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勅祭社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年11月19日 (火)

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勅祭社(ちょくさいしゃ)とは、近現代で例祭に勅使が参向して幣帛を奉る神社のことである。伊勢神宮神嘗祭などにも勅使が参向して幣帛を奉るが、通常は勅祭社に含めない。法制度的には明確でないが、伊勢神宮を除き近代で国家的にもっとも重要視された神社であるといえる。寺院については勅会執行寺院を参照。神宮祭祀、宮中祭祀陵墓祭祀、旧官国幣社・旧指定護国神社臨時祭への奉幣、一部寺院での勅会、一部社寺への香華料下賜などとともに、戦後も行われている皇室の祭祀の一つである(法律上は天皇家の私的な信仰とされる)。

なお同じ近代でも勅祭神社、准勅祭神社(准勅祭社)は、この勅祭社とは別系統の制度である(初期近代社格制度)。 『明治天皇の御敬神』に「勅祭社の御制定」[1]という項目があるが、初期近代社格制度における勅祭神社のことを挙げているようである。

宮崎神宮を勅祭社とする請願[2]が1922年(大正11年)以降たびたびあり国会で議決されたが、採用されなかったようである(この種の国会議決で採用されたケースはほとんどないと思われる)。

目次

歴史

江戸時代には、東照大権現鎮座に合わせ復興・新設された伊勢神宮神嘗祭日光東照宮例祭への例幣使参向や、中世以来の賀茂神社賀茂祭(葵祭)・春日大社春日祭石清水八幡宮放生会(石清水祭)の三勅祭があった。勅祭という言葉は多義的だが、直接にはこれらが近代の勅祭社のベースになったと思われる。

1879年(明治12年)10月、「勅使参向正略式内規」が定められた[3]

海外領土の神社については1926年(昭和1年)に「官幣大社朝鮮神宮例祭勅使参向ノ件」[4]が定められた。

制度

近代において勅祭社を定めた法令の存在は確認できない。そもそも、勅使自体は必要に応じて各地(社寺陵墓だけではない)に派遣されるものである。臨時に特別に派遣されるものである。それが特定の神社に関しては、毎回派遣されるようになったため、その対象となる神社の格式を示す社格のようなものとして認識されるようになり、その結果、勅祭社とカテゴライズされるようになったのだと思われる。

勅祭社となった神社は主に官幣大社であるが、これらは近代神祇制度において、国家的にもっとも重要視された神社であるといえるだろう。勅祭社は最高位の社格である官幣大社のなかで、特に重要視された神社ということである。 さらに国家的な待遇の差を示すために下の表には、権宮司設置の有無と、四方拝の対象の有無を掲げた。以下の表は復古主義的な秩序に基づき、賀茂別雷神社を筆頭としているが、勅祭社であり、さらに権宮司と四方拝の両方の待遇を受けた熱田神宮は近代において、伊勢神宮に次ぐ国家的な重要性を認められていたとはいえないだろうか(実際、熱田神宮を伊勢神宮同様に社格の外に置く動きもあった。)。

天皇の崩御直後の喪中には勅使参向はない?

勅祭社一覧

勅祭社一覧
順序 社格 社名 座数 勅使参向 例祭日(現在) 勅祭社指定 権宮司設置 四方拝
1 官幣大社 賀茂別雷神社 1 毎年 5/15 1883年(明治16年)9月22日
2 官幣大社 賀茂御祖神社 2 毎年 5/15 1883年(明治16年)9月22日
3 官幣大社 石清水八幡宮 3 毎年 9/15 1883年(明治16年)9月22日
4 官幣大社 春日大社 4 毎年 3/13 1885年(明治18年)4月6日 ×
5 官幣大社 氷川神社 3 毎年 8/1 1892年(明治25年)6月23日
6 官幣大社 香取神宮 1 12年ごと 4/14 1941年(昭和16年)12月23日
7 官幣大社 鹿島神宮 1 12年ごと 9/1 1941年(昭和16年)12月23日
8 官幣大社 熱田神宮 1 毎年 6/5 1917年(大正6年)2月1日 1882年(明治15年)
9 官幣大社 出雲大社 1 毎年 5/14 1917年(大正6年)2月1日 1882年(明治15年) ×
10 官幣大社 宇佐神宮 3 10年ごと伺定日 3/18 1925年(大正14年)2月5日 ×
11 官幣大社 香椎宮 2 10年ごと伺定日 10/29 1925年(大正14年)2月5日 ×
12 官幣大社 橿原神宮 2 毎年 2/11 1917年(大正6年)2月1日 1920年(大正9年) ×
13 官幣大社 平安神宮 2 毎年 4/15 1945年(昭和20年)12月15日 ×
14 官幣大社 明治神宮 2 毎年 11/3 1920年(大正9年)10月15日 1920年(大正9年) ×
15 官幣大社 近江神宮 1 毎年 4/20 1945年(昭和20年)12月15日 ×
16 別格官幣社 靖国神社 2 毎年二度 4/22・10/18 1869年(明治2年)6月23日 1938年(昭和13年) ×
官幣大社 朝鮮神宮(廃絶) 毎年 (10/17) 1935年(昭和10年) ×
  • 「現在勅祭社一覧」(1963年(昭和38年)2月25日掌典職調)『神道の基礎知識と基礎問題』に基づく。
  • 香取神宮、鹿島神宮に関しては、毎年例祭に金幣を護送しているという。
  • 宇佐神宮、香椎宮に関しては、毎年例祭に金幣を郵送しているという。
  • 資料は昭和戦後期のものであるので、朝鮮神宮の順序に関しては、記述がないので不明である。

各社

春日大社

『祭祀について』の「勅祭・序説」[5]「春日祭」[6]に次のようにある。例祭日に関することのみで、勅祭そのものについては記述がない。 「春日祭の場合も明治四年に従前の二月、十一月の二回を春季一回とし、同七年には申日を廃して二月一日と改め、更に同十九年の旧儀御再興の時に現今の如く三月十三日と定められたのである。」

賀茂別雷神社・賀茂御祖神社

『祭祀について』の「勅祭・序説」[7]「賀茂祭」[8]には1884年(明治17年)に復興とある。「現在勅祭社一覧」には1883年(明治16年)9月22日とあるが、復興後初めての執行が1884年(明治17年)ということだろうか。「機弥熟して東山天皇元禄七年四月十八日(中酉ノ日)に御再興になる、それ以来年々絶ゆる事はなかったが、明治五年を以て旧儀による行粧は一時廃止となり、更に同十七年に旧儀御再興、五月十五日を以て祭日と定められた。然るに尚ほ旧儀に悖る所があったので、大正十五年再び旧儀復興改正の事が行はれて今日に及んでいる。」

石清水八幡宮

『祭祀について』の「勅祭・序説」[9]「石清水祭」[10]に次のようにある。 「然るに明治維新後再び中絶し、明治十七年に更に勅祭として御再興になったのが、現在の石清水祭で、此の時以来八月十五日を改めて九月十五日と定められた」

出雲大社

『大社叢書』第4[11]に次のようにある。1917年(大正6年)2月1日指定とする「現在勅祭社一覧」の記述と一致する。 「明治四十五年七月三十日、明治天皇崩御、大正天皇の御代となる。大正四年十一年十日京都に於て御即位の大禮をあげさせられ、同日出雲大社に於て奉告祭を奉仕す。同十四日大嘗会の大祭を行はせ給ふにより、出雲大社に於て大嘗祭を奉仕せり。従来出雲大社の御例祭又特別なる祭典には、地方長官御使として参向したりしを、大正六年より、御例祭には、宮内省より掌典を 勅使として差しつかはさるる事を仰せ出され、即ち 勅祭の社となし給へり。而して大正十五年五月十日には特に例祭式を定め、内務省令として発布せしめ給ふ。」

氷川神社

中澤信宏『宮中祭祀』によると毎年8月1日の勅祭に宮内庁楽部の楽人が派遣され、御神楽東遊を奉納するが、公務員であるため楽人は休暇を取って奉仕しているという。

熱田神宮

明治5年6月21日に勅使が参向し奉幣。のちこの日が熱田神宮の例祭となる。大正6年から勅使参向が恒例となる。戦後、例祭が6月5日に変更された。

香取神宮

昭和17年から昭和23年までは毎年勅使が派遣された。その後、昭和29年、昭和41年と勅使参向。昭和49年の勅使参向より6年ごとの派遣となった。 (のち12ごととなる?)

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%8B%85%E7%A5%AD%E7%A4%BE」より作成

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