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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

金光教

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年6月8日 (土)

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金光教(こんこうきょう)は、金光大神を開祖とする神道系新宗教教派神道十三派の一つ。

目次

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組織

歴代管長

管長は政府から与えられた官職。教団を統括する権限を与えられていたが、信者の信仰は管長ではなく取次者に集まっていたため、管長職は戦後に廃止され、教主職が新たに置かれた。

  • 1金光萩雄(1849-1919)<1900-1919>:金光大神の四男。二代金光大陣。1849年(嘉永2年)4月25日生。1878年(明治11年)金神社建築に関わり、その祠掌となる。1885年(明治18年)6月23日、神道備中事務分局所属の金光教会の教長に就任。金光教別派独立に伴い、1900年(明治33年)6月18日、金光教管長および金光教大教会長に就任。1919年(大正8年)12月17日死去。71歳。
  • 2金光家邦(1888-1988)<1920-1941>:金光萩雄の子。1888年(明治21年)10月21日生。1920年(大正9年)3月19日、管長に就任。新教規の制定で1941年(昭和16年)3月31日に自然退任。1950年(昭和25年)1月8日、金光教教師を辞任。翌日、新教団「天地金光教」を設立。1988年(昭和63年)3月29日死去。101歳。
  • (代理)金光国開()<1941-1941>:1941年(昭和16年)3月31日付で管長代務者に就任。
  • 3金光摂胤(1880-1963)<1941-1946>:管長選挙を経て1941年(昭和16年)8月1日管長に就任。1946年(昭和21年)4月1日、教規改正で管長職廃止。(歴代教主の項目を参照)

歴代教主

取次者。大教会広前において取次を行う者。1941年(昭和16年)までは教団を統括する管長と、信者の尊崇を集める取次者が別であったため、混乱を招いた。戦後、取次者を教主と位置付け、過去についても、政府が任命した管長ではなく、取次者を歴代教主として位置付け直した。

  • 1金光大神(1814-1883)<1859-1883>:金光教教祖。香取十平の次男。1814年(文化11年)8月16日生。1883年(明治16年)10月10日死去。70歳。
  • 2金光宅吉(1854-1893)<1883-1893>:金光大神の五男。1854年(安政1年)12月25日生(翌年1月2日生と届け出る)。1883年(明治16年)11月28日、取次の業を継承。1893年(明治26年)12月20日死去。40歳。
  • 3金光摂胤(1880-1963)<1893-1963>:金光宅吉の長男。1880年(明治13年)8月5日生。1893年(明治26年)12月29日、取次の業を継承。二日前の27日には教師に任命される。1907年(明治40年)6月9日、副管長。1935年(昭和10年)6月21日、大教会所神前奉仕者に就任。管長選挙を経て1941年(昭和16年)8月1日管長に就任。1946年(昭和21年)4月1日、宗教法人令に基づき教規を改正し、教主・本部教会長に就任。8月1日、改めて教主選挙で教主に就任。1963年(昭和38年)4月13日死去。84歳。
  • 4金光鑑太郎(1909-1991)<1963-1991>:1909年(明治42年)生。1963年(昭和38年)4月9日、教主代務者に就任。教主選挙を行い、7月9日に教主に就任。1991年(平成3年)1月10日死去。81歳。
  • 5金光平輝(1934-)<1991->:金光鑑太郎の長男。1934年(昭和9年)10月31日生。1991年(平成3年)3月27日教主就任。

歴代教監・教務総長

  • 1二代白神新一郎(-1910)<1900-1901>:「三直信」の一人。大阪教会初代教会長。白神信吉。初代白神新一郎(1818-1882)の次男。岡山市出身。1847年(弘化4年)9月14日生。1880年(明治13年)父を助けるため大阪へ移住。1882年(明治15年)の父の死去で跡を継ぐ決意をして新一郎と名乗る。同年12月、大阪神道事務分局派出説教所を設立。翌年10月に教師となる。1900年(明治33年)6月24日、教監に就任。1910年(明治43年)4月12日死去。64歳。
  • (臨時)金光金吉(1845-)<1901-1902>:金光大神の三男。金光浅吉。1845年(弘化2年)2月8日生。1889年(明治22年)1月22日教師となる。1900年(明治33年)6月27日副管長となる。1901年(明治34年)11月26日、臨時教監に就任。1906年(明治39年)7月28日、臨時教監に再任。1907年(明治40年)3月26日死去。63歳。
  • 2近藤藤守(1855-1917)<1902-1906>:「三直信」の一人。難波教会初代教会長。大阪出身。近藤弥左衛門の次男。1855年(安政2年)8月20日生。病気に苦しむ中、1880年(明治13年)2月13日、初代白神新一郎の広前に参拝して一日で全快。信心を受ける。翌年2月1日、金光大神の広前に初めて参拝。その後、白神新一郎の広前の世話をするが、近藤宅にも信者が訪れ、取次を行うようになる。しかし教師資格がないため、1883年(明治16年)5月13日、警察に拘留された。取締を避けるため、大阪神道事務分局付属の正道講社の世話係となった。6月7日には教師となる。1884年(明治17年)1月17日、大阪神道事務分局派出説教所副所長となる。1902年(明治35年)1月26日、教監に就任。1917年(大正6年)1月28日死去。63歳。弟子に虎谷吉兵衛、杉田政次郎、畑徳三郎などがいる。
  • (臨時)金光金吉(1845-)<1906-1907>:1906年(明治39年)7月28日、臨時教監に就任。再任。
  • 3佐藤範雄(1856-1945)<1907-1917>:「三直信」の一人。芸備教会初代教会長。広島県出身。1856年(安政3年)8月6日生。大工として生活していたが1875年(明治8年)12月、近所の者から金光大神の教えを伝え聞き、霊感に打たれた。翌日には厨子に祀ったという。翌年2月、金光大神の広前を初めて参拝。1877年(明治10年)頃から取次を始める。1880年(明治13年)2月6日、教師となる。教団設立のため、1882年(明治15年)8月、沼名前神社宮司吉岡徳明を訪ね、助言を受ける。1886年(明治19年)、のちの芸備教会を設立。私立金光中学校長となる。1907年(明治40年)4月5日、教監に就任。1919年(大正8年)1月28日、臨時教監に就任。国の宗教制度調査委員会特別委員も務めた。1942年(昭和17年)6月20日死去。87歳。著書多数。
  • 4畑徳三郎(1867-1935)<1917-1921>:東京教会初代教会長。1917年(大正6年)1月20日、教監に就任。1918年(大正7年)4月、畑教監辞任問題が起こる。1919年(大正8年)1月28日、現職のまま休養。同年7月27日復職。1921年(大正10年)と1926年(昭和1年)に再任。1932年(昭和7年)2月5日死去。66歳。
  • (臨時)佐藤範雄(1856-1945)<1919-1919>:1919年(大正8年)1月28日、臨時教監に就任。
  • (臨時)高橋茂久平()<1921-1921>:1921年(大正10年)3月31日、臨時教監に就任。
  • 5畑徳三郎(1867-1935)<1921-1925>:1921年(大正10年)10月16日、教監に就任。
  • 6中野辰之助()<1925-1926>:1925年(大正14年)7月22日、教監に就任。
  • (臨時)阪井永治
  • 7畑徳三郎(1867-1935)<1926-1929>:1926年(昭和1年)12月6日再任。
  • 8山本豊()<1929-1932>:1929年(昭和4年)5月18日、教監に就任。
  • (臨時)古川隼人
  • 9小林鎮()<1932-1934>:1932年(昭和7年)6月22日、教監に就任。1934年(昭和9年)11月13日、金光家邦管長、小林鎮教監を罷免(昭和9年・10年事件の始まり)。
  • 10阪井永治()<1934-1935>:1934年(昭和9年)11月22日、教監に就任。
  • 11金光文孝()<1935-1935>:管長金光家邦の弟。1935年(昭和10年)2月17日、教監に就任。4月17日辞任。
  • 12高橋正雄(1887-1965)<1935-1941>:1935年(昭和10年)4月26日、教監に就任。1951年(昭和26年)12月9日、教監に再任。1963年(昭和38年)4月30日、教監に就任。1965年(昭和40年)5月25日、教監在職中に死去。79歳。
  • 13松山成三(1878-1951)<1941-1942>:大連教会長。岡山中部教会長。1941年(昭和16年)4月1日付で、教監に就任。
  • 14三代白神新一郎(-1953)<1942-1945>:大阪教会2代教会長。二代白神新一郎の養子。1942年(昭和17年)6月29日、教監に就任。1945年(昭和20年)9月11日、敗戦にともない辞任。1953年(昭和28年)8月死去。
  • 15和泉乙三(1884-1960)<1945-1947>:白金教会2代教会長。1945年(昭和20年)9月11日、教監に就任。1960年(昭和35年)8月19日死去。77歳。
  • 16堀尾保治()<1947-1947>:日田教会教会長。1947年(昭和22年)5月13日、教監に就任。
  • 17佐藤一夫(1883-1970)<1947-1950>:芸備教会2代教会長。佐藤範雄の長男。広島県出身。1883年(明治16年)6月1日生。早稲田大学在学中に日露戦争に従軍。1910年(明治43年)12月24日に教師となる。金光教徒社を設立し、理事長となる。金光教少年団を設立。また金光学園理事長、教義講究所所長、金光教学院講師を歴任。1947年(昭和22年)12月2日、教監に就任。1958年(昭和33年)11月9日、教監に再任。1970年(昭和45年)7月4日死去。88歳。
  • 18片島幸吉(1884-1962)<1950-1951>:1950年(昭和25年)8月25日、教監に就任。
  • 19高橋正雄(1887-1965)<1951-1958>:1951年(昭和26年)12月9日、教監に再任。
  • 20佐藤博敏()<1954-1958>:1954年(昭和29年)8月23日、教監に就任。
  • 21河合弘道(1907-1991)<1958-1958>:1958年(昭和33年)1月20日、教監に就任。10カ月足らずで辞任。
  • 22佐藤一夫()<1958-1962>:1958年(昭和33年)11月9日、教監に再任。
  • 23多河常樹()<1962-1963>:1962年(昭和37年)4月15日、教監に就任。
  • 24高橋正雄(1887-1965)<1963-1965>:1963年(昭和38年)4月30日、教監に就任。1965年(昭和40年)5月25日、教監在職中に死去。79歳。
  • 25竹部寿夫()<1965-1969>:1965年(昭和40年)7月22日、教監に就任。
  • 26市川彰()<1969->:1969年(昭和44年)5月19日、教監に就任。
  • 27佐藤博敏
  • 28安田好三()<>:1974年(昭和49年)5月就任。1984年(昭和59年)5月退任。
  • 29大久保義隆
  • 30矢代礼紀()<>:函館教会長。
  • 31津田貴雄()<>:尼崎教会長。
  • 32森定斎(1935-)<1998-2002>:総社教会3代教会長。森定齋。1990年(平成2年)8月、教監職務代行。1998年(平成10年)10月、教務総長就任。
  • 佐藤光俊(-2012)<-2012>:加法教会教会長。在職中に2012年4月29日死去。
  • (代理)和泉正一 ()<>:白金教会教会長。
  • 岡成敏正()<2012-2016>:2012年(平成24年)7月25日、教務総長就任。
  • 西川良典()<2016->:2016年(平成28年)7月1日、教務総長就任。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%87%91%E5%85%89%E6%95%99」より作成

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