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日吉大社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年1月25日 (木)
日吉大社 ひよし たいしゃ | |
概要 | 日吉神社・日枝神社の総本社。 |
奉斎 | 大山咋神、大己貴神 (土岐昌訓論文) |
所在地 | 滋賀県大津市坂本5-1-1 |
所在地(旧国郡) | 近江国滋賀郡 |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | 式内社・名神大社・正一位・近江国二宮・二十二社・官幣大社・別表神社 |
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日吉大社(ひよし・たいしゃ)は、滋賀県大津市の比叡山麓にある、山王信仰の総本社。大津宮の守護神、天台宗の護法神。山王神道の拠点。三輪信仰の神社とも言える。式内社・名神大社・正一位・近江国二宮・二十二社・官幣大社・別表神社。日吉大社関連旧跡・古事記神話登場神社。比叡山も参照。
目次 |
歴史
境内
組織
大宮司・宮司
- 飛鳥井雅典(1825-1883)<1871-1872>:1871年(明治4年)12月2日から1872年(明治5年)3月25日まで「日吉神社、梅宮神社、大原野神社、吉田神社等御改革御用掛」。
- 松林為成(1825-1873)<1872-1873>:奈良華族。1872年(明治5年)6月15日、日吉神社大宮司。
- 交野時万(1832-1914)<1873-1874>:尊攘派の公卿。子爵交野家当主。八十八廷臣の一人。1873年(明治6年)3月4日、日吉大社大宮司。4月18日、少教正。1874年(明治7年)3月30日(25日)、日吉大社大宮司退任し教導職に専任。(略歴は、氷川神社#組織を参照)
- 西川吉輔(1816-1880)<1874-1879>:津和野派の国学者。近江国八幡出身の豪商。1816年生。西川屋善六の7代目。大津の福賢寺の暁悟に学び、大国隆正に学ぶ。1847年、平田派入門。1858年、井伊直弼が開港の勅許を得ようとする動きを察知し、谷森善臣を通じて三条実万に密訴し、頓挫させた。密訴が発覚して12月28日、信楽代官所に召喚され、町内預りとなった。1862年(文久2年)12月24日、京都の霊明舎で、福羽美静らと殉難志士の招魂祭を行った。1863年(文久3年)2月23日の足利将軍像梟首事件に参加。1863年(文久3年)7月25日の招魂社(靖国神社元宮)奉斎の頭取会頭に名を連ねた。足利将軍像梟首事件の関与で捕縛された。同年12月9日、中山忠能の周旋で幽閉を解かれた。1870年、宣教使少博士。1874年(明治7年)3月30日、日吉大社大宮司。職制改革で大宮司から宮司となる。1879年(明治12年)9月1日、生国魂神社宮司に任命されるが赴任せず、1880年辞任。同年5月19日死去。善六。号は亀洲、百竹など。2002年に栗東歴史民俗博物館で展示が行われた[1]。「西川吉輔直筆書状の翻刻と紹介」6[2]、7[3]、8[4]。「西川吉輔の海外情報収集とその認識」[5](限定送信)。『西川吉輔』[6](限定送信)。『西川貞二郎』[7](限定送信)、「西川吉輔大人贈位申吿祭文」[8](限定送信)。
- 生源寺希徳(生没年不詳)<1879-1894>:1879年(明治12年)9月1日から1894年(明治27年)1月23日まで日吉大社宮司。維新後、一時期建勲神社権宮司となる。
- 宇津木久岑(1833-1896)<1894-1894>:多賀大社宮司。1894年(明治27年)1月23日から1894年(明治27年)5月17日まで日吉大社宮司。伝記に『宇津木久岑小伝』。
- 伊藤紀(生没年不詳)<1894-1914>:滋賀県出身。1894年(明治27年)、住吉神社宮司。1894年(明治27年)5月17日から1914年(大正3年)9月19日まで日吉大社宮司。
- 笠井喬(1863-1931)<1914-1931>:滋賀県出身。1863年(文久3年)生。滋賀県社寺係。1905年(明治38年)建部大社宮司。1914年(大正3年)9月19日から1931年(昭和6年)4月30日まで日吉大社宮司。
- 矢野泰也(1876-1936)<1931-1933>:熱田神宮権宮司。1876年(明治9年)生。1931年(昭和6年)4月30日から1933年(昭和8年)9月16日まで日吉大社宮司。神宮禰宜。1936年(昭和11年)5月3日死去。
- 満井成吉(1882-1968)<1933-1939>:大阪府出身。1908年(明治41年)神宮皇学館本科卒。1933年(昭和8年)9月16日から1939年(昭和14年)2月1日まで日吉大社宮司。(略歴は、長田神社#組織を参照)
- 高橋城司(1895-?)<1939-1941>:1939年(昭和14年)2月1日から1941年(昭和16年)2月21日まで日吉大社宮司。(略歴は、日光二荒山神社#組織を参照)
- 寺井種長(1894-1968)<1941-1948>:1941年(昭和16年)2月21日から1948年(昭和23年)12月25日まで日吉大社宮司。(略歴は、大阪天満宮#組織を参照)
- 西田福市(1891-1982)<1948-1954>:1948年(昭和23年)12月25日から1954年(昭和29年)8月10日まで日吉大社宮司。(略歴は、伊奈波神社#組織を参照)
- 宗宮祐夫(1902-2002)<1954-1980>:岐阜県出身。1928年(昭和3年)国学院大学道義学科卒。同年明治神宮主典。1932年(昭和7年)日光東照宮主典。1935年(昭和10年)日光東照宮禰宜。1936年(昭和11年)三島大社禰宜。1937年(昭和12年)山内神社宮司。1940年(昭和15年)大麻比古神社宮司。1942年(昭和17年)、岡山県祭務官。1944年(昭和19年)美保神社宮司。1946年(昭和21年)島根県神社庁副庁長。同年、伊奈波神社宮司。1954年(昭和29年)8月10日から1980年(昭和55年)6月15日まで日吉大社宮司。1978年(昭和53年)滋賀県神社庁庁長。1980年(昭和55年)揖斐川町三輪神社宮司。1989年(平成1年)日吉大社宮司再任。1991年(平成3年)日吉大社宮司退任。2002年(平成14年)死去。100歳。
- 武浪嗣一(1924-2017)<1980-1987>:滋賀県出身。1924年(大正13年)生。1941年(昭和16年)、神宮皇学館普通科卒。1944年(昭和19年)神宮皇学館大学付属専門部卒。1946年(昭和21年)近江神宮権禰宜。滋賀県野洲市春日神社宮司。1955年(昭和30年)滋賀県神社庁主事。全国神社スカウト協議会理事。1968年(昭和43年)近江神宮権宮司。1974年(昭和49年)四柱神社宮司。1980年(昭和55年)6月15日から1987年(昭和62年)8月26日まで日吉大社宮司。1988年(昭和63年)6月14日から2003年(平成15年)10月31日まで常磐神社宮司。2017年(平成29年)死去。
- (代務)杉村英一()<1987-1988>:1987年(昭和62年)8月26日から1988年(昭和63年)2月3日まで。著書に『神明奉仕七十年』
- (特任)浦上邦男(1924-2014)<1988-1989>:1988年(昭和63年)2月3日から1989年(平成1年)11月12日まで日吉大社宮司。伊弉諾神宮宮司。(経歴は伊弉諾神宮#組織を参照)
- 宗宮祐夫(1902-2002)<1989-1991>:1989年(平成1年)11月12日から1991年(平成3年)9月10日まで日吉大社宮司再任。
- 伊達俊雄(1932-)<1991-2006>:明治神宮禰宜。1988年(昭和63年)9月1日、近江神宮権宮司。1991年(平成3年)9月10日から2006年(平成18年)4月7日まで日吉大社宮司。
- 中野幸彦(1936-)<2006-2008>:多賀大社宮司。2006年(平成18年)4月7日から2008年(平成20年)5月1日まで日吉大社宮司を兼務。
- 馬渕直樹()<2008->:滋賀県神社庁庁長。2008年(平成20年)5月1日、日吉大社宮司。
少宮司・権宮司
- 田中知邦(1847-1919)<>:近江国栗太郡出身。神祇官史生、宣教使権少主典、教部省出仕、教部省権中録を経て敢国神社権宮司兼教導職中講義、大原野神社権宮司、日吉大社少宮司兼大講義を歴任。滋賀県や島根県の要職を務めた。
- 井口健(1964-2019)<2016-2019>:
画像
資料
- 『滋賀県神社由緒記』「日吉神社」[9]
脚注
上七社 | 1伊勢神宮 | 2石清水八幡宮 | 3賀茂神社 上賀茂神社・下鴨神社 | 4松尾大社 | 5平野神社 | 6伏見稲荷大社 | 7春日大社 | ||
中七社 | 8大原野神社 | 9大神神社 | 10石上神宮 | 11大和神社 | 12広瀬大社 | 13龍田大社 | 14住吉大社 | ||
下八社 | 15日吉大社 | 16梅宮大社 | 17吉田神社 | 18広田神社 | 19八坂神社 | 20北野天満宮 | 21丹生川上神社 上社・中社・下社 | 22貴船神社 |