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神道大社教関東分院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年7月23日 (土)
神道大社教関東分院は関東州大連市神明町にあった教派神道の大社教の神殿。
1907年(明治40年)4月1日、大社教教師の松山珵三が愛宕町に分院創立事務所を設置。有力者の石本鏆太郎(のち大連市長)の邸宅前だった。 同年9月1日(大連市始政記念日)に神明町に仮神殿を起工し、10月31日に竣工した。11月3日に大社教関東分院として正式に開院した。 本格的な神殿造営は1908年(明治41年)9月に始まり、1909年(明治42年)10月9日に竣工した。大連の最初の「神社」として市民総出で奉賛したという。しかし、「国家の宗祀」である神社ではなく、民間の教派神道の教会であったため問題となり、大社教の承認を経て1910年(明治43年)5月、関東分院は大連連合町内会に引き継がれ、大連神社となった。松山珵三は初代社司を務めつつも神道のさらなる大陸布教を進めた。大社教の教義にも飽き足らず、大社教を離れ、1915年(大正4年)7月30日、産霊教を立教。1917年(大正6年)5月、大連神社社司を辞任した。 (『産霊―松山珵三』)