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大本関連旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年5月27日 (日)
大本の関連旧跡
目次 |
一覧
綾部地域
- 梅松苑 大本の祭祀の中心。発祥の地。梅松苑と名付けられたのは昭和20年(1945)のこと。
- 本宮山
- 月山不二 梅松苑で最も重要な祭壇。旧長生殿予定地跡地に、昭和21年(1946)築造。禁足地。
- 元屋敷 出口なおの屋敷跡。元は金光教の教会だった。明治25年(1892)艮の金神・国常立尊がなおに帰神。「三千世界の立て替え立て直し」を宣言した。大本最初の神殿が明治42年(1909)に建てられた。
- 長生殿 現在の中心的な神殿。元は同名の神殿が本宮山頂上に造営中だった。昭和62年(1987)着工、平成4年(1992)建立。大本皇大本を祀る。
- みろく殿 長生殿完成までの中心的な神殿。昭和28年(1953)建立。現在、大本皇大神を祀るほか、祖霊社と平成20年(2008)建立の万霊社がある。祖霊社は昭和22年(1947)に復興し翌年彰徳殿へ遷座し32年にみろく殿に遷座。
- 彰徳殿 戦後直後の神殿。昭和20年に綾部町から贈られた旧武徳殿。
- 緑寿館 教主公館。神殿もある。
- 金龍海 世界の五大洲(五大陸)を表す島が浮かぶ。昭和23年(1948)再掘開始、26年竣工。
- 天王平墓地 出口なお、王仁三郎らと信徒の墓地。
- 本宮山
- 第一次弾圧事件前の綾部本宮(梅松苑)
- 本宮山 大正8年(1919)に入手、山開き。
- 本宮山神殿 第一次弾圧事件の最中に竣工し、大正10年(1921)7月27日に鎮座祭が行われるが、10月27日破壊された。
- 至聖殿 大正9年(1920)建立。拝殿として五六七殿(みろくでん)
- 金龍殿 大正4年(1914)建立。9年より祖霊社を祀る。
- 金龍海 大正3年(1914)起工。6年竣工。
- 大八洲神社 大正6年(1917)創建。
- 祖霊社 明治45年(1912)建立。大正9年(1914)金龍殿内に遷座。
- 教祖殿 出口なおを祀る。死去翌年の大正8年(1919)建立。言霊閣と廊下で接続していた。
- 言霊閣 大正8年(1919)建立。教祖殿と接続。現在、みろく殿の中に復元模型がある。
- 出口なお墓 大正7年(1918)死去。大正10年(1921)、第一次弾圧事件で陵墓に似て不敬として強制改築された。さらに第二次弾圧事件で昭和11年(1936)に再び破壊された。
- 本宮山 大正8年(1919)に入手、山開き。
- 第二次弾圧事件前の綾部本宮(梅松苑):「綾部大本一望図」(1932年(昭和7年))参照。
- 弥仙山 明治34(1901)、出口なおが山に籠り修行する。36年になおと王仁三郎らがそろって参拝し、岩戸開きとする。
- 綾部七社
- 上谷厄神神社
- 本興稲荷神社 綾部藩主九鬼家の菩提寺丹波・隆興寺の鎮守。なおが信仰したという。
- 大本信徒連合会 分派の一つ。
亀岡地域
- 天恩郷 亀山城址にある。出口王仁三郎が幼少期遊んだ地とされる。出口なお死後の大正8年(1919)に入手し、第一次弾圧事件後に拠点として発展する。大正14年に天恩郷と名付けられた。
- 第二次弾圧事件前の天恩郷
- 高熊山 出口王仁三郎の修行地。かつては小幡神社奥宮があった。明治31年(1898)、出口なおに出会う前の王仁三郎は小幡大神の啓示で入山し、岩窟で修行した。このときに霊的世界を「見聞」した内容を後年『霊界物語』としてまとめる。
- 愛善苑 分派の一つ。
京都
丹後
播磨
但馬
伊勢と出雲
- 伊勢
- 出雲