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玉置神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年7月12日 (火)
玉置神社(たまき・じんじゃ)は、奈良県吉野郡十津川村玉置川(大和国吉野郡)にある熊野信仰の神社。祭神は国常立尊・伊弉諾尊・伊弉冊尊・天照大御神・神日本磐余彦命(ウェブサイト)。大峰七十五靡の第10宿。熊野三山の奥之院と呼ばれた。別当は高牟婁院。玉置権現、玉置三所権現。
目次 |
歴史
- 崇神天皇の時代の創建という。
- 1691年(元禄4年):蓮華光院門跡の支配下に入る
- 1727年(享保12年):聖護院門跡の配下に入り、別当高牟婁院が建立された。
- 十津川郷の総鎮守であったが、近隣村の山林を横領したので住民と疎遠になった。
- 1868年4月:十津川郷民惣代の願で玉置三所大神と称す。6月までに仏具を廃した。
- 1868年7月:神祇官、玉置神社の称を許可。
- 1868年8月:高牟婁院敬純が還俗退去。
- 1871年:全村あげて神葬祭に改宗
- 1872年2月:村内全寺院の廃止を請願。
- 1873年4月4日:村内全寺院の廃止を許可。
- 1885年:全村あげて出雲大社教に改宗した。
- 1889年8月:大水害。
- 1890年9月:十津川郷民、北海道樺戸郡新十津川町に入植。
- 1891年1月:新十津川村の入植民、玉置神社の分霊を迎えて新十津川神社とする。1894年、社殿造営。
- 1910年9月23日:北海道樺戸郡新十津川町に出雲大社新十津川分院を創建。
境内
- 本社:
- 若宮社:祭神は春日大神・八幡大神・住吉大神。『玉置三所権現社両部習合之巻』に記載あり。
- 神武社:祭神は軻遇突智神・早玉男神・高倉下神。『玉置三所権現社両部習合之巻』に「神武社」の記載がある。祭神は神武天皇・早玉男神・軻遇突智神だったが、明治6年11月、神武天皇は本社に遷座合祀された。
- 三柱神社:摂社。祭神は倉稲魂神・天御柱神・国御柱神。三柱大明神。三柱稲荷神社。玉置山の地主神。『玉置山権現縁起』に「三狐神」として記載。
- 玉石社:末社。祭神は大巳貴命。『玉置山権現縁起』に記載あり。
- 白山社:祭神は菊理媛神。『玉置山権現縁起』に記載。
- 大日社:大日堂。『玉置山権現縁起』に記載。
- 水神社:祭神は真王水神。真名井社。
- 三石神祠:祭神は磐裂神・石析根神・軻遇突智神。
- 山ノ神:祭神は大山祇命。
- 神輿殿:
- 神楽殿:
- 社務所:神殿(旧護摩堂)があるらしい。
- 出雲大社玉置教会:
- 勝手社:廃絶
- 子守社:廃絶。『玉置山権現縁起』に記載。
- 金剛童子堂:廃絶。『玉置山権現縁起』に記載。
- 蔵王堂:廃絶
- 六所社:
- 不動堂:
- 行者堂:
- 御旅所:参道沿いにある
組織
祠官・宮司
- 上平長矩(1824-1891)<>:十津川郷士。天誅組を十津川村から退去させた。伊豆新島に配流。帰郷して玉置神社祠官。上平主税。
- 伊豆義清
- 弓場季彦
- 舛谷武
資料
古典籍
- 『玉置山権現縁起』:1350年書写という。1436年書写。神道大系所収。
- 『峰中修行記』:玉置山権現縁起に付記
- 『玉置山縁起』:1682年。
- 『玉置三所権現社両部習合之巻』:1763年。
- 『和州吉野郡群山記』「玉置山記」:畔田伴存著。
- 『玉置神社本紀』:1868年。斎部定信。
- 『吉野旧事記』:
- 『玉置山始末』:神仏分離の記録
- 『玉置神社文書』:『玉置神社文書目録』
- 『紀伊国名所図絵』「玉置山三所権現」[1](限定送信)
- 『十津川記事』中(限定送信)
- 『十津川記事』下(限定送信)