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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

二十二社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年6月6日 (木)

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二十二社は中世の朝廷祭祀で最重要視された神社。社格の一種。盛衰があるが、近現代の勅祭社の制度につながっていると思われる。

古代の官社(式内社)制度の衰退に代わり登場。古代祭祀では全国の神社をくまなく一律に扱うことを目指したのに対して、中世には畿内の有力神社を特に重視する傾向にあった。それも特定の天皇や有力貴族に縁が深い神社や、情勢の中で神威を発揮して注目を集めた神社が加えられた。

長元年間から祈年穀奉幣が毎年2月と7月(または8月)に行われた。祭日は一定せず吉日を選んだ。延期もしばしばあった。また祈雨や止雨の祈願など臨時の祭祀もあった。

朝廷は高官を奉幣使に任命して各社に派遣した。奉幣使を務めるには神社ごとに条件があった。伊勢は諸王が任じられ中臣氏と忌部氏が従った。賀茂・松尾・平野は参議と五位。石清水・稲荷は四位。丹生・貴船は神祇官六位。他は五位だった。

発遣の儀式は重要な神事として天皇出御のもと行われた。特に伊勢神宮の場合は奉幣使が出発した後、天皇が紫宸殿から神宮を遥拝した。儀式の次第は『江家次第』に詳しい。神社に赴いた奉幣使は神前で天皇から預かった宣命を読み上げた。宣命を記した紙は神社ごとに格式が定められており、伊勢神宮は縹色、賀茂神社は紅色、その他は黄色とされている。これは現在の神宮や勅祭社でも踏襲されている。

一覧

年譜

  • 902年4月13日:16社奉幣。初見。日本紀略
  • 941年:以後、恒例。
  • 966年:制度として確立したという。
  • 991年8月:19社。吉田・広田・北野が追加。創建まもない北野天満宮が加わるのは注目される。
  • 994年:梅宮追加。20社。
  • 995年:祇園追加。21社。
  • 1039年:日吉追加。22社。日吉は伊勢を除いて初の畿外の神社。
  • 1081年:22社が永例となる。
  • 1179年:厳島神社の追加が議論されるが実現せず。
  • 1449年8月:この年を最後に中断。一時復活もあったが、戦国時代に廃絶。

古典籍

  • 江家次第
  • 二十二社註式
  • 二十一社記
  • 二十二社本縁
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E4%BA%8C%E7%A4%BE」より作成

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