ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

明治神宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年10月23日 (土)

移動: 案内, 検索
明治神宮
めいじ じんぐう
Meiji-jingu (1).jpg
概要 明治天皇の霊廟。
奉斎 明治天皇、昭憲皇太后
(土岐昌訓論文)
所在地 東京都渋谷区代々木神園町1-1
所在地(旧国郡)
所属(現在) 神社本庁
格式など 官幣大社別表神社勅祭社
関連記事 明治天皇旧跡維新期英雄奉斎神社


目次

概要

明治神宮は東京都渋谷区にある首都東京を代表する、明治天皇を祀る霊社

歴史

境内

組織

宮司

戦前は摂家クラスの華族か大将クラスの軍人が就任している。

明治神宮歴代宮司
世数 生没年 在職年 略歴
1 一条実輝 1866-1924 1920-1924 五摂家の一つ公爵一条家の当主。四条家の出身。四条隆謌の七男。幼名は孝丸。1883年(明治16年)一条家を相続する。翌年公爵。1887年(明治20年)海軍兵学校卒。1889年(明治22年)海軍少尉。1893年(明治26年)海軍大尉。1904年(明治37年)フランス公使館付武官。1908年(明治41年)海軍大佐・東宮侍従長。1912年(大正1年)掌典次長。1913年(大正2年)宮中顧問官。1914年(大正3年)、一条家出身である昭憲皇太后の大喪儀の祭官長を務める。1920年(大正9年)明治神宮宮司。明治神宮歴史データベースによると明治神宮宮司に選ばれたのは「昭憲皇太后の御生家の当主であるとともに、人格・閲歴・声望ともに申し分なく、明治天皇の御信任厚く、特に思召により、海軍大佐の職を退いて東宮侍従長に任ぜしめられた経歴によるところが大きい。また掌典次長であった経験から、祭式にも熟達していた」という。1924年(大正13年)7月8日死去。59歳。
2 一戸兵衛 1855-1931 1924-1931 陸軍大将。弘前藩出身。一戸範貞の長男。1855年(安政2年)生。陸軍戸山学校で学ぶ。1877年(明治10年)西南戦争に従軍。1915年(大正4年)8月、陸軍大将。1920年(大正9年)学習院院長。1924年(大正13年)8月19日明治神宮宮司。帝国在郷軍人会会長。1931年(昭和6年)9月2日死去。墓所は多磨霊園
3 有馬良橘 1861-1944 1931-1943 海軍大将。和歌山藩医有馬広徳の子。1861年(文久1年)生。1882年(明治15年)海軍兵学校入校。1888年(明治21年)海軍少尉。1896年(明治29年)から1898年(明治31年)まで侍従武官。日清戦争・日露戦争に従軍。1912年(大正1年)の明治天皇大喪で御霊柩に供奉。海軍兵学校長。1917年(大正6年)第三艦隊司令長官。1919年(大正8年)、海軍大将。1931年(昭和6年)明治神宮宮司。同年、枢密顧問官。国民精神総動員運動中央連盟会長。1944年(昭和19年)5月1日死去。84歳。
4 藤田尚徳 1880-1970 1943-1944 海軍大将。弘前藩士藤田潜の子。東京出身。1880年(明治13年)生。1898年(明治31年)海軍兵学校入学。1903年(明治36年)海軍少尉。日露戦争従軍。海軍大学校卒。1932年(昭和7年)6月海軍次官。1934年(昭和9年)5月、呉鎮守府司令長官。1936年(昭和11年)海軍大将。1938年(昭和13年)予備役。1943年(昭和18年)8月27日、明治神宮宮司。1944年(昭和19年)8月29日から1946年(昭和21年)まで侍従長。1970年(昭和45年)7月23日死去。著書『侍従長の回想』。
5 鷹司信輔 1889-1959 1944-1959 初代神社本庁統理。五摂家の一つ公爵鷹司家の当主。鷹司?通の長男。1889年(明治22年)生。1918年(大正7年)6月、鷹司家当主を継ぎ公爵。貴族院議員。1935年(昭和10年)3月、華族会館館長。1940年(昭和15年)9月、宮内庁宗秩寮審議官。1944年(昭和19年)8月、明治神宮宮司。1946年(昭和21年)3月、神社本庁統理。1959年(昭和34年)死去。69歳。
6 甘露寺受長 1880-1977 1959-1972 伯爵甘露寺家の当主。甘露寺義長の長男。1880年(明治13年)生。9歳から宮中に出仕して大正天皇御学友。東宮侍従、侍従次長を歴任し、昭和天皇の側近となる。1946年(昭和21年)掌典長。1950年(昭和25年)、勅祭社宮司の天皇拝謁を実現させ、勅祭社宮司会の発足につながる。1953年(昭和28年)第59回伊勢神宮式年遷宮に勅使として参向。1959年(昭和34年)退官し、明治神宮宮司。1972年(昭和47年)退職。1977年(昭和52年)死去。
7 伊達巽 1894-1988 1972-1979 広島県出身。1894年(明治27年)生。1920年(大正9年)皇典講究所神職養成部神職教習科卒。熱田神宮宮掌。1927年(昭和2年)熱田神宮主典。1931年(昭和6年)日吉大社禰宜。1933年(昭和8年)御上神社宮司。1935年(昭和10年)唐沢山神社宮司。1937年(昭和12年)津島神社宮司。1944年(昭和19年)、大日本神祇会常務理事。戦後、秋岡保治と共に大日本神祇会の代表として奔走し、神祇本庁設立準備中央委員を務め、神社本庁設立に尽力。1948年(昭和23年)4月1日、函館八幡宮宮司。1952年(昭和27年)6月28日、明治神宮権宮司。1953年(昭和28年)、明治神宮復興奉賛会の活動に尽力し、社殿再建のための募財に奔走。神宮球場にプロ野球を誘致し、明治記念館を直営とした。神社本庁理事、常務理事を歴任。1972年(昭和47年)3月31日宮司に就任。1974年(昭和49年)5月22日神社本庁長老。1988年(昭和63年)8月31日死去。『新輯明治天皇・昭憲皇太后御集』『明治天皇詔勅謹解』『大日本帝国憲法制定史』編纂に関わる。
8 高沢信一郎 1908-1998 1979-1989 東京出身。1908年(明治41年)生。1933年(昭和8年)国学院大学道義学科倫理科卒。1934年(昭和9年)応召。1935年(昭和10年)明治神宮出仕。1936年(昭和11年)主典。1947年(昭和22年)禰宜。1948年(昭和23年)、神社本庁の祭式を定めた際、その解説書である『神社祭式同行事作法儀註』の原案を作成した。1965年(昭和40年)から1979年(昭和54年)まで神社本庁祭式講師。1972年(昭和47年)権宮司を経て1979年(昭和54年)4月1日宮司。1965年(昭和40年)から1968年(昭和43年)まで国学院大学教授。神社本庁理事。1981年(昭和56年)儀礼文化学会会長。1985年(昭和60年)神社本庁長老。1998年(平成10年)4月17日死去。89歳。著書『明治天皇詔勅謹解』。
9 福島信義 1911-2003 1989-1994 1911年(明治44年)生。国学院大学神道部卒。亀戸香取神社、長田神社に奉職。1941年(昭和16年)明治神宮主典。1953年(昭和28年)禰宜。1953年(昭和28年)復興奉賛会事務局長、1955年(昭和30年)臨時造営部総務課長、1958年(昭和33年)遷座祭事務局総務部長。1960年(昭和35年)に社殿再興。1964年(昭和39年)明治記念館館長。1972年(昭和47年)権宮司。1989年(平成1年)宮司。1990年(平成2年)神社本庁長老。2003年(平成15年)死去。92歳。
10 外山勝志 1932- 1994-2007 北海道出身。1932年(昭和7年)生。国学院大学文学部宗教学科卒。1956年(昭和31年)明治神宮に奉職。1994年(平成6年)3月、宮司。2007年(平成19年)7月31日退任。
11 中島精太郎 1946- 2007-2021 北海道出身。1946年(昭和21年)生。国学院大学文学部神道学科卒。1968年(昭和43年)明治神宮に奉職。1974年(昭和49年)権禰宜、1995年(平成7年)禰宜、2003年(平成15年)権宮司、2007年(平成19年)宮司。2021年(令和3年)3月31日退任。
12 九条道成 2021- 五摂家の一つ九条家36代目当主。平安神宮宮司九条道弘の子。2021年(令和3年)4月1日、明治神宮宮司。

権宮司

1972年(昭和47年)から3人体制。

  • 鈴木松太郎(1872-1955)<1920-1925>:熱田神宮権宮司から転任して1920年(大正9年)10月8日、権宮司。1925年(大正14年)2月12日、二荒山神社宮司。(略歴は、伏見稲荷大社#組織を参照)
  • 江見清風(1868-1939)<>:1925年(大正14年)2月12日、八坂神社宮司から転任して明治神宮権宮司。1928年(昭和3年)5月9日、春日大社宮司。(略歴は、春日大社#組織を参照)
  • 秋岡保治(1886-1971)<1928?-1937>:神社本庁事務総長7代。1928年(昭和3年)、明治神宮権宮司就任か。1937年(昭和12年)12月1日、春日神社宮司。(略歴は、伊勢神宮#組織を参照)
  • 中島正国(1896-1954)<1937?-1945>:1937年(昭和12年)(?)鶴岡八幡宮宮司から転任して明治神宮権宮司。1945年(昭和20年)4月11日、諏訪大社宮司。
  • 田中喜芳(1894-)<1945-1952>:1945年(昭和20年)4月11日、神宮禰宜から転任して明治神宮権宮司。1952年(昭和27年)6月28日退任。国学院大学理事。のち神宮少宮司。(略歴は、伊勢神宮#組織を参照)
  • 伊達巽(?-1988)<1952-1972>:1952年(昭和27年)6月28日、函館八幡宮宮司から転任して明治神宮権宮司。1972年(昭和47年)3月31日、明治神宮宮司に就任。
  • 高沢信一郎(1908-1998)<1972-1979>:1972年(昭和47年)明治神宮禰宜から権宮司。1979年(昭和54年)4月1日宮司。
  • 福島信義(1911-2003)<1972-1989>:1972年(昭和47年)権宮司。1989年(平成1年)4月1日宮司。
  • 副島広之(1913-2007)<1972-1987>:広島県広島市出身。1913年(大正2年)生。1934年(昭和9年)国学院大学神道部卒。1972年(昭和47年)明治神宮禰宜から権宮司。1987年(昭和62年)9月30日退任。日本を守る会・日本を守る国民会議(現日本会議)初代事務総長。世界連邦日本宗教委員会議長。2007年(平成19年)死去。
  • 在間完一郎(?-1997)<1979-1993>:1979年(昭和54年)4月1日、禰宜から権宮司。1993年(平成5年)3月31日退任。1997年(平成9年)死去。
  • 谷口寛(?-2004)<1982-1994>:1982年(昭和57年)2月22日、禰宜から権宮司。1994年(平成6年)2月28日退任。2004年(平成16年)8月27日死去。
  • 外山勝志()<1987-1994>:1987年(昭和62年)12月1日、明治神宮権宮司。1994年(平成6年)3月1日宮司。
  • 鎌田紀彦(1939-)<1994-1998>:1994年(平成6年)3月1日、明治神宮禰宜から権宮司。1998年(平成10年)6月30日退任。翌日付で大宮八幡宮宮司。
  • 毛利義就()<1994-2006>:1994年(平成6年)3月1日、明治神宮禰宜から権宮司。2006年(平成18年)6月30日退任。
  • 田中安比呂(1942-)<1997-2003>:1942年(昭和17年)生。1997年(平成9年)4月1日、明治神宮禰宜から権宮司。2003年(平成15年)8月28日、賀茂別雷神社宮司。(略歴は賀茂別雷神社#組織を参照)
  • 戸沢真()<1999-2007>:1999年(平成11年)4月1日、禰宜から権宮司。2007年(平成19年)7月31日退任。
  • 中島精太郎()<2003-2007>:2003年(平成15年)9月15日、禰宜から権宮司。2007年(平成19年)8月1日、宮司。
  • 宮崎重広()<2007-2017>:2007年(平成19年)8月15日権宮司。2017年(平成29年)8月31日退任。宮﨑重廣。
  • 男成洋三(1953-)<2011-2016>:1953年(昭和28年)生。2011年(平成23年)4月1日、明治神宮禰宜から権宮司。2016年(平成28年)3月31日退任。翌日付で熊野那智大社宮司。(略歴は熊野那智大社#組織を参照)
  • 網谷道弘()<2011->:2011年(平成23年)4月1日、明治神宮禰宜から権宮司。
  • 九条道成()<2016->:九条家当主。平安神宮宮司の九條道弘の長男。2016年(平成28年)9月1日、明治神宮禰宜から権宮司。宗教法人審議会委員。
  • 江馬潤一郎()<2017->:岐阜県高山市出身。2017年(平成29年)9月1日就任。

画像

明治神宮

明治神宮外苑

参考文献

  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E7%A5%9E%E5%AE%AE」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール