遠忌局文化部編著1988『美と歴史ー総本山永観堂禅林寺と末刹寺院の重要文化財』
  • 関口雄揮1998『画仙堂障壁画ー永観堂禅林寺』
  • 2021『國華』127巻2号「永観堂禅林寺特輯」

規則類

  • 浄土宗西山禅林寺派寺務所1925『浄土宗西山禅林寺派宗制宗規』[5]
  • 宗教法人浄土宗西山禅林寺派1990「宗教法人『浄土宗西山禅林寺派』規則」『愛知学院大学宗教法制研究所紀要ー宗教法制研究』40[6]
  • 宗教法人浄土宗西山禅林寺派1990「浄土宗西山禅林寺派宗制」『愛知学院大学宗教法制研究所紀要ー宗教法制研究』40[7]

禅林寺文書

  • 福田行慈・宇高良哲・中野正明共編1992『京都永観堂禅林寺文書』
  • 小笠原宣秀1938「禅林寺所蔵『念仏感応伝』に就いて」『龍谷学報』322
  • 稲垣真哲1958「禅林寺古文書の解説」『西山禅林学報』
  • 西本全秀1981「『新書写請来法門等目録』の撰者再考ー付論『禅林寺入蔵目録』解題」『仏教学会報』
  • 笹田教彰1988「禅林寺蔵『往生講私記』」『仏教大学仏教文化研究所年報』5
  • 李正模1990「禅林寺の古鈔本『無量寿経宗要』と諸本との対照研究」『仏教大学大学院研究紀要』18[8]
  • 村上真瑞1991「禅林寺所蔵『釈浄土群疑論』元徳版について」『宗教研究』287
  • 村上真瑞1991「禅林寺所蔵『釈浄土群疑論』元徳版について」『仏教大学仏教文化研究所所報』9
  • 富永真光2000「新出隆寛作『往生礼賛問答』ー『京都永観堂禅林寺文書』から」『西山禅林学報』26
  • 坂井孝次2003「大字仮名の先駆者ー京都・永観堂禅林寺所蔵檜原・いろは歌をめぐって」『福岡教育大学紀要ー第5分冊ー芸術・保健体育・家政科編』52
  • 大村拓生2017「禅林寺文書ー売券の観察から」『中世地下文書の世界―史料論のフロンティア』
  • 鍵和田聖子2019「重誉記『大乗玄論二諦章私記』の発見ー京都・禅林寺蔵新出文献の検討」『印度学仏教学研究』67巻2号[9]
  • 鍵和田聖子2019「重誉記『大乗玄論二諦章私記』の発見」『印度学仏教学研究』147
  • 馬部隆弘2020「京都永観堂禅林寺文書補遺ー『甫叔上人祠堂之書物』の紹介」[10]


  • 篠田孝源1956「蓮門課誦による法式」『西山禅林学報』2
  • 桜井達定1966「曼陀羅宏善鈔について」『西山学報』17

寺史

  • 青井俊法編1895『京都東山永観堂禅林寺略伝』[11]
  • 稲村修道1913『禅林寺誌』[12]
  • 柴田隆明[述]ほか1936『禅林寺事蹟と大曼荼羅について・鹿ケ谷法然院略史』[13]
  • 辻田稔次1960「尊氏と禅林寺」『西山禅林学報』6
  • 上田良準1963「室町期における西山西谷義吾妻教系の京都進出」『印度学仏教学研究』11巻2号[14]
  • 清風会1971『禅林寺(永観堂)』
  • 高橋良和1979『永観堂・禅林寺』
  • 田辺英夫1988「西山派法度成立過程について」『西山学報』36
  • 田辺英夫2006「近世西山派における両本山の成立」『仏教文学芸能』
  • 井上慶龍1985「東国に於ける西谷教団の形成について」『西山禅林学報』18
  • 小山田和夫1989「禅林寺創建と真紹」『西山禅林学報』22
  • 1990『永観堂禅林寺』
  • 豊田元彦1998「近世西山派西谷義本末制度の諸問題」『西山禅林学報』
  • 若園善聡2020「中世における浄土宗の一様相ー禅林寺と知恩院の兼帯」『深草教学』31
  • 梅原猛監修・小木曽善龍・安部龍太郎2007『禅林寺(古寺巡礼京都ー新版7)』
  • 2005『永観堂ものがたり』
  • 2017『永観堂話譚』
  • 五十嵐隆明2018『京都永観堂禅林寺史』
  • 水野克比古・水野秀比古ほか2019『永観堂禅林寺』
  • 鷹橋忍2021「永観堂を浄土宗にー“平家の生き残り”静遍僧都の生涯」『歴史街道』403
  • 鷹橋忍2025「千年以上続く古刹・禅林寺の基礎を築いた二人の僧侶」『歴史街道』
  • 池西亮俊・岸野亮淳1974『楽譜による六時礼讃ー浄土宗西山禅林寺法式』

宗叡関係

  • 頼富本宏1992「宗叡請来の密教図像」『成田山仏教研究所紀要』15
  • 頼富本宏1994「宗叡請来の密教図像」『密教大系』11
  • 鍵和田聖子2018「禅林寺宗叡請来資料の後代への影響ー理趣経十八会曼荼羅と『理趣経秘要抄』を中心に」『印度学仏教学研究』66巻2号[15]
  • 1934「禪林寺宗叡僧正請来蘇悉儀軌契印」『ピタカ』

静遍関係

  • 中村正文1991「禅林寺静遍の提唱した教学について」『高野山大学論叢』26
  • 中村本然2003「禅林寺静遍の草木非情成仏説について」『日本仏教学会年報』68[16]

永観関係

  • 藤堂恭俊1957「禅林寺永観律師の浄土教思想」『日本仏教学会年報』22[17]
  • 大谷旭雄1973「禅林寺永観の本願思想--とくに第十八願を中心として」『大正大學研究紀要ー佛教學部・文學部』
  • 末木文美士1976「永観『阿弥陀経要記』逸文について」『印度学仏教学研究』25巻1号[18]
  • 石破洋1981「永観の迎講について」『印度学仏教学研究』30巻1号[19]
  • 五味文彦1983「永観と『中世』」『国立歴史民俗博物館研究報告』
  • 舎奈田智宏2007「南都浄土教における滅罪についてー永観を中心に」『仏教文化学会紀要』15[20]
  • 舎奈田智宏2008「永観の往生思想における難行・易行の関係」『仏教文化学会紀要』16[21]
  • 舎奈田智宏2011「永観の著作から見た臨終行儀」『印度学仏教学研究』59巻2号[22]
  • 舎奈田智宏2011「真言僧としての永観」『密教学研究』43
  • 北畠浄光2023「白河院政期における京周辺の仏事と聖の活動ー禅林寺永観の宗教的実践を手がかりに」
  • 北畠浄光2024「禅林寺永観の信仰とその実践ー帰住後の民間活動を中心に」『眞宗研究ー眞宗連合學會研究紀要』

美術

  • 岡崎信好1778『扶桑鐘銘集』4巻[23]
  • 北進一1997「阿弥陀はなぜ振り向くのか?ー四川省安岳円覚洞の見返り阿弥陀像と京都・永観堂のみかえり阿弥陀像の引路菩薩を介しての比較研究」『象徴図像研究』11[24]
  • 鹿島享1988「禅林寺の『阿弥陀二十五菩薩来迎図』に描かれた立体と空間の表現」『女子美術大学紀要』18[25]
  • 高岸輝2000「禅林寺本『融通念仏縁起』について」『初期土佐派を中心とする南北朝・室町前期やまと絵の研究』[26]
  • 小山清男2002「図学的仏画考6」『図学研究』36巻4号[27]
  • 伊東史朗1999「禅林寺阿弥陀如来立像(見返り阿弥陀)考ー続・三尺阿弥陀像への視点」『佛敎藝術』244
  • 渡辺明義1979「禅林寺蔵当麻曼荼羅の軸木銘について」『仏教芸術』122
  • 鍵和田聖子2016「京都・禅林寺蔵『金銅倍舎利塔(厨子入)』の制作背景」『龍谷大学仏教文化研究所紀要』54
  • 鍵和田聖子2021「密観宝珠形舎利容器の密教的背景」『密教図像』40
  • 米沢玲2020「研究ノートー二幅の不動明王画像ー禅林寺本と高貴寺本」『美術研究』430[28]
  • 石川温子2018「永観堂禅林寺所蔵『善導大師像』」『大阪市立美術館紀要』18[29]
  • 2021『國華』127巻2号「永観堂禅林寺特輯」

山越阿弥陀

  • 北澤菜月2003「禅林寺本山越阿弥陀図の位相ーその図像・表現・制作背景に関する再検討」
  • 辻本臣哉2017「禅林寺山越阿弥陀図ー証空及び天台本覚思想の影響についてー」『印度学仏教学研究』66巻1号[30]
  • 鈴木雅子2019「京都・禅林寺蔵『山越阿弥陀図』と来迎する持幡童子に関する研究」『鹿島美術財団年報』36別冊[31]
  • 大﨑聡子2020「禅林寺蔵『山越阿弥陀図』研究」『美術史学』

十界図

  • 大串純夫1990「十界図考」『地獄の世界』
  • 鷹巣純1991「禅林寺本十界図の図像をめぐる小考察」『美学美術史研究論集』9[32]
  • 釋真弥2009「禅林寺本十界図に描かれる稲荷社についての一考察」『西山学苑研究紀要』
  • 釋真弥2012「禅林寺所蔵のいわゆる『十王図』の制作背景」『密教図像』31

建築・景観

  • 岡野清1991「近世初期浄土宗本堂の研究ー近世浄土宗本堂の研究1」『日本建築学会計画系論文報告集』425[33]
  • 出村嘉史・川崎雅史・樋口忠彦2004「禅林寺・若王子神社周辺における昭和初期の景域形成に関する研究」『土木学会年次学術講演会概要集』59
  • 延原隆司2008「現場レポートー京都府禅林寺御影堂(祖師堂)ー白蟻の侵入経路と対策について」『文建協通信』
  • 鴨昌和2008「京都府禅林寺御影堂(祖師堂)修理について」『建築研究協会誌』
  • 菅野扶美2019「若王子神社(禅林寺新熊野社)の創始ー覚讃と後白河院」

参考文献

  • 中西随功監修、2011『証空事典』東京堂出版


脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%A6%85%E6%9E%97%E5%AF%BA」より作成

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