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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

石清水八幡宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年7月25日 (木)

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石清水八幡宮
いわしみず はちまんぐう
Iwashimizu-hachimangu 013.jpg参道にある伊勢神宮遥拝所
概要 八幡大神を祀る神社の代表的な神社。「二所宗廟」の一社。三大八幡宮の一社。
奉斎 品陀別命、息長帯姫命、比売神
(土岐昌訓論文)
所在地 京都府八幡市八幡高坊30
所在地(旧国郡) 山城国綴喜郡
所属(現在) 神社本庁
格式など 国史見在社二十二社朱印地拝領神社官幣大社別表神社勅祭社
関連記事 八幡信仰石清水八幡宮関連旧跡石清水八幡宮遷座旧跡応神天皇旧跡

石清水八幡宮(いわしみず・はちまんぐう)は、京都府八幡市にある八幡信仰の神社。皇祖神を祀る国家鎮護の神として伊勢神宮と合わせて二所宗廟と呼ばれた。僧行教が創建。歴代の天皇が行幸するなど篤く信仰。各地の所領に別宮と呼ばれる分社が建てられるとともに、源氏が篤く崇敬したことで武家の守護神として武将らが各地に分社を建てた。石清水祭(石清水放生会)は三勅祭の一つとして著名。男山八幡宮国史見在社二十二社朱印地拝領神社官幣大社別表神社勅祭社石清水八幡宮関連旧跡石清水八幡宮遷座旧跡応神天皇旧跡も参照。内侍所東幸旧跡

目次

歴史

境内

楼門内

頓宮

山内

歴代

別当

歴代 生没年 在職年 略歴 検校
1 安宗 813-887 863-887 紀氏。行教の甥で弟子。極楽寺を創建。863年(貞観5年)12月20日別当就任。仁和3年(887)9月19日死去。75歳。(石清水祠官系図)
2 蟠朗 ?-900 890-900 安宗の弟子。890年(寛平2年)8月10日別当就任。900年(昌泰3年)9月13日死去。(石清水祠官系図)
3 運真 ?-925 901-925 行教の弟子。901年(延喜1年)11月、別当就任。925年(延長3年)5月22日(23日とも)死去。(石清水祠官系図)
4 会俗 ?-929 925-929 安宗の甥で弟子。925年(延長3年)6月18日別当就任。929年(延長7年)1月23日死去。以後、僧侶でありながら妻帯し、会俗の子孫が別当を世襲する。(石清水祠官系図)
5 延晟 ?-933 930-933 紀氏。延栄の子。大安寺延瓊の弟子。幼少の頃、安宗に奉仕。930年(延長8年)8月14日別当就任。933年(承平3年)3月14日死去。(石清水祠官系図)
6 総祐 ?-934 934-934 会俗の弟子。934年(承平4年)4月29日別当就任。同年、八幡・妙楽寺を創建。同年8月14日死去。(石清水祠官系図、日本歴史地名大系)
7 定胤 ?-939 936-939 紀氏。東大寺真観の弟子。また延晟の弟子。936年(承平6年)2月21日別当就任。939年(天慶2年)9月4日死去。(石清水祠官系図)
8 清鑒 ?-945 939-945 紀氏。海印寺座主喜遍の弟子。939年(天慶2年)10月17日別当就任。945年(天慶8年)1月20日死去。(石清水祠官系図)
9 清昭 ?-963 945-961? 北遍の弟子。945年(天慶8年)11月4日別当就任。963年(応和3年)閏3月22日死去。(石清水祠官系図)
10 観康 ?-967 961-967 清岡氏。貞観寺座主斉教(斉救)の弟子。961年(応和1年)4月29日別当就任。同年、八幡・東三昧堂を創建。967年(康保4年)5月5日死去(11月5日とも)。(石清水祠官系図、日本歴史地名大系)
11 貞芳 ?-977 大中臣吉時の子。清昭の養子。954年(天暦8年)(?)8月5日別当就任。977年(貞元2年)12月26日、寺主平統に殺害された。(石清水祠官系図)
12 光誉 ?-995 検校15世。検校義海(天台座主)の弟子。995年(長徳1年)3月9日死去。(石清水祠官系図) 検校
13 聖清 ?-1013 983-994? 紀氏。925年(延長3年)生。法琳寺泰舜の弟子。983年(永観1年)7月4日別当就任。994年(正暦5年)6月29日別当辞任。995年(長徳1年)10月7日(21日とも)検校就任。1013年(長和2年)1月20日死去。89歳。(石清水祠官系図) 検校
14 暦雅 ?-995 994-995 994年(正暦5年)7月7日別当就任(宮寺縁事抄)。995年(長徳1年)8月22日死去(石清水祠官系図)。
15 朝鑑 ?-998 995-998 清昭の弟子。995年(長徳1年)10月7日別当就任。998年(長徳4年)1月21日別当退任。同年8月28日死去。(石清水祠官系図)
16 康平 ?-1001 997-1001 平氏。修理別当長昭の子。母は会俗の娘。997年(長徳3年)別当就任(朝鑑の任期と重なり矛盾するが不詳)。1001年(長保3年)7月26日死去。人徳があり、毘沙門天の化身だといわれる。(石清水祠官系図)
17 尋慶 ?-1013 1001-1013 聖清の弟子。1001年(長保3年)8月5日別当就任。1013年(長和2年)1月18日死去。(石清水祠官系図)
18 定清 ?-1030 1013-1023 紀氏。河内国司の紀正方の子。師は実因あるいは光誉。1013年(長和2年)1月25日別当就任。1023年(治安3年)7月、別当退任。1023年(治安3年)8月1日検校就任。1030年(長元3年)3月21日死去。(石清水祠官系図) 検校

(八幡別当次第[1]

検校

別当の上位に置かれた。別当と検校のどちらが執務を取るかその時その時で異なる。執務を行う者を社務(寺務、寺社務)と呼んだ。

宮司・大宮司

  • 田中有年(昇清)(~1886年(明治19年)4月10日):最後の検校。維新後、責任者である「社務職」に就くが、宮司職設置後には宮司には就いていない?
  • 松原貴速(1831-?)<1886-?>:明治前期の内務官僚・神職。没年不詳。(略歴は、広瀬神社#組織を参照)
  • 梅渓通治(1831年(天保2年)5月4日~1916年(大正5年)3月4日)<>:公卿。子爵。八十八廷臣の一人。維新後、教導職権中教正。伏見稲荷大社宮司。平野神社宮司。
  • 大貫真浦(1850年(嘉永3年)11月~1916年(大正5年)12月31日)<1894年(明治27年)~>:(略歴は、伏見稲荷大社#組織を参照)
  • 田中俊清(滋岡豊丸)(1868年(明治1年)~1947年(昭和22年))<1901年(明治34年)12月19日~1937年(昭和12年)8月27日>:大阪天満宮社家の滋岡家から養子。貴船神社宮司、若狭彦神社宮司を歴任後に就任。
  • 副島知一(1874年(明治7年)9月29日~1959年(昭和34年)6月11日)<1937年(昭和12年)8月~1957年(昭和32年)>:初代京都府神社庁長。
  • 田中文清(?~1999年(平成11年)5月)<1957年(昭和32年)~?>
  • 田中弘清(?~2014年(平成26年)7月8日)<1986年(昭和61年)~2001年(平成13年)>
  • 田中恒清(恆清)(1944年(昭和19年)6月30日~)<2001年(平成13年)~>:2010年(平成22年)、神社本庁総長。

少宮司・権宮司

  • 大畑弘国(1844年(弘化1年)2月28日~1913年(大正2年)3月24日)<1873年(明治6年)~1876年(明治9年)>:大畑春国の長男。
  • 西田福市(1891-1982)<>:(略歴は、伊奈波神社#組織を参照)

画像

参考文献

  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%9F%B3%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE」より作成

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