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鹿島神宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年5月29日 (土)

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鹿島神宮
かしま じんぐう
Kashima-jingu (10).jpg御手洗池
概要 鹿島神社の総本社。
奉斎 武甕槌命
(土岐昌訓論文)
所在地 茨城県鹿嶋市宮中2306-1
所在地(旧国郡) 常陸国鹿島郡
所属(現在) 神社本庁
格式など 式内社名神大社正一位勲一等常陸国一宮朱印地拝領神社官幣大社別表神社勅祭社
関連記事 鹿島信仰春日信仰春日大社関連旧跡中臣氏旧跡


目次

概要

鹿島神宮(かしま・じんぐう)は、茨城県鹿嶋市にある鹿島信仰の総本社。対となる香取神宮と共に中臣氏藤原氏ゆかりの神社。剣の神、戦の神、地震の神。遠隔地ながら朝廷から重視され、古代から神宮を称した。神使は鹿。鹿島神宮寺は初期の神宮寺の事例とされ、親鸞旧跡でもある。常陸国一宮官幣大社別表神社勅祭社鹿島神宮・香取神宮関連旧跡春日大社関連旧跡も参照。


歴史

境内

鹿島神宮・香取神宮関連旧跡を参照。

組織

大宮司

  • 中臣大宗()<>:奈良時代
  • 大中臣兼相()<>:「類聚符宣抄」
  • 大中臣好香()<>:「類聚符宣抄」
  • 大中臣元鑒()<>:「類聚符宣抄」
  • 大中臣公利()<>:「類聚符宣抄」
  • 大中臣隆職()<>:「類聚符宣抄」
  • 大中臣忠門()<>:大中臣清麻呂の曾孫
  • 中臣高氏()<>:
  • 大中臣密加()<>:
  • 大中臣広年()<-836->:
  • 中臣則助()<>:長元頃
  • 中臣則景()<-1106->:
  • 中臣則良()<-1142->:
  • 大中臣定景()<-1266->:
  • 中臣則密()<-1356->:
  • 大中臣則重()<-1396->:
  • 中臣則隆()<-1417->:
  • 中臣則興()<-1590->:
  • 中臣則盛()<-1604->:
  • 中臣則広()<-1618->:
  • 中臣則敦()<-1667->:
  • 鹿島則幹()<>:
  • 鹿島則瓊(1786-1874)<>:19歳で大宮司。1858年(安政5年)隠退。鹿島鶴翁。
  • 鹿島則孝()<>:

大禰宜職

中臣氏。近世には羽生を称す。

  • 中臣則親()<>:初代大禰宜。承安頃。
  • 中臣政親()<1208->:1208年(承元2年)大禰宜就任。
  • 中臣朝親()<>:
  • 中臣頼親()<-1282->:
  • 盛親()<-1294->:
  • 中臣能親()<-1307->:
  • 中臣高親()<-1334->:
  • 中臣治親()<-1383->:
  • 中臣宗親()<-1387->:
  • 中臣憲親()<-1435->:
  • 中臣氏親()<-1449->:
  • 則近

大宮司・宮司(近現代)

  • 鹿島則文(1839-1901)<1873-1884>:1839年(天保10年)生。鹿島則孝の長男。1865年(慶応1年)八丈島流罪。1869年(明治2年)赦免。1873年(明治6年)鹿島神宮大宮司。少教正。1884年(明治17年)伊勢神宮宮司。1901年(明治34年)死去。
  • 大谷秀実(1830-1902)<1887->:津和野藩出身の国学者。1830年(天保1年)生。大国隆正、松岡明義に師事。江戸に遊学。1867年(慶応3年)6月11日、藩主の命により神葬祭祭式を定める。1868年(明治1年)6月、奈良県出仕。同年8月20日、奈良府権判事。1869年(明治2年)9月15日退任。1870年(明治3年)5月4日、神祇官権大史。6月5日、権少祐。12月26日退任。1871年(明治4年)3月、御系図取調局出仕。1877年(明治10年)12月12日、鹿島神宮禰宜。1879年(明治12年)2月25日、権中講義。1887年(明治20年)2月25日、鹿島神宮宮司。1902年(明治35年)12月死去。
  • 鹿島則泰(1867-?)<1890-1898>:鹿島則文の子。1867年(慶応3年)生。1888年(明治21年)東京帝国大学古典科卒。1890年(明治23年)11月、鹿島神宮宮司。1894年(明治27年)3月、茨城県皇典講究分所長。1898年(明治31年)12月退任。1906年(明治39年)4月28日、帝国図書館司書。1938年(昭和13年)4月16日退職。没年不詳。
  • 鹿島敏夫(1871-1926)<1898->:鹿島則文の次男。1871年(明治4年)生。1898年(明治31年)12月28日、鹿島神宮宮司。1926年(昭和1年)12月11日死去。
  • 加藤七郎(1885-1947)<?-1923>:愛知県出身。1885年(明治18年)生。神宮皇学館卒。伊和神社宮司、鹿島神宮宮司。1923年(大正12年)4月19日、長崎諏訪神社宮司。大和神社宮司兼石上神宮宮司。1927年(昭和2年)3月31日、石上神宮宮司専任。三島大社宮司。1938年(昭和13年)4月16日、大神神社宮司。1947年(昭和22年)死去。
  • 鹿島敏夫(1871-1926)<?-1926>:再任?
  • 岡泰雄(1871-1941)<1927-1932>:佐賀県出身。1871年(明治4年)生。学校教員を経て1907年(明治40年)千栗八幡宮社掌。1920年(大正9年)伊弉諾神社宮司。1923年(大正12年)4月19日、鹿児島神宮宮司。1924年(大正13年)神宮神部署東京支署長。1927年(昭和2年)鹿島神宮宮司。1932年(昭和7年)退任。1940年(昭和15年)千栗八幡宮宮司。1941年(昭和16年)2月15日死去。著書『敬神の栞』。
  • 富岡盛彦(1892-1974)<1932-1949>:神社本庁第8代事務総長。1932年(昭和7年)鹿島神宮宮司。初代茨城県神社庁長。1949年(昭和24年)7月、富岡八幡宮宮司。
  • 東実(1911-1993)<1949-1992>:1911年(明治44年)生。1932年(昭和7年)国学院大学神道部卒。1933年(昭和8年)度津神社主典。1937年(昭和12年)鹿島神宮主典。1943年(昭和18年)箱根神社主典。同年禰宜。1945年(昭和20年)日枝神社主典。1946年(昭和21年)禰宜。1946年(昭和21年)鹿島神宮に奉職。1948年(昭和23年)権宮司。1949年(昭和24年)鹿島神宮宮司。1952年(昭和27年)茨城県神社庁副庁長。1974年(昭和49年)から1980年(昭和55年)まで庁長。1993年(平成5年)死去。
  • 萩原正彦()<1992-1997>:
  • 上野貞文(1931-)<1997-2005>:茨城県出身。1931年(昭和6年)生。1955年(昭和30年)国学院大学史学科卒。同年神宮出仕。1967年(昭和42年)神宮研修所講師。1974年(昭和49年)神宮権禰宜。1981年(昭和56年)神宮禰宜。1997年(平成9年)鹿島神宮宮司。
  • 鹿島則良(1947-)<2005->:鹿島則幸の子。1947年(昭和22年)生。早稲田大学商学部卒。関東鉄道に勤務。常磐神社に奉仕。1994年(平成6年)鹿島神宮に奉職。2005年(平成17年)鹿島神宮宮司。息栖神社宮司。

少宮司・権宮司

  • 萩原正彦()<>:
  • 鹿島則良()<>:
  • 東俊二郎()<>:
  • 青柳高鞆(1840-1892)<>:幕末明治の国学者。足利将軍像梟首事件に加わり、捕縛される。鹿島神宮権宮司。

画像

資料

古典籍

  • 『古事類苑』「鹿島神宮」[1]

文献

  • 『鹿島誌』[2]
  • 『鹿島名勝誌』[3]
  • 『鹿島郡史談』[4]
  • 『鹿島まうで』[5]
  • 『官幣大社鹿島神宮御船祭記念写真帖』[6]
  • ポンソンビ『鹿島大神及香取大神』[7]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E5%AE%AE」より作成

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