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山城・円覚寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年1月14日 (日)

京都・円覚寺から転送)
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円覚寺(えんがくじ)は、京都府京都市右京区嵯峨水尾宮ノ脇町(山城国葛野郡)にある清和天皇の菩提寺。本尊は薬師如来定額寺。もとは粟田口にあり、清和天皇はこの寺で崩御した。のち水尾山寺と合併した。清和天皇社と隣接し、近くには貞純親王墓(治定外)、清和天皇陵がある。山号は粟田山。(参考 同名寺院円覚寺

歴史

創建の事情ははっきりしない点も多い。藤原基経の山荘の粟田院が起源。元慶3年(879)5月、離宮清和院から清和上皇が移って出家し、御所を円覚寺と称した。禅林寺2世の宗叡が戒師を務めた。宗叡は円覚寺僧正とも呼ばれ、円覚寺の開山だろうか。翌年12月、上皇はここで崩御。粟田山で火葬されたという。元慶5年、官寺となる。元慶6年、清和天皇忌が行われた。

跡地は不詳で、『国史大辞典』では左京区岡崎とする。一方、『日本歴史地名大系』「禅林寺」では禅林寺の寺内に元慶元年に建てられたとする。 清和天皇は粟田山で火葬されたというが、現在、清和天皇火葬塚金戒光明寺墓地にある。いずれも位置が一定しない。

寺院化した清和院とも密接な関係があった。天暦3年(949)、崩御した陽成上皇の遺骸を即日、円覚寺に奉安している(その後、神楽岡に埋葬)。四十九日法会も円覚寺でおこなった。 保元の乱では円覚寺に源為義がいたため、焼き討ちされた(兵範記)。『保元物語』では源義朝が為義の遺骸を円覚寺で火葬した。 応永27年(1420)、粟田円覚寺が焼失。水尾山寺に合併したという。

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