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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

香取神宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年7月19日 (金)

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香取神宮
かとり じんぐう
Katori-jingu (26).jpg伊勢神宮古社殿を利用した奥宮
概要 香取神社の総本社。
奉斎 伊波比主命
(土岐昌訓論文)
所在地 千葉県香取市香取1697
所在地(旧国郡) 下総国香取郡
所属(現在) 神社本庁
格式など 式内社名神大社正一位勲一等下総国一宮朱印地拝領神社官幣大社別表神社勅祭社
関連記事 香取信仰春日信仰春日大社旧跡中臣氏旧跡


目次

概要

香取神宮(かとり・じんぐう)は、千葉県香取市にある香取信仰の総本社。対となる鹿島神宮と共に中臣氏藤原氏ゆかりの神社。剣の神、戦の神。遠隔地ながら朝廷から重視され、古代から神宮を称した。下総国一宮官幣大社別表神社勅祭社鹿島神宮・香取神宮関連旧跡春日大社関連旧跡も参照。


歴史

境内

組織

大宮司(大宮司、神主)と大禰宜で両社務と呼ばれた。

大宮司(前近代)

  • 香取五百島()<>:「続日本紀」に登場。香取五百嶋。
  • 大中臣清暢()<>:大中臣管雄の子。大中臣清麿の末裔。香取五百島の養子。
  • 秋雄()<>:
  • 広雄()<>:
  • 宜年()<>:
  • 海津()<>:
  • 数並()<>:
  • 円尾()<>:
  • 国義()<>:
  • 中沢()<>:
  • 良楫()<>:
  • 足種()<>:
  • 躬鹿()<>:
  • 興名()<>:
  • 国守()<>:
  • 弟守()<>:
  • 池守()<>:
  • 豊人()<>:
  • 清風()<>:
  • 今継()<>:
  • 武名()<>:
  • 諸名()<>:
  • 楫名()<>:
  • 蔭直()<>:
  • 蔭賢()<>:
  • 通文()<>:
  • 隆文()<>:
  • 臣成()<>:
  • 成村()<>:
  • 道老()<>:
  • 清基()<>:
  • 真弘()<>:
  • 中臣弘廉()<-1142>:
  • 真平()<>:
  • 真房()<>:
  • 惟房()<>:最初は大禰宜となりのち大宮司。
  • 大中臣実基()<1132->:真元。「香取大宮司本系」になし。
  • 中臣助重()<1142-1175>:鹿島大宮司中臣則良の弟。
  • 大中臣国房()<>:
  • 大中臣知房()<1175->:重房?。友房。1175年(安元1年)8月宮司。(「香取系図」)
  • 中臣助重()<>:
  • 大中臣知房()<>:
  • 中臣助道()<>:
  • 中臣助康()<1186->:助重の子。
  • 中臣助広()<>:中臣氏系最後か。「香取大宮司本系」になし。
  • 長時()<>:
  • 重房()<>:
  • 大中臣周房()<1197->:大中臣知房の子。1197年(建久8年)2月神主職。(「香取系図」)
  • 大中臣広房()<1206->:1206年(建永1年)6月神主職。(「香取系図」)
  • 実村()<>:
  • 惟実()<>:神主。(「香取系図」)
  • 実広()<>:神主。(「香取系図」)
  • 実宗()<>:
  • 実義()<>:
  • 大中臣実秀()<-1304->:神主兼大禰宜。(「香取系図」)
  • 実康()<1293->:大宮司兼大禰宜。1293年(永仁1年)11月神主職。1299年(正安1年)10月神主職再任。(「香取系図」)
  • 実康()<1299->:再任。(「香取系図」)
  • 実高()<>:
  • 実佳()<>:
  • 実房()<>:
  • 実盛()<>:神主。(「香取系図」)
  • 実清()<>:
  • 実頼()<>:
  • 実幹()<>:
  • 実秋()<>:
  • 実綱()<>:神主。(「香取系図」)
  • 実持()<>:
  • 実材()<1320->:1320年(元応2年)12月神主職。1323年(元亨3年)8月再任。1325年(正中2年)9月再任。(「香取系図」)
  • 実材()<1323->:再任。
  • 実材()<1325->:再任。
  • 大中臣実幸()<1345-1350>:1345年(貞和1年)11月神主職。(「香取系図」)
  • 大中臣秀広()<1350->:
  • 実顕()<>:
  • 実雄()<-1366->:神主。1366年(貞治5年)在職。(「香取系図」)
  • 祐房()<>:
  • 公綱()<>:
  • 大中臣実公()<>:神主。(「香取系図」)
  • 大中臣長房()<1378->:大中臣実長の子。大禰宜兼大宮司。1344年(康永3年)12月、大禰宜就任(「香取系図」)、1378年(永和4年)大禰宜兼神主職(「香取系図」)。
  • 範直()<>:
  • 幸房()<>:
  • 秀房()<>:
  • 幹房()<>:
  • 元房()<>:
  • 真房()<>:
  • 国房()<>:大宮司。(「香取系図」)
  • 吉房()<>:
  • 元房()<1430->:大宮司。1430年(永享2年)12月神主職。(「香取系図」)
  • 治房()<>:大宮司。(「香取系図」)
  • 盛房()<>:大宮司。(「香取系図」)
  • 秀房()<1665->:親房とも。大禰宜。大宮司。大禰宜を経て1665年(寛文5年)大宮司就任。(「香取系図」)
  • 大中臣範房(-1665)<>:大宮司。慶安年間。1665年(寛文5年)11月9日死去。(「香取系図」)
  • 定房(-1668)<>:大宮司。1668年(寛文8年)9月8日死去。25歳?。(「香取系図」)
  • 清房(-1748)<-1698>:由房とも。実富の後、大禰宜となる。のち大宮司。1698年(元禄11年)追放される。1748年(寛延1年)6月10日死去。91歳。(「香取系図」)
  • 勝房(-1714)<1700->:大禰宜を経て1700年(元禄13年)大宮司。1714年(正徳4年)11月5日死去。70歳。(「香取系図」)
  • 和雄(-1737)<>:正雄。1722年(享保7年)2月大宮司。1737年(元文2年)2月21日死去。54歳。(「香取系図」)
  • 吉雄(-1737)<>:1737年(元文2年)8月20日死去。
  • 豊房(-1797)<1738->:明雅。海上八幡宮神主松本勝明の次男。1738年(元文3年)7月6日大宮司。1797年(寛政9年)8月21日死去。(「香取系図」)
  • 森房(-1801)<>:1801年(享和1年)6月25日死去。(「香取系図」)
  • 敷房(-1834)<-1823->:1834年(天保5年)6月17日死去。(「香取系図」)
  • 照房(-1844)<>:1844年(弘化1年)6月13日死去。(「香取系図」)


  • 未見:『香取大宮司系図』(続群書類従179)
  • 「香取大宮司本系」[1]
  • 「香取系図」[2]
  • 要検討

大禰宜(前近代)

  • 惟房()<>:大宮司真房の子。最初は大禰宜となりのち大宮司。
  • 実員()<>:惟房の子。「香取系図」になし。
  • 大中臣真平()<>:1106-1135頃。35世。
  • 大中臣実房()<-1134->:真房。36世。
  • 維房()<-1156->:37世。1156年(保元1年)在職(「香取系図」)。
  • 実員()<1196->:38世。1196年(建久7年)11月、大禰宜就任(「香取系図」)。
  • 実澄()<-1229->:39世。1229年(寛喜1年)在職(「香取系図」)。
  • 実藤()<>:40世。(「香取系図」)
  • 実久()<>:41世。(「香取系図」)
  • 大中臣実秀()<1288->:神主兼大禰宜。「香取系図」になし。
  • 実康()<>:大宮司兼大禰宜。「香取系図」になし。
  • 実政()<-1271->:42世。1271年(文永8年)在職(「香取系図」)。
  • 大中臣実親()<1295->:実政の子。43世。1295年(永仁3年)12月大禰宜就任(「香取系図」)。
  • 大中臣実国()<-1312->:「香取系図」になし。
  • 実成()<>:「香取系図」になし。
  • 大中臣実胤()<-1299->:道寂。44世。1299年(正安1年)在職(「香取系図」)。
  • 大中臣実長()<1315->:45世。1315年(正和4年)11月大禰宜就任(「香取系図」)。
  • 大中臣長房()<1344->:大中臣実長の子。大禰宜兼大宮司。1344年(康永3年)12月、大禰宜就任(「香取系図」)、1378年(永和4年)大禰宜兼神主職(「香取系図」)。
  • 幸房()<-1385->:47世。大禰宜兼大宮司。1385年(至徳2年)在職(「香取系図」)。
  • 大中臣実幹()<>:「香取大宮司本系」「香取系図」になし。
  • 大中臣幸胤()<-1407->:「香取大宮司本系」「香取系図」になし。
  • 大中臣秀房()<1417->:48世。1417年(応永24年)5月、大禰宜就任(「香取系図」)。
  • 大中臣胤房()<1450->:49世。1450年(宝徳2年)在職(「香取系図」)。
  • 大中臣実之()<1464->:50世。1464年(寛正5年)6月大禰宜就任(「香取系図」)。
  • 胤長()<1530->:51世。1530年(享禄3年)大禰宜就任(「香取系図」)。
  • 実長()<>:「香取系図」になし。
  • 実雅()<>:実推。「香取系図」になし。
  • 実隆()<-1567->:52世。(「香取系図」)
  • 実勝(-1648)<-1607>:53世。天正年間。実満とも。1607年(慶長12年)追放される。1648年(慶安1年)5月死去。(「香取系図」)
  • 実応(-1658)<-1622>:54世。貴宗。1622年(元和8年)神木を盗んだとして永久追放。年(万治1年)8月死去。73歳。(「香取系図」)
  • 実富(-1664)<1649->:大宮司秀房の子。長年の空職の後、1649年(慶安2年)、幕命で大禰宜就任。1664年(寛文4年)1月5日死去。44歳。(「香取系図」)
  • 清房(-1748)<-1698>:由房とも。実富の後、大禰宜となる。のち大宮司。1698年(元禄11年)追放される。1748年(寛延1年)6月10日死去。91歳。(「香取系図」)
  • 勝房(-1714)<-1700>:清房の後を継ぎ大禰宜。1700年(元禄13年)大宮司。1714年(正徳4年)11月5日死去。70歳。(「香取系図」)
  • 胤雪(-1725)<1700->:1700年(元禄13年)、幕命で大禰宜就任。1725年(享保10年)8月20日死去。78歳。(「香取系図」)
  • 胤信(-1743)<>:1743年(寛保3年)8月6日死去。74歳。(「香取系図」)
  • 実行(-1764)<>:1764年(明和1年)12月10日死去。73歳。(「香取系図」)
  • 実香(-1779)<>:実雄。1779年(安永8年)12月4日死去。49歳。(「香取系図」)
  • 実命(-1832)<>:1832年(天保3年)11月16日死去。69歳。(「香取系図」)
  • 実豊(-1837)<>:1837年(天保8年)11月29日死去。44歳。(「香取系図」)
  • 国雄()<>:実蕃。大宮司敷房の次男。1868年(明治1年)4月、大中臣姓から香取姓に改める。(「香取系図」)


要検討

大宮司・宮司

  • 1香取保礼(?-1907)<1873-1900>:初名は保房。1871年(明治4年)香取神宮大宮司。1872年(明治5年)1月20日制度改正で一旦解職。6月8日少宮司(大宮司は欠員)。1873年(明治6年)宮司。1900年(明治33年)9月18日退職。1907年(明治40年)6月23日死去。(「明治期における香取神宮の祭祀改変について」、『香取神宮志』ほか)
  • 2香取総麿(1862-1919)<1900-1919>:1862年(文久2年)6月生(『房総人名辞書』)。1896年(明治29年)3月玉前神社禰宜(叙位裁可書)。1897年(明治30年)四條畷神社宮司(『房総人名辞書』)。1900年(明治33年)9月18日、香取神宮宮司(『香取神宮志』。叙位裁可書では1898年(明治31年)11月)。1919年(大正8年)11月4日死去(『香取神宮志』)。
  • 3香取文夫()<1919-1924>:二荒山神社禰宜から1919年(大正8年)12月5日香取神宮宮司。1924年(大正13年)6月27日香取神宮宮司を辞職。(任免裁可書、『香取神宮志』)
  • 4宮沢春文(1874-1934)<1924-1934>:1905年(明治38年)6月14日生島足島神社宮司(叙位裁可書)。出羽神社宮司。札幌神社宮司。1924年(大正13年)7月31日香取神宮宮司(『香取神宮志』)。1934年(昭和9年)11月7日香取神宮宮司を退任(叙位裁可書)。同月14日死去(『香取神宮志』)。
  • 5沢田総重(1874-)<1934-1944>:1874年(明治7年)1月4日生。1908年(明治41年)4月9日小御門神社宮司。1934年(昭和9年)11月7日香取神宮宮司。1944年(昭和19年)10月25日退任。(任免裁可書)
  • 平山重正()<>:
  • 額賀大直(1877-1961)<1946-?>:明治後期から戦後直後まで活躍した神職。千葉県神社庁庁長。(略歴は唐沢山神社#組織を参照)
  • 額賀大成 ()<>:
  • 高橋昭二()<-2016>:
  • 香取武()<2016->:

少宮司・権宮司

  • 香取保礼()<1872-1873>:
  • 渡辺重石丸(1836-1915)<1873-?>:幕末維新期の国学者・宗教官僚・神職。八幡古表神社の社家出身。祖父は渡辺重名、父は渡辺重蔭。兄は神職・国学者の渡辺重春。私塾に学び、水戸学に影響を受ける。1864年(元治1年)、私塾道生館を開く。1867年(慶応3年)、平田派に入門。平田鉄胤の推挙で1868年(明治1年)末、皇学所御用掛となり東京へ。気吹舎塾頭。1872年(明治5年)、教部省出仕・考証掛。翌年、大教院皇学講師、香取神宮少宮司・大講義。以後、諸陵掛、教部省中録、神名帳編纂掛、内務省社寺局事務取扱などを歴任。1882年(明治15年)、官職を退き、東京で道生館を再開。『天御中主神考』『固本策』など著作多数。彼の学問は「国学に水戸学の装を施す学風」(上田賢治)と呼ばれる。天之御中主神への信仰を重視した。墓所は、雑司ケ谷霊園
  • 千野於菟()<1875?->:広田神社少宮司から異動?
  • 伊能穎則(1805-1877)<1875->:神道家。国学者。歌人。下総国香取郡佐原町出身。平田鉄胤に師事。香取神宮の尚古館学師。明治政府に参画。香取神宮少宮司。

画像

参考文献

  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%A6%99%E5%8F%96%E7%A5%9E%E5%AE%AE」より作成

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