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出雲大社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年12月6日 (火)

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出雲大社
いずも たいしゃ
Dainihon-jingishi-yori (4).jpg旧拝殿
概要 大国主神を祀る神社の総本社。
奉斎 大国主神
(土岐昌訓論文)
所在地 島根県出雲市大社町杵築東195
所在地(旧国郡) 出雲国出雲郡
所属(現在) 神社本庁
格式など 式内社名神大社正二位勲八等出雲国一宮朱印地拝領神社官幣大社別表神社勅祭社
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目次

概要

出雲大社(いずものおおやしろ)は、島根県出雲市にある、大国主神を祀る出雲信仰の総本社。国土の神、冥界の神、死者の神。創建以来、現在まで出雲国造が祭祀を司る。神社としては大型の社殿建築を備えており、かつてはさらに巨大だったという。式内社名神大社正二位勲八等出雲国一宮朱印地拝領神社官幣大社別表神社勅祭社出雲大社関連旧跡も参照。 関東祈祷所

歴史

遷宮

  • 659年(斉明5年):『日本書紀』
  • 1036年(長元9年):正殿式遷宮。
  • 1061年(康平4年):社殿転倒。(百錬抄)
  • 1067年(治暦3年):正殿式遷宮。(建久二年出雲国在庁官人等解)
  • 1109年(天仁2年):社殿転倒。1108年とも。(大社遷宮顛倒次第旧記)
  • 1114年(永久2年):正殿式遷宮。翌年神託で改めて遷宮。(大社遷宮顛倒次第旧記、杵築大社造営遷宮旧記注進)
  • 1141年(永治1年):社殿転倒。(百錬抄、杵築大社造営遷宮旧記注進)
  • 1145年(久安1年):正殿式遷宮。(百錬抄、杵築大社造営遷宮旧記注進)
  • 1172年(承安2年):社殿転倒。(大社遷宮顛倒次第旧記)
  • 1190年(建久1年):正殿式遷宮。(建久二年出雲国在庁官人等解、建保二年土御門院庁下文)
  • 1225年(嘉禄1年):社殿転倒。
  • 1248年(宝治2年):正殿式遷宮。2000年に出土した柱はこの時のものと考えられている。(宝治二年遷宮儀式注進状)
  • 1270年(文永7年):社殿焼失。(帝王編年記)
  • 1325年(正中2年):仮殿式遷宮。
  • 1386年(元中3年/至徳3年):仮殿式遷宮。
  • 1412年(応永19年):仮殿式遷宮。
  • 1442年(嘉吉2年):仮殿式遷宮。
  • 1467年(応仁1年):仮殿式遷宮。
  • 1486年(文明18年):社殿焼失。
  • 1519年(永正16年):仮殿式遷宮。願主は尼子経久。(永正年中大社御造営覚次第)
  • 1550年(天文19年):仮殿式遷宮。
  • 1580年(天正8年):仮殿式遷宮。
  • 1609年(慶長14年):仮殿式遷宮。願主は豊臣秀頼。(堀尾吉晴書状)
  • 1667年(寛文7年):正殿式遷宮。合わせて神仏分離を実施。
  • 1744年(延享1年):正殿式遷宮。現在の本殿。(大社御造営之度並年々修復付松江候入費書)
  • 1810年(文化7年):正殿式遷宮(修復)。1809年とも。(同上)
  • 1881年(明治14年):正殿式遷宮(修復)。
  • 1953年(昭和28年):正殿式遷宮(修復)。
  • 2013年(平成25年):正殿式遷宮(修復)。

境内

出雲大社関連旧跡も参照。

名称 社格など エリア 祭神 概要
本社 本社 本殿内 大国主大神
本社御客座 本殿内 天之常立神・宇麻志阿斯訶備比古遅神・神産巣日神高御産巣日神天之御中主神 客殿とも。
牛飼神 本殿内 和加布都努志命 本社本殿内の心御柱のそばに神座が設けられている。和加布都努志神社祭神と同一か。
大神大后神社 境内摂社 瑞垣内 須勢理毘売命 瑞垣内にある「内三社」の一つ。本殿の東側に鎮座する。祭神は大国主の正妃で素盞鳴尊娘。『出雲国風土記』には御向社とある。官社。現在の社殿は1744年(延享1年)10月造替。
神魂伊能知比売神社 境内摂社 瑞垣内 蚶貝比売命・蛤貝比売命 瑞垣内にある「内三社」の一つ。大神大后神社の東側に鎮座する。官社。現在の社殿は1744年(延享1年)10月造替。通称は天前社。
神魂御子神社 境内摂社 瑞垣内 多紀理比売命 瑞垣内にある「内三社」の一つ。本殿の西側に鎮座する。祭神は大国主の妃の一人。官社。現在の社殿は1744年(延享1年)10月造替。通称は筑紫社。
門神社 境内摂社 瑞垣内 宇治神 瑞垣内。東。現在の社殿は1744年(延享1年)10月造替。
門神社 境内摂社 瑞垣内 久多美神 瑞垣内。西。現在の社殿は1744年(延享1年)10月造替。
素鷲社 境内摂社 荒垣内 素戔嗚尊 荒垣内。瑞垣の北。現在の社殿は1748年(寛延1年)7月造替。
氏社 境内摂社 荒垣内 天穂日命 瑞垣の西。北。祭神は出雲大社教の教祖。現在の社殿は1748年(寛延1年)5月造替。
氏社 境内摂社 荒垣内 宮向宿禰 瑞垣の西。南。祭神は允恭天皇から出雲臣を賜った。現在の社殿は1748年(寛延1年)5月造替。
釜社 境内末社 荒垣内 宇迦之魂神 瑞垣の東。1748年(寛延1年)5月造替。
西十九社 境内末社 荒垣内 八百万神 瑞垣の西。1748年(寛延1年)2月造替。通常は八百万神の遥拝所だが、陰暦10月の神在月には「御宿社」となり、祭典が行われる。
東十九社 境内末社 荒垣内 八百万神 瑞垣の東。1748年(寛延1年)2月造替。
野見宿禰神社 境内摂社 参道沿い 野見宿禰 出雲大社では野見宿禰を襲髄命と同一視している。
祓社 境内末社 参道沿い 瀬織津比〓神・速開都比〓神・気吹戸主神・速佐須良比〓神 正面参道に鎮座する。
神魂伊能知奴志神社 境外摂社 近隣 神産巣日大神 島根県出雲市大社町杵築東。東200mにある。背後の大石の下から青銅器や勾玉が出土。『出雲国風土記』に「御魂社」とある。官社。通称は命主社。
大穴持御子玉江神社 境外摂社 近隣 高比売命 島根県出雲市大社町修理免。南850mの乙見山に鎮座。通称は乙見社。
出雲井神社 境外摂社 近隣 岐神 島根県出雲市大社町修理免。東950m。通称は出雲路社。
大穴持御子神社 境外摂社 近隣 事代主神・高比売命・御年神 島根県出雲市大社町杵築東。北650mの八雲山の麓にある。官社。通称は三歳社。
上宮 境外摂社 稲佐浜周辺 素戔鳴尊・八百万神 島根県出雲市大社町杵築北。西950m。陰暦10月の11日から17日まで神在祭が行われる。通称は「仮宮」。
大歳社 境外末社 稲佐浜周辺 大歳神 島根県出雲市大社町杵築北。西900m。
下宮 境外末社 稲佐浜周辺 天照大御神 島根県出雲市大社町杵築北。西方1km。
因佐神社 境外摂社 稲佐浜周辺 建御雷神 島根県出雲市大社町杵築。西方1.1km。『出雲国風土記』に「伊奈佐乃社」とある。官社。通称は速玉社。
湊神社 境外摂社 遠方 櫛八玉神 島根県出雲市大社町中荒木。南方2.5km。国造の火継式の時にこの神を奉斎する。火継式を終えて熊野大社から帰る途中に国造は湊神社を参拝する古例がある。8月の神幸祭(身逃神事)の時には櫛八玉神の末裔の別火氏が神幸に供奉して湊神社まで至り祭典を奉仕していた。湊社。
大穴持伊那西波岐神社 境外摂社・県社 遠方 稲背脛命・八千矛神・素兎神 島根県出雲市大社町鷺浦。北方8km。稲背脛命は天夷鳥命の別名ともいう。官社。県社。通称は鷺社。鷺大明神。
阿須伎神社 境外摂社・郷社 遠方 味耜高彦根神 島根県出雲市大社町遥堪。東方2.6km。『出雲国風土記』に「阿受伎社」とある。官社。郷社。通称は阿式社。

組織

出雲国造

出雲大社と熊野大社の祭祀を担った。国造制度が廃止された後も、いわゆる新国造の一つとして存続した。当初は意宇郡大庭に居住。意宇郡は神郡とされ、706年から798年まで意宇郡司を兼ねた。平安時代初期まで就任時に朝廷に赴き、神賀詞を奏上した。のち出雲郡の出雲大社近くに移住した。

  • 1天穂日命():天照大神の御子神。葦原中国の平定を命じられて派遣されるが、大国主神に帰順してしまった。大国主の国譲の後、大国主の祭祀を命じられたとされる。
  • 2天夷鳥命():武日照命、建比良鳥命、武夷鳥命とも。
  • 3櫛瓊命():
  • 4津佐命():
  • 5櫛甕前命():
  • 6櫛月命():
  • 7櫛甕鳥海命():
  • 8櫛田命():
  • 9知理命():
  • 10毛呂須命():
  • 11阿多命():
  • 12宇賀都久怒():アメノホヒ11世。「家伝」では氏祖命とも。
  • 13襲髄命():野見宿禰のこととしている
  • 14来日田維穂命():古事記の垂仁天皇記に登場する岐比佐都美のことだという。曽枳能夜神社祭神か。
  • 15三島足怒命():
  • 16意宇足怒命():
  • 17出雲宮向():出雲姓を賜う
  • 18出雲布奈():
  • 19出雲布禰():
  • 20出雲意波苦():
  • 21出雲美許():
  • 22出雲叡屋():
  • 23出雲帯許():
  • 24出雲果安(生没年不詳)<708->:716年、神賀詞を奏上。この時代に意宇郡大庭から出雲郡杵築に移住したともいう。
  • 25出雲広島(生没年不詳)<721->:724年、元正天皇に神賀詞を奏上。726年、聖武天皇に改めて神賀詞を奏上。733年成立の出雲国風土記の編纂に関わる。
  • 26出雲弟山()<746->:山代郷新造院を創建。
  • 27出雲益方(生没年不詳)<757->:「家伝」では764年(天平宝字8年)就任。767年と768年に神賀詞を奏上。
  • 28出雲国上()<773->:
  • 29出雲国成(生没年不詳)<782->:
  • 30出雲人長(生没年不詳)<790->:
  • 31出雲千国()<797->:
  • 32出雲兼連()<>:
  • 33出雲旅人()<810->:
  • 34出雲豊持()<826->:833年、神賀詞を奏上し、これを最後に断絶。
  • 35出雲時信()<887->:
  • 36出雲常助()<890->:
  • 37出雲氏弘()<906->:
  • 38出雲春年()<942->:
  • 39出雲吉忠()<1002->:国史では「孝忠」
  • 40出雲国明()<1038->:
  • 41出雲国経()<1047->:
  • 42出雲頼兼()<1072->:
  • 43出雲宗房()<1099->:
  • 44出雲兼宗()<1100->:
  • 45出雲兼忠()<1131->:
  • 46出雲兼経()<1168->:
  • 47出雲宗孝()<1176->:
  • 48出雲孝房()<1185->:
  • 49出雲孝綱()<1191->:
  • 50出雲政孝()<1226->:
  • 51出雲義孝()<1231->:
  • 52出雲泰孝()<1268->:妻は覚日尼。
  • 53出雲孝時(生没年不詳)<1307->:泰時の子。後醍醐天皇に宝剣を献上。
  • 54出雲清孝()<1334->:泰時の三男。覚日尼の働き掛けで継承。一代限りという条件だったが、守らず分裂の発端となる。

千家家の歴代国造

  • 55千家孝宗(生没年不詳)<1343->:孝時の子。兄の清孝の跡を継ぐ。
  • 56千家直国()<1371->:
  • 57千家高国()<1428->:
  • 58千家持国()<1449->:
  • 59千家直信()<1461->:
  • 60千家高俊()<1487->:
  • 61千家豊俊()<1495->:
  • 62千家高勝()<1529->:
  • 63千家直勝()<1543->:
  • 64千家慶勝()<1543->:
  • 65千家義広()<1563->:
  • 66千家元勝()<1596->:
  • 67千家尊能()<1624->:
  • 68千家尊光()<1660->:
  • 69千家尊房()<1672->:
  • 70千家直治()<1682->:
  • 71千家宗敏()<1697->:
  • 72千家広満()<1701->:
  • 73千家豊昌()<1702->:
  • 74千家豊実()<1716->:
  • 75千家俊勝()<1725->:
  • 76千家俊秀()<1776->:
  • 77千家尊之()<1795->:
  • 78千家尊孫(1796-1873)<1832->:
  • 79千家尊澄(1816-1878)<1869->:
  • 80千家尊福(1845-1918)<>:明治を代表する神職。
  • 81千家尊紀(-1911)<>:
  • 82千家尊統()<>:
  • 83千家尊祀(1913-2002)<>:
  • 84千家尊祐()<>:

(『出雲大神』ほか)

北島家の歴代国造

北島国造館は元は出雲大社本殿の後方にあった。1667年(寛文7年)年の造営で、東側の現在地に移転。出雲教も参照。

  • 56北島貞孝()<1343->:孝時の子。父孝時と母覚日の譲状により、同母兄清孝の死後、1343年(興国4年/康永2年)家督を相続し、出雲国造・出雲大社御杖代となる。南朝を支援した。1357年(正平12年/延文2年)1月、目安言上書を奉呈し、後村上天皇から綸旨を賜る。浄音寺を創建。「さだのり」。
  • 57北島資孝()<1386->:北島貞孝の子。1364年(正平19年/貞治3年)家督相続。1386年(元中3年/至徳3年)出雲大社造営を実現。「すけのり」。
  • 58北島幸孝()<1421->:1424年(応永31年)家督相続。
  • 59北島高孝()<1438->:1438年(永享10年)家督相続。
  • 60北島利孝()<>:
  • 61北島雅孝()<>:上官稲岡家の出身。高孝の孫。宣孝の養子か。
  • 62北島秀孝()<>:北島高孝の曽孫。
  • 63北島久孝()<>:北島利孝の玄孫。
  • 64北島広孝()<>:
  • 65北島晴孝()<>:
  • 66北島恒孝()<1654->:1654年(承応3年)8月、家督相続。千家国造とともに寛文造営に当たり、神仏分離を実現。この造営のときに国造館が本社の北側から現在地に移転した。1665年(寛文5年)幕府は神職は京都吉田家の免状を受けるように定めたが、1666年(寛文6年)4月、恒孝は朝廷に訴え、1667年(寛文7年)5月7日、霊元天皇から永宣旨を得て認められた。
  • 67北島兼孝()<>:
  • 68北島道孝()<>:北島兼孝の弟。
  • 69北島直孝()<>:北島道孝の子。
  • 70北島惟孝()<>:北島直孝の子。
  • 71北島明孝()<>:北島惟孝の子。充孝とも。
  • 72北島宣孝()<>:北島明孝の子。
  • 73北島起孝()<>:北島宣孝の叔父。厚孝とも。
  • 74北島従孝()<>:恒孝の曽孫。孝雄、和孝とも。
  • 75北島全孝(1803-1886)<1838-?>:北島従孝の子。1803年(享和3年)生。1838年(天保9年)家督相続。1853年(嘉永6年)11月、孝明天皇の命を受けて国体安穏皇祖悠久の祈祷を行う。1872年(明治5年)1月27日、神職制度改正で出雲大社御杖代の世襲を解かれる。従三位。1886年(明治19年)6月死去。順孝とも。「たけのり」。
  • 76北島脩孝(1834-1893)<1879-1893>:出雲教創設者。男爵。1834年(天保5年)生。1871年(明治4年)従五位。1872年(明治5年)神職制度改正で出雲大社の世襲職は廃止となるが、引き続き奉仕を続ける。1875年(明治8年)参内。1879年(明治12年)国造職を継承。1883年(明治16年)1月17日、出雲教会(出雲教)を設立。大教主となる。1884年(明治17年)、男爵。大教正。1893年(明治26年)3月死去。「ながのり」。
  • 77北島斎孝(1863-1918)<1893-1918>:男爵。北島脩孝の子。1863年(文久3年)生。1882年(明治15年)出雲大社権宮司。大教正。1889年(明治22年)正五位。1893年(明治26年)家督を相続し、男爵。貴族院議員。1918年(大正7年)死去。「なりのり」。
  • 78北島貴孝(1884-1956)<1918-1956>:男爵。北島斎孝の長男。1884年(明治17年)生。1896年(明治29年)学習院高等科卒。東京帝国大学文科に学ぶ。1918年(大正7年)、家督を相続し男爵。貴族院議員。正四位。1956年(昭和31年)死去。「よしのり」。
  • 79北島英孝(1925-2005)<1956-2005>:北島貴孝の次男。1925年(大正14年)生。1952年(昭和27年)九州大学法学部卒。1953年(昭和28年)拝殿復興奉賛会理事となり、引き続き庁之舎復興奉賛会理事。1956年(昭和31年)神宮皇学館研究科卒。同年8月、家督相続し出雲国造・出雲教代表役員を継承。神魂神社で神火相続の儀を行う。島根県公安委員長。2005年(平成17年)9月1日死去。「ふさのり」。著書『亀麓―北島英孝公随想録』。
  • 80北島建孝(1958-)<2005->:1958年(昭和33年)生。国学院大学文学部神道学科卒。伊勢神宮に奉職。1990年(平成2年)7月1日、出雲教に奉職。2005年(平成17年)9月1日、出雲国造に就任。2013年(平成25年)の出雲大社遷宮に御用掛として奉仕した。「たけのり」。

(『出雲国造系統伝略』[1]ほか)

大宮司・宮司(近現代)

  • 千家尊澄(1816-1878)<>:79代出雲国造。1869年(明治2年)出雲国造に就任。参内して神賀詞奏上の儀を復興。1878年(明治11年)8月21日死去。63歳。
  • 千家尊福(1845-1918)<1872-1882>:80代出雲国造。千家尊澄の長男。1845年(弘化2年)8月6日生。1872年(明治5年)出雲大社大宮司。出雲大社敬神講を設立。神道西部管長。教導職大教正。1882年(明治15年)出雲大社宮司を辞任して神道大社教管長。1884年(明治17年)男爵。1888年(明治21年)、神道大社教管長を辞め、元老院議官。1890年(明治23年)貴族院議員。埼玉県・静岡県・東京府の知事を歴任。1908年(明治41年)司法大臣。1918年(大正7年)1月3日死去。74歳。著書『教学大要』『出雲大神』『大道要義』『大道問答』『国廼真柱』。遺集に『越の道ゆきふり』『筑紫の道ゆきふり』。(『朝日日本歴史人物事典』『日本人名大辞典』ほか)
  • 千家尊紀(-1911)<-1911>:81代出雲国造。1911年(明治44年)11月24日死去(官報)。
  • 千家尊統(1885-1968)<1911-1947>:82代出雲国造。
  • 千家尊祀(1913-)<1947->:83代出雲国造。
  • 千家尊祐(1943-)<>:84代出雲国造。1943年(昭和18年)5月24日生。千家尊祀の長男。初名は興麿。国学院大学卒。太宰府天満宮権禰宜を経て1970年(昭和45年)出雲大社禰宜。1982年(昭和57年)12月15日出雲大社権宮司。翌年12月尊祐に改名。大晦日に出雲大社教総監に就任。1999年(平成11年)3月大社国学館館長。2002年(平成14年)4月18日出雲大社宮司・84代出雲国造に就任。2005年(平成17年)4月から2011年(平成23年)3月まで島根県神社庁長。

少宮司・権宮司(近現代)

権宮司は3人いる。

  • 北島脩孝(1834-1893)<>:出雲国造。
  • 松岡時懋(1826-1883)<>:鹿島神宮社家出身の神職。(略歴は、甲斐浅間神社#組織を参照)
  • 勝部静男(1831-1893)<>:
  • 落合直澄(1840-1891)<>:明治の国学者。(略歴は、度津神社#組織を参照)
  • 秋山光条(1843-1902)<1876-1877>:幕臣出身。宣教使官員。1875年(明治8年)11月4日出雲大社禰宜。1876年(明治9年)4月10日出雲大社少宮司。1877年(明治10年)12月8日、制度改正で少宮司廃官。1878年(明治11年)5月10日出雲大社禰宜。6月22日退任。(略歴は八坂神社#組織を参照)
  • 北島斎孝(1862-1918)<1882-1904>:出雲国造北島家77世。男爵。大教正。1882年(明治15年)出雲大社権宮司。1904年(明治37年)5月12日、退任。
  • 佐草千尋()<1904->:出雲大社禰宜。1904年(明治37年)5月12日、出雲大社権宮司。
  • 島多豆夫()<>:1922年(大正11年)6月在職。
  • 清水真三郎(1879-1927)<1925-1927>:松江出身。島根県皇典講究所理事長。広田神社宮司から転任。1927年(昭和2年)3月18日死去。
  • 大関春雄()<1927->:結城神社宮司より転任して1927年(昭和2年)3月31日、権宮司。
  • 平岡松彦()<>:
  • 橋本甚一()<1936-1938>:1936年(昭和11年)出雲大社権宮司。1938年(昭和13年)6月23日、備中・吉備津神社宮司。
  • 谷垣義雄()<1938-1945>:水無瀬宮宮司を経て1938年(昭和13年)6月23日、出雲大社権宮司。1945年(昭和20年)10月退職。
  • 長谷川義典(1898-1965)<1945->:1898年(明治31年)生。日御碕神社禰宜を経て1939年(昭和14年)2月1日談山神社宮司。1945年(昭和20年)出雲大社権宮司。1965年(昭和40年)死去。
  • 千家尊祀()<1946-1947>:
  • 千家尊宣()<1951->:出雲大社教管長
  • 千家遂彦()<1953->:
  • 千家尊祐()<1982->:
  • 千家隆比古()<>:出雲大社教6代管長
  • 千家和比古()<>:
  • 千家国麿()<>:

画像

資料

  • 『幕末維新期の出雲・大社地方における史的特質』[2]

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%A4%A7%E7%A4%BE」より作成

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