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出雲大社教

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年7月31日 (日)

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出雲大社教(いずも・おおやしろ・きょう)は、島根県出雲市に本部を置く出雲大神を奉斎する教派神道教団。出雲大社を崇祠と仰ぎ、母体とする。千家尊福が設立した。出雲国造千家家による教団。本部事務所を教務本庁と呼称する。別に国造北島家による教団として出雲教がある。出雲大社関連旧跡も参照。

目次

歴史

  • 1872年(明治5年):祖霊社創建。
  • 1873年(明治6年)1月:出雲大社宮司・神道教導職西部管長の千家尊福、出雲大社敬神講を設立(『出雲大神』)。
  • 1873年(明治6年):高松教会、創設。[1]
  • 1876年(明治9年)5月17日:規約を定め組織を整備し、出雲大社教会と改称。社務所に教務課を設置し、神道中教院を庁舎に置く。(『出雲大神』)
  • 1877年(明治10年)8月:美甘政和、神道事務局内に出雲大社教会所を仮設。のちの美作分院。(「千家尊福国造伝」[2]
  • 1878年(明治11年)1月11日:神田神社社務所に大社教会東京出張所設置。(『出雲大神』。祝詞には12月1日とある[3]
  • 1879年(明治12年):大社教本院を社務所から隣接地に新築、神霊を祀る(『出雲大神』、教派連HP)。
  • 1879年(明治12年):隠岐の西郷教会設立。
  • 1880年(明治13年)3月:岡山天瀬可真町に出雲大社仮出張所を開設。のちの岡山分院。(『岡山市史』[4]、『岡山市史』[5]
  • 1881年(明治14年):山口県に田万崎教会所設立。のちの周防分院。(『角川日本地名大辞典』)
  • 1881年(明治14年)5月:平岡可美、高知市本町筋に神霊を奉斎。1882年(明治15年)4月升形に遷座して高知教会所と称した。(『大豊町史近代現代編』[6]、1919『高知市史』[7]
  • 1882年(明治15年)1月24日:神官教導職分離
  • 1882年(明治15年)3月:千家尊福、出雲大社宮司を辞任。(『神道事典』)。
  • 1882年(明治15年)4月4日:東京出張所を麹町区上二番町47番地に移転(『出雲大神』)。設立主意書[8]
  • 1882年(明治15年)5月8日:本院に大社教祠宇を設けて本祠と称す。(『出雲大神』)
  • 1882年(明治15年)5月10日:神道大社派、独立。千家尊福が初代管長となる。(『出雲大神』)
  • 1882年(明治15年)11月6日:「神道大社教」と改称(『出雲大神』)
  • 1882年(明治15年)12月12日:東京出張所を「神道大社教本院東京出張所」と称す。(『出雲大神』)
  • 1882年(明治15年)12月15日:美作分院、鎮座祭。(「千家尊福国造伝」[9]
  • 1883年(明治16年)5月4日:東京出張所に祠宇を設け、「大社教東京分祠」と称す(『出雲大神』)。祝詞[10]。宮内省より200円下賜(『公文類聚』[11])。
  • 1883年(明治16年)2月16日:平岡可美、大滝教会所設立。(『大豊町史近代現代編』[12]
  • 1884年(明治17年)7月24日:「神道大社教教規」を定めて申請。(『出雲大神』)
  • 1884年(明治17年):東京・野見宿禰神社を創建。
  • 1885年(明治18年)5月:副管長に金子本居を任命。(『出雲大神』)
  • 1886年(明治19年)1月3日:十津川郷、大社教入会式(『十津川記事下』)
  • 1886年(明治19年)8月7日:内務省、「大社教教規」を認可(『改正神道教規大全』[13])。
  • 1888年(明治21年):草山貞胤、相模国の渋沢峠に出雲大神を奉祀。相模分祠の前身。([14]
  • 1889年(明治22年):東京出張所、麻布区材木町に移転。
  • 1891年(明治24年)5月14日:大社教、ロシア皇太子襲撃事件(大津事件)に際して佐々木幸見を神戸に派遣してロシア大使に見舞すると共に、皇太子平癒と国家安全の祈祷を本院と東京出張所で斎行。15日には分院および教会所に同様の祈祷を命じる。(官報[15]
  • 1891年(明治24年)9月2日:山口分院、設立。(『山口市史』[16]
  • 1891年(明治24年)9月:高知教会所、土佐分院に昇格。(『大豊町史近代現代編』[17]
  • 1895年(明治28年)1月:高梁備中分院設立[18]
  • 1895年(明治28年)1月24日:政府、千家尊愛・千家尊弘・平田盛胤に有栖川宮熾仁親王の葬儀の斎主を命じる。(『任免裁可書』[19]
  • 1895年(明治28年)11月5日:政府、千家尊愛・千家尊弘・平田盛胤に北白川宮能久親王の葬儀の斎主などを命じる。(『任免裁可書』[20]
  • 1895年(明治28年)12月27日:内務省、「大社教教導職検定条規」を認可(『改正神道教規大全』[21])。
  • 1896年(明治29年)12月27日:政府、千家尊愛・千家尊弘・平田盛胤に毛利元徳の葬儀の斎主などを命じる。(『任免裁可書』[22]
  • 1896年(明治29年)5月24日:佐賀分院設立[23]
  • 1897年(明治30年)2月:西坂彦三郎ら、浜田教会所を設立。(『浜田市誌』[24]
  • 1897年(明治30年)5月25日:広瀬玄〓、福岡分院を設立(『太宰府名所誌』[25])。
  • 1900年(明治33年):田万崎教会所、長門分院に昇格。(『角川日本地名大辞典』)
  • 1902年(明治35年)10月17日:福岡分院内に福岡図書館開館(1917年(大正6年)まで)(「福岡県における近代図書館の嚆矢」[26]
  • 1903年(明治36年):浜田教会所、石見分院に昇格。(『浜田市誌』[27]
  • 1904年(明治37年):松山珵三、満洲布教にため関東州大連に渡る。
  • 1906年(明治39年)3月:宮王勝良、ハワイに渡り、布教開始。(「千家尊福国造伝」[28]、『日布時事布哇年鑑』[29]
  • 1908年(明治41年)7月:松山珵三、関東分院(のち満洲分院)を設立(『関東州事情上』[30])。
  • 1909年(明治42年):宮王勝良、大社教ハワイ教会所設立。
  • 1910年(明治43年)9月23日:北海道に移住した奈良県・十津川郷出身者が新十津川分院を設立。
  • 1911年(明治44年)1月1日:出口王仁三郎、出雲大社を訪問。教会設立申請のため。[31]
  • 1911年(明治44年)1月26日:出口王仁三郎、大社教本宮教会本院を設置。[32]
  • 1915年(大正4年)7月:松山珵三、大社教を辞め、産霊教を立てる(大陸に勢力を伸ばす)。
  • 1916年(大正5年)8月:島地教会所、周防分院に昇格(『防長風土記』[33]
  • 1916年(大正5年)12月12日:政府、千家尊弘・千家尊有・竹崎嘉通に大山巌の葬儀の斎主などを命じる。(『任免裁可書』[34]
  • 1917年(大正6年):出雲大社樺太分祠を設置。松崎禅魯の敬神愛国会が前身。
  • 1918年(大正7年)1月3日:千家尊福死去。
  • 1918年(大正7年)3月26日:ハワイ教会所、ハワイ分院に昇格。([35]、『日布時事布哇年鑑』[36]
  • 1918年(大正7年)6月:千家尊有、告諭文「在布哇並在米国の信徒に告ぐ」を発す。([37]
  • 1920年(大正9年)11月29日:文部省、「大社教教師検定条規」改正を認可(『官報』[38]
  • 1921年(大正10年)7月28日:文部省、「大社教教規教師服制」制定を認可(『官報』[39]
  • 1932年(昭和7年):特立50年祝祭
  • 1934年(昭和9年)1月11日:文部省、「大社教教師検定条規」改正を認可(『官報』[40]
  • 1938年(昭和13年):大社国学館設立。
  • 1940年(昭和15年):神戸教会所、大教会(分院)に昇格(神戸分祠ウェブサイト[41]
  • 1941年(昭和16年)3月31日:文部省、宗教団体法に基づく教規を認可。(「文部省大臣官房総務課記録班分類文書」[42]
  • 1941年(昭和16年)12月7日:真珠湾攻撃当日、ハワイ分院の宮王重丸、拘束される。分院は解散となる。(「千家尊福国造伝」[43]
  • 1943年(昭和18年)8月17日:文部省、教規一部変更を認可。(「文部省大臣官房総務課記録班分類文書」[44]
  • 1945年(昭和20年)6月:文部省、教規一部変更を認可。(「文部省大臣官房総務課記録班分類文書」[45]
  • 1945年(昭和20年)5月20日:空襲で東京出張所が焼失。
  • 1946年(昭和21年):宗教法人令による法人。出雲大社教(いずもたいしゃきょう)と改称。
  • 1948年(昭和23年):大社国学館廃止。
  • 1949年(昭和24年)8月:全国主管者会議で出雲大社への合併を決議。
  • 1950年(昭和25年):神戸分院、神戸分祠に昇格。(神戸分祠ウェブサイト[46]
  • 1951年(昭和26年)3月31日:出雲大社規則、変更登記。
  • 1952年(昭和27年)5月27日:大社教を解散し、新たに出雲大社教(いずもおおやしろきょう)を設立。この日宗教法人法による法人認証(宗教法人出雲大社教規則)。代表役員はこの時点では国造(のち管長になる)
  • 1952年(昭和27年)9月1日:出雲大社教教規を制定。
  • 1953年(昭和28年)5月:出雲大社拝殿焼失。
  • 1956年(昭和31年)4月:大社国学館復興
  • 1957年(昭和32年):河内教会、大阪分祠に昇格。
  • 1961年(昭和36年)12月31日:東京分祠、再建。
  • 1962年(昭和37年):特立80年祝祭
  • 1964年(昭和39年)6月20日:出雲大社教教規を一部改訂。
  • 1968年(昭和43年)6月22日:出雲大社教教規を一部改訂。
  • 1968年(昭和43年)12月:ハワイ分院、再建。(「千家尊福国造伝」[47]
  • 1970年(昭和45年):祖国復帰を記念して沖縄分社創建。
  • 1973年(昭和48年):福山分院、福山分祠に昇格。([48]
  • 1980年(昭和55年)12月4日:東京分祠、コンクリート造で再建。
  • 1981年(昭和56年):設立100年記念に神楽殿を造営。
  • 1982年(昭和57年):特立100年みかえし奉祝大祭
  • 1982年(昭和57年)3月29日:出雲大社教教規を一部改訂。
  • 1983年(昭和58年)6月9日:出雲大社教教規および宗教法人出雲大社教規則を一部改訂。
  • 1991年(平成3年):相模分院、相模分祠に昇格。([49][50]
  • 2007年(平成19年):鶴山会館跡に島根県神社庁庁舎竣工。
  • 2012年(平成24年):特立130年祈りを継ぐ帰一大祭
  • 2014年(平成26年)9月16日:常陸教会が離脱

一覧

本部関連

教会・関連神社

戦前は分祠、分院、教会(教会所)の序列があったと思われ、戦後は分祠、分院(宗教法人名は「大教会」を用いる)、教会、支教会の序列があると思われる。

分祠

分院(戦前)

  • 下野分院:不詳。祠宇か。
  • 長門分院:山口県萩市田万川。現存不詳。
  • 関東分院:廃絶。満洲分院。

分院(戦後)

  • 出雲大社新十津川分院:北海道樺戸郡新十津川町中央。
  • 出雲大社弘前分院:青森県弘前市常盤坂。
  • 出雲大社埼玉分院:埼玉県朝霞市本町。
  • 出雲大社上総分院:千葉県いすみ市苅谷。
  • 出雲大社福井分院:福井県福井市市渕。
  • 出雲大社浜松分院:静岡県浜松市中区城北。
  • 出雲大社豊橋分院:愛知県豊橋市花中町
  • 出雲大社京都分院:京都府亀岡市下矢田町中山。
  • 出雲大社大阪分院:大阪府大阪市東住吉区山坂。
  • 出雲大社池田分院:大阪府池田市綾羽。
  • 出雲大社播磨分院:兵庫県赤穂郡上郡町上郡。
  • 出雲大社北條分院:兵庫県加西市北条町北条。
  • 出雲大社鳥取分院:鳥取県鳥取市川端。
  • 出雲大社米子分院:鳥取県米子市博労町。
  • 出雲大社倉吉分院:鳥取県倉吉市新町。
  • 出雲大社西郷分院:島根県隠岐郡隠岐の島町中町目貫の四。
  • 出雲大社岡山分院:岡山県岡山市北区中山下。
  • 出雲大社備中分院:岡山県高梁市下町
  • 出雲大社美作分院:岡山県津山市田町。
  • 出雲大社備後分院:広島県三次市三良坂町三良坂。
  • 出雲大社山口分院:山口県山口市維新公園。
  • 出雲大社周防分院:山口県山口市徳地島地。
  • 出雲大社徳島分院:徳島県徳島市藍場町
  • 出雲大社讃岐分院:香川県三豊市豊中町比地大。
  • 出雲大社丹原分院:愛媛県西条市丹原町丹原。
  • 出雲大社今治分院:愛媛県今治市石井町
  • 出雲大社福岡分院:福岡県福岡市西区今宿町。
  • 出雲大社長崎分院:長崎県長崎市桜町。
  • ハワイ出雲大社:ハワイ分院

教会

その他

組織

総裁・国造

戦前は総裁職があり、千家尊福が初代総裁につき、その後は出雲大社宮司が就いたらしい。戦後は出雲大社宮司が教団の役職としての国造職につく(当初は代表役員だった)。

歴代管長

戦後は出雲大社教統を兼務する。宗教法人の代表役員。

  • 1千家尊福(1845-1918)<1882-1888>:1845年(弘化2年)生。1872年(明治5年)1月、出雲大社宮司。1882年(明治15年)3月辞職して神道大社教管長。1888年(明治21年)管長辞任。東京府知事。1890年(明治23年)6月28日、大社教総裁。1918年(大正7年)死去。「たかとみ」。(略歴は出雲大社#組織を参照)
  • 2千家尊愛(1866-1919)<1890-1918>:千家尊福の甥。1866年(慶応2年)生。1890年(明治23年)4月15日、副管長。1890年(明治23年)6月28日から1918年(大正7年)4月まで管長。1919年(大正8年)死去。「たかあき」。
  • 3千家尊有(1890-1954)<1918-1954>:1890年(明治23年)生。1918年(大正7年)4月10月、大社教管長。1951年(昭和26年)3月、新たな出雲大社教設立と出雲大社規則変更に伴い、出雲大社教統に就任。1954年(昭和29年)9月25日死去。「たかもち」。
  • 4千家尊宣(1898-1972)<1954-1963>:千家尊紀の子。1898年(明治31年)生。1920年(大正9年)国学院大学国史学科卒。大社教本院幹事、教義課長、大社教東京出張所幹事長、東京分祠長、名古屋分院長を歴任。1942年(昭和17年)皇典講究所神職養成部学監。同年、国学院大学教授。1945年(昭和20年)大社教総監。1946年(昭和21年)から1959年(昭和34年)までと、1970年(昭和45年)まで国学院大学理事。1951年(昭和26年)出雲大社権宮司。1954年(昭和29年)から1963年(昭和38年)まで出雲大社教管長。1954年(昭和29年)11月8日から1963年(昭和38年)8月12日まで出雲大社教統。1964年(昭和39年)大倉精神文化研究所理事。1971年(昭和46年)国学院大学栃木短期大学教授。神道学会を設立した。1972年(昭和47年)10月30日死去。「たかのぶ」。
  • 5千家達彦(1922-2015)<1963-2014>:千家尊統の子。1922年(大正11年)生。1946年(昭和21年)国学院大学史学科卒。1951年(昭和26年)出雲大社権禰宜。1963年(昭和38年)8月28日、出雲大社教統。同年、出雲大社教管長・大社国学館館長。1968年(昭和43年)9月18日から2008年(平成20年)11月30日まで熊野大社宮司を兼務。1967年(昭和42年)から1975年(昭和50年)まで島根県公安委員長。出雲大社文化事業団会長。著書『お世話になって六十年』。2015年(平成27年)死去。「みちひこ」。
  • 6千家隆比古()<2014->:2002年(平成14年)5月20日、出雲大社権宮司。2014年(平成26年)6月18日、管長。大社国学館館長。「ながひこ」。

副管長

  • 本居豊穎(1834-1913)<1884-1894>:1884年(明治17年)9月(1885年(明治18年)5月とも。『出雲大神』)から1894年(明治27年)11月2日まで神道大社教副管長。(略歴は本居家#歴代を参照)
  • 金子有卿(1845-1923)<1884-1890>:男爵物部神社社家の出身。1845年(弘化2年)生。金子有久の次男。1864年(元治1年)7月、47代石見国造に就任。明治初年、川合国漢塾を開く。1875年(明治8年)9月、華族に列す。1884年(明治17年)7月8日、男爵。1884年(明治17年)(1885年(明治18年)5月とも。『出雲大神』)から1890年(明治23年)5月まで大社教副管長。1890年(明治23年)から1911年(明治44年)まで貴族院議員。1891年(明治24年)宮内省御歌所講頌。1902年(明治35年)皇典講究所礼典調査会委員。1923年(大正12年)1月死去。
  • 千家尊愛(1866-1919)<1890-1890>:1890年(明治23年)4月15日から6月28日まで副管長。
  • 千家尊弘()<1913->:1913年(大正2年)8月6日、副管長。
  • 千家尊建(1890-1945)<>:

歴代総監

  • 千家尊建(1890-1945)<>:『光は日本から』。東京出張所長。
  • 千家尊宣(1898-1972)<1945->:4代管長。
  • 千家尊祐(1943-)<1982->:84代出雲国造。出雲大社宮司。1982年(昭和57年)、出雲大社権宮司・出雲大社教総監。
  • 千家隆比古()<>:6代管長。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%A4%A7%E7%A4%BE%E6%95%99」より作成

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