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石清水八幡宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年5月20日 (金)

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石清水八幡宮
いわしみず はちまんぐう
Iwashimizu-hachimangu 013.jpg参道にある伊勢神宮遥拝所
概要 八幡大神を祀る神社の代表的な神社。「二所宗廟」の一社。三大八幡宮の一社。
奉斎 品陀別命、息長帯姫命、比売神
(土岐昌訓論文)
所在地 京都府八幡市八幡高坊30
所在地(旧国郡) 山城国綴喜郡
所属(現在) 神社本庁
格式など 国史見在社二十二社朱印地拝領神社官幣大社別表神社勅祭社
関連記事 八幡信仰石清水八幡宮関連旧跡石清水八幡宮遷座旧跡応神天皇旧跡

石清水八幡宮(いわしみず・はちまんぐう)は、京都府八幡市にある八幡信仰の神社。皇祖神を祀る国家鎮護の神として伊勢神宮と合わせて二所宗廟と呼ばれた。僧行教が創建。歴代の天皇が行幸するなど篤く信仰。各地の所領に別宮と呼ばれる分社が建てられるとともに、源氏が篤く崇敬したことで武家の守護神として武将らが各地に分社を建てた。石清水祭(石清水放生会)は三勅祭の一つとして著名。男山八幡宮国史見在社二十二社朱印地拝領神社官幣大社別表神社勅祭社石清水八幡宮関連旧跡石清水八幡宮遷座旧跡応神天皇旧跡も参照。内侍所東幸旧跡

目次

歴史

境内

石清水八幡宮関連旧跡を参照

組織

石清水八幡宮広域(国土地理院空中写真より)
石清水八幡宮本社と頓宮(国土地理院空中写真より)
石清水八幡宮本社(国土地理院空中写真より)
石清水八幡宮頓宮(国土地理院空中写真より)
  • 検校
  • 別当
  • 権別当
  • 修理別当
  • 小別当
  • 神主
  • 俗別当:弁、史、在庁の3種があった。
  • 禰宜:大禰宜、小禰宜、他姓禰宜、六位禰宜が置かれた。
  • 上座:三綱の一。
  • 寺主:三綱の一。
  • 都維那:三綱の一。
  • 山上執行職
  • 山上御殿司
  • 山上入寺
  • 山上不出座
  • 山上五座:五師、例時衆、沙汰人、勾当、久住
  • 公文所
  • 絵所
  • 兼官
  • 判官
  • 御馬所


検校

別当の上位に置かれた。元命以前と以後で性格が変わり、運営に直接携わるようになった。9世光清以降は紀氏の世襲となった。別当と検校のどちらが執務を取るかその時その時で異なる。執務を行う者を社務(寺務、寺社務)と呼んだ。 (103世まで「小寺家本『石清水八幡宮略補任』」を参照。『石清水八幡宮史首巻』、「近世田中家歴代生没年」も参照)

  • 1:益信(827-906)<896>:東寺長者。紀氏真言宗僧侶。行教の弟。896年(寛平8年)検校。
  • 2:義海(871-946)<939>:天台座主。豊前国出身。天台宗僧侶。939年(天慶2年)2月28日検校。
  • 3:貞延(876-951)<945>:宇多法皇の皇子とも敦実親王の王子ともいう。876年(貞観18年)生。945年(天慶8年)11月4日検校。951年(天暦5年)12月9日死去。75歳。
  • 4:定杲(?-983)<968>:紀氏。神主5世紀良真の子。968年(安和1年)(970年(天禄1年)とも)、別当を経ずに検校。983年(永観1年)6月9日死去。
  • 5:光誉(?-995)<983>:紀氏。別当8世清鑑の子。983年(永観1年)7月検校。995年(長徳1年)3月9日死去。
  • 6:聖清(925-1013)<995>:紀氏。初代俗別当紀良常の子。995年(長徳1年)10月7日検校。
  • 7:定清(生没年不詳)<1023>:紀氏。聖清の子。一説に河内守正方の子。1023年(治安3年)8月1日、官符で検校。1030年(長元3年)(1039年(長暦3年)とも)3月21日死去。
  • 8:元命(971-1051)<1037?>:栗林氏。豊前講師賢高(栗林連卿の子)の子。仁和寺四宮御室の弟子。1037年(長暦1年)検校就任か。1051年(永承6年)8月29日、宇佐弥勒寺で死去。81歳。
  • 9:清成(1010-1067)<1062>:元命の次男。1062年(康平5年)4月27日検校。1067年(治暦3年)7月13日死去。58歳。
  • 10:光清(1084-1137)<1128>:垂井と号す。別当23世頼清の子。聖清の子孫。1128年(大治3年)10月21日検校。以後世襲。1137年(保延3年)9月24日死去。54歳。
  • 11:勝清()<1161>:園と号す。1161年(応保1年)1月24日検校。
  • 12:成清(1122-1199)<1192>:善法寺家初代。1192年(建久3年)2月3日検校。高野検校と号す。
  • 13:祐清(?-1221)<1209>:善法寺家。1209年(承元3年)9月17日検校。
  • 14:宗清(1190-1237)<1237>:田中家。1237年(嘉禎3年)4月23日検校。『宮寺縁事抄』を記す。
  • 15:棟清()<1238>:壇家初代。1238年(暦仁1年)8月4日(3日とも)検校。
  • 16:耀清()<1253>:善法寺家。1253年(建長5年)8月9日検校。
  • 17:宮清()<1255>:善法寺家。新善法寺と号す。1255年(建長7年)3月1日寺務執行。4月8日拝堂。9月3日検校。山井宮清。
  • 18:行清()<1278>:田中家。1276年(建治2年)10月13日寺務執行。1278年(弘安1年)6月26日検校。
  • 19:妙清()<1280>:壇家。1280年(弘安3年)5月23日(10月とも)検校。
  • 20:守清()<1282>:田中家。1282年(弘安5年)12月28日に御幸があり、29日に検校。
  • 21:妙清()<1283>:壇家。1283年(弘安6年)12月26日検校。1285年(弘安8年)11月25日(3日とも)検校。再任。
  • 22:尚清(1254-1320)<1295>:善法寺家。1295年(永仁3年)12月21日検校。1298年(永仁6年)12月18日辞任。山井尚清。
  • 23:妙清()<1298>:壇家。1298年(永仁6年)12月22日検校再任。
  • 24:朝清()<1305>:壇家。1305年(嘉元3年)10月4日妙清の譲りで検校。10月24日宣下で検校。
  • 25:尚清(1254-1320)<1308>:善法寺家。1308年(延慶1年)6月25日、極楽寺院主。同年12月8日検校再任。1312年(正和1年)8月4日辞退。
  • 26:堯清()<1312>:田中家。1312年(正和1年)8月6日検校。1314年(正和3年)12月8日辞退。
  • 27:朝清()<1314>:壇家。1314年(正和3年)12月検校再任。
  • 28:栄清()<1315>:善法寺家。駿河小路。1315年(正和4年)11月24日検校。
  • 29:朝清()<1316>:壇家。1316年(正和5年)3月30日検校。
  • 30:栄清()<1316>:善法寺家。1316年(正和5年)12月30日検校。
  • 31:尚清(1254-1320)<1318>:善法寺家。1318年(文保2年)4月5日検校。
  • 32:栄清()<1319>:善法寺家。1319年(元応1年)5月4日検校。
  • 33:尚清(1254-1320)<1319>:善法寺家。1319年(元応1年)9月22日検校。
  • 34:朝清()<1320>:壇家。1320年(元応2年)10月6日検校。
  • 35:堯清()<1320>:田中家。1320年(元応2年)12月6日検校。
  • 36:朝清()<1325>:壇家。1325年(正中2年)1月12日検校。
  • 37:栄清()<1327>:善法寺家。1327年(嘉暦2年)9月31日(20日とも)検校。
  • 38:通清()<1327>:善法寺家。入江、弥勒寺と号す。足利義満の外祖父。1327年(嘉暦2年)10月29日、別当を経ずに検校就任。1328年(嘉暦3年)10月3日辞任。
  • 39:瀧清()<1328>:竹家。1328年(嘉暦3年)10月3日、別当を経ずに検校。1292年(正応5年)生。1296年(永仁4年)11月11日権別当。1336年(延元1年/建武3年)9月4日死去。45歳。
  • 40:陶清()<1330>:田中家。1330年(元徳2年)4月3日検校。
  • 41:通清()<1331>:善法寺家。1331年(元徳3年)7月26日検校。
  • 42:陶清()<1336>:田中家。1336年(延元1年/建武3年)2月19日検校。
  • 43:通清()<1336>:善法寺家。1336年(延元1年/建武3年)6月6日検校。
  • 44:曩清()<1341>:平等王院家初代。1341年(興国2年/暦応4年)9月20日検校。
  • 45:康清()<1342>:新善法寺家初代。1342年(興国3年/康永1年)3月18日検校。宣下は22日(24日とも)。
  • 46:朗清()<1346>:竹西家。1346年(正平1年/貞和2年)1月11日検校
  • 47:曩清()<1350>:平等王院家初代。1350年(正平5年/観応1年)12月25日検校。
  • 48:朗清()<1352>:竹西家。1352年(正平7年/文和1年)1月1日再任。
  • 49:定清(1319-1366)<1352>:田中家。1352年(正平7年/文和1年)12月11日検校。
  • 50:朗清()<1353>:竹西家。1353年(正平8年/文和2年)6月12日検校。
  • 51:定清(1319-1366)<1353>:田中家。1353年(正平8年/文和2年)7月16日検校。
  • 52:曩清()<1354>:平等王院家初代。1354年(正平9年/文和3年)4月5日再任。
  • 53:朗清()<1354>:竹西家。1354年(正平9年/文和3年)12月、南朝から検校任命。
  • 54:曩清()<1355>:平等王院家初代。1355年(正平10年/文和4年)3月24日京都より下向。
  • 55:崇清()<1360>:壇家。1360年(正平15年/延文5年)11月21日検校。
  • 56:匡清()<1361>:善法寺家。入江。1361年(正平16年/康安1年)4月9日検校任命か。
  • 57:超清(1320-1381)<1362>:北田中家初代。1362年(正平17年/貞治1年)11月25日検校。
  • 58:永清()<1366>:新善法寺家。1366年(正平21年/貞治5年)7月14日検校。
  • 59:超清(1320-1381)<1367>:北田中家初代。1367年(正平22年/貞治6年)7月23日検校。
  • 60:梁清()<1368>:駿河小路(善法寺家?)。1368年(正平23年/応安1年)5月10日検校。
  • 61:曽清()<1371>:平等王院家。牟礼と号す。1371年(建徳2年/応安4年)6月5日検校。
  • 62:常清()<1376>:田中家。1376年(天授2年/永和2年)9月18日検校。
  • 63:了清(?-1384)<1382>:善法寺家。1382年(弘和2年/永徳2年)8月30日検校。
  • 64:常清()<1384>:田中家。1384年(元中1年/至徳1年)6月1日検校。
  • 65:崇清()<1387>:壇家。1387年(元中4年/嘉慶1年)5月4日検校。
  • 66:登清()<1391>:平等王院家。1391年(元中8年/明徳2年)8月30日検校。
  • 67:高清()<1392>:北田中家。1392年(元中9年/明徳3年)8月15日検校。
  • 68:登清()<1394>:平等王院家。1394年(応永1年)1月18日検校。
  • 69:融清()<1400>:田中家。1400年(応永7年)6月検校。
  • 70:宋清(?-1452)<1409>:善法寺家。1409年(応永16年)9月5日検校。
  • 71:融清()<1419>:田中家。1419年(応永26年)8月18日検校。
  • 72:保清()<1414?>:西竹家。1414年(応永21年)(1424年(応永31年)とも)7月4日検校。
  • 73:宋清(?-1452)<1423>:善法寺家。1423年(応永30年)2月12日検校。
  • 74:照清()<1427>:東竹家。1427年(応永34年)1月18日検校。4月7日まで。
  • 75:芳清()<1427>:田中家。1427年(応永34年)4月7日検校。
  • 76:宋清(?-1452)<1428>:善法寺家。1428年(正長1年)3月19日検校。
  • 77:農清()<1442>:新善法寺家。1442年(嘉吉2年)10月29日検校。
  • 78:宋清(?-1452)<1443>:善法寺家。1443年(嘉吉3年)8月15日検校。
  • 79:重清()<1446>:善法寺家。1446年(文安3年)4月5日検校。
  • 80:杲清()<1448>:善法寺家。駿河小路。1448年(文安5年)4月1日検校。
  • 81:農清()<1448>:新善法寺家。1448年(文安5年)12月29日検校。
  • 82:増清()<1449>:北田中家。1449年(宝徳1年)2月11日検校。
  • 83:生清()<1449>:田中家。1449年(宝徳1年)12月21日検校。
  • 84:立清()<1451>:平等王院家。1451年(宝徳3年)12月15日検校。
  • 85:陽清()<1452>:1452年(享徳1年)8月10日検校。
  • 86:仲清()<1454>:西竹家。1454年(享徳3年)6月検校。
  • 87:鳳清()<1455>:善法寺家。1455年(康正1年)11月8日検校。
  • 88:透清()<1457>:善法寺家。1457年(長禄1年)8月14日検校。
  • 89:農清()<1458>:新善法寺家。1458年(長禄2年)8月17日検校。
  • 90:宥清()<1460>:新善法寺家。1460年(寛正1年)5月3日検校。
  • 91:享清()<1465>:1465年(寛正6年)7月5日検校。
  • 92:周清()<1468>:壇家。1468年(応仁2年)12月8日検校。
  • 93:雍清()<1469>:善法寺家。駿河小路。1469年(文明1年)9月15日検校。
  • 94:宥清()<1470>:新善法寺家。1470年(文明2年)10月3日検校再任。
  • 95:広清()<1473>:東竹家。1473年(文明5年)5月1日検校。
  • 96:生清()<1475>:田中家。1475年(文明7年)9月26日検校再任。
  • 97:証清()<1477>:西竹家。1477年(文明9年)7月2日(1475年(文明7年)2月とも)、検校。
  • 98:増清()<1478>:善法寺家。科手。1478年(文明10年)7月7日検校。
  • 99:周清()<1482>:壇家。1482年(文明14年)8月15日検校。
  • 100:雍清()<1485>:善法寺家。1485年(文明17年)閏3月21日検校再任。
  • 101:奏清()<1489>:田中家。1489年(延徳1年)6月検校。
  • 102:庸清()<1491>:壇家。1491年(延徳3年)6月19日検校。
  • 103:城清()<1493>:東竹家。1493年(明応2年)9月4日別当を経ずに検校。
  • 交清()<1508>:西竹家。1508年(永正5年)(1510年(永正7年)とも)5月11日社務検校。1528年(享禄1年)再任。
  • 興清()<1510>:善法寺家。初名は公清。1510年(永正7年)9月3日、検校。
  • 交清()<1528>:西竹家。1528年(享禄1年)再任。
  • 奝清()<1532>:善法寺家。1532年(天文1年)(11月10日)、検校。
  • 充清()<1537>:善法寺家。1537年(天文6年)10月10日検校。
  • 昌清()<1543>:新善法寺家。1543年(天文12年)6月3日検校。
  • 掌清()<1545>:善法寺家。1545年(天文14年)11月30日検校。
  • 堯清()<1568>:善法寺家。1568年(永禄11年)別当を経ずに検校。
  • 栄清()<1584>:壇家。1584年(天正12年)5月3日検校。
  • 秀清(1577-1619)<1600>:田中家。幼名は清安丸。1591年(天正19年)、青蓮院尊朝を戒師として出家。1600年(慶長5年)6月11日(19日とも)、石清水八幡宮検校。1619年(元和5年)6月11日死去。43歳。
  • 幸清()<1625>:善法寺家。1625年(寛永2年)10月27日、石清水八幡宮検校。
  • 敬清(1601-1640)<1632>:田中家。幼名は清松丸。1615年(元和1年)青蓮院尊純を戒師に出家。1632年(寛永9年)8月12日、石清水八幡宮検校。1640年(寛永17年)8月12日(2日とも)死去。40歳。
  • 常清()<1640>:新善法寺家。1640年(寛永17年)9月23日、検校。
  • 有清()<1651>:善法寺家。1651年(慶安4年)7月25日、石清水八幡宮検校。
  • 要清(1637-1693)<1675>:田中家。1675年(延宝3年)10月15日、石清水八幡宮検校。
  • 晃清()<1680>:新善法寺家。1680年(延宝8年)7月25日検校。
  • 央清()<1697>:善法寺家。1697年(元禄10年)5月6日、石清水八幡宮検校。
  • 宗清(1675-1722)<1709>:田中家。1709年(宝永6年)3月26日、石清水八幡宮検校。
  • 行清()<1712>:新善法寺家。1712年(正徳2年)12月25日検校。
  • 香清()<1716>:善法寺家。1716年(享保1年)7月23日、検校。
  • 正清(1721-1801)<1740>:田中家。1740年(元文5年)5月10日、石清水八幡宮検校。
  • 祐清()<1751>:新善法寺家。1751年(宝暦1年)10月24日検校。
  • 統清()<1764>:善法寺家。1764年(明和1年)1月20日、石清水八幡宮検校。1775年(安永4年)11月25日、大僧正。
  • 信清(1750-1796)<1776>:田中家。1776年(安永5年)4月2日、石清水八幡宮検校。養清とも。
  • 周清()<1786>:新善法寺家。1786年(天明6年)12月29日検校。
  • 立清()<1802>:善法寺家。1802年(享和2年)3月27日、石清水八幡宮検校。
  • 由清(1780-1849)<1818>:田中家。1818年(文政1年)1月22日、石清水八幡宮検校。
  • 業清()<1854>:善法寺家。1854年(安政1年)3月7日、石清水八幡宮検校。
  • 昇清(1849-1886)<1861>:田中家。1861年(文久1年)7月10日、石清水八幡宮検校。

別当

歴代 生没年 在職年 略歴 検校
1 安宗 813-887 863-887 紀氏。行教の甥で弟子。極楽寺を創建。863年(貞観5年)12月20日別当就任。仁和3年(887)9月19日死去。75歳。(石清水祠官系図)
2 蟠朗 ?-900 890-900 安宗の弟子。890年(寛平2年)8月10日別当就任。900年(昌泰3年)9月13日死去。(石清水祠官系図)
3 運真 ?-925 901-925 行教の弟子。901年(延喜1年)11月、別当就任。925年(延長3年)5月22日(23日とも)死去。(石清水祠官系図)
4 会俗 ?-929 925-929 安宗の甥で弟子。925年(延長3年)6月18日別当就任。929年(延長7年)1月23日死去。以後、僧侶でありながら妻帯し、会俗の子孫が別当を世襲する。(石清水祠官系図)
5 延晟 ?-933 930-933 紀氏。延栄の子。大安寺延瓊の弟子。幼少の頃、安宗に奉仕。930年(延長8年)8月14日別当就任。933年(承平3年)3月14日死去。(石清水祠官系図)
6 総祐 ?-934 934-934 会俗の弟子。934年(承平4年)4月29日別当就任。同年、八幡・妙楽寺を創建。同年8月14日死去。(石清水祠官系図、日本歴史地名大系)
7 定胤 ?-939 936-939 紀氏。東大寺真観の弟子。また延晟の弟子。936年(承平6年)2月21日別当就任。939年(天慶2年)9月4日死去。(石清水祠官系図)
8 清鑒 ?-945 939-945 紀氏。海印寺座主喜遍の弟子。939年(天慶2年)10月17日別当就任。945年(天慶8年)1月20日死去。(石清水祠官系図)
9 清昭 ?-963 945-961? 北遍の弟子。945年(天慶8年)11月4日別当就任。963年(応和3年)閏3月22日死去。(石清水祠官系図)
10 観康 ?-967 961-967 清岡氏。貞観寺座主斉教(斉救)の弟子。961年(応和1年)4月29日別当就任。同年、八幡・東三昧堂を創建。967年(康保4年)5月5日死去(11月5日とも)。(石清水祠官系図、日本歴史地名大系)
11 貞芳 ?-977 大中臣吉時の子。清昭の養子。954年(天暦8年)(?)8月5日別当就任。977年(貞元2年)12月26日、寺主平統に殺害された。(石清水祠官系図)
12 光誉 ?-995 検校15世。検校義海(天台座主)の弟子。995年(長徳1年)3月9日死去。(石清水祠官系図) 検校
13 聖清 ?-1013 983-994? 紀氏。925年(延長3年)生。法琳寺泰舜の弟子。983年(永観1年)7月4日別当就任。994年(正暦5年)6月29日別当辞任。995年(長徳1年)10月7日(21日とも)検校就任。1013年(長和2年)1月20日死去。89歳。(石清水祠官系図) 検校
14 暦雅 ?-995 994-995 994年(正暦5年)7月7日別当就任(宮寺縁事抄)。995年(長徳1年)8月22日死去(石清水祠官系図)。
15 朝鑑 ?-998 995-998 清昭の弟子。995年(長徳1年)10月7日別当就任。998年(長徳4年)1月21日別当退任。同年8月28日死去。(石清水祠官系図)
16 康平 ?-1001 997-1001 平氏。修理別当長昭の子。母は会俗の娘。997年(長徳3年)別当就任(朝鑑の任期と重なり矛盾するが不詳)。1001年(長保3年)7月26日死去。人徳があり、毘沙門天の化身だといわれる。(石清水祠官系図)
17 尋慶 ?-1013 1001-1013 聖清の弟子。1001年(長保3年)8月5日別当就任。1013年(長和2年)1月18日死去。(石清水祠官系図)
18 定清 ?-1030 1013-1023 紀氏。河内国司の紀正方の子。師は実因あるいは光誉。1013年(長和2年)1月25日別当就任。1023年(治安3年)7月、別当退任。1023年(治安3年)8月1日検校就任。1030年(長元3年)3月21日死去。(石清水祠官系図) 検校
  • 19:元命()<>:
  • 20:清成()<>:
  • 21:清秀()<>:
  • 22:戒信()<>:
  • 23:頼清()<>:
  • 24:清円()<>:
  • 25:光清()<>:
  • 26:任清()<>:
  • 27:厳清()<>:
  • 28:勝清()<>:
  • 29:慶清()<>:
  • 30:成清()<>:
  • 31:道清()<>:
  • 32:祐清()<>:
  • 33:幸清()<>:
  • 34:宗清()<>:
  • 35:棟清()<>:
  • 36:宝清()<>:
  • 37:耀清()<>:
  • 38:宮清()<>:
  • 39:行清()<>:
  • 40:妙清()<>:
  • 41:守清()<>:
  • 42:尚清()<>:
  • 43:守清()<>:
  • 44:尚清()<>:
  • 45:良清()<>:
  • 46:長清()<>:
  • 47:朝清()<>:
  • 48:堯清()<>:
  • 49:栄清()<>:
  • 50:承清()<>:
  • 51:龍清()<>:
  • 52:栄清()<>:
  • 53:龍清()<>:
  • 54:朝清()<>:
  • 55:堯清()<>:
  • 56:栄清()<>:
  • 57:龍清()<>:
  • 58:陶清()<>:
  • 59:称清()<>:
  • 60:用清()<>:
  • 61:曩清()<>:
  • 62:陶清()<>:
  • 63:曩清()<>:
  • 64:康清()<>:
  • 65:朗清()<>:
  • 66:興清()<>:
  • 67:定清()<>:
  • 68:崇清()<>:
  • 69:守清()<>:
  • 70:崇清()<>:
  • 71:定清()<>:
  • 72:崇清()<>:
  • 73:匡清()<>:
  • 74:超清()<>:
  • 75:昇清()<>:
  • 76:永清()<>:
  • 77:梁清()<>:
  • 78:常清()<>:
  • 79:梁清()<>:
  • 80:曽清()<>:
  • 81:常清()<>:
  • 82:性清()<>:
  • 83:能清()<>:
  • 84:臈清()<>:
  • 85:保清()<>:
  • 86:照清()<>:
  • 87:良清()<>:
  • 88:杲清()<>:
  • 89:豊清()<>:
  • 90:立清()<>:
  • 91:仲清()<>:
  • 92:鳳清()<>:
  • 93:宥清()<>:
  • 94:周清()<>:
  • 95:雍清()<>:
  • 96:勇清()<>:
  • 97:証清()<>:
  • 98:奏清()<>:
  • 99:庸清()<>:
  • 100:衆清()<>:
  • 央清()<>:
  • 久清()<>:
  • 立清()<>:
  • 当清()<>:
  • 業清()<>:

(18世まで「八幡別当次第」[1]


社務職

  • 宗清()<>:1235年(嘉禎1年)7月6日、摂政九条道家、執務を命じる。
  • 定清()<>:1352年(文和1年)12月11日、綸旨より極楽寺の執務を命じる。
  • 清秀()<>:1071年(延久3年)在職か。
  • 光清()<>:1113年(永久1年)在職か。
  • 勝清()<>:1167年(仁安2年)在職か。
  • 行清()<>:1278年(弘安1年)在職か。
  • 妙清()<>:1283年(弘安6年)9月、社務検校。
  • 守清()<>:1285年(弘安8年)11月13日、社務停止。
  • 妙清()<>:1304年(嘉元2年)在職
  • 通清()<>:1338年(延元3年)在職
  • 曽清()<>:1374年(文中3年)在職
  • 朗清()<>:竹西家。1353年(正平8年/文和2年)6月14日、南朝が社務職に任命。
  • 高清()<>:田中家。1394年(応永1年)1月18日、社家の訴えにより足利義満が解任。
  • 登清()<>:善法寺家。1394年(応永1年)1月18日、社務職。
  • 融清()<>:田中家。1400年(応永7年)7月6日、社務職。
  • 高清()<>:田中家。1407年(応永14年)の時点で前社務。
  • 融清()<>:1424年(応永31年)7月まで社務職。
  • 保清()<>:田中家。。1424年(応永31年)7月、社務職。
  • 照清()<>:1427年(応永34年)4月7日まで
  • 芳清()<>:田中家。。1427年(応永34年)4月7日社務職。
  • 宋清()<>:1431年(永享3年)在職。
  • 保清()<>:1433年(永享5年)在職。
  • 宋清()<>:1441年(嘉吉1年)在職、
  • 重清()<>:善法寺家。1445年(文安2年)4月5日(1446年(文安3年)4月5日とも)社務職。
  • 仲清()<>:西竹家。1454年(享徳3年)6月社務職。
  • 鳳清()<>:入江家。1455年(康正1年)11月8日社務職。
  • 透清()<>:1457年(長禄1年)8月14日、権別当から社務となる。
  • 奏清()<>:田中家。1468年(応仁2年)在職。
  • 興清()<>:善法寺家。1510年(永正7年)8月28日社務職。
  • 清松丸()<>:田中家。1518年(永正15年)12月30日在職。
  • 兄清()<>:田中家。1520年(永正17年)在職
  • 交清()<>:西竹家。1529年(享禄2年)8月28日まで社務職。
  • 興清()<>:1529年(享禄2年)8月28日、社務職。
  • 充清()<>:1532年(天文1年)11月10日社務職。
  • 充清()<>:1537年(天文6年)10月10日社務検校。
  • 昌清()<>:新善法寺家。1543年(天文12年)6月5日社務職
  • 長清()<>:田中家。1565年(永禄8年)3月29日社務職。
  • 照清()<>:新善法寺家。1567年(永禄10年)5月6日社務職。
  • 堯清()<>:善法寺家。1568年(永禄11年)12月28日社務職。
  • 長清()<>:田中家。1571年(元亀2年)在職
  • 栄清()<>:壇家。1584年(天正12年)10月8日社務職。
  • 秀清()<>:田中家。1600年(慶長5年)5月15日、徳川家康の命により社務職を廻職と定め秀清が任命される。
  • 晃清()<>:新善法寺家。1687年(貞享4年)在職。

俗別当

神主職

石清水八幡宮の神主職は宇佐八幡宮に准じて876年(貞観18年)に設置された。神事を司った。紀氏の世襲。運営に関する実権は持っていなかった。室町時代に廃絶か。(「小寺家本『石清水八幡宮略補任』」)

  • 1:紀御豊()<>:876年(貞観18年)8月13日、神主に就任。
  • 2:紀良範()<>:
  • 3:紀枝直()<>:
  • 4:紀春実()<>:
  • 5:紀良真()<>:
  • 6:紀滋村()<>:
  • 7:紀安遠()<>:
  • 8:紀兼輔()<>:
  • 9:紀兼任()<>:
  • 10:紀頼輔()<>:
  • 11:紀輔任()<>:
  • 12:紀頼方()<>:
  • 13:紀兼孝()<>:俗別当。
  • 14:紀兼仲()<>:
  • 15:紀光忠()<>:
  • 16:紀兼実()<>:
  • 17:紀輔兼()<>:
  • 18:紀兼遠()<>:
  • 19:紀輔忠()<>:
  • 20:紀兼範()<>:
  • 21:紀能忠()<>:
  • 22:紀輔範()<>:
  • 23:紀兼継()<>:
  • 24:紀輔久()<>:
  • 25:紀久良()<>:
  • 26:紀資親()<>:
  • 27:紀幸良()<>:
  • 28:紀安忠()<>:
  • 29:紀忠直()<>:
  • 30:紀幸久()<>:
  • 31:紀諸久()<>:
  • 32:紀貞幸()<>:
  • 33:紀明忠()<>:
  • 34:紀光世()<>:
  • 35:紀幸基()<>:
  • 36:紀光豊()<>:1392年(明徳3年)2月4日死去。64歳。
  • 37:紀諸忠()<>:
  • 38:紀光種()<>:
  • 39:紀忠奥()<>:
  • 40:紀光長()<>:
  • 41:紀光実()<>:
  • 41:紀光重()<>:
  • 42:紀光雄()<>:

宮司・大宮司

  • 田中有年(昇清)(1849-1886)<1868-1868,1871-1871>:最後の検校。修清の子。1859年(安政6年)5月28日、童形参内。同日、青蓮院門主を師として得度。29日、参内して法眼となり石清水八幡宮権別当。この時11歳。1861年(文久1年)7月13日、石清水八幡宮検校。1862年(文久2年)11月24日、権少僧都法印。香染棗袋許可。1863年(文久3年)4月11日、孝明天皇石清水行幸の功績で社頭にて権大僧都。1868年(明治1年)4月28日、神仏分離に伴い、還俗して田中有年に改名。同年、神祇官より三家にて社務職を一年交代で務めるように命じられ、5月から12月まで石清水八幡宮社務職。同年7月8日、禁色を停止。8月13日従五位下。9月23日即位後参内。15日、神祇官で太刀や馬代など拝領。1871年(明治4年)石清水八幡宮社務職に再任。6月18日神社改正で社務職や位階など廃止。1872年(明治5年)1月14日、石清水八幡宮神勤を免職となる。1875年(明治8年)5月29日梅宮大社権禰宜。訓導。1878年(明治11年)3月13日、男山八幡宮主典。1886年(明治19年)4月10日死去。38歳。
  • 梅渓通善()<1871-1872>:子爵。1864年(元治1年)6月15日、宇佐神宮勅使。1871年(明治4年)12月2日から1872年(明治5年)3月25日まで「男山八幡宮・平野神社稲荷神社等御改革御用掛」。
  • 藤大路納親(1827-1894)<1872-1872>:奈良華族。堀河康親の子。興福寺延寿院住職。1827年(文政10年)生。1868年(明治1年)還俗して春日大社新神司。従五位。1869年(明治2年)3月、藤大路家を立て堂上に列す。1872年(明治5年)6月12日、男山八幡宮・平野神社・稲荷神社の大宮司。1875年(明治8年)華族。1884年(明治17年)7月男爵。1894年(明治27年)死去。
  • 梅渓通治(1831-1916)<1872-1873>:公卿。子爵。八十八廷臣の一人。梅渓通善の長男。1831年(天保2年)生。維新後、教導職権中教正。1872年(明治5年)7月12日から1873年(明治6年)3月4日まで男山八幡宮大宮司、兼平野神社大宮司・伏見稲荷大社大宮司。1873年(明治6年)権少教正。1877年(明治10年)12月28日、男山八幡宮宮司。1882年(明治15年)2月28日から1891年(明治24年)4月まで平野神社宮司に再任。1899年(明治32年)襲爵。1916年(大正5年)3月4日死去。
  • 梅渓通治(1831-1916)<1877-1882>:再任。1877年(明治10年)12月28日から1882年(明治15年)2月28日まで男山八幡宮宮司。
  • 木場清生(1817-1891)<1882-1884>:鹿児島藩士。1817年(文化14年)生。大久保利通や西郷隆盛と交際。1869年(明治2年)徴士。大阪府判事。1869年(明治2年)宮内省権大丞。1871年(明治4年)権大禄。司法省、文部省を経て1875年(明治8年)元老院大書記生。1876年(明治9年)から1878年(明治11年)まで式部寮八等出仕。1881年(明治14年)4月14日龍田大社宮司。1882年(明治15年)2月28日、男山八幡宮宮司。1884年(明治17年)10月14日賀茂御祖神社宮司[2]。1891年(明治24年)1月2日死去。
  • 福原公亮(1827-1913)<1884-1886>:山口藩士。1884年(明治17年)10月14日から1886年(明治19年)7月17日まで男山八幡宮宮司。(略歴は伊勢神宮#組織を参照)
  • 松原貴速(1831-?)<1886-?>:志士・内務官僚。1886年(明治19年)7月17日、男山八幡宮宮司。没年不詳。(略歴は、広瀬神社#組織を参照)
  • 大貫真浦(1850-1916)<1894-1900>:平田派国学者。下野国出身。1894年(明治27年)10月27日から1901年(明治34年)10月31日まで男山八幡宮宮司。(略歴は、伏見稲荷大社#組織を参照)
  • 貴島磯麿(?-1910)<1901-1901>:1896年(明治29年)2月4日、安仁神社宮司。6月正七位。1900年(明治33年)7月18日白峰宮宮司。1901年(明治34年)10月31日、男山八幡宮宮司。12月16日、従六位。1910年(明治43年)死去。
  • 田中俊清(1868-1947)<1901-1937>:1868年(明治1年)生。田中昇清の養子。大阪天満宮社家の滋岡孝長の三男。初名は滋岡豊丸。1899年(明治32年)2月24日、貴船神社宮司。11月23日正七位。1900年(明治33年)6月25日若狭彦神社宮司。1901年(明治34年)12月19日、男山八幡宮宮司。1902年(明治35年)従六位。1907年(明治40年)正六位。1914年(大正3年)従五位。1918年(大正7年)1月18日、男山八幡宮を石清水八幡宮と改称。1922年(大正11年)正五位。1924年(大正13年)勅任官待遇。1934年(昭和9年)従四位。1937年(昭和12年)8月27日退任。1947年(昭和22年)死去。
  • 副島知一(1874-1959)<1937-1957>:初代京都府神社庁庁長。佐賀県出身。1874年(明治7年)生。1900年(明治33年)国学院大学卒。翌年、日本中学校教員。1906年(明治39年)、皇典講究所講師。1913年(大正2年)広島県神職管理所講師。1914年(大正3年)6月11日、熱田神宮権宮司。1917年(大正6年)12月27日鶴岡八幡宮宮司。1921年(大正10年)12月28日、弥彦神社宮司。1924年(大正13年)7月31日、住吉大社宮司。1933年(昭和8年)皇典講究所専務理事。1936年(昭和11年)橿原神宮宮司。7月正五位。1937年(昭和12年)8月、石清水八幡宮宮司。1943年(昭和18年)従四位。戦後、初代京都府神社庁長。1947年(昭和22年)神社本庁長老。1957年(昭和32年)2月28日退任。1959年(昭和34年)6月11日死去。
  • 田中文清(1905-1999)<1957-1986>:1905年(明治38年)生。1937年(昭和12年)建勲神社宮司。1941年(昭和16年)梅宮大社宮司。1947年(昭和22年)12月、石清水八幡宮権宮司。1957年(昭和32年)2月28日から1986年(昭和61年)1月19日まで石清水八幡宮宮司。1978年(昭和53年)3月31日から5月31日まで平野神社宮司兼務。1978年(昭和53年)11月15日から1980年(昭和55年)3月18日まで白峰神宮宮司を兼務。1982年(昭和57年)神社本庁長老。1999年(平成11年)5月24日死去。
  • 田中弘清(1934-2014)<1986-2001>:1934年(昭和9年)生。国学院大学神道学科卒。春日大社禰宜を経て1979年(昭和54年)4月、石清水八幡宮権宮司。1986年(昭和61年)1月19日から2001年(平成13年)6月30日まで宮司。1992年(平成4年)京都府神社庁長。2014年(平成26年)7月8日死去。1989年(平成1年)5月20日から1992年(平成4年)4月30日まで貴船神社宮司を兼務。
  • 田中恒清(1944-)<2001->:1944年(昭和19年)生。2001年(平成13年)7月1日宮司。2010年(平成22年)、神社本庁総長。田中恆清。

少宮司・権宮司

  • 大畑弘国(1844年(弘化1年)2月28日~1913年(大正2年)3月24日)<1873年(明治6年)~1876年(明治9年)>:大畑春国の長男。
  • 西田福市(1891-1982)<>:(略歴は、伊奈波神社#組織を参照)
  • 田中朋清

社家

紀氏

紀氏。「石清水祠官系図」によると武内宿禰から紀良常までの系譜は次の通り。通説とは異なる。

  • 武内宿禰()<>:
  • 平群木菟()<>:
  • 平群真鳥()<>:
  • 紀大人()<>:
  • 紀園益()<>:
  • 紀清人()<>:
  • 紀諸人()<>:贈太政大臣。
  • 紀麻呂()<>:705年(慶雲2年)7月19日死去。
  • 紀飯麻呂()<>:
  • 紀奈麻呂()<>:
  • 紀古佐美()<>:797年(延暦16年)4月4日、死去。65歳。
  • 紀広浜()<>:788年(延暦7年)12月、征夷大将軍。816年(弘仁7年)1月、大宰大弐。元参議。819年(弘仁10年)7月死去。61歳。
  • 紀長江()<>:837年(承和4年)1月、大宰大弐。大和守。従四位上。桓武天皇の時代に参議から大納言となる。
  • 紀豊河()<>:
  • 紀魚弼()<>:行教、益信の父。初代別当安宗、初代神主御豊の祖父。
  • 紀夏井(生没年不詳)<>:通常は紀善峯の子とされる。系図では紀魚弼の子とされ、行教や益信の兄とされる。系図によると、850年(嘉祥3年)7月、少内記。854年(斉衡1年)1月、蔵人。855年(斉衡2年)3月、大内記。9月従五位下、右少弁。857年(天安1年)1月、従五位上。858年(天安2年)1月、讃岐守。866年(貞観8年)10月8日死去。
  • 紀御豊()<>:石清水八幡宮初代神主。紀夏井の子。876年(貞観18年)8月13日、神主に就任。従八位。
  • 紀良範()<>:石清水八幡宮第2代神主。紀御豊の子。891年(寛平3年)8月6日、神主就任。従五位上。
  • 紀良常()<>:石清水八幡宮初代俗別当。紀良範の孫で養子。延晟の子。943年(天慶6年)正六位上。952年(天暦6年)5月28日、俗別当。979年(天元2年)3月27日、行幸。982年(天元5年)死去。聖清の父。

別当検校家

  • 聖清(925-1013)<>:検校6世。別当。紀氏。紀良常の子。師は真言宗法琳寺泰舜。962年(応和2年)石清水八幡宮少別当。977年(貞元2年)12月21日、官符により権別当。983年(永観1年)7月4日、官符により別当。22日拝堂。987年(永延1年)11月8日行幸に際して法橋。994年(正暦5年)6月29日(11日とも)、別当を辞任。995年(長徳1年)10月7日(21日とも)官符により検校。21日法眼。1003年(長保5年)法印。1013年(長和2年)1月20日(7日とも)死去。89歳。
  • 定清(生没年不詳)<>:検校7世。別当。紀氏。聖清の子。一説に河内守正方の子。師は天台宗実因(一説に光誉)。993年(正暦4年)12月、権上座。995年(長徳1年)少別当。1004年(寛弘1年)11月、権別当宣下。13日官符到着。1013年(長和2年)1月25日、官符で別当。2月20日拝堂。11月28日、行幸があり法橋。1017年(寛仁1年)法眼。1023年(治安3年)7月別当辞職。同年8月1日、官符で検校。1029年(長元2年)11月28日、行幸に際して法印。1030年(長元3年)(1039年(長暦3年)とも)3月21日死去。
  • 兼清(1010-1063)<>:権別当。定清の養子。1010年(寛弘7年)生。1024年(万寿1年)、寺任で少別当。1042年(長久3年)閏9月10日、官符で少別当。1047年(永承2年)3月8日、行幸にともない宣下があり権別当。1056年(天喜4年)11月28日、行幸で法橋。1062年(康平5年)4月27日、行幸で法眼。この日から不出仕となり修理別当の清秀が別当になったともいう。1063年(康平6年)10月7日死去。54歳。
  • 頼清(1039-1101)<>:別当23世。1039年(長暦3年)生。母は元命の娘。師は天台宗延暦寺横川の頼源。1072年(延久4年)11月26日、権別当宣下。27日、官符で円宗寺二会注記。1075年(承保2年)3月14日、行幸で法橋。1087年(寛治1年)8月29日(28日とも)、別当宣下。9月16日、慶賀を申す。21日官符到来。10月16日拝堂。1088年(寛治2年)3月9日行幸で法眼。1095年(嘉保2年)3月29日、行幸で法印。1101年(康和3年)1月3日死去。63歳。大乗院の本願。観音寺(不詳)、大山寺(不詳)を兼ねたという。常磐と号す。
  • 光清(1084-1137)<>:別当・検校の世襲の始まり。検校10世。別当25世。頼清の子。1084年(応徳1年)生。師は天台座主仁覚。1094年(嘉保1年)出家。1095年(嘉保2年)1月6日、上座。1098年(承徳2年)10月11日、官符で修理別当。1096年(永長1年)4月28日、拝堂。1101年(康和3年)8月12日権別当宣下。1102年(康和4年)4月20日拝堂。1103年(康和5年)11月5日、行幸で法橋。同年12月25日別当。28日官符到来。1104年(長治1年)11月10日拝堂。1106年(嘉承1年)7月27日、御幸があり法眼。1114年(永久2年)11月14日行幸で法印。1128年(大治3年)10月21日、御幸があり石清水八幡宮検校となり、弥勒寺検校を兼ねる。1131年(天承1年)10g津17日、御幸で権大僧都。1137年(保延3年)9月24日死去。54歳。弥勒寺喜多院、宝塔院、極楽寺を兼務。垂井、垂井御房と号す。子に任清、勝清(田中家の祖)、成清(善法寺家の祖)らがいる。
  • 厳清(1084-1152)<>:別当27世。光清の弟。1084年(応徳1年)生。1095年(嘉保2年)1月6日、権上座。1108年(天仁1年)12月25日、修理別当宣下。1109年(天仁2年)3月29日、拝堂。26日、行幸で法橋。1116年(永久4年)6月14日、権別当宣下。7月10日官符到来。25日拝堂。1134年(長承3年)5月10日、行幸で法眼。1140年(保延6年)5月27日行幸で法印。1151年(仁平1年)6月24日(25日とも)、別当宣下。7月28日(7日とも)官符到来。8月17日、行幸があったが褒賞がなかったため訴えて10月1日に大僧都に任命された。1152年(仁平2年)2月6日死去。69歳。
  • 任清(1108-1151)<>:別当26世。光清の子。1108年(天仁1年)生。師は天台座主仁毫。1117年(永久5年)6月29日、修理別当に宣下。同年8月29日、行幸で法橋。1120年(保安1年)2月20日、行幸で法眼。1124年(天治1年)閏3月8日、権別当宣下。1125年(天治2年)10月9日行幸で別当(12月13日官符で任命とも)。1128年(大治3年)12月拝堂。1134年(長承3年)5月10日、行幸で法印。1140年(保延6年)5月27日、行幸で「一座宣旨」を蒙る。同年、筥崎宮の神人の濫行のため、筥崎宮執行に任命される。1147年(久安3年)10月19日、御幸で権大僧都。1151年(仁平1年)閏4月14日死去。44歳(46歳とも)。極楽寺観世音寺弥勒寺検校を兼ねたとも。山崎御房と号す。

田中家

  • 勝清(1112-1171)<>:田中家の祖ともみなされる。検校11世。別当28世。光清の三男。1112年(天永3年)生。幼名は三郎若。1119年(元永2年)、8歳で出家。師は頼基(不詳)。1120年(保安1年)権上座。1125年(天治2年)少別当。1127年(大治2年)官符で権別当。1134年(長承3年)9月10日、行幸で法橋。1140年(保延6年)5月27日行幸で法眼。1149年(久安5年)12月30日法印。1152年(仁平2年)2月29日、別当宣下。3月26日官符到来。1157年(保元2年)10月6日、弥勒寺新宝塔院院主。1158年(保元3年)3月3日、極楽寺院主。1160年(永暦1年)8月9日、大僧都(権大僧都?)。10月17日、別当と権大僧都を辞職し、慶清に別当を譲る。1161年(応保1年)1月24日検校。12月20日、官符到来。1167年(仁安2年)1月16日、御幸で准僧正、香染衣、准法務。28日、弥勒寺講師。1171年(承安1年)2月4日死去。60歳(63歳とも)。園と号す。
  • 慶清(1130-1187)<>:初めて田中と号すか。別当29世。勝清の子。1130年(大治5年)生。1143年(康治2年)、14歳で出家受戒。11月20日、南都で別受戒。師は天台宗の桜井宮行慶(白河天皇皇子)。1152年(仁平2年)少別当、ついで権上座。1156年(保元1年)3月10日、行幸で法橋。12月21日官符到来。同年閏9月4日、権別当となる。修理別当を経ずに就任。1157年(保元2年)法眼。1160年(永暦1年)5月8日弥勒寺喜多院院主。同年、8月20日、行幸で褒賞がなかったため、訴えて23日法印となる。10月17日、21歳で別当。12月23日官符到来。1161年(応保1年)2月、行幸で権大僧都。1167年(仁安2年)1月29日、弥勒寺講師。1180年(治承4年)6月16日、弥勒寺検校。1185年(文治1年)11月8日、筥崎宮を石清水八幡宮の別宮とする。1187年(文治3年)12月28日死去。58歳。田中、中別当と号す。
  • 道清(1176-1206)<>:別当31世。1176年(安元2年)生。1178年(治承2年)権上座、ついで少別当。1182年(寿永1年)8月27日、一院御幸で法眼(法眼の?直補に始めという)。1185年(文治1年)10月15日、17歳で御幸で筥崎宮検校。1187年(文治3年)8月13日、修理別当。1188年(文治4年)2月14日、権別当。1192年(建久3年)2月4日、24歳で別当。3月5日官符到来。1196年(建久7年)10月25日行幸で法印。1199年(正治1年)11月12日(6日とも)、権大僧都。1202年(建仁2年)3月26日、御幸で子の宗清に法眼。1206年(建永1年)1月3日死去。31歳(38歳とも)。田中と号す。
  • 宗清(1190-1237)<>:検校14世。別当34世。1190年(建久1年)生。1198年(建久9年)出家。同年、受戒。戒師は東寺二長者延果。1199年(正治1年)権上座。同年少別当。1202年(建仁2年)修理別当。1202年(建仁2年)3月26日、御幸で法橋を経ずに法眼(道清の1182年(寿永1年)の例による)。1204年(元久1年)11月3日、別当の譲りで権少僧都。1206年(建永1年)3月29日、権別当。先立つ1月8日に院宣。1213年(建保1年)3月10日、行幸で権大僧都、法印か。1204年(元久1年)2月7日、筥崎宮検校。1235年(嘉禎1年)7月6日、社務宣下。9月4日、別当(7月3日別当宣下とも)。1237年(嘉禎3年)4月23日検校。同年6月9日死去。48歳。『宮寺縁事抄』を記す。
  • 行清(1229-1279)<>:検校18世。別当39世。1229年(寛喜1年)生。幼名は安丸。1229年(寛喜1年)生。1236年(嘉禎2年)8歳で出家。師は円満院門跡。同年、権上座。少別当。1237年(嘉禎3年)5月7日、修理別当。法眼。権少僧都。1242年(仁治3年)9月20日、権別当。1247年(宝治1年)9月21日、法印。1249年(建長1年)1月19日、筥崎宮検校。1254年(建長6年)7月29日、権大僧都(権別当で権大僧都になった初例)。1255年(建長7年)8月9日、別当か。1276年(建治2年)10月13日、検校、寺務執行宣下。1278年(弘安1年)6月26日検校宣下(異本)。1279年(弘安2年)1月19日死去。51歳。26日、香染裘袋許可。法園寺を再興したという。田中、園御堂と号す。
  • 守清(1252-1290)<>:別当41世。検校20世。1252年(建長4年)生。1258年(正嘉2年)7歳で出家。師は円満院門跡。同年のうちに権上座、少別当、修理別当と進む。1259年(正元1年)1月11日、法眼。1280年(弘安3年)5月13日、別当。1281年(弘安4年)8月14日、権大僧都。1282年(弘安5年)12月28日に御幸があり、検校・社務執行となり29日に検校宣下。1285年(弘安8年)11月23日、社務が止められ、検校解任。1290年(正応3年)10月28日死去。39歳。田中と号す。
  • 堯清(1274-1325)<>:検校26世。35世。別当48世。1274年(文永11年)生。幼名は三郎若。1278年(弘安1年)5歳で出家。戒師は円満院円助法親王。同年、権上座、少別当。1280年(弘安3年)修理別当、一切経奉行、法眼。1282年(弘安5年)2月19日、筥崎宮造営の褒賞で9歳で権別当。1283年(弘安6年)11月8日、前年の臨幸の褒賞で権少僧都。1285年(弘安8年)1月24日、御幸(21日)に際して前年4月の臨幸で守清の褒賞として12歳で法印。1305年(嘉元3年)10月24日、別当、権大僧都。1312年(正和1年)8月6日社務・検校。1314年(正和3年)12月8日、社務・検校を辞退。1320年(元応2年)12月6日検校再任。1322年(元亨2年)7月21日、西宝塔院主。1325年(正中2年)閏1月11日死去。52歳。田中と号す。
  • 陶清(1301-1343)<>:検校40世。42世。別当。1301年(正安3年)生。1304年(嘉元2年)、4歳で修理別当となり、法眼。1308年(延慶1年)権別当。1313年(正和2年)2月12日、1309年(延慶2年)の御幸の堯清の褒賞で、権少僧都。ついで法印。1327年(嘉暦2年)10月29日、瀧清・称清・用清を超えて別当となる。1330年(元徳2年)4月3日検校。権大僧都(1334年(建武1年)9月22日とも)。1334年(建武1年)4月7日、「自前検校還補別当了」。1336年(延元1年/建武3年)2月19日検校再任。1343年(康永2年)9月26日死去。45歳とも。田中と号す。
  • 定清(1319-1366)<>:検校49世。51世。1319年(元応1年)生。幼名は三郎若。1324年(正中1年)、6歳で出家受戒。師は円満院尊悟親王(伏見天皇皇子)。1325年(正中2年)5月22日、7歳で別当。28日法眼。1327年(嘉暦2年)4月8日権少僧都。1351年(正平6年/観応2年)11月14日、南朝が法印に叙し別当。1341年(興国2年/暦応4年)8月14日、北朝が法印・別当に叙す。1352年(正平7年/文和1年)6月、北朝が再び別当に補任。1352年(正平7年/文和1年)12月11日(29日とも)、北朝が検校。1353年(正平8年/文和2年)7月16日検校とも。1358年(正平13年/延文3年)6月7日、南朝から検校宣下。遁世して1366年(正平21年/貞治5年)6月1日死去。48歳。持仏堂を整備して青林寺とす。田中と号す。1915年(大正4年)11月10日、従四位贈位。
  • 常清(1339-1404)<>:検校62世。64世。別当。母は日野資朝の娘。1339年(延元4年/暦応2年)生。1346年(貞和2年)3月6日、8歳で権別当に直補。12月23日法眼。1354年(文和3年)2月16日、権少僧都。1360年(延文5年)法印。1367年(貞治6年)7月28日別当。1376年(天授2年/永和2年)9月18日、社務・検校。1382年(弘和2年/永徳2年)8月20日、善法寺了清が検校となる。1384年(元中1年/至徳1年)6月1日検校に再任。1404年(応永11年)3月24日、権大僧都。同年死去。65歳。田中と号す。
  • 融清(1362-1445)<>:検校69世。71世。別当。1362年(正平17年/貞治1年)生。1400年(応永7年)6月検校。権別当、法眼、権少僧都、法印、別当を経て1400年(応永7年)7月6日検校(6月とも)。宋清に譲る。1405年(応永12年)、権大僧都。1419年(応永26年)8月18日、社務検校に再任。1445年(文安2年)9月15日、香染裘袋許可。同年死去。84歳。田中と号す。
  • 芳清(?-1443?)<>:検校75世。権別当。権別当を経て1401年(応永8年)8月9日法眼。権少僧都、法印を経て1427年(応永34年)4月7日、良清を超えて社務検校に就任。香染裘袋許可。父より先に死去。1443年(嘉吉3年)5月2日死去か。享年不詳。
  • 生清(?-1498)<>:検校83世。96世。権別当。師は円満院。権別当、法眼、権少僧都、法印を経て1449年(宝徳1年)12月21日(23日とも)、豊清、立清を超えて20歳で社務検校に就任。25日香染裘袋許可、法務僧正に准ず。1475年(文明7年)9月26日、社務検校再任。1481年(文明13年)、親王参宮で脇壁許可。1498年(明応7年)8月18日死去。享年不詳。田中と号す。
  • 奏清(?-1496)<>:検校101世。権別当。幼名は宮若丸。1465年(寛正6年)出家。師は華頂僧正(青蓮院か)。同年権別当。1466年(文正1年)1月法眼。同年11月権少僧都。1468年(応仁2年)5月29日、法印。1472年(文明4年)3月15日、権大僧都。1477年(文明9年)7月10日、護国寺別当。1489年(延徳1年)6月10日、検校。12日香染許可、法務に准ず。1496年(明応5年)9月25日死去。享年不詳。
  • 兄清(?-1524)<>:権別当。幼名は清徳丸。1511年(永正8年)出家。1512年(永正9年)権別当。1513年(永正10年)法眼。1514年(永正11年)権少僧都。1516年(永正13年)法印。香染許可。1524年(大永4年)9月22日死去。享年不詳。
  • 教清(生没年不詳)<>:権別当。幼名は清勝丸。1549年(天文18年)8月11日、27歳で出家。師は実相院。同日、権別当。1550年(天文19年)閏5月3日、法眼。12月16日、権少僧都。1551年(天文20年)2月21日、法印。22日香衣。1560年(永禄3年)1月26日、権大僧都。功清とも。
  • 長清(生没年不詳)<>:社務。教清の婿養子。東竹甲清の子。幼名は清満丸。1565年(永禄8年)3月28日、法眼。29日社務。1575年(天正3年)3月21日、権大僧都。没年不詳。38歳。
  • 秀清(1577-1619)<>:検校。1577年(天正5年)生。母は教清娘。幼名は清安丸。1591年(天正19年)、青蓮院尊朝親王を戒師として出家。大法師となる。1600年(慶長5年)6月11日、石清水八幡宮検校(同年5月15日社務、6月19日検校とも)。1619年(元和5年)6月11日死去。43歳。
  • 敬清(1601-1640)<>:検校。1601年(慶長6年)生。秀清の次男。幼名は清松丸。1615年(元和1年)青蓮院尊純親王を戒師に出家。同日、大法師。1621年(元和7年)法眼。1626年(寛永3年)権別当。1627年(寛永4年)権少僧都。1632年(寛永9年)2月3日法印。同年8月12日、石清水八幡宮社務検校。1633年(寛永10年)12月28日、香染勅許。1636年(寛永13年)権大僧都。1640年(寛永17年)8月12日(2日とも)死去。40歳。
  • 召清(1625-1687)<>:権別当。善法寺幸清の実子。田中敬清の養子となる。1625年(寛永2年)生。1635年(寛永12年)得度。童形参内。師は妙法院宮。1636年(寛永13年)法眼。1658年(万治1年)権別当、権少僧都。1643年(寛永20年)、即位後参内。1659年(万治2年)法印、香染勅許。1660年(万治3年)権大僧都。1661年(寛文1年)田中家を要清に譲り、東竹家を再興する。寛文年間に石清水記録を整理する。1687年(貞享4年)2月22日死去。63歳。
  • 要清(1637-1693)<>:検校。東竹召清の養子。田中敬清の子。1637年(寛永14年)生。1649年(慶安2年)得度。童形参内。師は青蓮院尊純法親王。1661年(寛文1年)法眼。1662年(寛文2年)権別当。権少僧都。1663年(寛文3年)法印、香染勅許。同年即位後参内。1670年(寛文10年)権大僧都。1675年(延宝3年)10月5日(15日とも)、39歳で石清水八幡宮検校。11月3日、社務職。1685年(貞享2年)12月24日、権僧正。1693年(元禄6年)1月28日死去。58歳。1699年(元禄12年)9月6日、神号「武末霊社」を追号。
  • 宗清(1675-1722)<>:検校。要清の婿養子。津和野藩主亀井家出身。花山院家猶子。1675年(延宝3年)生。亀井茲政の次男。花山院定好の猶子。幼名は菜丸。1692年(元禄5年)6月27日、童形参内。同日、梶井宮慈胤法親王を師として得度。同日、法眼、権別当。10月14日権少僧都。1694年(元禄7年)法印。香染勅許。1703年(元禄16年)権大僧都。1709年(宝永6年)3月26日、35歳で石清水八幡宮検校。1711年(正徳1年)2月28日、権僧正。同年、即位後参内。1722年(享保7年)9月8日死去。48歳。
  • 久清(1695-1735)<>:別当。母は要清の娘。1695年(元禄8年)生。幼名は清安丸。1711年(正徳1年)童形参内。梶井宮慈胤法親王を師として得度。同日、法眼、権別当。1713年(正徳3年)権少僧都。1716年(享保1年)10月12日、22歳で別当。1719年(享保4年)、法印、香染勅許。1723年(享保8年)権大僧都。1731年(享保16年)権僧正。1735年(享保20年)7月24日死去。41歳。
  • 正清(1721-1801)<>:検校。久清の子。1721年(享保6年)生。幼名は忠丸。室は上田藩主松平忠愛の娘。後室は岩倉恒具の娘。1721年(享保6年)生。1717年(享保2年)童形参内。青蓮院尊祐親王を師として得度。同日、法眼、権別当。1737年(元文2年)権少僧都。1739年(元文4年)法印、香染勅許。1740年(元文5年)5月10日、30歳で石清水八幡宮検校。1751年(宝暦1年)権大僧都。1761年(宝暦11年)12月24日、権僧正。1768年(明和5年)2月6日、紫衣裘袋勅許。1776年(安永5年)僧正。1778年(安永7年)5月1日、石清水八幡宮で初めて大僧正となる。1736年(元文1年)、1771年(明和8年)、1781年(天明1年)に即位後参内をした。1801年(享和1年)3月10日死去。81歳。
  • 養清(1750-1796)<>:検校。正清の子。室は鯖江藩主間部詮方の娘。1750年(寛延3年)生。幼名は岩丸。初名は信清。1763年(宝暦13年)童形参内。青蓮院尊真親王を師として得度。同日法眼、権別当。1766年(明和3年)権少僧都。1767年(明和4年)法印、香染裘袋勅許。1776年(安永5年)4月2日、石清水八幡宮検校。同年、権大僧都。1782年(天明2年)権僧正。1796年(寛政8年)10月2日死去。47歳。
  • 由清(1780-1849)<>:検校。養清の婿養子。日野家猶子。1780年(安永9年)生。豊岡尚資の次男。日野資矩の猶子。幼名は忠丸。1793年(寛政5年)童形参内。青蓮院尊真法親王を師に得度。同日、法眼、権別当。1798年(寛政10年)権少僧都。同年法印、香染裘袋勅許。1805年(文化2年)権大僧都。1807年(文化4年)6月23日別当。1809年(文化6年)権僧正。同年、紫袍勅許。1817年(文化14年)即位後参内。1818年(文政1年)1月22日、石清水八幡宮検校。1828年(文政11年)僧正。1845年(弘化2年)8月3日、大僧正。1849年(嘉永2年)閏4月14日死去。71歳。
  • 農清(1797-1825)<>:由清の婿養子。飛鳥井雅威の子。1797年(寛政9年)生。幼名は予所丸。1814年(文化11年)童形参内。青蓮院尊真法親王を師に得度。同日、法眼、権別当。1819年(文政2年)権少僧都。同日、法印、香染裘袋勅許。1825年(文政8年)4月14日死去。29歳。
  • 修清(1815-1858)<>:農清の婿養子。但馬村岡城主・旗本の山名義問の弟。花山院家厚の猶子。1815年(文化12年)生。1838年(天保9年)童形参内。妙法院宮を師に得度。翌日、法眼、権別当。1839年(天保10年)9月11日、旧例の如く家禄100石朱印状。1841年(天保12年)権少僧都。同日、法印、香染裘袋勅許。1850年(嘉永3年)権大僧都。1851年(嘉永4年)権僧正。紫袍勅許。1858年(安政5年)1月24日死去。44歳。
  • 田中昇清(1849-1886)<>:最後の検校。男山八幡宮主典。田中有年。修清の子。1849年(嘉永2年)生。1861年(文久1年)7月10日、石清水八幡宮検校。1886年(明治19年)4月10日死去。38歳。
  • 田中俊清(1868-1947)<>:石清水八幡宮宮司。昇清の養子。大阪天満宮社家の滋岡孝長の三男。
  • 田中文清(1905-1999)<>:
  • 田中弘清(1934-2014)<>:
  • 田中恒清(1944-)<>:

宇美家

宇美八幡宮を管轄した。

  • 房清()<>:宇美宮検校。道清の次男。
  • 房誉()<>:宇美宮検校。
  • 房助()<>:宇美宮検校。
  • 什清()<>:
  • 房〓()<>:宇美宮少別当。房繁とも。(〓は「王番」)
  • 房舜()<>:「宇美」。
  • 房観()<>:「宇美」。
  • 房勝()<>:「宇美」。
  • 房珍()<>:「宇美」。
  • 房精()<>:「宇美」。
  • 円清()<>:「宇美」。
  • 房祐()<>:「宇美」。
  • 房秀()<>:「宇美」。文明ごろ。

北田中家

  • 超清(1320-1381)<>:検校57世。59世。北田中家初代。陶清の次男。1362年(正平17年/貞治1年)11月25日検校。1367年(正平22年/貞治6年)7月23日検校。
  • 高清()<>:検校67世。北田中家。1392年(元中9年/明徳3年)8月15日検校。
  • 隆清()<>:16歳で早世。
  • 良清()<>:別当。
  • 増清()<>:検校82世。北田中家。1449年(宝徳1年)2月11日検校。
  • 寮清()<>:権別当。
  • 豪清()<>:

竹家(西竹家)

  • 増清()<>:権別当。竹と号す。権別当最清の子。1167年(仁安2年)11月4日修理別当。1188年(文治4年)2月1日権別当。1198年(建久9年)11月3日死去。55歳。
  • 良清()<>:別当45世。行清の次男。竹を号す。
  • 貞清()<>:権別当か。良清の子。
  • 豪清()<>:権別当。良清の子。新竹を号す。
  • 禎清()<>:権別当。豪清の子。新竹を号す。
  • 瀧清()<>:検校39世。良清の子。1328年(嘉暦3年)10月3日、別当を経ずに検校。1292年(正応5年)生。1296年(永仁4年)11月11日権別当。1336年(延元1年/建武3年)9月4日死去。45歳。
  • 朗清()<>:検校46・48・50・53世。別当65世。竹西を号す。1346年(正平1年/貞和2年)1月11日検校。1352年(正平7年/文和1年)1月1日検校再任。1353年(正平8年/文和2年)6月12日検校。1353年(正平8年/文和2年)6月14日、南朝が社務職に任命。1354年(正平9年/文和3年)12月、南朝から検校任命。
  • 性清()<>:別当82世。竹西を号す。
  • 保清()<>:検校72世。西竹家。1414年(応永21年)(1424年(応永31年)とも)7月4日検校。
  • 仲清()<>:検校86世。西竹家。1454年(享徳3年)6月検校・社務職。
  • 証清()<>:検校97世。西竹家。1477年(文明9年)7月2日(1475年(文明7年)2月とも)、検校。
  • 交清()<>:検校。西竹家。1508年(永正5年)(1510年(永正7年)とも)5月11日社務検校。1528年(享禄1年)再任。1529年(享禄2年)8月28日まで社務職。
  • 賞清()<>:権別当。

東竹家

  • 1統清()<>:
  • 2容清()<>:
  • 3照清()<>:検校74世。東竹家。1427年(応永34年)1月18日検校。4月7日まで。
  • 4等清()<>:
  • 5陽清()<>:
  • 6広清()<>:検校95世。東竹家。1473年(文明5年)5月1日検校。
  • 7城清()<>:検校103世。東竹家。1493年(明応2年)9月4日別当を経ずに検校。
  • 8甲清()<>:1585年(天正13年)10月22日死去。東竹家が断絶。
  • 長清()<>:甲清の子。田中家を相続。
  • 召清()<>:田中敬清の子。東竹家を復興。
  • 象清()<>:
  • 充清()<>:
  • 好清()<>:童形。1741年(寛保1年)8月13日早世。
  • 延清()<>:養子。梅渓通条の七男。1752年(宝暦2年)10月2日、東竹家を俗体のまま相続。1764年(明和1年)4月死去。
  • 容清()<>:延清の養子。田中正清の次男。幼名は久丸。1788年(天明8年)8月25日死去。

善法寺家(菊大路家)

善法寺家

  • 1:成清(1122-1199)<>:検校12世。善法寺家初代。1192年(建久3年)2月3日検校。高野検校と号す。
  • 2:祐清(?-1221)<>:成清の子。善法寺と号す。検校13世。善法寺家。1209年(承元3年)9月17日検校。
  • 3?:幸清()<>:祐清の弟。竹と号す。
  • 4?:耀清()<>:幸清の子か。柳と号す。検校16世。善法寺家。1253年(建長5年)8月9日検校。
  • 5?:宝清()<>:祐清の子。家田と号す。
  • 6?:宮清()<>:宝清の子。善法寺を創建。新善法寺と号す。検校17世。善法寺家。新善法寺と号す。1255年(建長7年)3月1日寺務執行。4月8日拝堂。9月3日検校。山井宮清。
  • 7?:尚清(1254-1320)<>:宮清の子。善法寺と号す。検校22世。25世。31世。33世。善法寺家。1295年(永仁3年)12月21日検校。1298年(永仁6年)12月18日辞任。1308年(延慶1年)6月25日、極楽寺院主。同年12月8日検校再任。1312年(正和1年)8月4日辞退。1318年(文保2年)4月5日検校。1319年(元応1年)9月22日検校。山井尚清。
  • 8?:通清()<>:尚清の子。入江また弥勒寺と号す。検校38世。41世。43世。善法寺家。入江、弥勒寺と号す。足利義満の外祖父。1327年(嘉暦2年)10月29日、別当を経ずに検校就任。1328年(嘉暦3年)10月3日辞任。1331年(元徳3年)7月26日検校。1336年(延元1年/建武3年)6月6日検校。
  • 9?:昇清()<>:通清の子。山井と号す。
  • 10?:了清(?-1384)<>:検校63世。善法寺家。1382年(弘和2年/永徳2年)8月30日検校。
  • 11?:宋清(?-1452)<>:検校70世。73世。76世。78世。善法寺家。1409年(応永16年)9月5日検校。1423年(応永30年)2月12日検校。1428年(正長1年)3月19日検校。1443年(嘉吉3年)8月15日検校。
  • 12?:重清()<>:検校79世。善法寺家。1446年(文安3年)4月5日検校。1445年(文安2年)4月5日(1446年(文安3年)4月5日とも)社務職。
  • 13?:透清()<>:検校88世。善法寺家。1457年(長禄1年)8月14日検校。
  • :晃清()<>:8歳。早世。
  • 14?:享清()<>:
  • 15?:興清()<>:善法寺家。初名は公清。1510年(永正7年)8月28日社務職。1510年(永正7年)9月3日、検校。
  • 16?:充清()<>:善法寺家。1537年(天文6年)10月10日検校。
  • 17?:掌清()<>:善法寺家。1545年(天文14年)11月30日検校。
  • 18?:堯清()<>:善法寺家。1568年(永禄11年)別当を経ずに検校。1568年(永禄11年)12月28日社務職。
  • 19?:舜清()<>:
  • 20:幸清()<>:善法寺家。1625年(寛永2年)10月27日、石清水八幡宮検校。
  • 21:有清()<>:善法寺家。1651年(慶安4年)7月25日、石清水八幡宮検校。
  • 22:央清()<>:善法寺家。1697年(元禄10年)5月6日、石清水八幡宮検校。
  • 23:香清()<>:善法寺家。1716年(享保1年)7月23日、検校。
  • 24:統清()<>:善法寺家。1764年(明和1年)1月20日、石清水八幡宮検校。1775年(安永4年)11月25日、大僧正。
  • 25:立清()<>:善法寺家。1802年(享和2年)3月27日、石清水八幡宮検校。
  • 26?:郢清()<>:
  • 27?:〓清()<>:〓は「王共」。
  • 28?:亮清()<>:
  • 業清?()<>:善法寺家。1854年(安政1年)3月7日、石清水八幡宮検校。


家田家

  • 宝清()<>:別当36世。善法寺家5代か。善法寺祐清の子。家田と号す。
  • 長清()<>:別当46世。宝清の孫。宮清の子。
  • 能清()<>:
  • 明清()<>:
  • 紹清()<>:

駿河小路家

  • 栄清()<>:検校28世。30世。32世。37世。別当49世。宮清の子。駿河小路と号す。1315年(正和4年)11月24日検校。1316年(正和5年)12月30日検校。1319年(元応1年)5月4日検校。1327年(嘉暦2年)9月31日(20日とも)検校。初名は澄清。
  • 重清()<>:権別当。栄清の子。早世。
  • 用清()<>:別当。栄清の子。1336年(建武3年)死去。
  • 応清()<>:権別当。栄清の子。
  • 孝清()<>:検校60世。別当。栄清の子。1368年(正平23年/応安1年)5月10日検校。1388年(元中5年/嘉慶2年)死去。梁清とも。
  • 業清()<>:権別当。孝清の子。導清とも。
  • 杲清()<>:検校80世。別当84世。業清の子。善法寺家。駿河小路。1448年(文安5年)4月1日検校。果清。
  • 雍清()<>:検校93世。100世。別当91世。杲清の養子。東竹陽清の子。善法寺家。駿河小路。1469年(文明1年)9月15日検校。1485年(文明17年)閏3月21日検校再任。
  • 奝清()<>:1532年(天文1年)(11月10日)、検校。

科手家

  • 承清()<>:別当50世。宮清の子。
  • 興清()<>:別当66世。承清の子。初名は公清。
  • 増清()<>:修理別当。興清の子。1336年(延元1年)5月4日修理別当。
  • 増清()<>:検校98世。科手?。1478年(文明10年)7月7日検校。系図になし。

入江家

  • 通清()<>:検校38世。41世。43世。善法寺家8代か。尚清の子。入江また弥勒寺と号す。
  • 匡清()<>:検校56世。別当73世。入江。通清の子。1360年(正平15年/延文5年)11月20日(10日とも)別当。1361年(正平16年/康安1年)4月9日検校任命か。
  • 当清()<>:当清の子。権別当。永和の頃、遁世して禅宗に帰依した。
  • 長清()<>:善法寺了清の子。匡清の弟の孫。
  • 鳳清()<>:検校87世。権別当。1455年(康正1年)11月8日検校。
  • 養清()<>:

壇家

  • 1:棟清()<>:検校15世。別当。壇家初代。1238年(暦仁1年)8月4日(3日とも)検校。
  • 2:妙清()<>:検校19世・21世。23世。別当。1280年(弘安3年)5月23日(10月とも)検校。1283年(弘安6年)12月26日検校。1285年(弘安8年)11月25日(3日とも)検校。再任。1298年(永仁6年)12月22日検校再任。
  • 3:朝清()<>:検校24世。27世。29世。34世。36世。別当。1305年(嘉元3年)10月4日妙清の譲りで検校。10月24日宣下で検校。1314年(正和3年)12月検校再任。1316年(正和5年)3月30日検校。1320年(元応2年)10月6日検校。1325年(正中2年)1月12日検校。
  • 4:称清()<>:別当。
  • 5:崇清()<>:検校55世。65世。別当。1360年(正平15年/延文5年)11月21日検校。1387年(元中4年/嘉慶1年)5月4日検校。
  • 6:能清()<>:別当。
  • 7:亮清()<>:別当。
  • 8:豊清()<>:別当
  • 9:周清()<>:検校92世。99世。別当。1468年(応仁2年)12月8日検校。1482年(文明14年)8月15日検校。
  • 10:庸清()<>:検校102世。1491年(延徳3年)6月19日検校。
  • 11:栄清()<>:検校。1584年(天正12年)5月3日検校。壇家。1584年(天正12年)10月8日社務職。
  • 12:舜清()<>:善法寺家を相続。

新壇家

  • 1:龍清()<>:別当。
  • 2:雄清()<>:大隅に住み禅僧となった。
  • 3:延清()<>:
  • 4:秀清()<>:
  • 5:救清()<>:
  • 6:応清()<>:
  • 7:円清()<>:還俗して逐電した。

平等王院家

  • 1:曩清()<>:平等王院家初代。検校44世・47世・52世・54世。別当。1341年(興国2年/暦応4年)9月20日検校。1350年(正平5年/観応1年)12月25日検校。1354年(正平9年/文和3年)4月5日再任。1355年(正平10年/文和4年)3月24日京都より下向。
  • 2:曽清()<>:検校61世。牟礼と号す。1371年(建徳2年/応安4年)6月5日検校。
  • 3:登清()<>:検校66・68世。1391年(元中8年/明徳2年)8月30日検校。1394年(応永1年)1月18日検校。
  • 4:臘清()<>:
  • 5:立清()<>:検校84世。別当。1451年(宝徳3年)12月15日検校。
  • 6:勇清()<>:別当。
  • 7:衆清()<>:別当。
  • 8:享清()<>:別当か。

新善法寺家

  • 1:康清()<>:検校45世。別当。新善法寺家初代。1342年(興国3年/康永1年)3月18日検校。宣下は22日(24日とも)。
  • 2:永清()<>:検校58世。別当。1366年(正平21年/貞治5年)7月14日検校。
  • 3:乗清()<>:別当・検校に就かず。一説に恒明親王の子。
  • 4:要清()<>:別当・検校に就かず。検校に就いたとも。
  • 5:農清()<>:検校77世・81世・89世。1442年(嘉吉2年)10月29日検校。1448年(文安5年)12月29日検校。1458年(長禄2年)8月17日検校。
  • 6:宥清()<>:検校90世・94世。1460年(寛正1年)5月3日検校。1470年(文明2年)10月3日検校再任。
  • 7:〓清()<>:別当・検校に就かず。(〓はマダレに龍)
  • 8:昌清()<>:検校。別当に就かず。1543年(天文12年)6月3日検校。
  • 9:照清()<>:1567年(永禄10年)社務に就任。
  • 10:重清()<>:別当・検校に就かず(就いたとも)。武家からの養子。紀氏以外の者が入るのh異例。
  • 11:常清()<>:検校・別当。1640年(寛永17年)9月23日検校。
  • 12:晃清()<>:検校・別当。1680年(延宝8年)7月25日検校。
  • 13:行清()<>:検校・別当。1712年(正徳2年)12月25日検校。
  • 14:祐清()<>:検校・別当。1751年(宝暦1年)10月24日検校。
  • 15:韶清()<>:別当。検校に就かず。
  • 16:周清()<>:検校。別当に就かず。1786年(天明6年)12月29日検校。
  • 17:旺清()<>:別当。検校に就かず。
  • 18:劭清()<>:別当・検校に就かず。
  • 19:澄清()<>:別当・検校に就かず。還俗して南武胤と名乗る。

(「石清水祠官家系図」より)

画像


参考文献

  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%9F%B3%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE」より作成

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