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石上神宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年5月24日 (火)

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京都御所神嘉殿を移築したと伝える拝殿と、禁足地の上に明治に造営された本殿

石上神宮(いそのかみ・じんぐう)は、奈良県天理市布留町(大和国山辺郡)にある神武天皇が所持した霊剣を祀る神社。元来は物部氏が祀っていたという。元は本殿がなかったが、近代になって建てられた。鎮魂行法の道場としても知られる。官社名神大社正一位勲六等二十二社官幣大社別表神社神器奉斎神社古事記神話登場神社石上神宮関連旧跡も参照。神宮寺は内山永久寺。通称は布留社


目次

歴史

(国土地理院空中写真より)

境内

(国土地理院空中写真より)
  • 本社:拝殿は白河天皇が1081年に宮中神嘉殿を移築したものと伝える。古来は本殿はなく、禁足地があるのみだったが、1874年に発掘された後、1913年に本殿が造営された。相殿神は拝殿造営までは拝殿に奉斎されていた。
  • 神庫:
  • 布留山:
  • 出雲建雄神社:摂社。拝殿は内山永久寺の鎮守社拝殿を1914年に移築したもの。若宮。
  • 天神社:摂社。
  • 七座社:摂社。
  • 猿田彦神社:末社。
  • 神田神社:末社。
  • 祓戸神社:末社。
  • 恵比須神社:境外末社。
  • 儀式殿:鎮魂殿
  • 禊場:
  • 諸霊招魂碑:1879年4月建立。富岡鉄斎筆。

組織

宮司

  • 菅政友(1824-1897)<1873-1876>:歴史学者。水戸藩士。1824年(文政7年)生。藤田東湖に師事。彰考館に勤める。『大日本史』編纂に従事。1873年(明治6年)5月、石上神宮宮司。禁足地を発掘。1876年(明治9年)退任。1877年(明治10年)修史館第二局に勤務。長慶天皇の即位を否定。1897年(明治30年)10月22日死去。著書『菅政友全集』。
  • 松原貴速(1831-?)<1883-1883>:明治前期の内務官僚・神職。没年不詳。1883年(明治16年)4月23日、石上神宮宮司。同年12月17日、大神神社宮司。(略歴は、広瀬神社#組織を参照)
  • 松岡利紀(1844-1907)<1884-1888>:明治の国学者。1884年(明治17年)2月27日、石上神宮宮司。翌年正七位。1887年(明治20年)4月19日、大和神社宮司となり、石上神宮宮司を兼務する。1887年(明治20年)10月10日、大神神社宮司を兼務。1888年(明治21年)9月12日依願免官。(略歴は、気多大社#組織を参照)
  • 鈴木真年(1831-1894)<>:江戸出身。栗原信充・平田鉄胤に師事。1831年(天保2年)生。1894年(明治27年)4月15日死去。
  • 立木兼善(1834-1909)<1894-1895>:官僚・政治家。淡路国出身。徳島藩士。1834年(天保5年)生。1868年(明治1年)徴士。1869年(明治2年)5月、若松県知事。7月、権知事。8月、福島県知事。1871年(明治4年)2月、中野県権知事。11月、長野県権令。1873年(明治6年)6月、福岡県令。東京上等裁判所に勤務。神奈川裁判所(横浜裁判所)所長、1885年(明治18年)東京府御用掛。1886年(明治19年)東京府島司。1887年(明治20年)沖縄県書記官。1890年(明治23年)元老院議官。1894年(明治27年)12月1日、石上神宮宮司。1895年(明治28年)5月24日松尾神社宮司。1902年(明治35年)2月6日退任。1905年(明治38年)3月13日、二荒山神社宮司。1909年(明治42年)5月退任。12月24日死去。
  • 磐瀬弘治(生没年不詳)<1896-1897>:福島県出身。1893年(明治26年)11月29日駒形神社宮司。1896年(明治29年)4月29日、石上神宮宮司。1897年(明治30年)8月13日、伊佐須美神社宮司。1942年(昭和17年)1月まで特定郵便局長を務めた。
  • 風早公紀(1841-1905)<1897-1900>:公卿。1897年(明治30年)、石上神宮宮司。1900年(明治33年)橿原神宮宮司。(略歴は、橿原神宮#組織を参照)
  • 津田長興(1842-1909)<1900-1909>:天童藩出身。1842年(天保13年)生。1875年(明治8年)5月2日、建勲神社宮司。 1891年(明治24年)4月16日、貴船神社宮司。1893年(明治26年)3月3日、白峰宮宮司。1900年(明治33年)7月18日、石上神宮宮司。1909年(明治42年)死去。
  • 河村常造(1868-?)<1909-1914>:1868年(明治1年)生。1904年(明治37年)1月29日神宮権禰宜。4月19日、神宮皇学館助教授。1907年(明治40年)5月1日結城神社宮司。1909年(明治42年)11月19日、石上神宮宮司。1914年(大正3年)4月18日、気比神宮宮司。1918年(大正7年)4月18日、神宮神部署主事。1924年(大正13年)2月4日、神宮禰宜。1926年(昭和1年)5月13日、神宮神部署主事。1927年(昭和2年)4月1日廃官。没年不詳。
  • 遠山正雄(1877-1942)<1914-1917>:1914年(大正3年)4月18日、石上神宮宮司。1917年(大正6年)1月23日、宮司休職。青島神社創建のため青島軍政署嘱託。(略歴は、西寒多神社#組織を参照)
  • 高階研一(1885-1967)<1917-1921>:神社本庁第3代事務総長。1917年(大正6年)石上神宮宮司。1921年(大正10年)3月2日、広田神社宮司。(略歴は神社本庁#組織を参照)
  • 加藤七郎(1885-1947)<>:大和神社宮司兼石上神宮宮司。1927年(昭和2年)3月31日、石上神宮宮司専任。(略歴は、鹿島神宮#組織を参照)
  • 神尾清澄(1885-1943)<1929-1933>:滋賀県出身。1885年(明治18年)生。陸軍歩兵伍長。1916年(大正5年)8月8日、伊佐須美神社宮司。1918年(大正7年)7月8日、樺太神社宮司。1929年(昭和4年)3月5日、石上神宮宮司。1933年(昭和8年)4月4日、宮崎神宮宮司。1936年(昭和11年)12月19日、賀茂御祖神社宮司。在職で1943年(昭和18年)2月22日死去。
  • 森津倫雄(1877-?)<1934->:奈良県宇智村出身。1877年(明治10年)生。1896年(明治29年)国学院大学卒。1902年(明治35年)東京和仏法律学校卒。1907年(明治40年)2月、多賀神社禰宜。1912年(大正1年)4月16日、気多神社宮司。1916年(大正5年)神宮神部署主事・岡山支署長。1924年(大正13年)12月、広島支署長。1925年(大正14年)7月、広田神社宮司。1929年(昭和4年)4月、賀茂御祖神社宮司。1933年(昭和8年)4月、石上神宮宮司。叶真吉という人物から伝授を受け、同神宮で石上鎮魂祭を始める。1938年(昭和13年)12月、神宮奉斎会岡山本部長。1939年(昭和14年)3月、神宮奉斎会理事。没年不詳。著書『石上神宮の鎮魂祭』。
  • 吉野直人(1877-1944)<1934-1937>:長崎県平戸出身。1903年(明治36年)神宮皇学館卒。1931年(昭和6年)霧島神宮禰宜。1934年(昭和9年)石上神宮宮司。1937年(昭和12年)樺太神社宮司。1939年(昭和14年)樺太護国神社社司を兼務。(『神道人名辞典』)
  • 八木豊太郎(生没年不詳)<1937-1938>:京都府出身の神職。丹生都比売神社から転任。(『神道人名辞典』)
  • 辻村豊宜()<>:
  • 青山重香(1912-1972)<1952-1972>:滋賀県出身。青山重鑒の子。1912年(大正1年)生。1933年(昭和8年)国学院大学神道部卒。1935年(昭和10年)石清水八幡宮出仕。1939年(昭和14年)貴船神社主典。1940年(昭和15年)鶴岡八幡宮主典。1942年(昭和17年)香取神宮主典。1946年(昭和21年)石上神宮禰宜。1952年(昭和27年)宮司。禊錬成講師として活躍。1972年(昭和47年)9月8日死去。
  • 森武雄(1918-?)<1973-2000>:1918年(大正7年)生。1936年(昭和11年)京都国学院卒。同年、石上神宮出仕。1946年(昭和21年)禰宜。1973年(昭和48年)宮司。1974年(昭和49年)神社本庁道彦。
  • 森正光(1948-)<2000->:1948年(昭和23年)生。森武雄の長男。1974年(昭和49年)国学院大学大学院修了。石上神宮権禰宜。志波彦神社塩竈神社を奉職。2000年(平成12年)2月、石上神宮宮司。奈良県神社庁長。

少宮司

  • 富岡鉄斎(1836-1924)

画像

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