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藤島神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年7月8日 (土)

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拝殿

藤島神社(ふじしま・じんじゃ)は、福井県福井市の足羽山にある新田義貞を祀る霊社。義貞の墓は、坂井市の越前・称念寺にある。義貞の兜が見つかったとされ、神社発祥の地である新田塚は北3.6kmにある。南朝英雄奉斎神社別格官幣社神社本庁別表神社

足羽山には足羽神社足羽山招魂社もある。


目次

祭神

藤島神社・展望・天皇及偉人を祀れる神社.jpg

主祭神

配祀神

他一族郎党殉難将士

歴史

社殿が存在した頃の新田塚の古写真(1900『日本之名勝』)
新田塚
  • 1338年閏7月2日:藤島の戦いで戦死。越前・称念寺に埋葬。金龍寺殿覚阿弥陀仏真山良悟。源光院とも。
  • 1657年:福万村の嘉兵衛が田んぼから兜を発掘。
  • 1660年3月:福井藩主松平光通が「新田義貞戦死此所」碑を建立。新田塚と呼ばれるようになる。
  • 1737年7月2日:福井藩、称念寺で新田義貞400年忌。幕府より白銀100枚奉納。
  • 1787年:新田義貞450年忌。
  • 1837年:新田義貞500年忌。
  • 1843年:松平春嶽、石垣を整備。
  • 1870年:藩知事松平茂昭が祠を創建。
  • 1870年12月7日:藩知事松平茂昭が上申。「新田義貞に御崇祀を請ひ奉る文」
  • 1872年2月:松平茂昭、「崇祀の儀」を願。県にて費用を計算するように指示。2宮4社の義
  • 1872/2/29:足羽県参事村田氏寿、神祇省へ「新田義貞に御崇礼を請奉る願」を提出。(15日とも)
  • 1874年4月25日:気多神社宮司荒地春樹、新田義貞贈位を建言。
  • 1874年5月3日:太政官から教部省に荒地春樹の建言を諮問。
  • 1874年5月17日:称念寺島津義禎、新田義貞を祀る神社の創建を請願。
  • 1874年5月18日:教部省から太政官に回答。群馬・新田神社創建とのバランスを考慮する必要があり、祭神への贈位の先例もなく調査中とした。
  • 6/23:足羽県参事村田氏寿、教部省に「新田義貞御崇祀伺」を提出。
  • 7/15:議案
  • 1875年3月23日:気比神社権宮司粕屋沙庭が建言。「新田社」の社格および修復について。
  • 1875年3月:(上野国の新田神社創建)
  • 1875年8月22日:敦賀県から教部省へ「新田社」の社格および修復について再度上申。
  • 1875年10月25日:教部省伺
  • 11月7日:回答
  • 1875年11月20日:式部寮から教部省へ回答。
  • 1875年12月:松平茂昭が教部省に建言。
  • 1875年12月18日:教部省から上申。
  • 1875年12月24日:政府案作成
  • 1876年2月14日:教部省から史官へ回答。
  • 3月13日:検査寮から第二科。
  • 3月24日:教部省から第二科。
  • 3月29日:第一科から式部寮。
  • 4月19日:松平茂昭から宮内省に願書。霊代奉納。
  • 1876年(明治9年)4月:(上野国新田神社、県社列格)
  • 5月1日:宮内省から教部省に照会。霊代について。
  • 5月5日:教部省上申。
  • 5月9日:第二科議案。
  • 9月2日:宮内省上申。
  • 9月11日:宮内省に照会。
  • 9月12日:宮内省から第二科へ回答。
  • 9月19日:第二科議案。
  • 10/15:石川県参事熊野九郎、新田義貞に祀典を賜うように上申。
  • 10月27日:式部寮上申。
  • 11月7日:政府回答。霊代については神鏡として、兜は神宝とする。
  • 5月24日:式部寮から第一科。
  • 1876年11月7日:政府、別格官幣社に列格。藤島神社と命名。新田義宗と脇屋義助の配祀を命じる。
  • 11月15日:式部寮の飯田正巳、御霊代を石川県へ護送。幣帛神饌料15円。
  • 11月24日:第二科議案。新田義貞の贈位につき楠木正成と同じ正三位とする。正四位下より。
  • 12月15日:勅使として石川県権令桐山純孝。仮殿に御霊代を奉納。官社としての藤島神社の正式な鎮座といえるか。
  • 12月15日:新田義貞に正三位贈位。当初は「神階」と表記されるが贈位に訂正されている。
  • 1877年1月12日:藤島神社で贈位式。神饌料3円。勅使として石川県権令桐山純孝。贈位奉告を神社で行うのは異例か。
  • 1877年3月9日:藤島神社の順序を湊川神社の次位とする。
  • 5月4日:祭日を8月25日とする。没日を太陽暦に換算。
  • 10/26日:配祀の案を審議
  • 1878年1月10日:政府、石川県、内務省、大蔵省に、藤島神社に「其他殉難戦没之将士一同」の配祀を命じる。名和神社菊池神社も同様。
  • 1月22日:新田義顕、新田義興の配祀を命じる。
  • 6月6日:大蔵省から太政官。神社経費を決す。25日決済。
  • 10/7:明治天皇北陸巡幸に際して勅使として掌典橋本実梁が藤島神社を代拝。
  • 1879年6月:移転願。水害を避けるため。
  • 1879年9月:社殿造営願
  • 1880年3月25日:13日移転申請。23日会計部議案7430円と試算し3か年府県営繕費より支出。土地購入費は別。この日許可。
  • 9月8日:石川県から内務省へ伺。
  • 10月15日:内務省伺。1225円増加。12/15許可。
  • 12月3日:内務部議案。
  • 1881/1月:新社地決定。
  • 1881/8/5:藤島神社、内務省に旧地となる新田塚を元社として摂社創立を請願。のち却下。
  • 1881年12月13日:牧野島の新社殿に遷座。(異説あり11/23とも、1882/9/2とも)
  • 1882年1月12日:藤島神社、内務省に新田義貞の贈位願提出。楠木正成に正一位贈位と新社殿造営を受けて
  • 1882年1月13日:摂社創立は却下されたが、新田塚を藤島神社付属地とする。
  • 8/7:新田義貞に正一位贈位。
  • 9/2:藤島神社に勅使として福井県令石黒務が贈位奉告。(吉田郡誌)
  • 1883年8月6日:脇屋義助に従三位追贈。
  • 1887年:新田義貞550年祭。(吉田郡誌)
  • 1896年:大洪水で被災。(吉田郡誌)
  • 1898年4月15日:足羽山の現在地に新社地決定
  • 1901年5月22日:新社殿造営。設計は伊東忠太。遷座。牧野島の旧地は御旅所となる。(吉田郡誌)
  • 1901年10月:松平康荘、新田塚に「新田公戦没地の碑」建立。
  • 1909年:新田義宗、新田義顕、新田義興に従三位追贈。
  • 1938年:新田義貞600年祭。昭和天皇、祭粢料を下賜。
  • 1945年7/19:福井空襲被災。
  • 1948年6/28:福井大地震で被災。
  • 1957年11/12:社殿再建。
  • 1975年:創立100年大祭。参集殿造営。
  • 1988年:新田義貞650年祭。昭和天皇、祭粢料を下賜。

境内

建武中興十五社
社号 祭神
吉野神宮 後醍醐天皇
鎌倉宮 護良親王
井伊谷宮 宗良親王
八代宮 懐良親王
(配)良成親王
金崎宮 尊良親王
恒良親王
小御門神社 花山院師賢
菊池神社 菊池武時
菊池武重
菊池武光
(配)菊池武政他
湊川神社 楠木正成
(配)楠木正行他
名和神社 名和長年
(配)名和長重他
阿部野神社 北畠親房
北畠顕家
藤島神社 新田義貞
(配)新田義宗他
結城神社 結城宗広
(配)結城親光他
霊山神社 北畠親房
北畠顕家
北畠顕信
北畠守親
四條畷神社 楠木正行
(配)楠木正時他
北畠神社 北畠顕能
(配)北畠親房
(配)北畠顕家
  • 本社:
  • 野神神社:祭神は勾当内侍。2015年10月25日、滋賀県大津市の野神神社から分霊を招いて創建。
  • 新田塚
  • 牧野島御旅所:廃絶か。

組織

宮司

「藤島神社歴代宮司について」[1]

藤島神社歴代宮司
歴代 生没年 在職年 略歴
1 小塩良景 生没年不詳 1876-1881 愛知県士族。白山比咩神社権宮司兼中講義。1874年(明治7年)4月、白山比咩神社宮司。1876年(明治9年)11月23日から1881年(明治14年)5月14日まで藤島神社宮司。1901年(明治34年)8月6日まで金沢地方裁判所判事。
2 大館尚氏 1836-1897 1881-1896 石川県出身。1836年(天保7年)生。新田義貞十一武将の後裔にあたり、1876年(明治9年)藤島神社権宮司。1878年(明治11年)職制改革で藤島神社禰宜。1880年(明治13年)教導職権中講義。1881年(明治14年)11月12日から1896年(明治29年)5月まで藤島神社宮司。1897年(明治30年)4月21日死去。
3 今井清彦 1857-1922 1896-1904 伊勢国出身。神宮本教館で学ぶ。気比神宮宮司。1896年(明治29年)5月18日から1904年(明治37年)10月15日まで藤島神社宮司を兼務。(略歴は、伏見稲荷大社#組織を参照)
4 加納利亮 1862-? 1904-1913 福井県出身。1862年(文久2年)生。1884年(明治17年)若狭彦神社主典。1887年(明治20年)若狭彦神社禰宜。1895年(明治28年)、気比神宮主典。1896年(明治29年)藤島神社禰宜。1904年(明治37年)10月15日、藤島神社宮司。1913年(大正2年)3月19日、若狭彦神社宮司。1916年(大正5年)5月1日、神宮神部署神部。1923年(大正12年)1月24日、神宮神部署主事。1924年(大正13年)11月26日退任。劔神社社司?。『新田公御略伝』。加納時千代。
5 馬場鶴雄 1860-? 1913-1929 1860年(万延1年)生。1913年(大正2年)3月31日から1929年(昭和4年)3月5日まで藤島神社宮司。福井・神明神社社司。馬塲鶴雄。
6 二宮正彰 1894-1981 1929-1932 富山県出身。1894年(明治27年)生。1916年(大正5年)国学院大学師範部卒。1917年(大正6年)宮内省式部職に出仕。1924年(大正13年)橿原神宮禰宜。1925年(大正14年)6月30日、橿原神宮権宮司。1929年(昭和4年)3月5日から1932年(昭和7年)4月16日まで藤島神社宮司。1932年(昭和7年)函館八幡宮宮司。1933年(昭和8年)皇典講究所主事。1936年(昭和11年)吉田神社宮司。1943年(昭和18年)から1978年(昭和53年)まで生国魂神社宮司。京都国学院院長。1981年(昭和56年)5月16日死去。1973年(昭和48年)神社本庁長老。遺稿集『神万物心道万行源』。(略歴は、生国魂神社#組織を参照)
7 佐藤東 1895-1988 1932-1934 神社本庁長老。大分県出身。1932年(昭和7年)4月16日から1934年(昭和9年)3月26日まで藤島神社宮司。(略歴は浅間大社#組織を参照)
8 片岡常男 1895-1960 1934-1939 岡山県出身。1895年(明治28年)生。1918年(大正7年)国学院大学師範部卒。1920年(大正9年)明治神宮主典。1924年(大正13年)伏見稲荷大社主典。1930年(昭和5年)日光東照宮禰宜。1932年(昭和7年)北畠神社宮司。1934年(昭和9年)3月26日から1939年(昭和14年)8月26日まで藤島神社宮司。1939年(昭和14年)白山比咩神社宮司。1944年(昭和19年)宮崎神宮宮司。大日本神祇会宮崎県支部副支部長、皇典講究所協議員として神社本庁の設立に関わる。1946年(昭和21年)3月、初代宮崎県神社庁長。1960年(昭和35年)2月2日死去。
9 横井時常 1906-1998 1939-1940 愛知県出身。1906年(明治39年)生。1928年(昭和3年)神宮皇学館本科卒。鶴岡八幡宮禰宜を経て1939年(昭和14年)8月26日から1940年(昭和15年)12月27日まで藤島神社宮司。1940年(昭和15年)神祇院教務官。1941年(昭和16年)海軍省出向。1944年(昭和19年)神祇院教務官に復帰。1945年(昭和20年)靖国神社権宮司。GHQと交渉。1959年(昭和34年)広島護国神社宮司。1967年(昭和42年)近江神宮宮司。1998年(平成10年)1月27日死去。著書『縁起の本』『神道は仏教基教の母体』。(略歴は、近江神宮#組織を参照)
10 磯部稜威雄 1893-1980 1940-1944 山口県出身。1893年(明治26年)生。1918年(大正7年)国学院大学師範部卒。中等学校教諭などを経て1932年(昭和7年)内日神社社掌。1938年(昭和13年)宮崎神宮禰宜。1940年(昭和15年)12月27日から1944年(昭和19年)3月14日まで藤島神社宮司。1944年(昭和19年)神奈川県祭務官。1945年(昭和20年)野田神社豊栄神社宮司。1950年(昭和25年)忌宮神社宮司。1980年(昭和55年)5月7日死去。礒部稜威雄。
11 安斎二郎 1905-1980 1944-1980 福島県出身。1905年(明治38年)生。京都帝国大学文学部史学科卒。神宮宮掌、神宮権禰宜を経て1944年(昭和19年)3月14日、藤島神社宮司。1945年(昭和20年)福井神社を兼務。1980年(昭和55年)1月28日、在職で死去。
12 杉原永綏 1919- 1980-1983 福井県出身。1919年(大正8年)生。1943年(昭和18年)国学院大学国史学科卒。1949年(昭和24年)敦賀日吉神社宮司。1980年(昭和55年)8月20日から1983年(昭和58年)4月1日まで藤島神社宮司。著書『角鹿』『敦賀の遊廓について』『古制双六について』。
13 上島清彦 1922-1995> 1983-1995 福井県出身。1922年(大正11年)生。1943年(昭和18年)国学院大学国文学科卒。同年石上神宮主典。1945年(昭和20年)尾張大国霊神社主典、翌年禰宜。同年、箱根神社禰宜。1947年(昭和22年)大瀧神社禰宜。1966年(昭和41年)大瀧神社宮司。1983年(昭和58年)4月1日、藤島神社宮司。1995年(平成7年)4月6日、在職で死去。
14 山本隆重 1947- 1995-2011 1947年(昭和22年)生。1993年(平成5年)福井神社宮司。1995年(平成7年)8月10日から2011年(平成23年)4月30日まで藤島神社宮司。
15 新田義和 2016- 2001年(平成13年)国学院大学卒。2011年(平成23年)藤島神社宮司代務者。2016年(平成28年)5月1日、藤島神社宮司。

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%97%A4%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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