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出雲教

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年7月31日 (日)

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出雲教 正門

出雲教(いずもきょう)は島根県出雲市大社町杵築東の出雲大社東隣に本部を置く出雲信仰神道教団出雲国造北島家が主宰する。別に千家家が主宰する出雲大社教もある。出雲大社関連旧跡も参照。本部を総本院と呼称する。戦前は神道大教所属だった。

目次

祭神

「出雲教教規」によると、以下の7柱の神を出雲大神と呼称し、大国主神を主神とし、天穂日命を教祖とするとすると規定される。通常は出雲大神といえば大国主神を意味することが多いが出雲教独自の祭神観といえる。造化三神と天照大神の四柱を祀るのは大教院の祭神を受け継いだものと思われる。

総本院

神殿
  • 出雲教神殿
  • 出雲教祖霊社:祭神は幽冥主宰大神(大国主神)と教徒家祖霊。
  • 北島国造館:総本院を置く。
  • 天満宮:祭神は菅原道真
  • 天神社:祭神は少名毘古那命。心字池にある。1667年(寛文7年)の出雲大社大遷宮にともなう国造館移転とともに遷座。2015年(平成27年)4月16日に修復し正遷座祭。
  • 御三社:1667年(寛文7年)の出雲大社大遷宮にともなう国造館移転とともに遷座。天保年間に造替。大正昭和に修造。2022年(令和4年)3月30日に修復し正遷座祭。
  • 山王社:祭神は大地主之命
  • 亀の尾の滝:
  • 生祥館:
  • 亀山会館:
  • 八雲会館:
  • 出雲の森:

歴史

  • 1882年(明治15年)5月7日:北島脩孝、「出雲北島教会」設立を島根県に申請。
  • 1882年(明治15年)5月11日:島根県、許可。北島脩孝、内務省に申請。
  • 1883年(明治16年)1月17日:内務省、出雲教会設立許可。
  • 1883年(明治16年)9月20日:神道事務局総裁有栖川宮幟仁親王、賞詞を与える
  • 1883年(明治16年)11月16日:出雲北島教会を神道出雲教会に改称することを島根県に申請。22日許可。
  • 1885年(明治18年)3月12日:神道事務局に直轄教会の申請。神道出雲教と称すことを願う。4月1日:神道事務局、これを許可。
  • 1913年(大正2年)5月29日:教会規約訂正を神道本局に申請。6月19日許可。
  • 1942年(昭和17年)1月30日:宗教団体法施行にともない教会規則をつくり島根県に認可申請。同日許可。
  • 1951年(昭和26年)3月22日:宗教法人令に基づく宗教法人登記。
  • 1952年(昭和27年)3月21日:出雲教の規則認証を島根県に申請。4月16日、島根県は認証。神道大教との包括関係を廃止。
  • 7月12日:宗教法人法に基づく規則認証を文部省申請。9月3日に認証。

(出雲教教義大要読解)

組織

責任役員は3人で、国造が代表役員を務める。管長という表記を用いる資料もあるが、出雲教関連の資料には確認できない。総務部、教務部、財務部がある。総本院に総務、部長、主事、禄事、出仕を置く。教議会は議員11人で構成する。

歴代

北島家国造が代表役員を務める(出雲教教規)。代表役員の任期は国造在任中とする。(出雲大社#組織を参照)

  • 1北島脩孝(1834-1893)<1879-1893>:76代出雲国造。
  • 2北島斎孝(1863-1918)<1893-1918>:77代出雲国造。
  • 3北島貴孝(1884-1956)<1918-1956>:78代出雲国造。
  • 4北島英孝(1925-2005)<1956-2005>:79代出雲国造。
  • 5北島建孝(1958-)<2005->:80代出雲国造。

総監

教会

本部教会と支部教会に分かれ、支部教会は直轄教会と部属教会に分かれる。直轄教会は分院、教会、神社、宣教所とし、部属教会は分教会、講社とする。

  • 出雲教出雲教会:本部教会。出雲教神殿を参照。
  • 出雲教旭川神社:北海道旭川市三条通16丁目。廃絶か。祭神は主神が大国主神、配祀は天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・天照大御神・産土神・天穂日命。松下友蔵が1905年(明治38年)兵庫県より移住し、旭川を中心に「出雲大社敬神講社」を組織した。『旭川市史』によると創始は1917年(大正6年)11月24日とある。1954年(昭和29年)4月17日、出雲神社と改称(しかし出雲教旭川神社が正式な名称として記載している。旭川市史)。出雲文庫を経営していたという。松下友蔵のあとは松下松太郎、松下馨が継いだ。(梅原達治1975「北海道の出雲神社―北海道の神社の人類学的研究(四)」『札幌大学教養部・札幌大学女子短期大学部紀要』[1]、1959『旭川市史3』「宗教」[2](限定送信)、未見:藤木義雄編1964『北海道宗教大鑑』)
  • 出雲教札幌分教会:1896年(明治29年)10月、竹森徳右衛門が開設。出雲神社。(1911年『札幌区史』[3]、1986『新札幌市史』)
  • 出雲教余市分教会:北海道余市町沢町。廃絶か。1887年(明治20年)1月28日創立。(1933『余市町郷土誌』[4]
  • 出雲教青森宣教所:廃絶か。1982『青森市史』
  • 出雲教新潟分教会:新潟県新潟市寄附町。廃絶か。1934『新潟市史』[5]
  • 出雲教前橋分院:群馬県前橋市天川原町。
  • 出雲教藤枝分院:静岡県藤枝市藤枝。
  • 出雲教大和教会:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺。非法人?
  • 出雲教山陽分院:岡山県浅口市鴨方町六条院中。古乃美教から転属。
  • 出雲教教会:名称不明。岡山県高梁。1913『上房郡誌』[6]
  • 出雲教庄原分院:広島県庄原市板橋町乙。
  • 出雲教府中分院:広島県府中市出口町。
  • 出雲教大黒天宣教所:広島県竹原市東野町。
  • 出雲教高畑分院:徳島県名西郡石井町藍畑高畑。廃絶。
  • 出雲教阿波岐原教会:宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井。

(法人番号公表サイトほか)

その他

  • 出雲神社:北海道上川郡比布町北2線。1917年(大正6年)、出雲教旭川神社の分霊を祀ったことが起源。ドロット虫の食害が甚大で旭川の出雲教会の害虫防除の虫祭りに参詣して御守や御砂などをまいて田んぼに祀った。1915年(大正4年)に高橋権吉、曽我部悦太、伴野伊勢吉、川上祐造らが分霊を高橋権吉邸に奉斎。信者が増えてきたため神社建立の議が起こり、ウッペッ川沿いに境内地寄進を受け、1917年(大正6年)7月に建立した。当初は旭川出雲教会の教導職が祭祀を行っていたが、祭礼は農村の憩いの場となり、市街地の協力も大きくなり、次第に東園地区住民が運営の中心となった。1926年(昭和1年)に村社比布神社が創建されてからはその社掌が祭祀を行うようになり、戦後は比布神社の頓宮となった。(梅原達治1975「北海道の出雲神社―北海道の神社の人類学的研究(四)」『札幌大学教養部・札幌大学女子短期大学部紀要』[7]、未見1964『比布町史』)

資料

  • 『出雲教拡張趣旨』
  • 北島斉孝1890『出雲教会神拝式』[8]
  • 宮崎英峰1924『神道教師必携』「出雲教会の沿革」[9]
  • 北島邦孝1952『出雲教教義大要』
  • 村田正志1957『出雲大社の古文書』出雲教総本院
  • 出雲教編1985『北島国造家沿革要録』出雲教総本院
  • 石塚尊俊1986『古代出雲の研究―神と神を祀るものの消長』
  • 村上重良1987「出雲大社教と出雲教―近代の出雲信仰」『出雲の神々―神話と氏族』
  • 2009『出雲教教義大要読解』
  • 「出雲教教規」:1991年(平成3年)以前。[10](限定送信)
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E6%95%99」より作成

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