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豊国信仰
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年12月18日 (水)
(豊臣秀吉から転送)
豊臣秀吉(とよとみのひでよし)(1536-1598)は安土桃山時代の天下人・武将。豊国大明神として神格化された。 豊臣氏の祭祀も参照。正辰祭は豊国祭・太閤忌・太閤祭と呼ばれる。戒名は国泰祐松院殿雲山俊龍。
目次 |
信仰
木像
- 大宮神社像:高さ81.9cm。
- 西方寺像:京都・西方寺。1599年(慶長4年)、七条仏師の康住が造立。高さ81cm。
- 藤田美術館像:不詳。
- 大阪城天守閣像:高さ73.8cm。桃山時代。
- 理智院像:大阪府岬町の理智院。像高21.7cm。高さ63.6cmの宮殿に納められている。扉の内側に僧形像を描く。桑山重晴の発願で造立。桑山重晴像もある。
- 宝樹院像:兵庫県尼崎市宝樹院。宮殿入。理智院像に酷似。桑山重晴像もある。尼崎市指定文化財[1]。
- 珊瑚寺像:大阪府珊瑚寺。宮殿入。理智院像に酷似。桑山重晴寄進という。火災で焼失。
- 高台寺像:京都府京都市東山区。高さ約60cm。慶長年間か。
- 知善院像:滋賀県長浜市知善院。
- 弘前城像:現在は革秀寺蔵。弘前市指定有形文化財[2]。
- 徳島豊国神社像:徳島・豊国神社の御神体。1994年(平成6年)に調査が行われ、慶長年間の造立とみられるという。
- 常泉寺像:愛知県名古屋市中村区中村町。常泉寺。木食応其作と伝える。
画像
豊臣秀吉の神格化を示すものとして豊国大明神画像が挙げられる。慶長年間作とみられる初期の画像32点のうち24点が神殿内に秀吉が坐す画面構成を取っている。高台寺甲本など9本の構成が代表的なパターンで、頭部や手先に比べて身体を長大に描き、唐冠・直衣を着用し、軒、御簾、幕、勾欄を周囲に描く。このような武将像は秀吉像以前にはなかった。それまでの武将画像では上畳の上に人物を描き、背景や装飾を描かないのが普通だった。神格化した藤原鎌足を描く多武峰曼荼羅図や一部の天神像にみられる要素を取り込んで神格化を表現したとみられている。神殿内に描くことは急速に各大名家に広がり、武将神影像というジャンルが成立した。神道曼荼羅などの神像画でも社殿の中に人物像を描くことが多いが階段や狛犬を描くものも少なくない。しかし、初期の秀吉像32点には狛犬や階段を描くものは一つもなく系統が異なることを示す。東照大権現画像には狛犬と階段が描かれるようになり武将神影像のスタイルが完成する。
歴史
豊国大明神の神号の由来は日本国の上代の雅称「豊葦原中津国」に基づくという。『豊国大明神臨時御祭礼記録』に「日本之総名豊葦原中津国云へる故也。太閤大相国秀吉公者、依為和朝之主、奉号豊国大明神」とある。
一覧
- 京都豊国神社:京都府京都市東山区茶屋町。別格官幣社。別表神社。
- 大阪豊国神社:大阪府大阪市中央区大阪城。府社。
- 大阪城豊国神社:大阪府大阪市中央区大阪城。廃絶。
- 名古屋豊国神社:愛知県名古屋市中村区中村町木下屋敷。生誕地。
- 長浜豊国神社:滋賀県長浜市南呉服町。県社。
- 金沢豊国神社:石川県金沢市東御影町。郷社。
- 博多豊国神社:福岡県福岡市博多区奈良屋町。1886年(明治19年)創建。
- 徳島豊国神社:徳島県小松島市中郷町。蜂須賀家政が創建。のち日吉神社と称した。別当豊林寺があった。
- 海津豊国神社:岐阜県海津市平田町者結。この地の神保平内という人物が幼少の秀吉を預かっていたという。
- 松江豊国神社:島根県松江市西川津町市成。堀尾吉晴が創建するがすぐに廃絶。別当の願応寺は普門院として存続。
- 熊本豊国神社:熊本県熊本市中央区黒髪。加藤清正が1599年(慶長4年)創建。1615年(元和1年)頃廃絶。1925年(大正14年)、金箔を施した瓦が出土した。豊国大明神宮。(日本歴史地名大系)
- 豊島神社:長崎県長崎市琴海村松町。かつては豊国大明神と称した。朝鮮出兵と関連するか。(日本歴史地名大系)
- 境内社・小祠
- 秘密祭祀
同名
- 豊国神社:大分県中津市耶馬渓町東谷。詳細不明。(日本歴史地名大系)
- 豊国神社:岡山県美作市北山。郷社。惣社山王権現。(日本歴史地名大系)
- 豊国神社:滋賀県東近江市池庄町。1393年(明徳4年)以前の創建。池庄八幡社。豊国郷11村の産土神。(日本歴史地名大系)
- 豊国神社:新潟県上越市清里区馬屋。1909年(明治42年)、十二社に諏訪社・神明社・箱石社を合祀して改称。(日本歴史地名大系)
- 豊国神社:大阪府大阪市東淀川区大道南。大宮神社に合祀。(日本歴史地名大系)
資料
豊国神社を参照。