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法勝寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年9月15日 (木)
法勝寺(ほっしょうじ)は、平安京郊外の白河殿に付属した白河天皇の御願寺。天台宗。六勝寺の筆頭。本尊は毘盧遮那仏。巨大な八角九重塔があったことで知られる。黒谷流円頓戒を復興させた円観の拠点で、戒壇があった。
目次 |
歴史
白河天皇の発願で、1075年(承保2年)金堂造営に着手。翌年、阿弥陀堂起工。1077年(承暦1年)12月、金堂、講堂、阿弥陀堂、法華堂、五大堂が竣工。天皇行幸で伽藍供養。1083年(永保3年)に八角九重塔が竣工。常行堂、小塔院、不動堂などの伽藍が続々と完成したが九重塔などは再建を繰り返した。1326年(嘉暦1年)と1333年(元弘3年/正慶2年)、円観慧鎮が住して円頓戒復興の拠点とした。円観は、西教寺や鎮興寺、宝戒寺、等妙寺、加賀・薬師寺、帝釈寺、神蔵寺を末寺とした。南北朝時代、1342年(興国3年/康永1年)の大火災で主要伽藍を焼失。以降、整備されず、衰退した。その名称は、1590年(天正18年)に大津西教寺に継承された。一時、西教寺から滋賀院に名を移されたこともあったがまもなく西教寺に戻された。1972年(昭和47年)の発掘で池跡が、1975年(昭和50年)の発掘で金堂跡が見つかった。 (国史大事典)
近くに元応寺があった。
伽藍
- 金堂:本尊は毘盧遮那仏
- 講堂:本尊は釈迦如来。
- 阿弥陀堂:本尊は阿弥陀如来。
- 法華堂:七宝多宝塔を祀る
- 五大堂:本尊は五大明王。
- 八角九重塔:永保3年竣工。承元2年(1208)、落雷で焼失。健保元年(1213)、栄西が再建。文永5年(1268)落雷。暦応5年(1342)他の伽藍と共に焼失。
- 常行堂:
- 小塔院:
- 不動堂:
- 薬師堂
- 北斗堂
- 愛染堂
- 大湯屋
- 宝蔵
- 総社
組織
別当
- 覚円(1031-1098):園城寺長吏。1077年(承暦1年)、天台座主の命を受けるが、比叡山衆徒の反対で3日で辞職。同年12月、法勝寺別当。
- 覚猷(1053-1140):園城寺長吏。天台座主。四天王寺別当、証金剛院別当、梵釈寺別当などを歴任。
- 行尊(1055-1135):園城寺長吏。崇福寺別当、四天王寺別当、最勝寺別当、証菩提院別当、法成寺検校などを歴任。
- 寛助(1057-1125):真言宗僧。仁和寺別当、円教寺別当。円宗寺別当。東寺一長者。法務。広隆寺別当。1117年(永久5年)1月法勝寺別当。東大寺別当。
- 定遍(1133-1185):東寺長者。東大寺別当。1185年(文治1年)法勝寺別当。定遍方の祖。
- 公胤(1145-1216):園城寺長吏。1205年(元久2年)法勝寺別当。
住職
- 円観慧鎮
- 惟賢
- 昌俊
- 周興
- 雄盛()<>:延暦寺行光坊。1562年10月、西教寺真智に重戒灌頂を伝授。慶長2年8月12日、『法勝寺戒場記』を記す。
執行
- 静俊()<>:
- 静憲(1124-?)<>:天台宗。信西(藤原通憲)の子。後白河法皇に近侍。平治の乱で一時、丹波に配流。静賢とも。
- 俊寛(?-1179)<>:後白河法皇の近臣。「鹿ケ谷の陰謀」として喜界島に配流。
- 能円(1140-1199)<1179->:天台宗。藤原顕憲の子。平時子の異父弟。承明門院の父で、土御門天皇の外祖父。1179年、法勝寺執行。平家滅亡で備中配流。
- 尊長()<-1221->:一条能保の子。後鳥羽上皇の近臣。承久の乱の首謀者の一人とされる。
大勧進
- 栄西
- 円観慧鎮
参考文献
- 法勝寺の伽藍形態とその特徴
- 国史大事典