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若狭彦神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年5月23日 (日)

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若狭彦神社
わかさひこ じんじゃ
Wakasahiko-jinja 001.jpg
概要
奉斎 若狭彦神、若狭比〓神
(土岐昌訓論文)
所在地 福井県小浜市遠敷65-41
所在地(旧国郡) 若狭国遠敷郡
所属(現在) 神社本庁
格式など 式内社名神大社正二位勲八等若狭国一宮国幣中社別表神社
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目次

概要

若狭彦神社(わかさひこ・じんじゃ)は福井県小浜市にある遠敷明神信仰の総本社。祭神は彦火火出見尊東大寺関連旧跡の一つ。若狭彦神社を上社とし、若狭姫神社を下社とし、合わせて上下宮とも呼ばれた。官社名神大社正二位勲八等若狭国一宮国幣中社別表神社。別当は若狭・神宮寺東大寺関連旧跡

『若狭国鎮守一二宮縁起』によると、715年(霊亀1年)9月10日、白石の地に初めて出現(現・白石神社)。

歴史

境内

組織

宮司

  • 成田其一()<1873-1876>:1873年(明治6年)4月、若狭彦神社宮司。1876年(明治9年)4月、気比神宮宮司。
  • 岩満重武()<1876-1879>:鹿児島県出身。1876年(明治9年)8月、若狭彦神社宮司。1879年(明治12年)9月、浅間大社宮司。1890年(明治23年)退任。
  • 乾満昭(1835-1907)<1883-1894>:薩摩国出身。1835年(天保6年)生。1874年(明治7年)5月28日、出雲神社権宮司。1876年(明治9年)7月22日、広田神社少宮司。1878年(明治11年)2月1日、吉田神社宮司。3月21日、教導職中講義。1879年(明治12年)3月21日、大講義。9月4日、気多神社宮司。1880年(明治13年)11月22日、権少教正。1883年(明治16年)5月7日、若狭彦神社宮司。1894年(明治27年)2月16日、退職。1907年(明治40年)3月18日死去。73歳。墓所は青山立山墓地。著書『選択本願念仏集和解』[1]。(「中山研一の刑法学ブログ」[2]
  • 山田岩次郎(1862-1946)<1894-1894>:兵庫県姫路出身の神職。(略歴は、函館八幡宮#組織を参照)
  • 田中俊清(滋岡豊丸)(1868-1947)<>:貴船神社宮司、若狭彦神社宮司、石清水八幡宮宮司を歴任。(略歴は石清水八幡宮#組織を参照)
  • 稲原稔()<>:広島県神社庁副庁長。若狭彦神社宮司。備後護国神社宮司

権宮司

  • 田近陽一郎(1836-1901)<1873-1874>:岡藩士。平田鉄胤に学ぶ。(略歴は西寒多神社#組織を参照)

画像

資料

  • 『国幣中社若狭彦神社誌略・国幣中社若狭姫神社誌略』[3]

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%8B%A5%E7%8B%AD%E5%BD%A6%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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